【短編ホラー】ねこのもり
子猫を捨てに行くのは、わたしの仕事でした。
当時、家で飼っていた猫は、どこかから拾ってきた猫でした。
避妊手術なんてしませんから、いつの間にかお腹が大きくなります。
近所の野良猫との子どもです。
子猫が生まれると、祖母は段ボール箱に入れました。
「やさしいひとに拾われると良いねぇ」
祖母はいつも、そう言いました。
そして、わたしに言うのです。
「できるだけ山奥に置いてくるんだよ」
わたしには、それがよく分かりませんでした。
「道に置いた方が、拾ってもらえない?」
「箱から這い出て、車にひかれちゃうでしょ。食べる物だってないよ。山奥なら車にひかれないし、餌だってあるよ」
「でも、それじゃあ拾ってもらえないよ」
「そこは運だねぇ。道に置いたって、悪い人に拾われたら保健所に連れて行かれちゃうし、いじめられちゃう」
保健所が何なのか、わたしにはよく分かりませんでした。
ただ、悪い人が猫をそこへ連れて行くと、ひどい目に遭わされるのだろうと思いました。
きっと、殺されてしまうのでしょう。
なら、山の方が良い。
だけど、山奥はやめておこう。
わたしは近所の山へ向かいました。
山と言っても、当時そう感じていただけで、少し深い森の中に散策路があるような公園です。
抱える段ボール箱の中から、か細い声が聞こえていました。
にゃー。
にゃー。
わたしは、誰かにその声を聞かれるのではないかと、びくびくしていました。
人通りが途絶える夕暮れ前の時間を選んでいたので、たまに車とすれ違うくらいで、誰かに咎められることはありませんでした。
散策路の入口まで行くと、道から少し入った茂みに、段ボール箱を置きました。
完全には隠しません。
ちょっと気をつけて見れば、気づくくらいの場所です。
だって、完全に隠してしまったら、誰にも拾ってもらえませんから。
段ボール箱を置いて、わたしは踵を返します。
後ろから、
にゃー。
にゃー。
とか細い声が聞こえてきます。
わたしは、この声が大嫌いでした。
子猫が憎いわけではありません。
その声を聞いていると、自分がとても悪いことをしているような気がするから、聞きたくないのです。
家に帰ると、祖母が聞きました。
「置いてきた?」
「うん」
「どこに?」
「M公園の入り口」
「山奥じゃないけど、まあいいよ。いい人に拾ってもらえると良いねぇ」
猫を捨てに行った日の夜は、決まって猫の鳴き声が聞こえました。
にゃー。
にゃー。
実際に聞こえたわけではありませんが、いつまでも耳に残っていたのです。
なかなか寝つけませんでした。
わたしは、何度かその仕事を任されました。
同じ公園へ行き、同じような場所に段ボール箱を置きました。
不思議なことに、次に行くと、前に置いた段ボール箱はきれいになくなっていました。
きっと、誰かが拾ってくれたのでしょう。
誰かに注意されたこともありません。
見張られている様子もありませんでした。
だから、あの場所で良かったのだと思っていました。
やがて、親猫が死にました。
そのあと、祖父母の家で新しい猫を飼うことはありませんでした。
家に猫がいなくなったことは少し寂しかったのですが、同時に、もうあの仕事をしなくてもいいのだと、ほっとしました。
◆
それから数年が経ちました。
祖父母は既に他界しており、わたしは同じ県内の別の市で就職し、一人暮らしをしていました。
親族の葬儀があり、久しぶりに実家へ帰りました。
葬儀のあと、叔父や従姉妹たちと昔の話をしました。
その中で、叔父が何気なく言いました。
「ばあさんの墓、なんでか猫が寄りつくんだよ。いつも掃除が大変でさ」
そういえば、と叔父が続けます。
「ばあさん、自分の猫以外はどうでもいいって感じだったのにな。野良猫に孕まされた子どもが嫌いだ、みたいなことも言ってた。なのに墓は猫だらけ」
従姉妹が繋ぎます。
「あんた、いつも猫捨てに行かされてたんだって?」
「うん」
「恨まれてるかもよー」
わたしは何も答えませんでした。
葬儀を終え、親戚たちとも別れました。
そのまま帰るつもりでしたが、ふと思い立って、M公園へ向かいました。
数年ぶりに訪れたM公園は、すっかり変わっていました。
散策路そのものは残っていましたが、子どもの頃に山だと思っていたような鬱蒼とした雰囲気はありません。
木々は伐採され、きれいに整備されていました。
入り口には立派な門まであります。
あの門のあたりが、いつも段ボール箱を置いていた場所です。
園内では子どもたちがお行儀良く遊んでいました。
わたしと同年代か、少し上くらいでしょうか。
若い母親たちが、様子を見守っています。
子どもたちの声が聞こえてきました。
「ねこもりー!ねこもりー!」
ーーねこもり?
気になって、母親たちに声をかけました。
「すみません。わたし、子どもの頃、この近所に住んでいたんですが……」
若い母親たちは一瞬、怪訝そうな顔をしました。
けれど、わたしが喪服のままだったので、葬儀のために帰省した人間だと分かってくれたのでしょう。
「どうかしましたか?」
「以前、ここはもっと鬱蒼としたM公園でしたよね。ずいぶんきれいになりましたね」
「ええ。何年か前に木を伐採して、整備したんですよ。奥にはオートキャンプ場もありますね」
「そうなんですか……すごく開けていて驚きました」
「それが、一時、ちょっと変な噂が立ちまして」
「変な噂?」
「猫の鳴き声がやまない、野良猫が住み着いてるって苦情が多くて。それで保健所でも調べたらしいんですけど、猫は見つからなかったんです」
母親は、何でもないことのように話します。
「猫はいないって公表されたんですけど、それでも鳴き声を聞いたっていう人がいなくならなくて。それで何年か前に、茂みを伐採して、きれいに整備したんですよ」
わたしは、遊んでいる子どもたちを見ました。
「さっき、あちらのお子さんたちが『ねこもりー』って言ってましたけど、猫の森ってことですか?」
「ああ、そう。そうなんですよ。子どもたちは『猫森公園』って呼ぶんです。もう森はないんだし、やめてほしいんですけどね。なんだか馴染んじゃったみたいで」
「猫森公園……」
そう思ったときでした。
にゃー。
耳元で、声がしました。
あのときの声です。
にゃー。
にゃー。
たしかに聞こえました。
聞こえます。
わたしは、声のする方を振り向きました。
門の方。
昔、段ボール箱を置いていた茂みの方。
にゃー。
にゃー。
「……ありがとうございました。失礼します」
わたしは、その場から逃げ出しました。
門には戻らず、別の出口から公園を出ました。
にゃー。
にゃー。
後ろから、あの日の声が追いかけてきます。
公園を離れても、声は消えませんでした。
ーーわたしの行動が、公園の呼び名を変えてしまっていた。
ーー祖母の墓には猫が集まるらしい。
ーーここに来るべきではなかった。
今も、後ろから、
にゃー。
にゃー。
縋るような声が、ついてきます。
ねこのもり
了
