芋出し画像

『亀井勝䞀郎 蚀葉は粟神の脈搏である』感想我が凜通にこんな偉人が

Amazon商品玹介ペヌゞはこちら

山本盎人『ミネルノァ日本評䌝遞 亀井勝䞀郎 蚀葉は粟神の脈搏である』感想凜通出身の名批評家のおすすめ䌝蚘我が凜通にこんな偉人が

今回ご玹介するのは幎にミネルノァ曞房より発行された山本盎人著『ミネルノァ日本評䌝遞 亀井勝䞀郎 蚀葉は粟神の脈搏である』です。

早速この本に぀いお芋おいきたしょう。

亀井勝䞀郎1907幎から1966幎文藝評論家。
北海道凜通出身。東京垝囜倧孊文孊郚矎孊科に入孊するも政治運動にのめり蟌み退孊。䞉・䞀五事件で怜挙される。出獄、転向を経お『日本浪曌掟』に参加し、倪宰治、保田與重郎らず知り合う。戊時期は矎術批評ず宗教論、戊埌は文明批評を展開。晩幎は『日本人の粟神史研究』に党力を泚ぎ、菊池寛賞を受賞。本曞では〝珟代人の䞀暙本〟ずしお歩んだ批評家の遍歎を激動の時代粟神ずずもにたどる。

Amazon商品玹介ペヌゞより
亀井勝䞀郎1907-1966Wikipediaより

私が本曞を手に取ったのは以前圓ブログでも玹介した『倧和叀寺颚物詩』がきっかけでした。

奈良の叀寺を孊ぶ過皋で手に取った『倧和叀寺颚物詩』でしたが、これがずお぀もない名著だったのです

この本の䞭でも特に私が感銘を受けた箇所をぜひご玹介したいです。

次の箇所は法隆寺の癟枈芳音像に察する思いを述べた箇所になりたす。では、早速読んでいきたしょう。

癟枈芳音の前に立った刹那、深淵を圷埚うような䞍思議な旋埋がよみがえっおくる。灰暗い埡堂の䞭に、臌焔がゆらめき立ち昇っお、それがそのたた氞遠に凝結したような姿に接するずき、我々は沈黙する以倖にないのだ。その癜焔のゆらめきは、おそらく飛鳥びずの苊悩の旋埋でもあったろう。矎術研究のために倧和を蚪れるなどは末のこずで、仏像は拝みに行くものだず、そのずきはじめおこの単玔な理を悟った。私は信仰あ぀い仏教埒ではない。しかし茫然ず立っお、心の䞭では぀い拝んでしたうのである。

亀井勝䞀郎、『倧和叀寺颚物詩』新朮瀟版平成幎第刷版P
癟枈芳音像 Wikipediaより

癜焔のゆらめき・・・

䜕ずいうこずでしょう癟枈芳音像を衚すのにこれ以䞊の衚珟があるでしょうか。私も以前法隆寺でこの仏像を芋おいたす。亀井勝䞀郎の蚀葉を読んだ時、くしくも私の脳内で本圓に「ゆらめく癜焔」たる癟枈芳音像が姿を珟したのですこれは衝撃でした。

私も文章を曞く人間です。そういう人間にずっお、「この他にはありえない完璧な衚珟」は憧れです。䞀床でいいからそんな蚀葉を掘り圓おおみたいずいう思いが私の䞭にはありたす。亀井勝䞀郎の「癜焔のゆらめき」はたさにそうした完璧な蚀葉でした。私はこの蚀葉に完党に撃ち抜かれおしたいたした。

くしくも私はこの本を読んだ盎埌、実際に法隆寺で癟枈芳音ず再䌚しおいたす。この芋事な仏像を目の前にしお、「癜焔のゆらめき」ず衚珟した亀井に改めお脱垜するしかありたせんでした。

そしおこの『倧和叀寺颚物詩』を読んでいお「おや」ず思う箇所がありたした。「もしかしお亀井勝䞀郎は東北か北海道の出身なのでは」そう思った私が調べおみるず、なんず私の䜏む凜通が出身地だったのですしかも私の高校の倧先茩でもありたした

恥ずかしながら私は亀井勝䞀郎の存圚を『倧和叀寺颚物詩』を読むたで知りたせんでした。ですが、父や母に聞いおみるず、「亀井勝䞀郎なら有名な人でしょ」ずあっけらかんです。私は自分の街のこずを党然知らないなず恥じ入るばかりでした。

凜通垂元町に建぀生誕地の碑 Wikipediaより

こちらは凜通山の麓付近にある亀井勝䞀郎の碑です。私もこの碑石を芋たこずが絶察にあったはずですが、これが亀井勝䞀郎のものであるずは知らずに通り過ぎおいたした。ちなみに埌ろに芋える建物は真宗倧谷掟凜通別院です。

私の故郷の倧先茩である亀井勝䞀郎に぀いおもっず知りたい。圌はどんな生涯を送り、どのようにしおあの名著『倧和叀寺颚物詩』を生み出したのか、私はもう居おも立っおもいられなくなり本曞を手に取ったのでありたした。

そしおこの本も最高に面癜い亀井勝䞀郎の生涯はあたりに波乱䞇䞈で驚くこずばかりでした。

䞊の本玹介にもありたしたように、亀井は東京倧孊に入孊したにもかかわらず、政治運動にのめり蟌み退孊しおしたっおいたす。圌は凜通の富裕な銀行家の長男ずしお生たれたしたが、その埡曹叞がマルクス思想に根差した革呜運動家になっおしたったのです。しかも資本家打倒の運動をしながらもその生掻を支えおいたのが芪の仕送りだったずいうのですから、これはたさに゚ンゲルスそっくりです。トリストラム・ハント著『゚ンゲルス マルクスに将軍ず呌ばれた男』参照

ただ、亀井の独特なずころは革呜運動家ずしお掻動しおいおも、その運動内容に぀いおいけないこずに悩んでいたずいう点です。本䌝蚘でもそのこずは詳しく解説されたす。自分はどうあるべきかずいう葛藀に苊しんでいた亀井の姿を私達は芋おいくこずになりたす。

そしお぀いに監獄暮らしを経お転向し、「『日本浪曌掟』に参加し、倪宰治、保田與重郎らず知り合う。戊時期は矎術批評ず宗教論、戊埌は文明批評を展開。晩幎は『日本人の粟神史研究』に党力を泚ぎ、菊池寛賞を受賞。」ずいう経歎になっおいきたす。

本曞でも倪宰治ずの深い亀流に぀いお曞かれおいたすが、あの倪宰ず䞀緒に飲み歩く間柄だったずいうのはやはり衝撃です。最埌には道を違えお疎遠になっおしたいたすが、あの時代の文壇を圩る存圚ずしお亀井勝䞀郎ずいう人間がいかに倧きな存圚だったかを感じる゚ピ゜ヌドでした。

それにしおも日本叀来の䌝統、信仰に深く拝するこの『倧和叀寺颚物詩』ずいう名著をか぀おマルクス䞻矩に傟倒しおいた人物が曞いおいたずいうのも䜕ずも瀺唆に富むものがありたす。なぜ亀井はそのような心境になったのか、本曞ではそれに぀いおもじっくり解説されおいたすので非垞にありがたい参考曞ずなっおいたす。

そしおこの蚘事の最埌に、本曞の䞭でも特に印象に残った箇所をご玹介したす。

亀井自身は『珟代史の䞭のひずり』の「私の文孊経歎」(『党六』)の䞭で、「北海道文孊の系譜」ずしお、「札幌のピュヌリタニズム、小暜のリアリズム、凜通のロマンチシズム」ずいった「開拓者気質の䞉぀の型」を挙げおいる。

ミネルノァ曞房、山本盎人『ミネルノァ日本評䌝遞 亀井勝䞀郎 蚀葉は粟神の脈搏である』P

道倖の方にはあたりピンずこないかもしれたせんが、北海道民にずっおはこれは「おお」ずなるこず間違いありたせん。

なるほど、たしかにそうなのです。開拓民が倧量に入怍した札幌、開拓者向けの商業で賑わった小暜、そしお倖囜船の枯ずなった凜通。

札幌のピュヌリタニズム、小暜のリアリズムは私もこの箇所を読む前からなんずなくむメヌゞするものがありたした。しかし私が䜏む凜通の街が「ロマンチシズムの街」であるずいうのは倧きな衝撃でした。

以前、こんなこずがありたした。神奈川県暪須賀に䜏む私の友人が凜通に来た時に、私にこう蚀ったのです。「凜通は文化があるよね。文化の空気があるよ」ず。

いやいや、暪須賀だっお軍枯の独特の雰囲気があるし、あの蟺は歊士の文化があるじゃないかず私は返したのですが、「いや、そういうこずじゃないんだ。凜通はやっぱり文化があるんだよ」ず蚀うのです。

圓時はその蚀葉に察しおあたりピンずこなかったのですが、亀井のこの文章を読んでハッずしたした。江戞時代末期から倖囜船が頻繁に来航し、異囜情緒や異䞖界ぞの憧憬が溢れるこの街はやはり独特な文化があったのです。本曞でもそうした凜通の異質な環境に぀いお様々な解説がなされたす。

私達凜通垂民からするず圓たり前すぎおあたり実感できおいないのですが、こうしお客芳的に本で語られるずやはりハッずさせられたす。ほんの数癟メヌトルの範囲内に倧寺院、カトリック、プロテスタント、ロシア正教の教䌚が立ち䞊び、普段からそれらは互いに亀流しお生きおきたのです。そしおそのすぐ近くの枯では持垫だけでなく囜内倖の商船がどんどんやっおきたす。東京や倧阪などの倧郜䌚ならずもかく、はるか北囜でこのような環境があるずいうのはやはり特殊ずしか蚀いようがありたせん。

私は本曞を読んで改めお自分の䜏む凜通ずいう街に興味が湧きたした。この本を読むず、亀井勝䞀郎だけでなく倚くの著名人を茩出しおいるこずも知るこずになりたした。こうした偉人たちを育おた凜通の颚土や歎史にはきっず䜕か特殊なものがあるのでしょう。䜏んでいるずわからないこうした地元の特殊性に぀いお考えるこずができたのも本曞のありがたいずころでした。

話は私の地元凜通にそれおしたいたしたが、人間を育おるのは生たれ育った環境でもありたす。その環境を時代背景ずずもに深く掘り䞋げおくれる本曞は実に玠晎らしい䌝蚘です。

亀井勝䞀郎の『倧和叀寺颚物詩』は奈良の叀寺巡りの最高のバむブルです。たずはこの本を匷くおすすめしたす。そしおこの本に惹かれた方はぜひ本曞『ミネルノァ日本評䌝遞 亀井勝䞀郎 蚀葉は粟神の脈搏である』に進んで䞋さい。意倖な発芋が満茉で驚くこず間違いなしです。激動の昭和日本の時代背景も孊べる玠晎らしい䜜品です。ぜひぜひおすすめしたい名著です。

以䞊、「『亀井勝䞀郎 蚀葉は粟神の脈搏である』感想我が凜通にこんな偉人が凜通出身の名批評家のおすすめ䌝蚘」でした。

次の蚘事はこちら

前の蚘事はこちら

関連蚘事


いいなず思ったら応揎しよう