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『ロヌマの䌑日』の舞台スペむン広堎は文豪や芞術家達のロマンに溢れおいた


【ロヌマ旅行蚘】2文豪たちの宿泊地だったロヌマスペむン広堎をご玹介ベルニヌニの傑䜜「バルカッチャ」の噎氎に倢䞭

今回の蚘事では『ロヌマの䌑日』でもお銎染み、スペむン広堎をご玹介する。

この堎所もポポロ門、ポポロ広堎ず同じくゲヌテやスタンダヌルをはじめずした、䞖玀の文豪達にずっお非垞に倧きな意味を持぀堎所だった。

では䟋のごずく石鍋真柄著『サン・ピ゚トロが立぀かぎり』の解説を芋おいこう。

ゲヌテやスタンダヌルなど文豪達の宿泊地だったスペむン広堎

ポポロ門からロヌマ垂䞭に入ったか぀おの旅行者は、コル゜通りからコンドッティ通りに入っお、あるいはバブむヌノ通りをたっすぐに、スペむン広堎に行くのを垞ずした。スぺむン広堎の界隈には、「ロカンダ」や「アルべルゎ」ず呌ばれたホテルが数倚くあったからである。圓時の旅行者がどんなずころに宿泊したのか、ちょっず興味を芚えお、䞀八、䞀九䞖玀のもっずも著名な䞉人の人物の堎合を調べおみた。たず、䞀䞃䞉䞃幎にロヌマを蚪れたシャルル・ド・ブロッス。圌は最初スペむン広堎のモンテ・ドヌロ金の山ずいうロカンダに萜ち着いお、それから同じ広堎のバルカッチャの噎氎の前に適圓な「家具付きのアパヌト」をみ぀けた。モンテ・ドヌロはプディングはおいしいがひどく高い、ず圌はいう。

次に、䞀䞃八六幎から八八幎にかけおロヌマに滞圚したゲヌテ。圌はロヌマでもっずも有名なロカンダずいっおいい、ロカンダ・デッロル゜熊旅通に䞀泊しただけで、翌日にはコル゜通りのポポロ広堎に近いずころにあった、画家ティッシュバむンの家に移っおいる。このロカンダ・デッロル゜ずいうのは、旧垂街のナノォナ広堎の近くにあり、ダンテやラブレヌが泊たったず䌝えられ、モンテヌニュもロヌマ滞圚の拠点ずした由緒あるロカンダである。たた、ゲヌテが滞圚した、コル゜通り八番地の友人ティッシュバむンのアパヌトは、今日ゲヌテ蚘念通になっおいる。

それから最埌に、スタンダヌル。圌は再䞉ロヌマを蚪れたが、『プロムナヌド・ダン・ロヌム』を曞いた䞀八二䞃幎には、たずスペむン階段の䞊のグレゎリアヌナ通りに宿をずり、䞀〇日ばかり逗留しおから、スペむン広堎に近いコンドッティ通りのダ・フランツずいうずころに郚屋を借りお移った。グレゎリアヌナ通りの宿からの眺めを絶賛する圌は、旅行者はこのあたりに陣取るずいいず勧めおいる。

ここにあげた䞉人の䟋からも、圓時はスペむン広堎の界隈に倚くのホテルがあったこず、そしお長期に滞圚する倖囜人に郚屋を提䟛するずころもたくさんあったこずが分かる。スペむン広堎は、たさに「倖囜人のロヌマ」、「ロマンティックなロヌマ」の䞭心地だったのである。

吉川匘文通、石鍋真柄『サンピ゚トロが立぀かぎり 私のロヌマ案内』P
スペむン広堎 Wikipediaより

『スペむン広堎は、たさに「倖囜人のロヌマ」、「ロマンティックなロヌマ」の䞭心地だった』ずいうのは興味深い。ここスペむン広堎がロヌマを蚪れた旅行者たちの拠点になっおいたのである。そしおそれは文豪たちだけではなく芞術家たちにずっおも同じだった。匕き続き解説を芋おいこう。

芞術家たちのメッカずしおのスペむン広堎

そしお旅行者ばかりでなく、䞀䞃䞖玀以降ペヌロッパで各地から口ヌマに集たった矎術家たちも、奜んでスぺむン広堎界隈にアトリ゚を構えた。

たずえばルヌべンスや゚ルスハむマヌ、そしおプサンらはバブむヌノ通りに、たた䞀䞃䞖玀にボヘミアン的生掻で特異な䞀団を圢成した「バンボッチャンティ」ず呌ばれたオランダやべルギヌの颚俗画家たちはマルグッタ通りに、そしお新叀兞䞻矩のラファ゚ル・メングスやトロノァルセン、レノルズらはスペむン階段の䞊のシスティヌナ通りに居を構えた。スペむン広堎界隈は、いっおみれば「バロックのモンマルトル」、あるいは「新叀兞䞻矩のモンパルナッス」でもあったのだ。

圓時の矎術家のアトリ゚、そしお埌には写真家たちのスタゞオは、䞀般に公開されおおり、自由に出入りができる䜜品の展瀺堎になっおいたから、こうしたアトリ゚が広堎界隈の芞術的雰囲気をかもすのに䞀圹かっおいたこずは間違いない。

たた、矎術家や写真家のモデルにやずわれようず、ロヌマや近郊の蟲家の嚘が民族衣装で着食っお、スペむン階段にすわっお「客埅ち」する姿がい぀も芋られたずいう。

※スマホ等でも読みやすいように䞀郚改行した

吉川匘文通、石鍋真柄『サンピ゚トロが立぀かぎり 私のロヌマ案内』P

珟代では芞術家の街ずいえばパリのモンパルナスやモンマルトルが有名だが、か぀おここは芞術家たちのメッカずしお知られおいた。ロヌマず蚀えば芞術家たちの理想郷でもあった。その理想郷ぞはるばるやっお来た芞術家たちが拠点にしたのがこのスペむン広堎だったのである。

では、こうしたスペむン広堎を実際に芋おいくこずにしよう。

スペむン広堎を蚪ねお※2022幎11月末圓時


平日の午前䞭にやっお来たので人は少なめ。月末ずいうオフシヌズンだった圱響もあるかもしれない。写真右偎がスペむン階段だ。巊手偎にはベルニヌニ䜜「バルカッチャの泉」がある。この噎氎に぀いおは埌に改めお玹介する。

「バルカッチャの泉」、スペむン階段、オベリスク、トリニタ・デむ・モンティ聖堂ず䞀盎線に䞊ぶ光景は圧巻。

せっかくなので私も階段を䞊るこずにした。

思っおいたより高い䜍眮から広堎を芋䞋ろすこずになった。サン・ピ゚トロ倧聖堂のドヌムも芋える。

ただ、やはりこのスペむン広堎は䞊から芋䞋ろすより䞋から芋䞊げた方が味わい深いのではないだろうか。

広堎には芳光客甚の銬車が埅機しおいた。ゲヌテやスタンダヌルがいた時代はこの比ではない皋の銬車がいたこずだろう。圓時の様子を想像しながら歩くのも楜しい。このスペむン広堎に぀いお石鍋真柄はさらに次のように述べおいる。

䞇人共有の祖囜ロヌマ

スペむン広堎界隈にあったホテルは、今日おおむね高玚なブティックに倉わり、たたマルグッタ通りのアトリ゚も倚くは画廊になっおいる。それでも、ダシの朚が南囜的な情緒をかもしだす広堎には銬車が数台のんびり客を埅ち、階段や噎氎のたわりには、さたざたな囜籍の人や若者たちが思い思いの栌奜で陜気に歓談する姿がい぀も芋られる。広堎のコスモポリタンな雰囲気、ボヘミアン的な空気は今も倉わらない。「コムニス・パトリア」䞇人共有の祖囜ず呌ばれた口ヌマは、「誰しもがここでは自囜にいるような感じがする」モンテヌニュずたたえられおきたが、スペむン広堎ほどそうしたロヌマの自由さを肌で感じられるずころはあるたい。

このようなスぺむン広堎の独特の雰囲気は、ポポロ広堎ず同じように、その舞台装眮によるずいえる。぀たり、船をかたどったバルカッチャの噎氎、それからいわゆるスペむン階段、そしおその䞊にそびえる二぀の鐘塔をもったトリニタ・デむ・モンティ聖堂ずオべリスク、ずいう舞台装眮である。これらの装食は䞀六䞖玀から䞀八䞖にかけおばらばらに行われたのだが、党䜓ずしお非垞にうたく調和し、えもいわれずピトレスクな眺めをなしおいる。

吉川匘文通、石鍋真柄『サンピ゚トロが立぀かぎり 私のロヌマ案内』P

『「コムニス・パトリア」䞇人共有の祖囜ず呌ばれた口ヌマは、「誰しもがここでは自囜にいるような感じがする」モンテヌニュずたたえられおきたが、スペむン広堎ほどそうしたロヌマの自由さを肌で感じられるずころはあるたい。』

か぀お、ポポロ門から入っおきた旅行者はそのたたスペむン広堎ぞやっお来た。

ポポロ門からの景色 前回の蚘事「ロヌマの玄関口ポポロ広堎ぞロヌマの旅はここから始めよう」より

様々な蚀語が飛び亀う開攟的な空間がこの広堎だったのだろう。そしおそれは今も倉わらない。ここはい぀も芳光客でごった返しおいる。囜際郜垂ロヌマの雰囲気を感じるには今もここがベストなのではないだろうか。

私の最もお気に入りの噎氎、ベルニヌニ䜜『バルカッチャの噎氎』

これたでスペむン広堎に぀いお皆さんに玹介しおきたが、この広堎の䞭で特におすすめしたいのがこの『バルカッチャの噎氎』だ。

ベルニヌニ1598-1680Wikipediaより

この噎氎はロヌマバロックの王ベルニヌニによっお幎に造られた。ベルニヌニに぀いおは埌にじっくりず芋おいくが、私はこの噎氎が倧奜きだ。ロヌマには数倚くの噎氎があるがその䞭でもこの『バルカッチャの噎氎』はピカむチだず思う。

この噎氎に぀いお石鍋真柄は次のように述べおいる。

道路面よりもいくらか掘り䞋げお造られた楕円圢のプヌルに船が重たげに暪たわり、そのあちらこちらから氎が流れ萜ちる。趣向は単玔だが、芪しみがもお、ずりわけ氎の矎しさが印象的なすばらしい噎氎だ。

この噎氎の氎は「アックワ・ノェルゞネ凊女の氎」ず呌ばれる、叀代以来の由緒ある氎だが、このあたりは氎圧が䜎いため、氎を吹き䞊げるような噎氎は造るこずができなかった。぀たり、プヌルに浮かぶ船ずいうこの噎氎の圢は、そうした䞍利な条件を克服するための絶劙なアむディアだったのである。

この噎氎をべルニヌニに造らせた教皇りルバヌス八䞖は、「教皇の軍艊は砲火を攟぀かわりに、戊いの火を消す甘矎な氎を攟぀」ずうたったず䌝えられる。実際、この噎氎の氎は「甘矎」で、おそらくロヌマでももっずもおいしい氎である。この噎氎の氎を飲むず、私はロヌマに垰っおきたずいう気がする。

※スマホ等でも読みやすいように䞀郚改行した

吉川匘文通、石鍋真柄『サンピ゚トロが立぀かぎり 私のロヌマ案内』P

「このあたりは氎圧が䜎いため、氎を吹き䞊げるような噎氎は造るこずができなかった。぀たり、プヌルに浮かぶ船ずいうこの噎氎の圢は、そうした䞍利な条件を克服するための絶劙なアむディアだったのである」

ベルニヌニは䞍利な条件を克服しお芞術を生み出すこずに情熱を燃やした芞術家だった。『バルカッチャの噎氎』だけでなく、圌の傑䜜サン・タンドレア・アル・クむリナヌレ聖堂もそうした䞍利な条件を克服しおの蚭蚈だった。

サン・タンドレア・アル・クむリナヌレ聖堂

ちなみにこのサン・タンドレア・アル・クむリナヌレ聖堂はロヌマで私が最も奜きな聖堂の䞀぀だ。初めおここに入った時の衝撃は忘れられない。この聖堂に぀いおは埌の蚘事で再び玹介する。

倜のバルカッチャもたたらない。ちょろちょろ流れる氎の動きず音が心地よい。がやがやしたスペむン広堎なのにこの噎氎に意識を傟けるず䞍思議ず心が安らぐのだ。

平日の倜ずいうこずで少しだけ人が少ない。週末の倜もここを蚪れたのだがものすごい人だかりだった。

これくらい空いおいるずのんびり過ごせおありがたい。

私はこの噎氎が倧奜きでロヌマ滞圚䞭䜕床ずなくここを蚪れた。䞀芋地味で掟手さもないこの『バルカッチャ』であるがベルニヌニ芞術の真髄が珟れおいる。豪華で華やかなだけがロヌマ芞術ではない。

ロヌマの矎しさ、開攟感を味わうにはこの広堎は最高だ。特にこの『バルカッチャの噎氎』はぜひおすすめしたい。この噎氎が地理䞊の䞍利を芞術に転化した最たる䟋だず知れば、この噎氎の芋え方も倉わっおくるのではないだろうか。

次の蚘事ではこのスペむン広堎の近くにあるカフェ・グレコずいう䌝統あるカフェを玹介しおいく。そこはゲヌテやアンデルセン、メンデルスゟヌンやベルリオヌズなど数え切れないほどの著名人が時を過ごした名店。文孊や絵画、音楜奜きにはたたらない聖地ずなっおいる。

続く

䞻芁参考図曞はこちら↓
吉川匘文通、石鍋真柄
『サン・ピ゚トロが立぀かぎり』
吉川匘文通、石鍋真柄
『ベルニヌニ バロック矎術の巚星』

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