公務員を退職して、地域おこし協力隊として活動した1年間の話
今の生活に、大きな不満があるわけじゃない。
収入も、生活も安定している。
それなのに、ふとした瞬間に
「このまま同じ働き方で、10年後の自分ってどうなってるんだろう?」
って、頭をよぎること、ありませんか。
私は、完全にそのタイプでした。
「自分にとって心地いい生き方って何なんだろう」
──気づいたら、そんなことを考えていたんですよね。
で、考えてるだけだと一生終わりそうだったので、
思い切って動いてみた40代おじです。
20年近く自治体の公務員として働き、2024年3月末に退職。
4月からの1年間、人口5,000人ほどの町で『地域おこし協力隊』として暮らしました。
畑が広がる風景、びっくりするくらい明るい星空、そして迎え入れてくれる温かい人たち。
都心部での生活とはまったく違う環境で過ごした時間は、新鮮で、どこか懐かしいような日々でした。
ただ、今回の記事は、キラキラした移住ストーリーでも、華やかな成功物語でもありません。
働くなかで積もっていった違和感をもとに、
「人生のここちよいリズム、取り戻したいな」と思って動いてみたら、その先にどんな“風景”があったのか──その記録です。
この記事が、地方移住に興味がある方、地域おこし協力隊になることを考えている方、そして「今の暮らし、一回立ち止まって見直したいな〜」という方の、何かしらのヒントになったらうれしいです😀。(ちと長文ですが笑)
1 なぜ「地域おこし協力隊」を選んだのか
「もう無理!!」と叫びながら仕事を辞めたわけではありません。
人間関係も、まあ普通。
収入も、安定している。
生活に困っていたわけでもない。
仕事も、そこそこ成果を出せる。
世間的に見れば、わざわざ辞めなくてもよさそうな状態でした。
それでも、静か〜に、じわじわ〜っと、違和感だけが溜まっていった感じです。
公務員として20年近く働くなかで、仕事の流れや組織のクセ、市民の方への対応スキルは、身についていました。
異動サイクルのたびに新しい仕事はあるものの、「未知の世界に放り込まれる」みたいな感覚は、年々なくなっていきます。
その代わりに増えていったのは、
調整、根回し、説明、説明のための説明
みたいな仕事たち。
「視野が広がる」というより、「役割が増えていく」ほうが近い感覚でした。
もちろん、大事な仕事です。ほんとに。
ただ、心のどこかで、たまにこう思ってしまうんですよね。
「これ、あと20年以上続くのか……?」
天井を見つめながら、ため息まではいかない、でもなんか胸の奥がモヤっとする。そんな夜が、ちょくちょくありました。
10年後を想定してみたときに・・
もうひとつ、はっきりしていたのが「体力」の話です。
頭はまだ動く。
でも体は、前ほど言うことを聞いてくれない。
40代に入ってから、「あ、これはちょっと誤魔化せないな」と思う瞬間が増えてきました。
そこでふと出てきたのが、この問いです。
「50代になってから、新しいこと始める元気、残ってるかな?」
…たぶん、ない。
少なくとも今よりは、確実に少ない。
だったら、体力と気力がまだ残っているうちに、一度くらい、まったく違う場所に行ってみてもいいんじゃないか。
そんな考えが、ゆっくりゆっくり、頭の中で育っていきました。
とりあえず少しづつでも行動開始
2023年の夏ごろから、転職関係のイベントがあれば、ふらっと顔を出すようになりました。
「とりあえず何か動いとかないと、一生動かないまま終わるな」とうすうす分かっていたからです。
その中のひとつが「就農フェア」。
なんとなく会場をのぞいたのが、今回の話のスタートでした。
農業には、前からぼんやり興味がありました。
今の仕事にはない、「目の前に“モノ”が生まれる感じ」に、ずっと憧れがあったんだと思います。何かを作り出すということに。
種をまいて、育てて、収穫して、それが誰かの食卓に並ぶ。
そのときの「よし、ちゃんと役に立ったぞ感」を、いつか味わってみたかったんですよね。
「地域おこし協力隊」に惹かれた理由
就農フェアの会場には、企業ブースや自治体ブースがずらっと並んでいて、ウロウロしながら話を聞いて回っていました。
その中で、初めてじっくり話を聞いたのが「地域おこし協力隊」制度でした。(制度の説明はこの記事では割愛します。私、この制度や「ふるさと納税」制度を設計された方々には、本当に敬意を持っています)
話を聞いていて、自分の中でストンときたのは、このあたりです。
任期が決まっている
最低限の生活基盤(報酬・家賃補助など)がある
いきなり独立しなくていい
支援の中で、地域との接点が持てる
この「初期投資のリスクを背負って、完全に飛び込むわけじゃない」という“絶妙な中間地点”みたいな立ち位置が、当時の自分の状態にぴったりハマりました。
思い切り飛ぶほどの勇気はない。
でも、今のままを続けるほどの納得もない。
その“あいだ”にぽつんと置いてあった選択肢。
それが、地域おこし協力隊でした。
そして、もうひとつの個人的な理由
他人の課題や、組織の課題を解決して「ありがとう」と言われること。
昔はそれが、わりと大きな原動力でした。
でもいつの間にか、その「ありがとう」に前ほど心が動かなくなっている自分に気づきました。
誰かの役に立ちたい気持ちはある。
でも、「で、自分はどうしたいんだっけ?」という問いだけ、ずっと後回しになっていた感覚があります。
肩書きに縛られない場所。
自分のペースで考えられる時間。
そういうものを、一度ちゃんと経験してみたかったんだと思います。
もちろん、不安は山盛りでした
収入は下がる。
人間関係はゼロから。
田舎暮らしが合うかどうか分からない。
正直に言うと、少しビビっていました。
「刺激を求めていた」のも事実ですけど、それ以上に、不安がドーンと居座っている感じでした。
それでも、「やらなかった後悔」と「やってみた後悔」どっちがマシかな?と自分に聞いてみたら、「やってみた後悔」のほうが笑える気がしたんですよね。
失敗したら、そのとき考える。
合わなかったら、別の道に進めばいい。
絶対に学ぶことはある。
そんなふうに自分をなだめながら、最終的に、私は公務員を辞め、地域おこし協力隊という選択をしました。
この判断が正解だったかどうかは、今も分かりません。
でも、「ちゃんと悩んで、自分で決めた」という感覚だけは、しっかり残っています。
2 決断までに考えたこと・感じたこと
地域おこし協力隊に興味を持ち始めたのが2023年の夏。
そこからしばらくは、
「本気でやるのか」
「いや、まだ早いか」
を、行ったり来たりしながら考えていました。
この時点では、心のどこかで「まあ最終的には辞めないでしょ、自分」と、予想していた気がします。
たとえば、こんなことを考えながら・・。
20年前、採用試験のために1,500時間は勉強したよなぁ
リスクを背負う必要ある?
親はなんて思うかなぁ
自分に合ってなかったらどうすんのよ?
異動サイクルの関係で同僚にも迷惑かけるな
そんなことをぐるぐる考えながらも、日常はいつも通り回っていきます。
何も決めないまま時間だけが過ぎていき、「結局、何もしないで終わるのでは?」と思う日も多かったです。
「お試し協力隊」に参加してみた話
就農フェアで話を伺ったとき、担当の方に「一度、実際に町に来てみると雰囲気が分かるし、いいんじゃない?」と勧めていただきました。
たしかに、資料やネットだけでは判断材料が少なすぎます。
そこで思い切って、2泊3日の「お試し協力隊」に参加してみることにしました。
行ってみて良かったのは、まず町の空気が肌で分かったことです。
人通りの少なさ。お店の数。役場の雰囲気。信号の少なさ。
“暮らす”という目線で見ないと分からない情報ばかりでした。
次に大きかったのが、活動する施設を直接見られたこと。
「ここで活動するんだな」と、実感が湧きましたし、役場の方が丁寧に仕事内容を説明してくださったおかげで、活動のイメージが、ぼんやりした霧から、うっすら輪郭のある形になっていきました。
そして何より大きかったのは、実際に一緒に過ごすメンバーと顔を合わせられたこと。これは、「人間関係誰でもウェルカム」ではない自分にとってとても、大きい。
ここでの協力隊のミッションは、イベントの企画や起業などではなく、
「農業に係るスキルを身につけ、農業従事とともに定住を目指す」というものです。
「リアルな田舎」を感じた
役場の担当者の方に案内していただきながら、町の拠点や施設、景色のいい場所などをぐるっと回りました。
その途中で、「あ、思ってた“田舎”と、リアルな“田舎”って別物だな」と感じました。
想像以上に町全体がコンパクト。
想像以上に人の気配を感じない。
想像以上に「外から来た人」に対して気を配ってくれる。
あとから分かったことですが、最初の頃は施設側の人たちも、ちゃんと警戒していたということ。
そりゃそうですよね。自分が逆の立場なら、「突然現れた40代おじ、何者?やべー奴だったら最悪」って思うのが普通です(今ならよく分かります)。
とはいえ、2泊3日の滞在で見えるのは、基本「良いところ」だけ。
人は親切、景色はきれい、星はとんでもなく明るい。
緊張しつつも、「ここ、いいなぁ」と素直に思えるポイントがたくさんありました。
でも、その一方で、「この景色の中で“日常”を作っている自分」が、この段階では想像できず・・(当然ですけどね)。
短期滞在って、旅行みたいなものです。
良い面はたっぷり感じられる一方で、自分に合わないとこはなんだろってとこまではなかなか見えてこないかなって思います。
なので、この段階ではまだ、「本当にやるのか問題」は保留のまま。
お試し協力隊は、とてもありがたい制度でした。
でも、「よし、ここに決めた!」とまでは、まだ言えないラインだった、という感じです。
公務員を辞めるかどうかの最後の葛藤
お試し協力隊が終わり、帰りの車でゆっくり走りながら考えていました。
「楽しかったよなぁ……」
でも、そのすぐ後に、「今の仕事を辞めたら、もう戻れないんだよな……」という現実が、ひゅっと胸のあたりに戻ってくる。
これが、
最後までしつこく残っていた感覚でした。
公務員を辞めて起業した友人がいて、そのときの話を聞いてみたことがあります。
「”辞めるボタン押す”瞬間ってさ、天秤の皿がいろんな方向に揺れてる感じ」「釣り合ったから納得、ってわけでもない。どこかで“えいやっ”なんだよね」
たしかに、自分の中にも“えいや問題”が居座っていました。
辞めるとなると、不安のリストは一気に膨らみます。
収入は下がる
“肩書き”という鎧がなくなる
生活のサイクルが全部変わる
もし失敗したら「なんで辞めたの?」と言われるかも
人間関係、合わなかったらどうする?
病気や怪我をしたらどうする?
退職金算定の係数、、これからが上がっていくよな〜
今だけのテンションじゃない?
想像以上に、手強いメンバー。この不安チーム。
親にも言いづらいし、同僚にも言いづらい。
「本当に辞めるの?」と聞かれたとき、うまく説明できる自信もありませんでした。
それでも、ひとつだけハッキリ分かっていたことがあります。
このまま働き続けた未来は、もうだいたい想像できる。
でも、新たな道を選んだ未来は、まったく想像できない。
そして、その「想像できなさ」に、
ちょっとだけワクワクしていた自分もいました。
“たぶんなんとかなる”という根拠は、ほぼゼロでしたが、
“今のままでは何も変わらない”という実感だけは、しっかりありました。
そして決断へ
正直に言うと、「よし!これだ!!」みたいなドラマチックな瞬間はありませんでした。
もっとこう、ぬるま湯がじわ〜っと体温に近づいてくるみたいに、「あ、そろそろ行くときかな」という感覚が静かにやってきた、という感じです。
どこかで、「気力の在庫、そろそろ減ってきてない?」と、
自分の中から声がしたような気がしました。
40代の今。まだ動ける今。筋肉痛が翌日にギリ来る今。
この“今”を逃したら、もう挑戦しない。そしてそのことを後悔する。
──直感的に、そう分かってしまった。
だから辞める決断をした。
いや、もっと正確に言うなら、「辞めない理由を並べても、どれもピンとこなくなった」という感じに近いです。
ちなみに、このときの考えなどが以前、投稿させていただいた↓です。
こちらも読んでいただけたら嬉しいです。
失敗したら? → まあ、そのとき考える
合わなかったら? → 引っ越せばいい
貯金どうする? → ちょっと節約、がんばる
キャリアは? → それは後で考えよ
こんなふうに、自分の中で「怖さ」より「身軽さ」のほうが、少しだけ勝った瞬間がありました。
決めてからの流れは、意外とあっさりしていた
あれだけ迷っていたのに、「辞める」と決めてからの流れは、びっくりするくらいスムーズ。
まず、受け入れ先の自治体に「地域おこし協力隊として活動させていただきたいです」と連絡。
かなり驚かれました。「よく決断したね〜」って。
続いて、職場への報告。
12月上旬:まずは直属の上司へ。驚かれつつも、最後は「まあ…お前ならやるんだろうな」と笑ってくれました。部長、課長へも報告。淡々としつつも、ちょっと寂しそうな表情。
(そんな顔されたら泣いちゃう、、😭)ぐっとこらえる。
そのあと同僚や仲の良かった人たちへ報告。「マジで?」「農業良いね〜」「実は私もやりたい」「頑張れよ!」みたいな反応。
1月には部署内に正式に共有、1月末に退職願を提出。
退職願に自分の名前を書いた瞬間、「あ、本当に行くんだな、自分」と、スイッチがカチッと入りました。
2月は、これまで仕事で関わってきた人たちと、お酒を飲みながら話す時間が増えました。みんなが「楽しんでこいよ」と背中を押してくれて、本当にありがたかった。
あまり多くはないと思っていたのだけど、、大切にすべき人間関係・・めちゃめちゃあった!辞める時になって、初めて意識しました泣。
20年近くお世話になった組織。
気づけば、日頃、お酒を飲むのも遊ぶのも組織内の人間ばかりだったなってあらためて思う。
そして3月末、退職。
こうして書くと淡々としていますが、内側では不安と期待がずっとぐるぐるしていました。
それでも不思議と、足だけは前に進んでいく感じがありました。
3 着任初日から始まる濃い日々と活動
(バタバタしつつも、「あ、始まったな」と思った日)
引っ越しは3月の休みを使って済ませました。
そのときも、役場の方や地域の方が手伝ってくれて、本当にありがたかったです。
そして迎えた、
地域おこし協力隊としての、いわゆる“初日”。
9:00 最初の挨拶
まずは、これからお世話になる施設でご挨拶。
知らない人たちがいる事務室に入っていく、40代の新入り。
ちょっとスーツの襟を直しながら、心の中で深呼吸しました。
まずは場の空気を読みに行きます。
(この「空気読みモード」、のちのち疲れの原因にもなりますが、初日はフル稼働)
9:30 役場へ移動。しっかり者モードON
役場に移動し、町長から委嘱状を受け取り、担当課の皆さんの前で挨拶・自己紹介。
みなさんきちんと迎えてくださるので、こちらも自然と背筋がピン。
ちょっと声が上ずった気はしますが、「まあ、初日だしこんなもんでしょ」と、自分には甘めの採点をしておきました。
10:00 新聞の取材
続いて、地域の新聞社の取材。
カメラを向けられ、
これまでの経歴や、地域でやってみたいこと
なんかを聞かれます。
言葉を選びながらしゃべっているうちに、「あ、自分、本当に“ここに来た人”になったんだな」と、じわじわ実感が湧いてきました。
ちなみに、記事は新聞の一面に・・。さすが地域密着。
11:00 地域の方へご挨拶まわり
そのあと、地域の方への挨拶回り。
「応援してるよ!」「よく来てくれたね〜」と声をかけてくださる方もいれば、ちょっと真剣な表情で「なんで仕事辞めたの?(もったいない)」、「なんの野菜がつくりたいんだ?」と聞いてくださる方も。
一つひとつの言葉を全部胸のポケットにしまってしまうので、ちょっと重くなりがちですが、「でもまあ、関心を持ってもらえてるってことだよな」と、自分なりに解釈しながら回っていました。
13:00 活動の打ち合わせで、少し先が見えてくる
施設に戻って、今後の活動についての説明を受けます。
育てる作物について、活動にあたっての注意点、今後のイメージ
などなど。
不安とセットで、じわっとワクワクも顔を出してきました。
ちょっと疲れながらもワクワクしてました。
15:00 関係機関へ追加の挨拶
午後も、関係機関への挨拶が続きます。
名前と顔を覚えるのにいっぱいいっぱいですが、みなさん丁寧に接してくださるので、「あ、本当に受け入れてもらえたんだな」という感覚が、少しずつ増す。
17:30 歓迎会へ
夕方からは、役場の歓迎会。
新採用職員の皆さんと一緒に壇上に上がり、
マイクを握って一言挨拶をします(短い挨拶ですがすごい準備してました笑)。
10代・20代のフレッシュな新職員に混ざって、40代おじがひとり。
なかなか味わい深い並び。
20:00 2次会
その後、2次会へ。
仕事の話や、町の話、どうでもいい雑談なんかをしながら、少しずつ人との距離が縮まっていくのを感じる。
わたしは、「場の空気を全部吸う」癖があるので、エネルギー消費はそれなりに激しい。「でも、嫌な感じじゃないな」というのが正直な感想でした。
23:00 星の明るさにびっくりする
2次会が終わり、自宅までの道をひとりで歩きます。
街灯がほとんどない道を歩いていて、ふと空を見上げた瞬間、「星、明るっっ!」と思わず足が止まりました。
田舎の星って、本当に明るいんだなと。
この景色の中で暮らしていく1年間を、ちょっとだけ想像しました。
23:30 布団の中で、やっと一息
布団に潜り込んで、ようやく一息。
「とりあえず、今日はよく頑張った。初日としては合格でしょ、自分。」と思いながら、「今日、何か変なこと言ってなかったかな…」「あのときの返事、もっとこう言えばよかったかもな…」と、いつもの一人反省会が始まりながらも、いつの間にか眠っていました。
初日の「気づき」
初日は、「理想の自分」と「現実の自分」が、がっつり顔を合わせる日でもあります。
もっと自然体で話したかったな。
でも、まあ初日にしてはよくやったかな。
そんなことを思いつつ、「ここから1年かけて、少しずつ馴染んでいけばいいか」と、ゆるく腹をくくった日でもありました。
着任してからの活動内容
私のミッションは、施設が持っているビニールハウスや畑で野菜を育てながら、農業の技術を身につけること。
役場側の成果指標としては「農業スキルを習得 → 地域で定住 → 担い手確保」までがワンセットになっています。
人口減少と担い手不足を見据えた、ガチなミッション。
なので、活動状況については、町議会でも常に質問に上がるくらいの話。
とはいえ、役場の方が「まずは農業、楽しんでね」というスタンスで接してくださったのは、個人的にかなり救いでした。
どんな作物を育てていたのか?
ざっくりいうと、こんなメンバーです。
ブロッコリー
アスパラガス
大豆
キャベツ
ミニトマト
さつまいも
にんにく
ネギ




野菜ごとに性格がぜんぜん違う、ということを身をもって知った1年でした。
多少ほっといても、わりと育ってくれる野菜。
ちょっと目を離しただけで機嫌を損ねる野菜。
そんな感じで、それぞれに「付き合い方」が全然違います。
夏場は特に大忙しで、さまざまな農機の使い方、
灌水、草刈り、防除、わき芽かき、葉かき…
など、覚えることはてんこ盛りでした。
また、本や雑誌を読みながら分かったのは、
「農業には“絶対の正解”がない」ということ。
土壌、気候、環境、作る人の考え方。
その組み合わせで、やり方も変わってくる。
そこがしんどくもあり、おもしろいところでもあると思いました。
指導員のもとで、基礎からみっちり
「農業未経験の40代」を、いきなりハウスに放り込むようなことはありません。指導員の方がつき、少しずつ教えてくださいました。
先輩協力隊員や、地域の就農者、JAの方、県の指導員の方なども、適宜気にかけてくれます。相当恵まれた環境だったと思います。
一番最初に教わったのは、「水の管理」。
どのタイミングで、どれくらいの量を、どんな状態のときにあげるのか。
ここを間違えると、けっこう簡単にダメージが出ます。
「今日、葉っぱのハリがちょっと違うな…?」みたいな細かい変化を気にしてしまうタイプなので、その点は農業と相性が良かったかもしれません。
刈り払い機とトラクターも当然に
刈り払い機
まずは「刈払機取扱作業者安全衛生教育」を受講(6時間くらい)。
受講料は1万円ほどで、活動費から出してもらえました。
講習会で安全な扱い方を学んでから、実際の畑で実践。
最初はエンジンすらまともにかからず、「え、今日機嫌悪い?」みたいなところからスタートしましたが、慣れてくると、「草がシュンシュン消えていくの、ちょっと楽しいぞ」となってきます。
とはいえ、扱い方を間違えると危ない機械なので、最後まで気をつけていました。
トラクター
トラクターを公道で走らせるには「大型特殊免許」が必要なので、自動車学校に通いました。
普段は軽自動車に乗っている40代おじが、急に大型車に乗ることになり、最初はビビりまくりでしたが、なんとか一発で合格。
費用は12万円くらいで、これも活動費から出してもらえました。
「人生で一度も乗らないだろうな」と思っていた機械に、まさか自分が乗るとは…。
最初は、まっすぐ走るだけでも一苦労で、耕した跡が「へび?」みたいなラインになっていましたが、指導員さんが「最初はそんなもんですよ〜」と笑ってくれたので、なんとか心が折れずに済みました。
座学・講習会での学び
JAや地域の農業者が開く講習会では、
土と肥料の基礎
病害虫・防除
販路や直売所の話
新規就農者向けの補助制度
などを教えてもらいました。
さらに、確定申告や農業簿記など、「お金まわり」の講習もあり、「農業って、当然、“作業”だけじゃなくて、“経営”だよな」と。
協力隊という枠を使っていなかったら、ここまで一気に人・知識・経験が詰め込まれることは、まずなかったと思います。本当に、手厚いご指導に感謝です。
農業以外の“地域の活動”もいろいろ
農業技術の習得がメインとはいえ、「地域の人」として参加する場もたくさん。
地域イベントの運営手伝い
小さなお祭りへの参加
町内会の集まり
連携している大学の講座
いろいろな会議への出席
これまでの環境より、
「1回のイベントに対する密度」が濃い、という印象でした。
地域の子どもたちが走り回っていて、その横で大人たちがゆるくお酒を飲みながらしゃべっている。
花火の手伝いなんかをしながら、新鮮だなぁと思っていました。
「ああ、子供たちが“地域で育つ”ってこういうことなんだな」と思う場面も多かったです。
私の気質的に、人に慣れるまでちょっと時間がかかるタイプですが、顔と名前を覚えてもらえて、少しずつ名前で呼ばれるようになっていく過程は、じんわりうれしいものでした。
正直、想像以上に「体を使った」
公務員時代は、外勤する職場もあったけども、
PC、書類、窓口、会議がメインでした。
それが一気に、
土、太陽、筋肉中心の生活に切り替わります。
最初は全身筋肉痛で、「これ、本当に1年持つのかな…?」と不安になりましたが、人間の体は意外と順応していくもので、数ヶ月もたつと、むしろ「体を動かしてないと落ち着かないぞ」くらいになっていきました。
日焼け止めを塗っても色は黒くなっていき、ややたくましい体つきに。
農業経験ゼロのおじが、少しずつ成長できる環境
もちろん、1年でプロ農家にはなれません。
それでも、
土の湿り具合で状態が分かるようになったり
苗を見て「今日はちょっと元気ないな」と感じられたり
灌水のタイミングを、だいたいの感覚でつかめるようになったり
天気の変化と作物の機嫌の関係が、少しずつ読めるようになったり
そういう「言葉になりにくい感覚」は、確かに少しずつ身についていきました。
小さな変化に敏感な気質は、この部分ではかなり役に立ってくれた気がします。
4 生活環境や毎月の収入など
住まい:1LDK、築5年くらい、家賃5,000円
私が住んだのは、町が所有する1LDK、築5年くらい、わりときれいという、ふつうに快適な住宅でした。
お風呂もトイレもきれいで、「“地方=古い物件しかない”って、誰が言い出したの?」と思ったくらいです。
で、家賃が、月5,000円。
桁、合ってます。ほんとに5,000円です。
駐車場もついているんですが、「駐車場」というより、「広い空き地の好きなところ停めていいですよ」スタイルで、駐車位置争いとは無縁の生活。(これまでは、自分が軽自動車なのに、隣がハイエースとランクルでイライラ..)
都心部にいた頃は、家賃+駐車場で月75,000円払っていて、家賃補助が25,000円だったので、この時点で大きく固定費が消滅したことになります。
これはかなり大きかったです。
国民健康保険・国民年金と、ありがたい補助
私がお世話になった自治体では、地域おこし協力隊を「個人事業主」として受け入れていました(会計年度任用職員として受け入れる自治体もあります)。
そのため、自分で
国民健康保険
国民年金
に加入する必要がありました。
この自治体では、保険料の半額を補助として活動費から支出。
(自治体によって仕組みが違うので、これは本当にラッキーなパターン)
自分の退職後初年度の算定額は、
国民健康保険料:約50万円(高いよ〜泣)
国民年金:200,740円
でした。
これの半分を負担してもらえたのは、本当にありがたかったです。
「地方は支出が減る」とはいえ、保険や年金はドンとくるので、ここを支えてもらえたのはかなり大きかったです。
収入:毎月 約27万円(報償費)
個人事業主としての協力隊には、「給与」ではなく「報償費」が支給され、私の場合は、毎月だいたい27万円前後。
出張があれば交通費などの補助もあり、そもそも使うお金が少ない生活なので、正直にいうと、「収入は前職より減ったのに、毎月の貯金額は増えた」という状態。
やることの中心が農業なので、
外食も少ない
買い物に行く回数も少ない
娯楽施設もない
結果として、「気づいたらお金が残っている」生活になりました。
(これ、、協力隊3年間やったら、すごい貯金できます・・)
ざっくり生活費はこんな感じでした
家賃:5,000円
光熱水費:6,000円くらい
通信費:2,000円くらい
ガソリン代:4,000円くらい(車は必須)
食費:20,000円くらい(自分の畑+いただきもの多め)
労災保険がないので、自分でかけた保険:年間15,000円くらい
娯楽費:町内には娯楽という娯楽はない。アマプラ(ときどきコンビニスイーツ)。
もちろん、繁華街などないし、電気屋も百貨店もなく、購買意欲を刺激するものがなにもない。
町内会費が年間12,000円。ちょっと「むむ、、」という金額。しかし、立場的にも入らないわけにはいかない雰囲気。
スーツもネクタイも使ったのは、初日と最終日のみ。
クリーニング代ゼロ
通勤用の靴も減らない
服はだいたいワークマンかコメリ(コスパ最強)
結果として、「都会にいたときの1/3くらいの生活コスト」で暮らせていました。
「お金の流れ」が変わると、感覚も変わる
都会にいたときは、家賃・駐車場・交通費・外食・コンビニ・uberなどで、気づけば口座からお金が消えていく生活でした。
地方では、そもそも“使う先”と“使う理由”が少ない。
なので、収入が劇的に増えるわけではないけれど、「支出がごっそり減る → その分、心の余白も増える」という感覚が強かったです。
5 地方で暮らして感じたこと
心の速度がゆっくりになっていく
地方で暮らしてみて、一番しっくりきたのは、
「生活そのものの速度が、都会とぜんぜん違う」ということでした。
朝、窓を開けると、ふわっと緑の匂いがして、
夜、外に出ると、星が想像よりもずっと明るい。
(ビール片手に星空眺めて焚き火開始!なんて時間も癒されました!)。
そんな毎日が続くと、だんだん「いま自分、ちゃんと生きてるな」みたいな感覚が、体のほうからじわっと湧いてくる。
余計な音がないので、思考が静まる
人との距離が近くて、「顔の見える関係」が増える
農作業で、自分のペースが整う
「急かされない時間」がある
生活コストが下がって、心の余裕が増える
公務員時代は、常に何かの締切やトラブルシュートに追われていて、脳みその中が常にザワザワしている感じがありましたが、こちらでは、良い意味で「脳のスペースが空いていく」感覚がありました。
尊敬できる人がたくさんいた
毎日明るく農作業をしている若夫婦。
自分の趣味も極めつつ、常に笑顔で仕事をこなしている方。
今後の町の農業について真剣に考えて、新たなチャレンジをしている方。
外から来た私を常に気にかけてくれる方。
農家として生計を維持していくための方針を真剣に考えてくださった方。
熱い思いを持つ同じ協力隊の仲間。
…本当に、今思い返しても素敵な人ばかりだった。
これまでの環境にいたら、1年間でこんな濃い出会いは絶対なかった。
一歩踏み出したことで出会えた人たちだ。
都会とは違うこと
「人と人との距離感が近い」こと(みんながご近所さん的な)。
これを「安心感」と感じることもあれば、息苦しいと感じる人もいると思います。
お店も少ないので、店員さん=ほぼ町民。
お酒や嗜好品を買うときに、都会では感じなかった妙なそわそわ感が出てきたりもしました(休日に隣町に行ったりもしていました)。
ただ、半年くらい経ったころにふと、「みんな、そこまで他人のこと見てないな」「これ、だいぶ自意識過剰だったな」と気づき始めてからは、少しずつ肩の力が抜けていきました。
自分の正直な感想としては、
地方移住に向いている部分もあれば
少し気になる部分もあった
というのが正直なところです。
6 活動を1年で終えた理由
地域おこし協力隊は、更新すれば最大3年間活動できます。
多くの隊員さんは、
1年目:地域を知る・基礎づくり
2年目・3年目:事業や活動を本格化させる
という流れをとることが多いです。
そんな中で、私は1年で活動を終えることにしました。
理由はシンプルで、「農業を仕事にしていくために、少々の軌道修正が必要だった」からです。
1年で気づいた、「どこで何を作るか」の大切さ
農業を仕事にしていくうえで、「どこで、何を作るのか」は、めちゃくちゃ重要な点。
私は、「とりあえず農業の道に飛び込んでから考えよう!」という、えいやっで踏み込んでしまっていたところがあって、今振り返ると、このあたりは本当に浅かったなと思います。
実際に活動してみると、
地域ごとに「この土地といえばコレ!」という作物がある
作物ごとに部会があり、生産者みんなで切磋琢磨して品質を高めている
何年もかけて築いてきた「ブランド」や「歴史」がある
という部分を目の当たりにしました。
「育つのであれば、どこでも何でも作れる」
…そんな世界ではない。
自分が作りたいものを真剣に考え始めた先に
1年の活動を通じて、だんだんと「自分はこんな作物をやってみたいな」というイメージが固まり始めていきました。(↓この旅もとても影響しています。)
役場の方は、第三者継承ができそうな農家さんの候補も探してくれていました。もし2年目・3年目に入れば、具体的な話になっていく流れも見えていました。
でも、その段階になって、自分のやりたい農業と、その地域が大事にしている農業がズレてしまったら、お互いにしんどい結果になると判断しました。
「1年で終える」という選択
ニュースでも、協力隊と地域のトラブルが取り上げられることがありますよね。現役の協力隊員が、この制度に対する不満を語っている文章もたくさん読みました。
私は、1年農業をやってみたからこそ、次にやるべきことが見えた、そのため区切りをつけた、という感じです。
いま私は、その自治体を離れ、県外で別の作物を育てる農家さんのもとで修行をさせてもらっています。
「自分が本当にやりたい農業ってなんだろう?」を、もう一度ちゃんと選び直す時間です。
協力隊としての1年がなければ、そもそもこういう選び方はできなかったと思います。「やってみたからこそ、見えてきた選択があった」という状況です。
1年間を通して感じたことと、町への感謝
この1年を振り返って、受け入れてくださった自治体には感謝しかありません。本当に、、本当に。
右も左も分からない状態で飛び込んだ40代を、
受け入れてくれた町
支えてくれた役場のみなさん
技術を教えてくれた指導員さん
何気ない一言で励ましてくれた近所の方
イベントで一緒に笑ってくれた子どもたち
JAの方、特に青年部の方
同じ施設で一緒に活動したみなさん
本当に、いろんな人にお世話になりました。
公務員からの転職で、いきなり「農業一本」でやっていくのは、ハードルが高いです。
この町の存在、地域おこし協力隊という制度が、農業の面白さも、厳しさも、田舎暮らしも、人のあたたかさも、ぜんぶ教えてくれた。
「この町で過ごせて、本当によかった」と、心から思っています。
これからのこと
今は、別の地域に移り、農家さんのもとで修行をしながら、あらためて“農の道”を歩き直しています。
地域おこし協力隊としての1年があったからこそ、「自分はどんな場所で、何を育てて、どう暮らしたいのか」を、前より具体的に考えられるようになりました。
以上が、私が1年間、地域おこし協力隊として過ごした記録です。
さいごに 〜地域おこし協力隊になることを考えているあなたへ
ここまで読んでくださったということは、きっと今の暮らしや働き方に、どこかしら「うーん…」と思う部分があるのかなと思います。
そんなあなたに、実際に1年間やってみたものから、考えたことを書いておきます。
① 「向いているかどうか」は、やってみないと分からない
向いてるか、向いてないか。
答えを事前に出そうとしても、正直むずかしいです。
地域の空気
一緒に働く人
その時期の自分のコンディション
たまたま起きた出来事
こういうものの組み合わせで、「あ、意外と合うな」「ここはちょっとしんどいな」が決まってきます。
なので、「自分は田舎に向いているタイプか?」とこねくり回すより、
一度現地を見に行ってみる
お試し協力隊や相談会に出てみる
みたいな“小さな一歩”を踏んでみるほうが、得られる情報量は圧倒的に多いです。
② 「全部背負い込まなくていい」
協力隊になると、
地域の期待
自分の理想
将来の不安
が、全部いっぺんにのしかかってきたような気がする瞬間があります。
でも、本当は全部を一人で背負う必要はありません。
しんどいときは、「しんどい」と言っていい
合わないものは、「合わない」と認めていい
方向転換も、途中でやめるのも「失敗」ではない
と私は思っています。
1年でやめた身で言うのも何ですが、「続かなかった=ダメ」ではないと思います。やってみたから分かることも、たくさんあります。
③ 「人生ぜんぶが片道切符」ではない
公務員を辞めるとき、「片道切符感」がすごくてビビっていました。
でも、実際に1年動いてみて感じたのは、
思っているより、人生には“派生ルート”が多い
完璧なルートを選ぶことより、「いったんやってみる」ほうが進む
遠回りに見える経験が、あとから効いてくることもある
ということでした。
「一度ここに来たら、何があっても3年やらなきゃいけない」
…そんなルールもありません。(自治体としっかり話し合うのは大事ですが)
むしろ、「1年ごとに自分と相談し直す」くらいの感覚で考えておいたほうが、心は軽くいられる気がします。
④ 自分の「気質」を知っておくと、だいぶ楽になる
私は、まあまあクセの強い気質です。
静けさが好き
でも新しい刺激も欲しい
人に寄り添うのが好き
でもすぐ疲れる
みたいなタイプですね。
この1年で感じたのは、「自分がどういう場面で元気になって、どういう場面で消耗するのか」を知っておくと、だいぶ楽だということです。
人の多いイベントが続いたら、意識的に一人時間を確保する
「意味探しモード」が暴走したら、「今日は意味は置いとこ」と決める
しんどさを「地域のせい」にせず、「あ、これは自分の気質の反応だな」と分けて考える
⑤ 「やらなかった後悔」と「やってみた後悔」、どっちを選びたいか
最後は、かなり主観的な話です。
私は、「やらなかった後悔」と「やってみた後悔」のどっちがマシか?と自分に聞いたときに、「やってみた後悔のほうが、まだ笑えるな」と感じたので飛び込みました。
結果として、
農業の面白さとむずかしさを知ることができた
結果、進むべき道を確信できた
「自分で決めた」という感覚を持てた
という点で、「やってよかったな」と思っています。
もし今、地域おこし協力隊に興味があって、この文章をここまで読んでくださっているなら、それだけで十分「もう一歩踏み出す準備」ができていると思います。
とりあえず現地を見に行く
担当者に質問してみる
家計やキャリアのシミュレーションをざっくりしてみる
そんな“小さな一歩”からで大丈夫!!
この1年間の記録が、あなたが自分の人生をどう動かすか考えるときの、ちょっとした参考になりましたら、本当にうれしいです!!
長文となりましたが、
本日も読んでくださりありがとうございました!🙇
