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【慰霊の日】沖縄戦から80年~戦後を生き抜いたおじぃちゃんの話~

こんにちは。muruです。

今日、6月23日は「慰霊の日」です。
以前投稿した「96歳天寿を全うしたおじぃちゃんのこと」を再投稿します。

私は、15年前に夫が脳炎を発症し、3歳と1歳の子供を抱えて看病の日々を送ってきました。ずっと「家族のありがたみ」を身に染みて感じてきました。
先日、祖父がなくなり、改めて実感した「偉大な私のおじぃちゃん」の話をつづります。

目次


muruにとってのおじぃちゃん

・厳しい人
・口うるさい人
・いつもじーっとあら捜しされてる気分になる人
・なるべく一緒に過ごしたくない人
なんだか散々な言われようですが、ホントに、いつも厳しいイメージがあって、よりつけない雰囲気でした(;^ω^)

muruは物心ついた時から、ずっと祖父母と同じ屋根の下で過ごしてきました。おじぃちゃんは、学生時代には勝手に部屋に入ってきて
「お前はおギャルか?」
「香水がきつい!」
「今時の女子高生はみんなこうなのか?」…。

「じぃちゃん。年頃の孫の部屋には勝手に入らないでよー。」
そんな日々。
仕事が忙しい両親に代わり、muruにずっと寄り添ってくれていた、大好きなおばぁちゃん。優しくて、愛にあふれた人でした。
気難しいおじぃちゃんとの間を中和していたのもおばぁちゃんでした(;^ω^)
そんなおばぁちゃんが2年前に他界した後、おじぃちゃんは年齢も年齢なので、どんどんかわいらしいおじぃちゃんに変化していきました。

そんな…おじぃちゃんたるゆえん

おじぃちゃんは、約80年前の沖縄戦ですべての家族を亡くしました。
戦争孤児です。
19歳でおばぁちゃんと出会い、夜は軍作業、昼は農作業。
自分のことはいつも後回しで6人の子供たちを育ててきました。
当時はまだ、沖縄から本土(他府県)への移動にパスポートが必要だった時代に、子供たちを県外の大学へ進学させ、それだけでも相当な苦労だったろう…と思います。

艦砲ぬ喰ぇー残さー

艦砲ぬ喰ぇー残さー(かんぽうぬくぇーぬくさー)
おじぃちゃんが自分自身を表した言葉です。
「艦砲射撃の食い残し」
おじぃちゃんは沖縄戦当時、国民学校高等科の1年生でした。
戦況が激化する中、病気の父親を家に残し、祖母と妹、親戚の9名で、豚小屋や人気の少ない場所に身を隠しながら避難し、爆弾や火炎放射器で焼かれていく森を逃げ回っていたそうです。
大人数で逃げていては見つかってしまう。
家族の誰かが生き残れるようにと、祖母と妹と別れ、それ以降2人に会うことはなく、一緒に逃げていた親戚も一人、また一人と失い、約2か月後捕虜となりました。
1年ほど収容所で過ごし、自宅へ戻ると、住んでいたかやぶきの家は跡形もなく、家に残した父親もなくなったと親戚に聞かされたそうです。

おじぃちゃんは生前、沖縄戦の生々しい辛い記憶を語ろうとはしませんでしたが、今から約10年前の敬老の日、孫たちに「おじぃちゃんの生きてきた歴史を知りたい!」と懇願され、はじめて、戦後の孤独を語ってくれました。

おじぃちゃんの口癖

子供6人、孫13人、ひ孫19人の大家族。
毎年敬老の日は、みんなが集まりました。乾杯の挨拶はいつもおじぃちゃん。そんなおじぃちゃんの口癖は
「戦争で家族を失い、僕は独りぼっちだった。かぁちゃんと出会い、大家族になり、みんなといる今が一番楽しい。」

家族の大切さ
平和の尊さ


これまで自分の歩んできた人生の経験から、家族を大切にして、周りを気にかけて、努力をすれば自分の人生も明るく楽しいものになることを教えてくれたおじぃちゃん。

おじぃちゃんへ

戦後の激しい時代を乗り越えて、子や孫、ひ孫たちに、平和と命の尊さと、愛する家族がそばにいる幸せを教えてくれたおじぃちゃん。

本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました。
(いつも煙たがっちゃってごめんね。)

ありがとう。ありがとう。もう会いたいよ。ありがとう。

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お時間ありましたら、お立ち寄りください。


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