土曜日のトイレのにおい
小学校の授業が半日で終わる土曜日。
私は、体の半分くらいあるランドセルを揺らしながら急いで家に帰っていた。
まだ週休二日制がない時代。
いつもなら給食の時間はとっくに過ぎていて、お腹はぺこぺこ。
「ただいま~!」
玄関からまっすぐに伸びる薄暗い廊下の先へ…。真っ先に向かうのはトイレだった。
「おかえり~!」
廊下を走る私の背に、おばあちゃんのやさしい声。
手を洗って台所に行くと、農作業を抜けてきたおばぁちゃんが
缶詰のメイフェーアを、炊きたてのごはんにかけてくれる。
お味噌汁はなく、決まってお砂糖たっぷりのインスタントコーヒー牛乳が添えられていた。
なぜか、土曜日のトイレには、独特の「におい」があった。
もちろん、何かが匂っていたわけじゃない。
それは、ほかの曜日、ほかの時間帯にはない、独特の空気の記憶。
静まりかえった家に、光が差し込む具合なのか…。
誰もいないような静けさの中、どこかに誰かがいる安心感なのか…。
いつもなら学校にいる午後の時間を自由に過ごせる解放感なのか…。
その全部がまざりあって、あの「におい」はできていたのだと思う。
なんとも説明のしようがないし、誰かにこの話をしても、残念ながら共感してもらったことがない。
あの家は、もうない。
10年前に建て替えられ、おばぁちゃんも2年前に天国へ行ってしまった。
もうすぐおばあちゃんの三回忌。
最近よく「土曜日のトイレのにおい」を思い出す。
帰りたい場所だけど、もう帰れない。
戻りたくても戻れない時間と、触れたくても触れられない人。
私も、誰かに「土曜日のトイレのにおい」を作れるだろうか。
あの頃のおばあちゃんのように、
誰かの「帰りたい場所」になれたらいいな。
