見出し画像

MVP ARCHIVE CIVILIZATION | GOVERNMENT : Democracy of Athens / 古代アテネ民主政 - 市民が政治へ参加するという考え方の始まり

Democracy of Athens / 古代アテネ民主政 - 市民が政治へ参加するという考え方の始まり

MVP ARCHIVE CIVILIZATION > GOVERNMENT : Democracy of Athens / 古代アテネ民主政 - 市民が政治へ参加するという考え方の始まり

古代アテネ民主政

市民が政治へ参加するという考え方の始まり

紀元前5世紀、古代ギリシアの都市国家 Athens|アテネ では、それまでの政治史とは異なる統治制度が発達した、Dēmokratia|デモクラティア。
Dēmos=民衆・Kratos=支配・権力。

現在の Democracy|民主政・民主主義 という言葉の源流である。
ただし、古代アテネは現代の民主国家ではない。
政治に参加できたのは成人男性市民を中心とする限定された集団で、女性、奴隷、在留外国人などは市民として政治参加できなかった。

それでも歴史的に重要なのは、ここで一つの大きな転換が起きた。
政治を、一部の支配者だけが行うものではなく、市民自身が直接参加するものとして制度化した。

貴族政から改革へ

初期のアテネでは、有力な貴族層が政治の中心を占めていた。
しかし社会が発展すると、土地、債務、政治参加などをめぐる対立が強まり、紀元前594年頃、Solon|ソロン が改革を行った。

債務奴隷化につながる制度を改め、市民を財産によって区分し、政治参加の範囲を広げた。

その後も政治的対立と僭主政を経験する。
大きな転換が起きたのは 紀元前508/507年頃 だった。

Cleisthenes 市民を再編する

Cleisthenes|クレイステネス は、従来の血縁や地域勢力を基礎とした政治構造を再編した。
市民を Deme|デーモス と呼ばれる地域単位へ登録し、それらを組み合わせて新しい部族制度を構築する。

古い貴族勢力の政治的基盤を弱め、より広い市民をポリスの政治構造へ組み込む改革だった。
さらに Council of 500|五百人評議会 が設けられ、各部族から構成員が選ばれる仕組みが整えられ、ここから アテネ民主政 の制度的な骨格が形成されていく。

Ecclesia|民会

アテネ民主政 の中心にあったのが、Ecclesia|民会 である。
市民が集まり、国家の重要問題について討議し、決定した。
法律や政策・外交・戦争と和平・公職に関する問題。

現代のように代表者を選び、政治判断の大部分を議員へ委任する制度とは大きく異なり、市民自身が政治の場へ参加し、議論し、投票する。
これが アテネ民主政 の基本構造だった。
つまり古代アテネは、Direct Democracy|直接民主政 の代表的な歴史例となる。

抽選で政治を担う

さらに現代から見ると特徴的なのが、Sortition|抽選 である。
アテネでは多くの公職が、市民の中から抽選によって選ばれた。

なぜ選挙だけではなかったのか。
選挙では、富、知名度、家柄、弁論能力などを持つ人物が有利になりやすい傾向が強い。

抽選なら、資格を持つ市民が政治を担う可能性を広く持つことができる。
政治を専門家だけへ固定せず、市民が交代しながら統治へ参加する構造が作られた。

一方、軍事指揮を担う Strategos|将軍 など、専門能力が強く求められる役職では選挙が用いられた。

市民が裁判を行う

司法にも市民参加が組み込まれた。
多数の市民から構成される陪審員が裁判に参加し、事件について判断した。
政治だけでなく司法にも、市民が直接関わる。
ここには、民会・評議会・公職・裁判、という複数の制度を通じて、市民を統治へ参加させる構造が存在した。

国家と市民が完全に分離しているのではない。
市民自身が国家を動かす構成員だった。

Periclesの時代

紀元前5世紀、特に Pericles|ペリクレス が大きな影響力を持った時代、アテネ民主政 は発展期を迎えた。
公職や陪審への参加に報酬が支給される制度も拡大し、富裕層以外の市民も政治参加しやすくなった。

同じ時代、アテネはエーゲ海世界の強国となる。
パルテノン神殿が建設され、哲学、演劇、歴史記述など、後世へ巨大な影響を残す文化が発展した。

しかしその繁栄は、アテネの対外的な勢力拡大とも結びついていた。
民主政を持つ都市国家が、同時に他のポリスへ強い支配力を行使する。
古代アテネには、この二つの姿が共存していた。

民主政の外側にいた人々

アテネ民主政 を理解するとき、政治参加の範囲は重要である。
政治的権利を持ったのは、基本的に成人男性のアテネ市民だった。

女性・奴隷・Metic|在留外国人、これらの人々は社会と経済を構成する重要な存在だったが、民会で 政治的意思決定 に参加する市民ではなかった。
古代アテネ民主政 を、現代の Universal Suffrage|普通選挙 と同じものとして扱うことはできない。

しかし、この違いそのものが民主政の歴史を理解する重要な接続になる。
後世の民主政治は、「 誰を市民として政治参加させるのか 」という境界を長い時間をかけて拡張していくことになる。

民主政は常に安定していたわけではない

アテネ民主政 は一直線に発展した制度ではなかった。
Peloponnesian War|ペロポネソス戦争 の混乱の中では、紀元前411年と404年に寡頭政への政変が起きている。
その後民主政は復活したが、アテネそのものの国際的な力は低下した。

紀元前4世紀後半 には マケドニア の勢力が拡大し、アテネの政治的独立性 も縮小していく。
古代民主政 は永続する制度にはならなかった。
それでも、その経験と記録は消えなかった。

「誰が統治するのか」という問い

古代の王国では、統治者と統治される者は明確に分かれていた。
アテネ民主政 は、その境界を一部の市民について大きく変えた。
統治される市民自身が、統治する。

もちろん、その「市民」の範囲は狭かった。
しかし、ここで生まれた問いはその後も残る。

誰が政治へ参加できるのか。
誰が法律を決めるのか。
政治権力は誰に由来するのか。
そして市民とは誰なのか。

古代アテネ民主政 がそのまま近代民主主義へ受け継がれたわけでもない。
それでも、約2500年前のアテネで行われた政治実験は、人間が自分たち自身を統治することは可能なのか という問いを、制度として歴史に残した。
その問いは、現在も民主政治の中心にある。

Archive Data


名称 : Democracy of Athens|古代アテネ民主政
主要形成期 : 紀元前6世紀末~紀元前5世紀
主要人物 : Solon|ソロン、Cleisthenes|クレイステネス、Pericles|ペリクレス
主要制度 : Ecclesia|民会、Council of 500|五百人評議会、Popular Courts|民衆裁判所、Sortition|抽選制
政治形態 : Direct Democracy|直接民主政
政治参加の中心 : 成人男性アテネ市民
政治参加から除外された主な人々 : 女性・奴隷・在留外国人など
歴史的重要性 : 市民による直接的な政治参加を大規模に制度化した代表的事例
Democracyという政治概念の歴史的源流
歴史的接続 : Greek Polis → Solon → Cleisthenes → Athenian Democracy → Greek Political Philosophy → Popular Sovereignty → Modern Democracy

MVP ARCHIVE CIVILIZATION > GOVERNMENT : Democracy of Athens / 古代アテネ民主政 - 市民が政治へ参加するという考え方の始まり


いいなと思ったら応援しよう!