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MVP ARCHIVE HISTORY | Napoleonic Wars (1799-1815) / ナポレオン戦争 - 革命と帝国、そしてヨーロッパの再編へ

Napoleonic Wars (1799-1815) / ナポレオン戦争 - 革命と帝国、そしてヨーロッパの再編へ

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ナポレオン戦争

革命と帝国、そしてヨーロッパの再編へ

18世紀末から19世紀初頭、ヨーロッパは長期間にわたる戦争の時代へ入る。
その中心は、Napoleon Bonaparte|ナポレオン・ボナパルト である。

一般に ナポレオン戦争 とは、フランス革命 戦争から続く対仏戦争のうち、ナポレオン がフランスの政治・軍事を主導した時代を中心とする一連の戦争を指す。区切り方には違いがあるが、1799年の ナポレオン による政権掌握から1815年のワーテルローまでを中心に捉えることができる。

その背後では、フランス革命 によって生まれた新しい社会原理と、ヨーロッパに存在していた王朝国家の秩序が衝突していた。

戦争によって国境は変わり、国家は再編され、法制度が広がり、民族意識が高まり、最終的には戦後ヨーロッパを支える新しい国際秩序まで形成されることになる。

フランス革命から戦争へ

1789年、French Revolution|フランス革命 が始まった。
絶対王政と身分制社会が揺らぎ、1792年には王政が廃止され、フランス共和国が成立する。

国王の処刑と革命思想の拡大は、周辺のヨーロッパ君主国に大きな警戒を生み、オーストリア、プロイセン、イギリスなどはフランスと戦争状態に入り、複数回にわたって対仏大同盟が形成される。
その戦争の中で急速に頭角を現した軍人が ナポレオン だった。

1799年、ナポレオンブリュメール18日のクーデター によって統領政府を成立させ、第一統領としてフランス政治の中心に立ち、1804年には皇帝に即位、革命によって王政を倒したフランスから、新しい皇帝が誕生したのである。

ヨーロッパを覆う戦争

ナポレオン はフランス軍を率い、ヨーロッパ各地で対仏同盟軍と戦った。

1805年のBattle of Austerlitz|アウステルリッツの戦いでは、ロシア・オーストリア連合軍を破り、ナポレオン の支配力は急速に拡大する。

翌1806年にはプロイセン軍を撃破、1809年には再びオーストリアを破り、フランスは直接領土を拡大するだけでなく、同盟国や衛星国家を形成し、ナポレオン の兄弟や側近を各地の君主として配置した。

1806年には、約1000年続いた神聖ローマ帝国も消滅、1812年頃、ナポレオン の影響力は最大に達した。
ヨーロッパ大陸の広い範囲が、フランス帝国そのもの、あるいはその同盟・影響下に置かれていた。

イギリスとの対立

最大の対抗勢力の一つがイギリスだった。
1805年の Battle of Trafalgar|トラファルガーの海戦 で、ネルソン提督率いるイギリス艦隊が フランス・スペイン連合艦隊 を破る。

ナポレオン は軍事侵攻とは別の方法でイギリスを弱体化させようとする、1806年から進められた Continental System|大陸封鎖令 である。

イベリア半島と抵抗

1808年、フランスはスペインへ介入し、ナポレオン の兄ジョゼフをスペイン王とした。
しかしスペイン各地で激しい抵抗が発生、イギリス軍も介入し、Peninsular War|半島戦争 は長期化した。

ここでは正規軍同士の戦闘だけでなく、住民による武装抵抗も広がり、「 Guerrilla|ゲリラ 」という言葉が広く知られるようになったのも、この戦争と深く関係している。

フランスによる支配は、一方では新しい制度を持ち込んだが、他方では占領への抵抗を生み、スペインだけではなく各地で民族や国家への意識を強めていく一因となった。

1812年――ロシア遠征

ナポレオン帝国 の転換点となったのが、1812年の ロシア遠征 だった。

大陸封鎖をめぐる対立などからフランスとロシアの関係が悪化し、ナポレオン は巨大な軍を率いてロシアへ侵攻、フランス軍はモスクワまで到達した。

しかしロシア側は後退しながら戦力を維持し、モスクワ占領も戦争終結にはつながらなかった。
補給の困難、戦闘、疾病、飢え、寒さなどが重なり、撤退するフランス軍は壊滅的な損害を受けた。

帝国の崩壊

ロシア遠征の失敗を見たヨーロッパ諸国は、再びフランスに対する大規模な同盟を形成した。

1813年、Battle of Leipzig|ライプツィヒの戦い( 諸国民戦争 )でフランス軍は連合軍に敗北。
1814年には連合軍がパリへ入り、ナポレオン は退位してエルバ島へ送られたが、1815年、ナポレオン はエルバ島を脱出してフランスへ帰還する。

最後の決戦となったのが、1815年6月18日の Battle of Waterloo|ワーテルローの戦い だった。

ナポレオン軍 はウェリントン率いる英蘭軍と、ブリュッヘル率いるプロイセン軍に敗北、ナポレオン は再び退位し、南大西洋のセントヘレナ島へ送られ、ナポレオン戦争 は終わった。

戦争とともに広がった制度

ナポレオン の支配は、軍事占領だけではなかった。
フランスの影響下に置かれた地域では行政制度の改革が行われ、封建的な制度が廃止・再編される場合もあった。

特に重要なのが1804年の Napoleonic Code|ナポレオン法典 である。
法の前の平等、所有権、契約など、革命後のフランス社会を支える民法制度が体系化され、その影響はフランスの支配地域を通じてヨーロッパへ広がった。

戦争は破壊と同時に、革命後の制度や法思想をヨーロッパへ運ぶ経路にもなった。

支配が生んだ民族意識

ドイツ地域、スペイン、イタリアなどでは、外部からの支配に対する抵抗を通じて、地域や民族を一つの共同体として考える意識が強まっていく。

ナポレオン による国家再編と占領への抵抗は、19世紀に拡大するNationalism|ナショナリズム と国家統一運動へつながる重要な歴史的背景となった。
後のドイツ統一やイタリア統一を見るときにも、ナポレオン 時代はその前段階として位置づけられる。

Congress of Vienna

ナポレオン を倒したヨーロッパ諸国には、戦争後のヨーロッパをどう再構築するのか、1814年から1815年にかけて開催されたのが、Congress of Vienna|ウィーン会議 である。

オーストリアのメッテルニヒを中心に、イギリス、ロシア、プロイセン、そして敗戦国フランスなどが参加した。
目的の一つは、再び一国がヨーロッパを圧倒することを防ぐことだった。
そこで重視されたのがBalance of Power|勢力均衡である。

ナポレオン戦争 後のヨーロッパでは、大国間の均衡を維持しながら秩序を管理する国際政治が形成される、いわゆる ウィーン体制 である。

戦争がヨーロッパを作り変えた

1815年、ナポレオン帝国 は消滅した。
フランス革命 によって生まれた政治思想、ナポレオン法典 に代表される法制度、神聖ローマ帝国の消滅と領域再編、民族意識の高まり、そして勢力均衡を基礎とする新しい国際秩序。

それは、フランス革命 によって崩れ始めた旧ヨーロッパ秩序が、戦争によって大規模に再編、19世紀のヨーロッパへ移行していく巨大な転換点だった。


Archive Data


名称 : Napoleonic Wars|ナポレオン戦争
主要期間 : 1799~1815年 ※定義によって開始時期には幅がある
中心人物 : Napoleon Bonaparte|ナポレオン・ボナパルト
主要勢力 : フランスおよび同盟諸国、イギリス・オーストリア・ロシア・プロイセンなどの対仏同盟
主要戦闘 : Trafalgar|1805、Austerlitz|1805、Jena-Auerstedt|1806、Wagram|1809、Leipzig|1813、Waterloo|1815
大きな転換点 : Russian Campaign|ロシア遠征 1812
終結 : 1815年 ナポレオン再退位、Congress of Viennaによる戦後秩序形成
歴史的影響 : ナポレオン法典・行政制度の拡大、神聖ローマ帝国の消滅、民族意識の高まり、ヨーロッパ領域の再編、ウィーン体制と勢力均衡
歴史的接続 : French RevolutionNapoleonic Wars → Congress of Vienna → European Concert → Nationalism → German / Italian Unification

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