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MVP ARCHIVE PEOPLE | Science : Otto Lilienthal 1848–1896 / オットー・リリエンタール - 人力飛行の実証者

Otto Lilienthal 1848–1896 / オットー・リリエンタール - 人力飛行の実証者

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オットー・リリエンタール

人力飛行の実証者

19世紀末、まだ動力飛行機は存在していなかった。
しかしドイツの丘から、一人の男が翼を身につけるようにして走り出し、地面を離れていた、何百回も。
そして最終的には、2,000回を超えるグライダー飛行を行ったとされる。
その人物が、オットー・リリエンタール

ジョージ・ケイリー が飛行を力学と構造の問題として整理した後、リリエンタール は翼を作り、自ら乗り込み、実際の飛行を繰り返した。
ライト兄弟 が動力飛行に成功する7年前、リリエンタールは飛行実験中の事故によって48歳で死亡する。

しかし彼が残した実験、測定、機体、写真、そして飛行経験は、その後の航空研究へ受け継がれていった。

1848年

プロイセンに生まれる

オットー・リリエンタール は1848年5月23日、当時のプロイセン王国アンクラムに生まれ、弟グスタフ・リリエンタールとともに、幼い頃から飛行に関心を持った。

工学を学ぶ

リリエンタール はベルリンで機械工学を学び、その後技術者として働いた。
普仏戦争では軍務にも就いた。
戦後は機械技術者として活動し、蒸気機関などに関する技術開発を行う。
やがて自身の機械工場を経営するようになった。

機械を設計し、製造し、実際に動かす。
その工学的な経験を持った技術者だった。
その技術が、後にグライダー製作へ生かされていく。

鳥の翼を測る

オットー とグスタフは、鳥の飛行を長期間にわたって研究した。
特に注目したのが、翼の形と揚力の関係 だった。
翼を空気の流れに当てたとき、どの程度の力が生じるのか。
翼の角度を変えたらどうなるのか。
平らな翼と湾曲した翼では何が違うのか。

兄弟は実験装置を作り、さまざまな翼形状について測定を行った。
その結果、湾曲した翼面が飛行に有効であることを確認していく。

鳥の翼がなぜ機能するのかを、測定によって理解しようとした。
ここにリリエンタールの研究の特徴がある。

1889年

『鳥の飛翔』

1889年、リリエンタール は研究成果をまとめた著書、Der Vogelflug als Grundlage der Fliegekunst を出版した。
日本語では一般に、『 飛行術の基礎としての鳥の飛翔 』などと訳される。
この著作には、鳥の翼や飛行についての観察だけでなく、翼に働く空気力についての実験結果が収録されていた。
飛行を実現するための研究資料として、後の航空研究者たちにも読まれることになる。

しかし リリエンタール は、本を書いて研究を終えなかった。
次に始めたのは、自分自身が飛ぶこと だった。

1891年

最初のグライダー飛行

1891年。
リリエンタール はドイツのダーウィッツ近郊でグライダーによる飛行実験を始め、機体は大きな翼を持つ単葉グライダーだった。
動力はない、高い場所から風に向かって走り、翼によって生じる揚力を利用して滑空する。

最初の飛行距離は短かった。
しかし重要なのは、人間を乗せた翼が、繰り返し空中を飛んだ ことだった。
リリエンタール は機体を改良しながら、何度も飛行を繰り返していく。

飛んで、直す

リリエンタール の研究方法は極めて実践的だった。
飛行は一度成功すれば終わりではなかった。
重要だったのは、再現すること。
飛行を偶然の出来事ではなく、繰り返し実行できる技術へ変える。
そのために リリエンタール は飛行回数を重ねていった。

身体で操縦する

リリエンタール のグライダーには、現代の航空機のような高度な操縦装置はなく、操縦の中心となったのは、搭乗者自身の身体だった。
リリエンタール は機体にぶら下がるように乗り、身体の重心を移動させることで姿勢を調整した。

こうして機体の重心位置を変え、飛行姿勢を制御する。
これは後のハンググライダーにも通じる操縦方法である。
ただし、この方式には限界もあった。
大きく姿勢を崩した場合、身体の移動だけで機体を回復させることは難しく、この操縦性の問題は、後の航空研究において極めて重要な課題となる。

飛行を公開する

リリエンタール の飛行には、もう一つ大きな特徴があった。
写真が残されたこと。
19世紀末には写真技術が発達しており、丘から飛び出し、翼を広げて空中を滑空するリリエンタールの姿は写真として記録された。
それらは新聞や雑誌などを通じて知られるようになる。

人間が翼を使って飛んでいる。
それはもはや設計図でも、伝聞でも、夢でもなかった。
見ることのできる現実だった。
リリエンタール の写真は、世界各地の飛行研究者へ強い印象を与えた。

Fliegeberg

飛行実験を効率的に行うため、リリエンタール はベルリン近郊に人工の丘を築いた、後に、Fliegeberg 「 飛行の丘 」と呼ばれる場所である。
丘を円錐状にすることで、風向きが変化しても様々な方向へ離陸できる。

ここでも重要なのは、飛行を繰り返すための環境そのものを作った ことだ。
リリエンタール にとって飛行は、一度だけ成功させる実験ではなくなり、反復可能な研究活動になっていた。

グライダーを製造する

リリエンタール は複数種類のグライダーを開発した。
その代表的な機体の一つが、Normalsegelapparat Normal Glider である。
さらに彼はグライダーを製造し、他の研究者や飛行希望者にも提供した。
そのため リリエンタール の機体は、航空史における初期の量産航空機の一つとも位置づけられている。

飛行機械は、一人の発明家だけが使う特殊な装置から、他の人間も手にすることのできる機械 へ変わり始めた。

2,000回を超える飛行

1891年から1896年まで、リリエンタールは数年間にわたり、膨大な数の滑空飛行を行った。
一般に、その回数は 2,000回以上 とされている。
飛行距離も徐々に伸び、条件によっては数百メートル規模の滑空を行った。

これほど多くの飛行を行ったことで、離陸・滑空・姿勢変化・風・着陸・機体強度・操縦、それらについて大量の実際の経験が蓄積された。
航空研究は、理論と模型の段階から、人間が実機に乗ってデータと経験を蓄積する段階 へ進んでいた。

1896年8月9日

最後の飛行

1896年8月9日、リリエンタール はベルリン北西のシュテリン近郊で飛行実験を行っていた中、飛行中、グライダーが姿勢を崩した。
機体は失速状態に入り、リリエンタール は高度約15メートルほどから墜落したとされ、脊椎などに重傷を負った。
8月10日、オットー・リリエンタールはベルリンで死亡、享年48歳だった。

「犠牲は払われなければならない」

リリエンタール の最期について、“ Opfer müssen gebracht werden. ”「 犠牲は払われなければならない 」という言葉が広く伝えられている。

ただし、これが墜落後の リリエンタール 本人の正確な最期の言葉だったのかについては、史料上慎重に扱う必要がある。
確かなのは、彼が危険を伴う飛行実験を長年続け、その実験中の事故によって死亡したこと。
そして彼の研究が、そこで消えなかったことである。

ライト兄弟へ

リリエンタール の研究に強い影響を受けた人物の中に、ウィルバー・ライト、オーヴィル・ライト がいる。
ライト兄弟リリエンタール の飛行実験や研究資料を知り、航空研究を進めた。

彼らもいきなりエンジン付き飛行機を作ったわけではない。
まずグライダーを製作、そして実際に飛行する。
ただしライト兄弟は、リリエンタール のデータをそのまま受け入れたわけではない。

自分たちで測定を行い、既存データを検証し直した。
航空技術は、先人の成果を受け継ぎながら、再検証すること によって進んでいった。

ケイリーからリリエンタールへ

ジョージ・ケイリーは19世紀初頭、飛行を成立させる基本的な力と航空機の構造を考えた。
そしてグライダー。
しかし ケイリー の時代には、有人飛行実験を大量に繰り返す段階には至らなかった。
リリエンタールは、その次の段階へ進んだ。
理論として飛べる から、実際に何度も飛ぶ へ。

飛行機まで、あと7年

1896年、リリエンタール死亡。
その7年後、1903年12月17日、アメリカ、ノースカロライナ州。
ライト兄弟 のFlyerが地面を離れた。

動力を持ち、固定翼を持ち、操縦可能な航空機が飛行する。
1783年に気球で始まった人類の飛行は、120年をかけて、自らの力で前進し、自ら操縦して飛ぶ航空機 へ到達した。
その途中に、リリエンタール がいた。

KEY POINT

オットー・リリエンタール が航空史に残したものは、一度だけの劇的な飛行ではない、繰り返し飛んだこと。
反復によって、人間の飛行は、「 可能である 」という段階から、「 どうすれば安定して飛べるのか 」を研究する段階へ進んだ。

ケイリー が飛行の原理を整理した。
リリエンタールは、その原理を人間自身の身体と実機によって確かめ続け、その記録を見た次の世代が、さらに先へ進んだ。

1903年、ライト兄弟が動力飛行に成功する。
そのわずか7年前まで、オットー・リリエンタール は、自ら翼に乗り、空を飛び続けていた。

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