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MVP ARCHIVE HISTORY | Nazi Germany : Hitler’s Rise to Power 1932–1933 / ナチ政権成立 - 危機のドイツで開かれた扉

Hitler’s Rise to Power 1932–1933 / ナチ政権成立 - 危機のドイツで開かれた扉

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ナチ政権成立

ナチ政権成立 - 危機のドイツで開かれた扉

1933年1月30日。
ドイツ大統領 パウル・フォン・ヒンデンブルク は、国家社会主義ドイツ労働者党 ナチ党 党首 アドルフ・ヒトラー を首相に任命した。

ヒトラー は、ワイマール共和国の憲法上の手続きによって首相に任命され、首相就任後、既存の国家制度と権限を利用しながら、ドイツを急速に独裁体制へ変えていくことになる。

世界恐慌とナチ党の拡大

1928年5月の国会選挙で、ナチ党 の得票率は約2.6%だった。
この時点では、国政における小政党の一つにすぎない。

しかし1929年に始まった 世界恐慌 は、ドイツ社会を大きく揺さぶった。
企業倒産が増え、失業者が急増する。
1932年には登録失業者がおよそ600万人に達した。

経済危機と政治的不安が広がるなか、ナチ党 は失業対策、ヴェルサイユ体制 の打破、強力な政府の樹立、共産主義への対抗などを訴え、支持を急速に拡大した。

1930年9月の国会選挙では、得票率 約18.3% 107議席 を獲得。
ナチ党 は国会第二党へ躍進した。

1932年

大統領選挙

1932年春、ドイツ大統領選挙が行われた。
現職大統領は、パウル・フォン・ヒンデンブルク。
ナチ党 からは、アドルフ・ヒトラー が立候補した。
決選投票で ヒンデンブルク が過半数を獲得、再選、ヒトラー は敗北した。

しかし ヒトラー は全国規模の選挙運動を通じて、自らを ナチ党 の指導者から国家的政治家へ押し上げていった。

ブリューニング政権の終焉

世界恐慌 以降、ワイマール共和国 では安定した議会多数派による政府形成が困難になっていた。

1930年から首相を務めていた ハインリヒ・ブリューニング は、議会だけでは政策を成立させることが難しくなり、ヒンデンブルク 大統領による憲法第48条の緊急令に大きく依存していた。

議会中心の政治から、大統領の権限に依存する政治 への変化が進んでいた。
1932年5月、ブリューニング は ヒンデンブルク の支持を失い、辞任する。
後任の首相となったのが、フランツ・フォン・パーペン だった。

1932年7月31日

ナチ党、第一党へ

パーペン政権下で国会選挙が行われる。
ナチ党 は、得票率 約37.3%、230議席、を獲得、国会第一党となる。
わずか4年前に約2.6%だった政党が、ドイツ最大の政治勢力へ成長したことになる。

ヒトラー、首相職を要求

第一党となった ヒトラー は、自らを首相に任命するよう要求した。
しかしヒンデンブルクはこれを拒否した。
ヒトラー に政権参加の可能性は提示されたが、ヒトラー は首相以外の立場を受け入れなかった。
この時点では、ナチ党 第一党 = ヒトラー首相 ではなかった。
大統領が ヒトラー を首相に任命しないという選択は、実際に維持されていた。

1932年11月6日

ナチ党の後退

政治的行き詰まりが続き、再び国会選挙が行われた。
ナチ党 は、得票率 約33.1% 196議席 となり、第一党の地位は維持した。
しかし7月と比較すると、約200万票を失い、34議席を減らした。
ナチ党 の上昇が初めて大きく反転した。
それでも議会には安定した多数派が形成されず、パーペン政権も行き詰まる。

シュライヒャー政権

1932年12月、ヒンデンブルクはパーペンに代えて、クルト・フォン・シュライヒャー を首相に任命した。
シュライヒャー は軍部や労働組合、さらにナチ党内部の一部勢力などを組み合わせ、新しい政治基盤を構築しようとした。

しかし、この構想は成功しなかった。
安定した議会支持を確保できず、ヒンデンブルクからの信頼も失っていく。
一方、首相の座を失ったパーペンは別の動きを始めていた。

パーペンとヒトラー

1933年1月、パーペンは ヒトラー と交渉を進めた。
構想されたのは、ヒトラー を首相とする保守・ナチ連立政権 だった。

パーペンは副首相となり、政府内部では保守派が多数を占める。
ヒトラー を政府の中へ取り込みながら、その大衆的支持を利用する。
そして政府内部では、保守政治家が ヒトラー を抑える。

パーペンやヒンデンブルク周辺の保守勢力は、この構想によって ヒトラー を制御できると考え、シュライヒャーは1933年1月28日に首相を辞任した。

1933年1月30日

ヒトラー、首相へ

ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラー をドイツ首相に任命した。
副首相にはパーペンが就任した。
成立した最初の ヒトラー 内閣は、ナチ党だけによる政府ではなかった。

ナチ党 から閣僚となったのは、ヒトラーのほか、ヴィルヘルム・フリック
ヘルマン・ゲーリング、
だけだった。

政府の大部分は保守派・非ナチの閣僚によって構成されていた。
ヒトラー を政府へ入れながら、周囲を既存の保守勢力で固める。
それが最初の政権構造だった。

国会解散

ヒトラー は首相就任後、国会を解散し、新たな選挙を求めた。
選挙日は、1933年3月5日、ナチ党は今度こそ議会で決定的な支配力を得ようとしいたが、その選挙運動が進むなか、1933年2月27日、ベルリンの国会議事堂が炎上する。

国会議事堂放火事件

火災発生後、ナチ政権 は共産主義者による国家転覆の危険を強調した。
翌2月28日、ヒンデンブルク大統領は、「 国民と国家の保護のための大統領令 」に署名した。

いわゆる、国会議事堂放火令 Reichstag Fire Decree である。
これは ワイマール憲法 第48条 を根拠とする大統領緊急令だった。
ワイマール憲法が保障していた基本的権利の重要部分が停止され、警察は政治的反対者を逮捕し、組織や出版物を取り締まる大きな権限を得た。
特にドイツ共産党は大規模な弾圧を受けた。

1933年3月5日

最後の国会選挙

国家権力をすでに掌握し、反対勢力への弾圧が進むなかで国会選挙が行われ、ナチ党は、得票率 約43.9% を獲得した。
1932年11月の33.1%から大きく増加した。
しかし、それでも、ナチ党単独では過半数に届かなかった。

1933年3月23日

全権委任法

ベルリンのクロル・オペラハウスで国会が開かれた。
審議されたのは、「 民族および国家の苦境を除去するための法律 」通称、
全権委任法 Enabling Act だった。

この法律は、政府が国会の承認なしに法律を制定することを可能にした。
さらに、その法律は憲法に反する内容を含むこともできた。
成立には憲法改正に必要な3分の2の賛成が必要だった。

しかし共産党議員はすでに逮捕・拘束されるなどして議席への参加を妨げられ、多数の社会民主党議員も拘束されていた。

議場周辺には SA・SS が配置され、その状況で採決が行われる。
社会民主党は反対、中央党をはじめとする他党の多くは賛成した。
全権委任法は可決された。

議会政治から独裁へ

全権委任法によって、政府は国会を経ずに立法できるようになった。
ワイマール共和国 の議会制民主主義は、制度として決定的に機能を失う。

ここから、州政府の統制、公務員制度の再編、労働組合の解体、他政党の解散・消滅、ナチ党 以外の新政党設立禁止、社会・文化・行政組織の統制という、Gleichschaltung 強制的同質化・一元化 が進められていく。

1933年7月には、ナチ党 以外の新たな政党を設立することが法律で禁止され、ドイツは 一党独裁国家 へ移行した。

「政権成立」と「独裁成立」

ナチ政権成立の過程を見ると、いくつかの異なる段階が存在する。

1932年7月 : ナチ党 が第一党になる、しかし過半数ではない。
1932年11月 : ナチ党 が後退する、それでも第一党を維持。
1933年1月30日 : ヒンデンブルクがヒトラーを首相に任命する。
ヒトラーが国家権力へ入る。
1933年2月28日 : 国会議事堂放火令、基本的権利の停止。
1933年3月23日 : 全権委任法、政府が議会を迂回して立法できる体制へ。
1933年春夏 : Gleichschaltung、政党・州・労働組合・行政・社会組織統制。
1933年7月 : ナチ党 による一党体制。

この過程は、ナチ党 が選挙に勝ち、ヒトラー独裁政権が成立した 」という一文では説明できない。
選挙による支持拡大、議会政治の弱体化、大統領権限への依存、既存保守勢力との政治交渉、ヒンデンブルクによる首相任命、緊急令、政治的弾圧、法律による制度変更、それらが段階的に接続していた。

まだ、1933年1月30日だった

ヒトラーが首相官邸へ入った1933年1月30日。
その時点では、第二次世界大戦 は始まっていない。
ホロコースト も始まっていない。
ナチ党 による 一党独裁 も完成していない。

しかし、国家権力の外側にいた ヒトラー が、国家権力の内側へ入った。
それまでと同じ人物が、それまでとは違う権限を持つ立場へ移った。
そして、その新しい条件の中で行われた次の選択が、さらに次の条件を作っていった。

ナチ政権 は、ある一日の選挙結果だけによって完成したのではない。
1933年1月30日の首相任命から始まる一連の政治的・法的過程によって形成されていった。

Hitler Becomes Chancellor 30 Junuary 1933

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