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【叀代史 基瀎講読 05】我が囜最初で最埌の宗教戊争 〜䞁未おいびの乱〜

九條です。

今回の講読も少し長い本文玄8,500文字珟代語蚳のみで玄2,600文字です。すみたせん。^^; 

長いですから、お時間がお有りの時にでもご芧になっおくだされば有り難いです珟代語蚳だけをご芧いただいおも良いかず思いたす。

さお、我が囜の歎史䞊においお、最初で最埌の「宗教戊争」ずいえる争いが䞁未おいびの乱です。この乱は飛鳥時代、いたから1430幎ほど前の甚明倩皇二幎587幎に起こりたした。

我が囜に仏教が䌝来したのが宣化倩皇䞉幎538幎もしくは欜明倩皇十䞉幎552幎ずされおいたすから[01]、䞁未の乱は仏教公䌝埌35〜50幎埌に勃発した内乱ずなりたす。

『日本曞玀』などでは圓時の最先端の倧陞・朝鮮半島の文化を吞収したいずしお仏教導入に積極的であった倧臣おおおみ・蘇我氏および厩戞皇子うたやずのみこを䞭心ずした䞊宮王家いわゆる厇仏掟ず、我が囜叀来の䌝統にもずづいた神道を重んじ、仏教を遠ざけようずした倧連おおむらじ・物郚氏䞀族いわゆる排仏掟ずの争いのような䜓裁をもっお曞かれおいたすが、その実態は宗教的・文化的理念の衝突ずいうよりもそれたでの政治的な衝突、苛烈な暩力闘争の末での戊いくさであったず考えられたす。

この「䞁未の乱」ず「乙巳の倉」そしお「壬申の乱」は、我が囜の叀代史䞊特筆すべき䞉倧事件ですね。

ずくに今回講読する䞁未の乱に぀いおは『日本曞玀』䜜者の筆が乗っおいお非垞に勢いのある文䜓ずなっおいたす。『日本曞玀』の䞭でも非垞に面癜くお倧きく盛り䞊がっおいるシヌンです。よろしければ味わっおみおください。

今回の「読み䞋し」は、い぀もにも増しお䞁寧に「ふりがな」を぀けおみたした。このあたりは玄35幎前に私が卒業論文を曞いたずいう、想い出深く私が奜きなテヌマなので。^_^

では、早速 。

【原文】
厇峻倩皇蚘〔即䜍前玀〕

泊瀬郚倩皇 倩國排開廣庭倩皇第十二子也 母曰小姉君 皻目宿犰女也 已芋䞊文也 二幎倏四月 橘豐日倩皇厩 五月 物郚倧連軍衆 䞉床驚駭 倧連 元欲去逘皇子等而立穎穗郚皇子爲倩皇 及至斌今 望因遊獵而謀替立 密䜿人斌穎穗郚皇子曰「願與皇子將銳獵斌淡路」謀泄 

䞭略

六月甲蟰朔庚戌 蘇我銬子宿犰等 奉炊屋姫尊 詔䜐䌯連䞹經手・土垫連磐村・的臣眞噛曰「汝等 嚎兵速埀 誅殺穎穗郚皇子與宅郚皇子」是日倜半 䜐䌯連䞹經手等 圍穎穗郚皇子宮 斌是 衞士先登暓䞊 撃穎穗郚皇子肩 皇子萜斌暓䞋走入偏宀 衞士等舉燭而誅 蟛亥 誅宅郚皇子宅郚皇子 檜隈倩皇之子 䞊女王之父也 未詳 善穎穗郚皇子 故誅 
甲子 善信阿尌等 謂倧臣曰「出家之途 以戒爲本 願 向癟濟孞受戒法」是月 癟濟調䜿䟆朝 倧臣謂䜿人曰「率歀尌等 將枡汝國 什孞戒法 了時 癌遣」䜿人答曰「臣等歞蕃 先※道口道の䞋に口國䞻 而埌癌遣 亊䞍遲也」

秋䞃月 蘇我銬子宿犰倧臣 勞諞皇子與矀臣 謀滅物郚守屋倧連 泊瀬郚皇子・竹田皇子・廐戞皇子・難波皇子・春日皇子・蘇我銬子宿犰倧臣・玀男麻呂宿犰・巚勢臣比良倫・膳臣賀※手它手ぞんに它倫・葛城臣烏那矅 倶率軍旅 進蚎倧連 倧䌎連噛・阿倍臣人・平矀臣手・坂本臣糠手・春日臣闕名字倶率軍兵 埞志玀郡到柁河家 倧連 芪率子匟與奎軍 築皻城而戰 斌是 倧連昇衣揩朎枝間 臚射劂雚 其軍匷盛 填家溢野 皇子等軍與矀臣衆 怯匱恐怖 䞉廻华還 

是時 廐戞皇子 束髮斌額叀俗 幎少兒幎十五六間束髮斌額 十䞃八間分爲角子 今亊爲之而隚軍埌 自忖床曰「將無芋敗 非願難成」乃※昔斀昔の右偎に斀斬取癜膠朚 疟䜜四倩王像 眮斌頂髮而癌誓蚀癜膠朚 歀云蟲利泥「今若䜿我勝敵 必當奉爲護䞖四王起立寺塔」蘇我銬子倧臣 又癌誓蚀「凡諞倩王・倧王等 助衞斌我䜿獲利 願當奉爲諞倩與倧王 起立寺塔流通䞉寶」誓已嚎皮皮兵 而進蚎䌐 

爰有迹芋銖赀檮 射墮倧連斌枝䞋而誅倧連并其子等 由是 倧連之軍応然自敗 合軍悉被※癜十癜の䞋に十黒い衣 銳獵廣瀬募原而散之 是圹 倧連兒息與眷屬 或有逃匿葊原改姓換名者 或有逃亡䞍知所向者 時人盞謂曰「蘇我倧臣之劻 是物郚守屋倧連之効也 倧臣劄甚劻蚈而殺倧連矣」平亂之埌 斌攝接國造四倩王寺 分倧連奎半與宅 爲倧寺奎田庄 以田䞀萬頃 賜迹芋銖赀檮 蘇我倧臣 亊䟝本願 斌飛鳥地起法興寺 

䞭略

〔即䜍〕
八月癞卯朔甲蟰 炊屋姫尊與矀臣 勞進倩皇即倩皇之䜍 以蘇我銬子宿犰爲倧臣劂故 卿倧倫之䜍亊劂故 是月 宮斌倉梯 

囜史倧系版『日本曞玀』巻第廿䞀[02]


【読み䞋し】
厇峻倩皇蚘〔即䜍前玀〕

泊瀬郚倩皇は぀せべのすめらみこずは、倩囜排開広庭倩皇あめくにおしひらきひろにはのすめらみこずの第十二子ずはしらあたりふたはしらのみこなり。母みははは小姉君をあねのきみず曰ひたたふ。皲目宿祢いなめのすくねの女むすめなり。已すでに䞊文かみ぀ふみに芋えお也あり。

二幎倏四月うづき。橘豊日倩皇たちばなのずよひのすめらみこず厩かむあがりしたたふ。五月さ぀き。物郚倧連もののべのおほむらじの軍衆いくさ、䞉床みたび驚駭おどろかしむ。倧連おほむらじ、元より䜙あたし皇子等みこたちを去けお穎穂郚皇子あなほべのみこを立たしお倩皇すめらみこずず為さむず思ぞり。今に及び至りお、猟かりに遊ぶこずに因りお謀はかりごずに替ぞ立぀らむず望みお、密かに穎穂郚皇子に䜿人぀かひを぀かはしお曰たをさく「願はくは皇子ず䞎ずもに淡路に銳せ猟かりをせむずした぀る」ずたをしお謀はかりこず泄もりき。

䞭略

六月みな぀き甲蟰きのえた぀を朔぀いたちずする庚戌かのえいぬ。蘇我銬子宿祢そがのうたこのすくねら、炊屋姫尊かしきやのひめのみこずを奉りお䜐䌯連さぞきのむらじの䞹経手にぞお、土垫連はにしのむらじの磐村いはむら、的臣いくはのおみの真噛たくひにおほせごずしお曰ひしく「汝いたしたち、兵぀はものを厳ずずのぞお速やかに埀きお穎穂郚皇子あなほべのみこず宅郚皇子やかべのみこずを誅殺ころせ」ずいひき。是の日の倜半よは、䜐䌯連䞹経手ら穎穂郚皇子の宮を囲かくむ。斌是ここに衛士いくさびず先に楌たかどのの䞊ぞ登りお穎穂郚皇子の肩を撃ちき。皇子、楌の䞋に萜ちお偏かたはらの宀むろに走り入りお、衛士ら燭ずもしびを挙げお誅ころしき。

甲子きのえね。善信の阿尌あたら、倧臣おほたぞ぀きみに謂たをしお曰はく「出家の途みち、戒を以ちお本もずず為す。願はくは癟枈に向ひお戒の法みのりを孊び受けむ」ずたをす。是の月。癟枈の調み぀きの䜿い来たいきお朝みかどををろがみた぀る。倧臣おほたぞ぀きみ䜿人぀かいに謂ひお曰ひしく「歀の尌たちを率いお、将に汝いたしが囜に枡しお戒の法みのりを孊ば什しめむずす。了をわりたる時に発遣はなたむ」ずいひき。䜿人぀かい答ぞお曰たをししく「臣や぀かれら蕃くにに垰りお、先ず囜の䞻に※道口い道の䞋に口はむ。而る埌に発遣はなおど、亊た䞍遅おそからじ」ずたをしき。

秋䞃月ふづき。蘇我銬子宿祢そがのうたこのすくねの倧臣おほたぞ぀きみ、諞の皇子みこず矀臣たぞ぀きみたちずに勧めお物郚守屋倧連もののべのもりやのおほむらじを滅すこずを謀りお、泊瀬郚皇子は぀せべのみこず竹田皇子たけたのみこず厩戞皇子うたやずのみこず難波皇子なにはのみこず春日皇子かすかのみこず蘇我銬子宿祢倧臣ず玀きのおみの男麻呂宿祢をたろのすくねず巚勢臣こせのおみの比良倫ひらふず膳臣かしはでのおみの賀か※手它だ手ぞんに它倫ふず葛城臣か぀らきのおみの烏那矅うならず倶に軍旅いくさを率いお、進みお倧連おほむらじを蚎぀。倧䌎連おほずものむらじ噛くらふず阿倍臣あべのおみ人ひず、平矀臣ぞぐりのおみ神手かみおず、坂本臣糠手あらおず、春日臣名の字を欠くず、倶に軍兵いくさを率いお志玀郡しきのこほり埓ゆ枋河しぶかはの家に到れり。倧連おほむらじ、芪みづから子匟うがらず奎や぀こずの軍いくさを率いお皲城いなきを築きお戊ぞり。斌是ここに倧連おほむらじ、衣揩きぬすりの朎えのきの枝間えのたに昇りお臚みお射るこず雚の劂し。其の軍いくさ匷こはく盛りお、家に填みち野に溢る。皇子みこ等たちの軍いくさず矀臣たぞ぀きみたちの衆぀はものず、怯匱おびえ恐怖《おそ》れお䞉廻みたび华還しりぞき぀。

是の時、厩戞皇子うたやずのみこ、額に束髮ひさこはなし、叀俗いにしぞのひず幎少児わらわの幎よはひ十五六ずをちあたりい぀぀む぀の間、額に髪を束ねる、十䞃八ずをちあたりなな぀や぀の間分わかちお角子あげたきず為す。今亊た之を為す。軍いくさ埌しりぞに隚ひお、自ら忖床(おもひはかりお曰のたたひしく「将たさに芋敗らゆるこず無かりお、願ひ成り難きこず非あらざるべし」ずのたたひき。乃すなはち癜膠朚ぬるでを※昔斀き昔の右偎に斀斬り取りお疟ずく四倩王の像みかたを䜜りお頂髮たきふさに眮きお誓うけひを発おこしお蚀たをししく「今、若し我をしお敵あたに勝た䜿しめたたはば、必ずや圓たさに護䞖四王こいせしのうの奉為ためずした぀りお寺塔おらを起立た぀べし」ずたをしき。蘇我の銬子の倧臣おほたぞ぀きみ、又た誓うけひを発おこし蚀たをししく「凡そ諞の倩王おんわう倧神王だいしむわう等たち、我を助け衛りお利益みしるしを獲さしめたたぞ。願はくは圓たさに諞の倩ず倧神王ずの奉為ためずした぀りお寺塔おらを起立たおお䞉宝を流通しくべし」ずたをしき。誓うけひを已をぞお皮々くさぐさの兵぀はものを厳ずずのぞお進め蚎䌐うちき。

爰ここに迹芋銖ずみのおびずの赀檮いちひ有りお倧連おほむらじを枝の䞋に射墮いおずしお倧連おほむらじず其の子らを并あはせお誅ころしき。是こに由りお倧連おほむらじの軍いくさ応然たちたちに自ら敗れ぀。合あ぀たりし軍いくさは、悉く※癜十くろ癜の䞋に十黒い衣きぬをもお被おほひお広瀬の募原たがりのはらを銳せ猟かりしお散あかれき。是の圹えたちに、倧連おほむらじの児息こたちず眷属やからずは、或あるは葊原に逃れ匿かくれお姓かばねを改め名を換ふる者有りお、或あるは逃げ亡うせお向ふ所を䞍知しらえざる者有り。時の人盞謂かたらひお曰ひしく「蘇我の倧臣おほたぞ぀きみの劻は、是れ物郚の守屋の倧連おほむらじの効いろど也り。倧臣おほたぞ぀きみ劄みだりかはしく劻の蚈はかりごずを甚もちひお倧連おほむらじを殺せり」ずかたらひき。乱れを平之たひらげし埌に摂接囜に四倩王寺を造れり。倧連おほたぞ぀きみの奎や぀こ半ばず宅いぞずを分あかちお、倧寺の奎田庄たどころず為す。田䞀萬頃よろづしろを以ちお迹芋銖ずみのおびず赀檮いちひに賜る。蘇我の倧臣おほたぞ぀きみ、亊た本願に䟝りお飛鳥の地に法興寺を起おこせり。

䞭略

〔即䜍〕
八月は぀き癞卯みづのずうを朔぀きたちずしお甲蟰きのえた぀。炊屋姫尊かしきやひめのみこずず矀臣たぞ぀きみたち、倩皇すめらみこずに勧進すすめた぀りお倩皇之䜍すめらみこずのくらいに即぀きたたはしむ。蘇我銬子宿祢そがのうたこのすくねを以ちお倧臣おほたぞ぀きみず為したたひしこず、故もずの劂し。卿倧倫きみ぀かさたちの䜍、亊た故もずの劂し。是の月、倉梯くらはしに宮したたふ。

九條による読み䞋し


【珟代語蚳】
厇峻倩皇蚘〔即䜍前玀〕

厇峻倩皇泊瀬郚倩皇は぀せべのすめらみこずは、欜明倩皇倩囜排開広庭倩皇あめくにおしひらきひろにわのすめらみこずの第十二皇子です。母は小姉君おあねのきみず蚀われおいたす。この小姉君は蘇我皲目そがのいなめの嚘です。このこずは先述した欜明倩皇蚘で述べた通りです。

甚呜倩皇橘豊日倩皇たちばなのずよひのすめらみこず厇峻倩皇の兄二幎の倏の四月。甚呜倩皇が厩埡されたした。翌五月に物郚守屋を筆頭ずする物郚氏䞀族の反乱が床もありたした。物郚守屋は以前から他の皇子たちを退けお穎穂郚皇子あなほべのみこを立倪子させ倩皇の䜍に぀かせようず䌁んでいたした。

守屋はこの期に及んで぀いに穎穂郚皇子を狩りに誘うこずを口実ずしお皇子を淡路ぞ呌んで皇䜍に぀かせるこずを䌁お、密かに穎穂郚皇子に䜿いを遣わし、

「私、守屋は穎穂郚皇子さたずずもに狩りを楜しみたいず思っおいたすので、どうか淡路たでお出たしくださいたせ」

ず嘘の誘いをしたした。しかしこの物郚守屋の謀はかりごずはバレおしたいたした。

䞭略

六月。蘇我銬子らは炊屋姫尊かしきやのひめのみこずを奉っお、䜐䌯連さえきのむらじ䞹経手にぞお、土垫連はにしのむらじ磐村いわむら、的臣いくはのおみ真噛たくいらに以䞋のように呜什したした。

「みなの者、兵を集めお速やかに穎穂郚皇子あなほべのみこず宅郚皇子やかべのみこずを蚎぀べし」

この日の倜䞭になっお、䜐䌯連さえきのむらじ䞹経手にぞおらの兵は穎穂郚皇子の䜏む宮を囲みたした。たず兵士は楌閣の䞊ぞ登っおそこに居た穎穂郚皇子の肩を匓で撃ち抜きたした。穎穂郚皇子は楌閣の䞋ぞ転げ萜ちお、その偎に建っおいた建物の䞭ぞ走り蟌んで逃げたのですが、兵士らは明かりを灯しお穎穂郚皇子を蚎ち取りたした。

甲子きのえね。尌僧の善信善信尌らは、蘇我銬子に察しお、

「出家者は仏教の戒埋を守るこずを根本ずしたす。銬子さた、お願いしたす。私は癟枈囜ぞ枡っお仏教の戒埋を孊びたいず願っおいたす。私を癟枈囜ぞ掟遣しおください」

ず願いたした。ちょうどこの同じ月に癟枈囜から朝貢の遣いが我が囜に来おいお、倩皇にご挚拶をしおいたした。蘇我銬子はその遣いの人に、

「善信尌たちを連れおあなたたちの囜癟枈囜ぞ垰り、圌女たちに仏教の戒埋を孊ばせおやっおくれないでしょうか」

ず蚀いたした。朝貢の人は、

「たず私たちが癟枈囜に垰っお、癟枈囜王にこの件に぀いお蚱可を埗なければなりたせん。勝手に日本の尌僧を癟枈囜に連れお垰るこずはできたせん。癟枈囜王の蚱可が䞋りおからでも遅くはないでしょう」

ず答えたした。

秋の䞃月。蘇我銬子は、諞皇子・矀臣たちを集め、物郚守屋を埁蚎する蚈画を明かしたした。泊瀬郚皇子は぀せべのみこのちの厇峻倩皇ず竹田皇子ず厩戞皇子うたやずのみこ聖埳倪子ず難波皇子なにわのみこず春日皇子かすがのみこず蘇我銬子ず玀きの男麻呂祢おたろず巚勢こせの比良倫ひらふず膳かしわでの賀か※手它だ手ぞんに它倫ふず葛城か぀らぎの烏那矅うならずずもに兵を率いお物郚守屋を蚎぀ずいう蚈画です。

倧䌎おおずもの噛くらふず阿倍あべの人ひず[03]、平矀ぞぐりの神手かみおず、坂本糠手あらおず春日臣名の字を欠く[04]らずずもに兵を率いお志玀郡[05]の枋河[06]の守屋の邞宅に到着したした。守屋はみずから䞀族の兵を率いお皲城いなき[07]を造っお戊いたした。

物郚守屋は衣揩きぬすり[08]の朎えのきの二股になった郚分によじ登っお矢継ぎ早に匓で矢を雚のように攟ちたした。守屋䞀族の軍勢はたいぞん倚くおしかも盞圓匷く、巷の家に満ち野に溢れるようでした。蘇我銬子の率いる皇子や矀臣たちの兵は物郚守屋䞀族の兵のあたりの匷さに怯え、恐れおののいお回も埌退しおしたいたした。

この時、厩戞皇子うたやずのみこ聖埳倪子はただ少幎でしたが、髪の毛を束ねお蘇我銬子の軍勢の殿しんがりに控えおいたした。厩戞皇子うたやずのみこはみずからこの劣勢で窮地に陥った戊況を芋お、

「将たさに芋敗らゆるこず無かりお、願ひ成り難きこず非あらざるべし」

ず蚀われたした。

そしおすぐに癜膠朚ぬりでの朚を切っお四倩王の像を造りそれを頭の䞊に眮いお、

「仏教の守護神の護䞖四王こせしのう[09]よいた、もし私を物郚守屋の軍に勝たせおくだされば、必ずあなたたちぞの感謝のしるしずしお寺を建おたす」

ず誓願されたした。これに倣い蘇我銬子も、

「党おの倩の王、倧いなる神の王たちよ。お願いしたす。私を助け守っおください。たさに党おの倩の王、倧いなる神の王たちために寺を建おお䞉宝を興隆させたす」

ず誓願したした。この誓願を終えお銬子らは䞉たび兵を敎えお進軍を開始したした。

そのずきです。迹芋ずみの赀檮いちいずいう人が物郚守屋を匓で射抜きたした。守屋の子らも䜵せお埁蚎したした。このこずがあっお物郚守屋ずいう䞻あるじを倱った守屋軍は応ちに負けおしたいたした。

守屋軍の兵士たちは悉く黒い垃を纏っお広瀬の募原たがりのはらを逃げ回っお散り散りになりたした。守屋の息子たちや䞀族の人々は、あるいは葊原ぞ逃げ隠れお姓名を倉えたり、あるいは逃亡しお行方知れずずなった人たちもいたした。

時の人たちは「蘇我銬子の劻は物郚守屋の効であろう。銬子は劻の蚈略をもっお物郚守屋を滅がしたのだ」ず語りたした。

この乱が治たった埌、厩戞皇子うたやずのみこ聖埳倪子は先の誓願を守っお摂接囜に四倩王寺を造りたした[10]。

物郚守屋䞀族の半分の人ず圌の家を倧寺の田庄たどころずしたした。たた田䞀䞇枚を耒矎ずしお迹芋ずみの赀檮いちいに䞎えたした。

蘇我銬子もたた誓願を守っお飛鳥の地に法興寺を建おたした[11]。

䞭略

〔即䜍〕
八月。炊屋姫尊かしきやひめのみこずず矀臣たちは泊瀬郚皇子は぀せべのみこに倩皇の䜍に぀くよう勧め、倩皇厇峻倩皇は即䜍したした。

もずのように蘇我銬子を倧臣おおおみずし、その他の官人たちもたた、もずの劂くに任官したした。

この月、倩皇は新しく倉梯宮くらはしのみやを宮ずしたした。

九條による珟代語蚳意蚳


【蚻】
[01]このずき䌝わった仏教の内容は南郜六宗のうちの䞉論宗の断片だったず考えられる。䞉論宗の法灯は日本では珟存しない。珟存する日本最叀の宗掟は南郜六宗のうちの法盞宗
[02]囜史倧系版『日本曞玀』前線吉川匘文通 1973幎
[03]「人ひず」ずいう人名
[04]名前の文字が欠けおいる
[05]珟圚の倧阪府藀井寺垂・同八尟垂・同和泉垂蟺りにたたがる地域
[06]珟圚の倧阪府八尟垂枋川町あたりか
[07]叀代においお急襲に遭ったずきに藁や草朚や石などで急いで造った急ごしらえの砊
[08]染色に甚いる朚。珟圚も倧阪府東倧阪垂に「衣摺きずり」の地名が残っおいる
[09]「護䞖四王こせしのう」四倩王の叀称・別称
[10]「摂接囜四倩王寺」珟圚の倧阪垂倩王寺区の四倩王寺
[11]「飛鳥法興寺」珟圚の奈良県明日銙村の飛鳥寺


※1999幎に行なった垂民講座向けの講矩ノヌトから抜粋・線集したした。

©2024 九條正博Masahiro Kujoh
剜窃・無断匕甚・無断転茉等を犁じたす。


【完結】叀代史基瀎講読シリヌズ