祖父の死期が迫り「病」と「老い」と「健康」について、改めて思うこと【前編】
先日、父方の祖父が峠だと医師から告げられ、あと2〜3日だと思われるのでご準備を…という話が出た。
病気で“峠”という言葉が出る時、通常家族や親族、周りの人たちは心の準備をすることになる。
しかしその2〜3日は、とうに過ぎた。
つまり峠は無事越えたということなのだが、実は祖父の場合、何年にも渡ってもう何度目になるだろうという話なのである。
そのためうちの両親はこの、医師から告げられる“峠”については結構慣れている節もあった。だけど先日については、今回こそ本当の準備になるか…という感じだったのだ。
が、祖父の生命力はやはり、今回も勝った。
医師の見立てが、というよりは、医師から診る状態としては非常に悪いのである。祖父の身体からするともう今にも、という感じなのに不思議なほど持ちこたえているのだ。

普通「峠を越えた」という時、良かった、とかひとまずは安心、というふうに続くことが多いように思う。
実際、祖父はこんな状態でもまだ意識がちゃんとあるし、生命力が強いことも、ここまで長生きしていること自体も凄いことだ。
だけど…と、思うところがある。
祖父のことは日々考えていたのだけど、その度に色々な思いが渦巻いていた。
今回この“峠”の知らせを受けたことで、そろそろタイミングなのかなという気がして、そのことについて書いてみようと思う。
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祖父が施設に入り今のような状態になるまでは、両親からたまに近況を聞く程度だった。
それが去年、私が病気で症状が酷かった時期、両親に長時間電話を繋いでもらうようになって、その時に祖父のこれまで聞いてこなかった話も聞くようになったのである。

実は祖父は、自殺未遂を何度かしている。
祖父の性格については母からよく“大げさ”とか“極端”という言葉が出ていた。母は医療者ということもあり、祖父の命に対する態度に人一倍憤りを感じていたからだと思う。
その話を聞いたのは、数年前のことだった。
ただ、当時はどちらかというと「祖父が自殺しようとしたけど失敗に終わった」というエピソードの方が多く、
例えば「首を吊ろうとしたらカーテンレールが外れた」とか「睡眠薬を大量に飲んだが病院の火災報知器の音で数時間後に目が覚めた」というような、
“自殺未遂”という字面のわりには深刻というよりもちょっと…いや、だいぶ抜けているという感じで、話を聞く側としてもどうにも緊迫感が持てなかった。
両親もそれについては呆れていた、という印象の方が強かったような記憶がある。
死にたくなる気持ちが出たり、何度も行動を起こしていることからしても、確実に心と身体の状態が良くないのだろうという事は分かるけれど、
当時祖父の身体に何が起こっていてどんなふうに辛いのかは、聞いた内容だけではあまりピンと来ない、というのがその時の正直なところだった。
それが去年、私自身が病気の症状を身をもって体験することになり、その大きな原因の一つとなっていたのが「栄養不足」だったと知った。(※栄養不足が発覚した血液検査の話)
自分がそうなった時に初めて、これまで祖父について聞いていた話の全てが繋がり、舞台裏が見えてきたように感じたのである。

祖父もほぼ間違いなく、栄養不足だったと思う。
希死念慮、という言葉は病気になるまで知らなかったが、死にたいと思う気持ちのこと。祖父の病状の中にはこの希死念慮と、頭を壁に打ちつけることや便秘があったそうだ。
ここで書いたような私の症状は、祖父との出方は違えど原理は同じで、私は自分の症状のその先がきっと、祖父の姿なのだと思った。
現に、病気になってから両親と話をしている時、私は祖父と似ているとよく言われた。
そして私自身も、祖父がそうなってしまう理由は理屈でも体感でも、理解ができた。
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というのは、分子栄養学的な視点から見ると、希死念慮についてはナイアシン(ビタミンB3)が、頭を打ちつけることや便秘については、マグネシウムが不足していることで起きる症状の一部だからだ。
そもそもなぜ死にたいと思うのか、という問いについても、祖父の場合は“生きていても何もしたいことがない”という、生きがいの無さはかなり前からあったようで、
実はそれもまた、栄養不足が解消されていくうちに自然と整ってくるメンタルの部分だったりもする。身体と心は繋がっているのだ。
私の実践している藤川式では、プロテインを摂取する高タンパク食が必要な上で、という前提はあるけれど、
そこに著効する栄養素が不足している場合、ピンポイントですぐに効く、ということは割とある。

そして藤川先生曰く“全ての治療の基本は同じ”なので、祖父の場合もプロテイン+基本の新ATPセットとアドオンセットという栄養素の組み合わせで効くはずである。
ちなみに新ATPセットというのは、鉄+ビタミンB+C+E+マグネシウムのことで、これだけで治る人も多くいる。
アドオンセットというのはガンや指定難病などにも効く応用編のような存在で、ビタミンA+D +セレンが含まれる。
祖父の場合、手術済みではあるがガンの罹患歴がある。現在検査などはもうしていないが、おそらくまたガンにもなっているだろうという事だった。
そのためアドオンセットも必須だし、更に認知症もあるため、MCTオイルパウダーも追加した方が良さそうだ。
そして藤川式では全く推されていないのだけど、個人的には重曹とクエン酸も加えたいところである。
こんなふうに栄養療法的な見方をすると、祖父の症状には原因があり、効く栄養素もある。私の症状の回復ぶりから考えてみても、全く効果がないということはないだろう。
だけど、どんなにこうして考えても、祖父にこの知識を活かすことはもう、できない。

まだ祖父は生きているから、可能性はもちろんゼロではない。生きている限りどんな可能性だってあるのは事実だ。
だけど今の祖父の身体にどうやってこの栄養素を届けられるか、を考えてみると、現実的に不可能だと言わざるを得ない。
…じゃあ、いつだったら?
いつの時期だったら、間に合ったのだろう。
そう思い、遡って考えてみる。だけどこれもまた、別の問題が出てくるのである。

そもそも栄養療法をするとなると、まず基本のセットを用意してから提供するだけでなく、数を計算し量を調整していく必要がある。
飲むタイミングも全てが同じではないから、表か何かにまとめて、その通り本人に実行してもらわなければならない。
症状が目に見えている段階でこれは結構難しいことも多いはずだから、つまり祖父にベタ付きで管理できる状況がなければならない、ということだ。
…無理である。
では、祖父がまだ病気らしい病気がなく、1人で暮らしていた時期だったらどうだろうか?
その頃の祖父は、眠れない時に睡眠薬をお酒で流し込んで飲んでいたような人だ。栄養がどうとかいう以前の話である。
そもそも遠方で一人暮らしの祖父の家に、私が乗り込んで行って、おそらく求められていないであろう栄養管理係をする…?
100%絶対無理かと言われたら出来なくはないとは思うが、これもかなり…いや、相当無理がある。
結局、私が現実として出来ることは当時から何もなかったという話だし、
過去に戻ったとて、それが出来たわけでもない、ということだ。

そう考えた時、次に浮かぶのはやはり両親のことだった。
祖父の近況をマメに聞くようになればなるほど、手を打つのは早い方がいいという気持ちになる。
両親はそれぞれ常飲している薬があり、定期的に健康診断を受けたり、かかりつけの病院もある。2人とも意識して健康管理をしている、ということだ。
ちなみに両親が薬を飲んでいる症状といえば「血圧を下げる」とか「アレルギー症状を抑える」とか「不整脈を整える」というような慢性疾患で、母の言葉を借りるなら、
“ある程度の年になったら何かしら出てくるよね”“同世代で集まって食事した後は皆、何かの薬飲んでるよ”
というように、そのこと自体は特に珍しくないし、一般的なことなのかもしれない。
だけど今、自分がこうして身体の仕組みを知るほどに、栄養素がどんな働きをするかを知っていくほどに、
この“一般的なこと”は実は採用しなくても良く、本当は治せるものだということが分かってくるのだ。

もちろん薬を飲んで症状を抑えることは、症状が出ている時には必要なものだと思うし、私自身も助けられている。そしてここでも書いたように、栄養療法が全てではない、という考えは変わっていない。
ただ、やっぱり思ってしまうのだ。
そもそも緊急性が出てくるほどになるずっと前に対処しておけば、ここまで酷い状態にはならない。マイナスから引っ張り上げる部分がないほど、早くプラスに転じていけるのにな…ということを。
祖父のように病状が緊急性を持ち、痛みや辛さが激しく増す頃には、いくら栄養を投下して回復に持っていくにも時間がかかりすぎて、追いつかない。
きっと何でもそうだが、処置が遅れるほどに、戻ってくるための何もかもが複雑で大変になってくる。
だけどそれを、いわゆる“手前”の段階で手を打つには?と考えると、緊急性がないためにおそらく、当の本人から必要性を感じてもらえない。

実際のところ、必ず悪くなるかどうかはその人次第であり、ほら、そんなのなくたってどうにもならないじゃん?というふうに祖父が元気に生きる可能性だってあったはずだ。
そしてそれは、父の言葉からも垣間見える。
私が父に、“(祖父の姿を見て)自分もそうなるんじゃないかって怖くなったりしないか”というような趣旨のことを尋ねた時、
「特に怖いとかはないかなあ。」
という感じだった。自分にも慢性疾患があり薬を飲んでいて、一番祖父の様子を見に行き実際に目の前で見ていても、である。
祖父と自分は当たり前だけど、違う人間だからというような感じで、同じようにはならない、と思っているようだった。

父の性格上、絶対ならないという確信があるとかではなく、あくまでふわっとした返答だったのだけど、
こんなふうに両親と、両親から聞く“一般的な”話から察すると、
どうも病気になることは年を重ねれば当たり前であり、薬を飲んで何とかコントロールしながら老いていく身体と折り合いをつけていくしかない
…みたいな考え方が一番オーソドックスな「老い」や「病」や「健康」に対する意見ということのようだった。
もちろん皆健康でありたいと思っているだろうけれども、何というか、症状に対してできることを探すという感じで、
つまり病気を“治す”、ましてや“自分で健康な身体を作っていく”などという概念は非常識、ということになるんだろうな…と思った。
藤川先生も医師の集まりで異端児扱いされていたそうだ。そもそも医師の中でさえそうなのだから、普通の感覚で頭に浮かばないのは当然だよな、とも思うのである。
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ずっと筆の乗るままに書き進めていたのだが、ここで手が止まった。
だとしたら私は何を、伝えようとしたんだろうか…?
届けたいことは、書こうとしていることの核は、なんだろう。。
少し、迷いが出た。
一旦整理しよう、気持ちを見つめ直してみようと思い、下書きを保存した。
病院から連絡が入ったのは、その翌日のことだった。

明け方4時48分。
祖父が亡くなった。
とうとう本当の峠が、来てしまったみたいだ。
…今度こそ、本当の。
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書き始めた時には想定していなかったのだけど、状況が思ったより早く急変した。
思いが色々と、巡った。
つづきます。

