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11|支援につながるまで_発達障害姉妹、福祉とともに歩いた記録_1

1. 起きた出来事
2024年5月、私たち家族は訪問看護を利用することになりました。
家族は、私と長女、次女、そして当時は夫も一緒に暮らしていました。

長女はASD・ADHD・LDの特性があり、不登校が続いていました。
次女もASD・ADHDがあり、感情のコントロールや環境の変化が苦手で、母子分離も難しく、学校生活や家庭生活で困りごとが増えていました。

家の中では、姉妹それぞれが安心できず、不安やストレスをぶつけ合うことも少なくありませんでした。

学校、病院、放課後等デイサービス、相談支援事業所など、少しずつ支援にはつながっていましたが、それぞれの支援を受けながらも、家庭の負担は大きくなる一方でした。
私自身も、毎日「今日を無事に終えること」だけで精一杯。
子どもたちの予定を調整し、学校や病院へ連絡し、癇癪や不安に対応し、家事をこなす。
そんな毎日を繰り返していました。

そんな中で病院から勧められたのが、「訪問看護」という支援でした。
正直、最初は訪問看護がどんな支援なのか、ほとんど知りませんでした。
医療が必要な人が利用するもの、というイメージしかありませんでした。

そして2024年5月、私は訪問看護事業所と出会います。
この出会いが、私たち家族にとって大きな転機になりました。

2. 私の気持ち
毎日が必死でした。
「今日は何事もなく終わるだろうか。」
朝起きた瞬間から、そのことばかり考えていました。
長女の気持ちも守りたい。
次女の不安も受け止めたい。
でも、どちらかに寄り添えば、もう一人が苦しくなる。
母親として何が正解なのか分からず、自分の対応が悪いのではないかと何度も自分を責めました。
支援を受けることにも、少し抵抗がありました。
「私がもっと頑張れば何とかなるんじゃないか。」
そんな気持ちが、どこかに残っていました。

3. 支援者とのやり取り
訪問看護の利用が始まる前から、私たちは学校、病院、相談支援事業所、放課後等デイサービスなど、さまざまな支援機関につながっていました。
それでも、家庭の中で起きる出来事は、その場で相談できる相手がいるわけではありませんでした。
訪問看護は、自宅で子どもたちの様子を見てもらいながら、一緒に考えてもらえる支援でした。
子どもだけではなく、母親である私の話も聞いてくれる。
困った時はLINEで相談できる。
必要なときには関係機関とも連携してくれる。
「家族ごと支えてもらえる支援」が始まろうとしていました。

4. 今振り返って思うこと
あの頃の私は、「支援を受けること」は、もっとひどくなってから(大怪我をする、命に関わる危険がある等)利用するもので、今は自分一人でなんとかなると思っていました。
実際に夫からは「本当に必要あるの?お金かかるんじゃないの?」と言われ、医療者に自宅に入ってもらう、介入してもらうことに否定的でした。私自身も始めは少しの抵抗感を感じていました。

でも今は違います。
支援は、親の代わりになるものではありません。
子に対してだけではなく、親が親でいられるように支えてくれるものでもあると思っています。

もしあの時、「まだ大丈夫」と一人で抱え続け
ていたら、今の私たちはなかったかもしれません。

このシリーズでは、2024年から始まった出来事を一つひとつ(思い出せる範囲で、後から追加するかも)振り返っていきます。
当時の私と同じように、「助けてと言っていいのかな」と迷っている誰かに届いたらうれしいです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

同じように子育てや暮らしの中で悩む方へ向けて、「安心を育てる暮らし」をテーマに発信しています。

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