13|支援につながるまで_発達障害姉妹、福祉とともに歩いた記録_3
2024年7月 学校問題と母の限界
1. 起きた出来事
7月になると、長女は学校での出来事(友達間のトラブル「ふざけて髪を引っ張られる。箒で叩かれる」)をきっかけに、不安や落ち込みが強くなっていました。
支援学級内での出来事のためお互い様の気持ちもありますが、まずは担任から相手の保護者へ連絡していただくことになりました。
私は学校とも連絡を取り合い、担任の先生やスクールカウンセラーにも相談しながら、少しでも安心して過ごせる方法を探していました。
本人も怖くて不安で行きたくないのと、攻撃されて自分を大事にされていない悲しさがあったように感じました。
長女に対しては、
「無理しなくていい。」
「すぐに許さなくてもいい。」
と学校のトラブルに対して言葉をかけながら、親として何ができるのかを考え続ける毎日でした。
一方で、家庭では次女の他害から逃げる状況。
私が仲裁していても長女のストレスは相当なものだったと心が痛みます。
また、夏休みが近づくにつれ、新たな不安も大きくなっていきました。
学校という生活リズムがなくなることで、姉妹ともに生活が不安定になるのではないか。
お互いに逃げ場所がなくなってしまうのではないか。
夏休みを迎えることが楽しみではなく、「無事に乗り切れるだろうか」という不安の方が大きかったことを覚えています。
私自身も、仕事と子育てをどう両立していけばいいのか、不安ばかりが募っていました。
7月は体調不良等で、訪問看護を何度かキャンセルすることもありました。
当時の私は、「私が頑張らなければ」と思い続けていました。
子どもたちのこと。
学校とのやり取り。
家事。
仕事。
どれも中途半端にしたくありませんでした。
でも現実は、思うようにはいきません。
訪問をキャンセルするだけでも、「迷惑をかけてしまった」と落ち込みました。
学校で何かあるたびに、「私の対応が悪かったのではないか」と自分を責めていました。
3. 支援者とのやり取り
7月は、支援者との信頼関係が少しずつ深まっていった月でもありました。
「二人とも訪問看護師さんと話すのを楽しみにしている。」
姉妹がそう感じるようになったのも、この頃でした。
子どもたちだけではありません。
私自身も、「この話を聞いてもらいたい」と自然に思える存在になっていました。
支援とは、「安心して話せる相手がいること」なのだと実感し始めていました。
4. 今振り返って思うこと
7月の私は、「限界」という言葉を口にすることはありませんでした。
でも、今振り返ると、心も体も限界に近づいていたのだと思います。
学校の問題は、子どもだけの問題ではありません。
家庭全体に影響し、親の心にも大きな負担を与えます。
だからこそ、親にも支えてくれる人が必要なのだと今は思います。
あの頃の私は、一人で頑張ることが親の役目だと思っていました。
でも、支援者との出会いを通して、「頼ることも親として大切な選択肢なんだ」と少しずつ学んでいきました。
この気づきが、その後のさらに大きな出来事を乗り越える土台になっていったのだと思います。
備忘録:当時のスケジュール(週5パート勤務)
・2024年7月5日 相談支援事業所に電話相談(母)
・2024年7月11日 小児科定期受診(長女・次女)
・2024年7月12日 スクールカウンセラー面談(母)
・2024年7月15日 訪問看護(長女・次女)
・2024年7月22日 訪問看護(長女・次女)
・2024年7月23日 相談支援事業所の自宅訪問
・2024年7月25日 相談支援事業所面談(母)
・2024年7月30日 訪問看護(長女・次女)
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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