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公務員の私が病院勤務を選んだ理由

来年の3月に29年間の公務員生活を終え、早期退職予定の私です。

この29年間のうち、24年間は公立病院で仕事をしましたが、入庁して最初の5年は、総務系の業務でした。

もともと、両親が公務員だったこともあり、特段やりたいこともないまま、母から勧められた「安定」だけを理由に公務員になった私。

筆記試験合格後だったと思いますが、希望する局(部署)を記入する紙が配られました。私は、

■第1希望
→生活文化系の局(スポーツ振興や、男女平等推進、消費者生活に関する業務)

■第2希望
→総務系の局(地方自治や研修、人事、災害、統計、人権などの業務)

■第3希望
→教育庁、学校事務

を書きました。

両親と同じ税務関係の部署は、定時に帰れて育児中の女性も多く、新規採用職員からも人気の職場でしたが、私は親の知り合いが多くて嫌なので、書きませんでした(笑)

結果、第2希望の総務系の局に配属となりました。

ここで最初の2年間は出先の人権センター、その後の3年間は本庁で働きました。

この計5年間の総務系業務の後、なぜ全く別分野の公立病院で長年働くことになったか、今回はそのことを振り返ってみたいと思います。

公務員でもこんな職場があったんだ、と軽い気持ちで読んでいただければ嬉しいです!


電話対応がひどかったシルバー職場

入庁して最初の配属先の人権センターは、財団法人でした。

有名人を起用した人権啓発のポスターや、バス広告やラジオの契約を、電通や博報堂といった広告代理店の営業マンと折衝するという、貴重な経験をさせてもらいました。

この電通や博報堂との何千万という契約を、新人の自分がしたのですが、当時の法人規程が緩いのか、「事業の実施」→「契約」→「支払い」の3本起案が形だけの課長決裁で、「こんなんでいいのか?」と、かなり疑問でした。

周囲からも「この仕事は公務員では珍しいから、本来の公務員らしい仕事は、次の職場で覚えればいい」と言われていました。

当時は「同和事業・人権啓発」というだけで予算が潤沢につき、その予算を消化するこが大事だったんです。

これらの事業は、公立直営に適さないので財団に移管している訳ですが、当時はまだ財団のプロパー(固有)職員はおらず、ほとんどは我々公務員が派遣で行かされていました。

しかも、その職員には再雇用のおじいちゃんが異様に多かった。

全体の4割は再雇用で、公民館みたいな雰囲気でした。

このおじいちゃん職員たちですが、現役時代は交通や清掃の現業職だった方たちで、事務処理はおろか、おそらく電話も取ったようなことのない方たちでした。

この再雇用の担当業務の一つに、「財団の代表電話を取る」という仕事がありました。

代表電話の交換手(オペレーター)は、いわば組織の「顔」です。

通常、外線の代表電話にかけると、交換手は「〇〇人権センターでございます」って出ますよね。

でも、このおじいちゃん職員たちは、

「はい~」

って出るんです…。

代表電話を取る交換手が「はい~」って出ますか?

交換手が電話口で名乗らないというのが、社会人として驚きでした。

おそらく彼らは、家でも電話に出たことがないのでしょう。

だから、外線電話が鳴っても、どうやって出るのがマナーなのか、分かっていない。

しかも、誰もそれを指摘しない。

さすがに組織体としてあり得ないと思い、私は庶務係長に改善すべきだと伝えました。

でも、庶務係長はこう言いました。

「まあ、彼らは再雇用だから…」

「彼らを暖かい目で見るのも、僕ら常勤職員の役割だよ」

えーっ。

1年目の新人職員に電話対応を指摘されて、この返答…。

せっかく勇気を出して伝えたのに、そりゃないよ、でした。

まあ、こんな時代だったんです。

もちろん、再雇用さんたちは皆良い方で、新人の私を暖かく迎えてくれました。

でも、私には「可愛い孫」の演技はできなかったです。


トップの顔色をうかがう、イエスマンの集合体

3年目に本庁へ異動になり、初めて公務員らしい職場で、基本的な庶務事務を経験しました。

知事に近い官房系部署だったため、周りは出世頭が多く、その時に周りにいた課長や係長たちは、その後ほとんどは局長になっています。

今思えば、ここもちょっと特殊な雰囲気の部署でしたが、私自身は戦力外の「庶務の女の子」でしかなく、出世頭の男性職員(ほんの数名女性もいましたが)は別世界の人でした。

牧歌的な人権センターとは打って変わり、ここでは皆が常にトップの顔色をうかがって動いていました。

中には、かなり変わったタイプの「イエスマン」もいました。

その人は秘書でもないのに、何かというと、「知事は~」が口癖で、まるで自分が知事の代理人のような口ぶりなんです。

各局の担当者は「自分の局事業で、知事が来場者に贈呈する品物」を準備することがありますが、その一風変わったイエスマンは、その「各局の担当者が準備する贈呈品」をチェックするのが仕事でした。

ある時、そのイエスマンが、とある局の担当者に電話で怒鳴っていたんです。

「贈呈品である三越デパートの包装が、雑に包まれている」

「これでは、来場者に失礼だ」

「知事は、こういういい加減な対応が大嫌いだ」(←本当か?)

「今すぐ、謝罪にきてほしい」(←公務員同士で必要か?)

数分後に、その局の担当者が上司と一緒に来るや否や、そのイエスマンは、

「どういうことですか⁉ 知事に恥をかかせるつもりですか⁉」

と大声で怒鳴ったんです。

「申し訳ございませんっっ!!」

と、担当者とその上司は土下座。

リアル土下座を見たのは、先にも後にもこれが初めてです。

っていうか、土下座するほどのことでもなくない?

しかも、そのイエスマンはただの係長級です。

土下座をしている上司の方は、おそらく課長。

イエスマンは、知事という衣を身にまとって、自分が偉くなったつもりなのか?

こんなことで怒鳴るのもおかしいし、包装の包み方が気になるなら、「ちょっと包み直してくれますか?」って言えばいいだけじゃん。

この人は特殊ですが、こんな感じで、知事の周りにいる人は、常に「知事がどう思うか」を考えすぎるあまり、思考がおかしくなっている感じでした。


病院を希望した理由

主任試験に受かって、局を超える異動ができるとなった時、病院を希望しました。

仲良し老人クラブの人権センターも、トップの意向ばかり気にしている、無機質な本庁フロアも、「ここで仕事を続けたい」とは思えなかった。

もっと、具体的に「仕事をした」と感じられる業務がしたいと思った。

その思いは、今の官房局ではなく、事業局への異動希望となりました。

その事業局の中でも、建設や水道、都市整備などのハード局ではなく、直接「人」を対象としているソフト局、つまり医療福祉分野がいいなと思いました。

これだけ幅広い分野の局を異動対象として選べるのは、地方公務員の良さでもありますね。

ただ、ソフト局の中でも福祉の分野は人気が高く、異動希望を出しても適わない可能性が高かった。

一方、病院は当時「不夜城」と言われ、とにかく忙しいという噂で、行政職(事務職)では人気のない職場でした。

さらに病院は、

・事務が主役になれない
・医師をトップとするヒエラルヒーの中で事務は最下層

ということで、自己顕示欲の高い事務職員には、避けられる傾向がありました。

でも、私には却ってそれが良かった。

確かに、公立病院の事務職には「意識高い系」の「自己顕示欲高め」の人は少ない。

言い方は良くないかもですが、とにかく下手に出て、医師や看護師とうまくやる、多職種を調整できるマイルドなタイプが望まれます。

以前の記事に書いたとおり、「企画・計画・予算部門の意識高い系」が病院には少ないのが私には有難かった↓↓


もう一つの理由は

病院を選んだもう一つの理由は、身内に何かあった時、適切にアドバイスできるから。

自分が病院に勤めて、病院の内部を知った上で、患者家族の立場となると、色々なことが分かってくる。

病院側、医療者側の制度や内部事情も分かるし、患者家族としての心情も分かる。

だから、身内に何かあっても、病院側に「どうして〇〇してくれないのか」などと思わず、逆に「こういう解決方法がある」と自ら動くことができる。

生まれたばかりの息子に医療面で色々あった時も、自分が病院勤務だったからこそ、精神的に切り抜けられたような気がします。↓↓

また、病院に長く勤めていると、私の場合、究極には死を恐れなくなりました。

以前の記事で、生まれ変わったら公務員にはならないと書いたけど、現世では公立病院勤務を選んで良かったと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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