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古地図が伝える「製糸町・須坂」

こんにちは!須坂市重伝建担当です。
突然ですが、皆さま「古地図」はお好きですか?
今回は、古地図大好きな担当がお伝えする「製糸町・須坂」のお話です。
どうぞ、最後までお付き合いくださいませ!


こんな古地図があります

大正6年(1917)「長野県上高井郡須坂町全景」(須坂市立博物館蔵)
『須坂ー伝統的建造物群保存対策調査報告書ー』より引用

こちらは、大正6年(1917)の須坂町全体を表した地図。
南が上になっている地図で若干見慣れないですが、東西南北それぞれに向かって伸びる十字の街道を見つけられたら、その交差点が「中町の辻」です。
中町の辻を起点に、重伝建須坂地区の位置もおよそ分かりますでしょうか。
まだ鉄道(須坂駅)も無く、街道を中心に町が形成されています。


十字の道と町並みの形成については、以下で詳しくご説明しています!

この道があの道だから…
あの道はこの当時はまだ無くて…
こんなところに○○があったんだ…!
なんてことを考えながら見つめていると、あっという間に時間が過ぎていきます。
楽しい…!
同感の方、もしいらっしゃいましたら、「スキ」などで反応いただけると喜びます。

製糸町・須坂

さて本題。
2024年8月に重伝建地区に選定された須坂地区。地区の特徴を表す種別は、「製糸町・商家町」です。

「製糸町」とは、産業と結びついた町並みを表す種別の一つで、製糸町のほかには、鉱山町・製塩町・漆工町・醸造町・温泉町…などがあります。
これらは、その地域独特の産物を背景とした産業と結びついた町で、その産業を支える職人や商人などが居住し、その産業による富の蓄積によって築かれた町並みを指します。

すなわち「製糸町・須坂」とは、江戸時代末期から昭和初期にかけて
繭を材料に生糸を製造した製糸業の町で
▶製糸業に関わる、製糸家、職人、工女、商人などが居住
▶製糸業による富の蓄積により豪壮な建物が築かれた
 町並みといえます。
地区内には、豪壮な建物のほかに、職人らが住んだ長屋や小規模住宅などが現存しており、多様な建造物群が町並みを彩っています。


地区の歴史や評価のポイントは、以下で詳しくご説明しています!

古地図が伝える在りし日の須坂

上記を踏まえ再び古地図を眺めてみます。
地図内のあちこちに、「8」のようなマークが書かれた場所があるのがお分かりでしょうか。実はこれ、製糸場を表しています!
この製糸場に色をつけて、現在の伝建地区範囲図と方角を揃えて見比べてみると…

↑ 須坂市須坂伝統的建造物群保存地区の範囲図
↑ 大正6年の地図に、製糸場「8」マークの箇所に色をつけ、北を上に表示したもの

地区内に、しかも、十字の街道沿いの敷地に、たくさんの製糸場があることが分かります!

須坂では、製糸業の隆盛により郊外に工場を設けて大量生産を行うようになるまで、あるいはそれと並行して、屋敷地の中に製糸場とその他の必要な施設をつくり、製糸業を営んでいました。

生糸の原料となる繭を養蚕農家から仕入れ繭蔵(まゆぐら)に保管する。製糸場(繰糸場)では工女が繭から生糸を巻き取る作業に精を出し、釜屋では蚕の繭を煮る湯を沸かす。工女たちは御飯場で食事をし、他地域から来た工女たちは工女宿舎で寝起きし、時に保健室に世話になることも…。
須坂地区の街道沿いの建物の奥には、かつてそんな光景があったのです。


工女さんの生活については、以下でご紹介しています!

おわりに

1986年の北村製糸所の廃業をもって、須坂の製糸工場は姿を消しました。今に残る製糸業関連の付属屋なども、実際に見ることのできる建物はごく僅かで、地区内を歩いていても、ここで生糸の製造が行われていたことを実感する機会はそう多くないかもしれません。

ですが、古地図で見ていただいた通り、約100年前の須坂地区はまさしく生糸の製造を行う製糸業の町
今見ることのできる建物はもちろん、町のあちこちに製糸場があった在りし日の姿にも思いを馳せながら、製糸町・須坂の散策を楽しんでいただけたら嬉しいです!


須坂地区の製糸業の歴史は、以下でご紹介しています。
ご興味をもってくださった方は、こちらの記事もご覧ください!


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