須坂地区の歴史(前半)
「須坂って昔はどんなまちだったの?」
地域の歴史については、その地に住む人でも「なんとなく聞いた話はあるけどうまく説明できないかも・・・。」という方も多いと思います。
今回は、須坂がどんなまちだったのか、どんな歴史があるのかを知り、興味をもっていただけたら嬉しいです。
須坂ってもともとどんなまち?
須坂はかつて製糸業で栄え、多くの人が集まり、商家町としても発展を遂げました。
全盛期には、製糸業にかかわる多くの人が集まり、人々の住まう長屋や小規模住宅などが高密に建てられました。工女の日用品を扱う小間物屋や、履物屋、仲買人や工場主を接待する料亭や食堂などが建ち並び、昼間の人口は夜間の3倍にもなったと言われています。
製糸業とは
製糸業とは、蚕の繭から生糸を製造する産業のことです。
蚕が吐いた糸が繭となり、原料となります。繭を煮て(煮繭)、繭糸数本を合わせて1本の生糸として繰枠に巻き取り(繰糸)、揚げ返し枠(再繰枠または大枠ともいう)に乾燥しながら巻き返し(揚返し)、出荷準備までを行います。
まず蚕を育てるところから始まり、糸を良質で太さのそろったものとするための工夫や、扱いの難しい糸をうまく巻き取る技術などを必要とするものでした。
江戸後期の様子
生糸製造のはじまりは、寛政期(1789~1801年)で、藩が生糸製造のための養蚕を奨励したことで、急速に養蚕農家が増えていきました。18世紀後半から上州桐生地方で絹織物の生産が盛んになり、多くは大笹街道を経て上州へ送られていたと考えられています。
安政6(1859)年の横浜開港後、生糸は日本の最大の輸出品となりました。輸出用生糸の需要増大を受けて急速に発展し、須坂において主要な産業に変わっていきました。
明治期の製糸業の発展
器械製糸の導入
明治5(1872)年、官営富岡製糸場が開業すると、模範工場として全国から製糸工女を募り洋式器械製糸の伝習が行われました。須坂町を含む上高井郡からも工女が入場し、技術の伝習を受けて帰郷したのち、各地で製糸教婦として活躍しました。
須坂町では明治7(1874)年に、水車動力による12人繰りの器械製糸場が始まりました。製造した生糸は横浜の商人から高評価を得ましたが、
①生糸が高級な絹織物の原料で、需要は景気に左右されやすいこと
②大部分が輸出用生糸であり糸価の変動にすぐに対応できないこと
などの課題があり、うまくいけば利益は大きくなりますが、外れれば莫大な損失を被るもので、「生死業」ともいわれていました。
製糸結社「東行社」の設立
良質で太さの揃った糸を大量に出荷することが重要な条件となりましたが、零細な製糸工場ではこれに応じることができず、安値で買いたたかれ、経営不振をもたらすことになりました。こうした状況のなかで、器械製糸への転換に踏み切れない業者も多くおり、これを巧みに解決したのが、製糸結社「東行社」でした。
「東行社」とは、明治8(1875)年5月に小規模製糸工場が集まってつくられた共同組織のことです。互いに製糸方法を検査監督し、製品の共同出荷を行いました。輸出用生糸の製造を意識し、“須坂の糸が東方(アメリカ)に行く”という意味で名づけられたと言われています。全国初の製糸結社となりました。
東行社の設立により須坂町では小規模な器械製糸工場が一気に増加しました。明治11(1878)年には共同の揚返所を設立することで品質の揃った生糸を大量に出荷・販売できる体制を整え製糸業の近代化を図っていきました。
明治17(1884)年には、東行社から一部の製糸業者が脱退し、新たな製糸結社「俊明社」が設立されました。分立以後も両者は製糸の改良進歩を競い合いつつ、賞罰・繰糸賃などを同一にしたり、共同で製糸用水のための簡易水道を敷設するなど、常に協力協調し先見的な事業をすすめました。
水車動力の活用
須坂町において比較的早い段階で器械製糸に転換できた最も大きな要因は、町内を流れる裏川用水から水車動力を得やすかったことにあります。
須坂は南から北に傾斜する町なかの道の両側、道から10~15間(18~27メートル)のところに用水路が流れ下っており、道に面して建てられた屋敷の裏を通るので「裏川用水」と呼ばれています。
この用水は急流をなしていたため、どこでも容易に水車動力が得られ、これを利用して明治期の初め頃までは精米業や搾油業が盛んに行われており、精米や搾油に使っていた水車を製糸器械の糸枠の回転動力に転用していました。
まとめ
このように、須坂が製糸業で栄えた背景には、製糸結社「東行社」の設立と、水車動力の活用がありました。当時全国的にみて出荷量の多かった長野の中でも「南信の諏訪、北信の須坂」といわれるほどの製糸のまちでしたが、その裏にはこうした工夫があったんですね。
こちらで紹介した須坂の製糸業の歴史については、「須坂ー伝統的建造物群保存対策調査報告書」(16~17ページ)で詳しく知ることができます。一般販売はしていませんが、市内各施設(図書館、文書館、各地域公民館、ふれあい館まゆぐら、旧越家住宅、旧小田切家住宅)、文化スポーツ課、まちづくり課、政策推進課閲覧コーナーなどでお読みいただけます。
製糸業については、「須坂の製糸業ー生糸の歴史・技術・遺産」からより詳しく知ることができます。こちらも、文化スポーツ課、須坂市文書館、須坂市立博物館、笠鉾会館ドリームホール(須坂市立博物館分館)、須坂クラシック美術館、蔵のまち観光交流センターでお読みいただけます。こちらは文化スポーツ課にお問い合わせいただければ販売もしています。
また、ふれあい館まゆぐらや、旧越家住宅、旧小田切家住宅では須坂の当時の様子や製糸業の発展を支えた偉人について展示を通して知ることができます。
興味がある方はぜひお立ち寄りください。
須坂地区の歴史の後半はこちらからお読みください。
短いコラムで須坂の豆知識を紹介している、以下のマガジンもご注目くださいね。
