【小説】名もなき空の若者たち【第1章 佐伯の冬 ― 九九式艦爆訓練生たち】10.他隊の事故 ― 冬の海に落ちる影
第1章 佐伯の冬 ― 九九式艦爆訓練生たち
第10節 他隊の事故 ― 冬の海に落ちる影
その日の空は、朝からどこか重たかった。
雲は低く垂れ込み、
冬の光は、薄い布を通したように弱々しかった。
風はほとんど吹いていないのに、
空気そのものが、冷たく沈んでいるように感じられた。
訓練を終えた三機が帰投し、
六人が滑走路脇で整備員の作業を手伝っていたときだった。
「……あれ、他隊の機じゃないか」
石田が空を指さした。
遠く、灰色の空の下を、
一機の九九式艦爆がゆっくりと旋回していた。
その姿は、どこかぎこちなかった。
高度が安定せず、
翼が、わずかに震えているようにも見えた。
「急降下に入るのか……?」
村瀬が呟いた。
声は風に消えそうなほど小さかった。
その機は、
まるで迷いを抱えたまま前へ進むように、
ゆっくりと、角度をつけていった。
五十五度。
……いや、浅い。
角度が、足りない。
「……浅いぞ」
新城が息を呑んだ。
次の瞬間、
機体は、海へ向かって落ちていった。
風を裂く音は、ここまでは届かない。
ただ、遠くの空に、小さな影が吸い込まれていくのが見えた。
「高度……足りるか?」
川畑の声は震えていた。
海面が近づく。
機体はまだ角度を保ったままだ。
投弾のタイミングを誤ったのか、
あるいは操縦桿が重くて引き起こせないのか。
六人は、ただ見つめるしかなかった。
そして――
海面に、白い飛沫が、静かに上がった。
音はなかった。
風もなかった。
ただ、冬の海が、静かに波を寄せただけだった。
影は、もうどこにも、なかった。
「……嘘だろ」
石田が呟いた。
誰も返事をしなかった。
返事ができる者はいなかった。
大庭は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
急降下のGとは違う、
もっと深い場所を、掴まれるような冷たさだった。
川畑は、手袋の中で指が震えていることに気づいた。
その震えを止めようとしても、止まらなかった。
村瀬は、唇を噛んだ。
新城は、ただ海を見つめていた。
浜田は、何も言わずに目を閉じた。
冬の空は、何事もなかったかのように薄かった。
海もまた、何も知らないふりをしていた。
だが六人の胸の奥には、
確かに“影”が落ちていた。
空は美しいだけではない。
空は、奪う。
その事実が、
初めて六人の心に深く刻まれた瞬間だった。
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