【小説】名もなき空の若者たち【第1章 佐伯の冬 ― 九九式艦爆訓練生たち】12.揺らぎ ― 冬の空の下で、それぞれの影が動く
第1章 佐伯の冬 ― 九九式艦爆訓練生たち
第12節 揺らぎ ― 冬の空の下で、それぞれの影が動く
片翼帰還の英雄の話を聞いたあと、
六人は講堂を出ても、しばらく誰も口を開かなかった。
冬の空は薄く、
雲は低く垂れ込め、
風はほとんど吹いていないのに、
空気はどこか、ざわついているように感じられた。
事故の影と、
英雄の影。
その両方が胸の奥で重なり、
六人の心を静かに揺らしていた。
■ 大庭と川畑 ― 声の重さ
「……大庭さん」
川畑が小さく呼んだ。
講堂の外、冬の光が地面に薄い影を落としている。
「ん」
「昨日の事故……見てから、
急降下のときの“落ちる感覚”が……前より、怖くなりました」
川畑の声は、
風に消えそうなほど弱かった。
大庭は、しばらく黙っていた。
その沈黙は責める沈黙ではなく、
言葉を探す、静かな沈黙だった。
「……俺もだよ」
「え?」
「怖い。
でも……川畑の声があるから、
俺は前を見ていられる」
川畑は目を瞬かせた。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
「……俺も、大庭さんの背中があるから、
読み上げられるんです」
ふたりの影が、
冬の地面で、静かに重なった。
■ 石田と浜田 ― 明るさの裏側
「なぁ浜田」
石田が、講堂の裏手で煙草を取り出した。
火をつける手が、わずかに震えていた。
「……怖かったか?」
浜田は少し考えてから、
静かに頷いた。
「はい。
でも……石田さんがいたから、
俺は落ち着けました」
石田は煙を吐きながら、
少しだけ笑った。
「俺はな、浜田。
お前が後ろにいるから……
軽口、叩けるんだよ」
浜田は驚いたように石田を見た。
石田は視線をそらし、
空を見上げた。
「……俺だって怖いさ。
でも、怖いって言ったら、
お前が余計に不安になるだろ?」
浜田はゆっくりと首を振った。
「言ってくれていいんですよ。
俺……石田さんの言葉なら、受け止められます」
石田は煙草を地面に落とし、
靴で静かに踏み消した。
「……ありがとな」
その声は、
冬の空気に溶けるように小さかった。
■ 村瀬と新城 ― 不器用な二人の距離
村瀬は、講堂の裏のベンチに座っていた。
手袋を外し、
自分の手のひらをじっと見つめている。
そこへ、新城が静かに近づいた。
「村瀬さん」
「……ああ」
「昨日の事故……
俺、ずっと頭から離れません」
新城の声は震えていた。
村瀬はゆっくりと顔を上げた。
「俺もだ」
「……怖いです」
その言葉は、
新城が初めて口にした“弱さ”だった。
村瀬は、
自分の胸の奥にある同じ恐怖を思い出した。
「新城。
お前が……怖いって言ってくれて、
俺は少し、安心したよ」
「え……?」
「俺も怖い。
でも、お前が後ろにいるから……
俺は前を向ける」
新城は目を伏せた。
その目は、
冬の光を受けて静かに揺れていた。
「……俺も、村瀬さんが前にいるから、
読み上げられます」
ふたりの影は、
ゆっくりと、近づいていった。
■ 六人の影が揺れる
冬の空は薄く、
風は冷たかった。
だが、六人の胸の奥には、
事故の影と、英雄の影と、
そして互いの存在が、
静かに重なり始めていた。
空は奪う。
空は救う。
そのどちらも、
人の意志とは関係なく、訪れる。
それでも――
六人は、今日も空へ向かう。
大切な家族、愛する者、美しい故郷を護るために…
揺らぎながら、
迷いながら、
それでも前へ進もうとする。
冬の佐伯の空は、
その決意を静かに見守っていた。
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