見出し画像

同じりんごでも、答えは変わる|“正しい捉え方”を探してしまう人へ

たとえば、私が手に「りんご」を持って、

「これは、どんなりんごですか?」
とたずねたとします。

ある人は、「丸いりんご」と答えるかもしれないし、
ある人は、「赤いりんご」と答えるかもしれない。
ある人は、「熟したりんご」と答えるかもしれません。

同じ、ひとつのりんごなのに。


人によって、
『捉え方』は、さまざまです。

捉え方が違うと、
見ている場所が違って、

見ている場所が違うと、
感じ方が違って、

感じ方が違うと、
言葉になる表現も違ってきます。

その結果、
返ってくる「答え」が、変わってくる。


ここで、少し立ち止まってみてほしいのです。

このとき、
「正しい答え」は、どれでしょう。

丸い、が正解なのか。
赤い、が正解なのか。
熟している、が正解なのか。

……きっと、どれも正解で、
どれも「その人が感じた、ほんとう」です。

なのに私たちはつい、

「みんなが“赤い”と言うなら、
きっと“赤い”が、正しい答えなのだろう」と、

自分には「丸い」と見えていたのに、
まわりの声を聞いているうちに、

“丸い”と感じた自分の目の方が、
なんだか間違っているような気がしてくる。

自分が解釈違いをしたのかもしれない。
ズレた答えをしたのかもしれない、と
さりげなく自分を責めながら。


でも、あなたが感じたことは間違いじゃありません。

あなたが「丸い」と答えたのは、
あなたが、そのりんごの“かたち”に、
まっさきに心をとめた、ということ。

赤い、と答えた人は、色に。
熟している、と答えた人は、新鮮さに。

見えているものが違うのは、
どこに立って、どこにこころを置いているかが、
一人ひとり違うからです。

それは、善し悪しでも、優劣でもありません。
ただ、立っている場所が違うだけ。

だから、
「正しい捉え方」を探して、
自分の見え方を消してしまわなくてもいい。


まわりが「赤い」と言っても、
あなたに「丸い」と見えているなら、

その“丸い”は、
あなたがそこに立っていた、確かな証です。

誰かの答えを借りて、
「たぶん、これが正解なんだろう」と
自分の見え方に上書きしてしまうと、

いつのまにか、
自分が本当は何を感じていたのか、
わからなくなっていきます。

“みんなの答え”はわかるのに、
“私にはどう見えているか”が、
うまく言えなくなっていきます。

もしも今、そんなふうに、
自分の感じ方がわからなくなっているなら。

正しい答えを探しにいく前に、
そっと、手の中を見てみてほしいのです。

あなたが今、手にしている「りんご」。

それは、りんごじゃなくてもいい。
今の仕事かもしれないし、
ある人との関係かもしれないし、
これまで歩いてきた人生そのもの、
かもしれません。

あなたには、
どんな風に見えていますか?

まわりが何と言っているか、ではなく。
あなたの目に、どう映っているか。

答えを、ひとつに決める必要はありませんし、
誰かと同じである必要もありません。

あなたに見えている場所が、
あなたの、はじまりの場所だから。


あなたが手にしている「りんご」。

あなたには今、
どんな風に見えていますか?


見える世界は、立つ場所で変わる。
そんなテーマを、別の角度からも綴っています。
今のあなたに、しっくりくる見え方が見つかりますように。


いいなと思ったら応援しよう!

美結(みゆ)|“目に見えない関係性”を読み解く人 応援、ありがとうございます。いただいたチップは、執筆や対話・探究を続けるための活動費に使わせていただきます。