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私たちは何を観ている?|見えているものが真実とは限らない

以前からずっと感じていることがあります。

目を閉じると暗い。
でも、その暗さって何を観ているんだろう、と。

目を閉じる。
それは、瞼を閉じることであって、
黒目が消えてシャットダウンされるなど、眼球そのものに変化を起こしているわけじゃない。
つまり、テレビの電源を落としているわけじゃない。

じゃあ、その暗さって、何を観ているんだろう?


目を閉じても、真っ暗というわけではありません。

幾何学模様のようなものが見えたり、
何かが動いているように感じたり。

部屋の電気がつけばわかるし、
消えればわかる。

脱毛や治療で使われる強い光も、
目を閉じていても感じることができます。

少し調べてみると、
見えている模様の一部は残像や血流、神経の働きによるものらしいということ。

テレビなら、砂嵐の状態といったらいいのかな。

つまり、視力を持っている眼球は結局開いている。
じゃあ、暗さは瞼の裏を「観ている」のか?

なんてことを考え続けてしまったりするのです。


そんなことを考えていると、ふと、
「私たちは普段何を見ているのだろう」
という別の疑問が浮かんできます。


私たちは普段、
目の前にある世界をそのまま観ているように感じています。

でも実際には、

見たものを解釈し、
意味づけし、
過去の経験と照らし合わせ、

「これはこういうものだ」

と脳が判断した世界を観ています。

同じ出来事なのに、
傷つく人もいれば気にならない人もいる。

同じ言葉なのに、
励ましになる人もいれば否定されたと感じる人もいる。

同じ人を観ても、
優しいと感じる人もいれば、
信用できないと感じる人もいる。

見ているものは同じでも、
見えている世界は違う。

それは、私たちが現実そのものではなく、
現実に対する解釈を観ているからなのかもしれません。

テレビで言うなら、観ているチャンネルが違う感じかもしれない。

だからこそ私は、

「どう感じるか」も大切だけれど、
「なぜそう観えているのか」も大切だと感じます。

なぜ、そのチャンネルを観ているのか。


現実の世界では、
目の前の出来事を変えられないことはあります。
相手を変えられないこともあります。

けれど、

その出来事をどう捉えるか。
その言葉をどう受け取るか。
その世界をどんな視点で観るか。

それは選び直すことができます。

どのチャンネルを観るのかは、自分で選べるということ。



私たちは、目を閉じても何かを観ています。

そして、目を開いていても、

実は現実そのものではなく、
自分の解釈を観ていることがあります。

もし今、

「なぜ私はこう感じるんだろう」
「なぜ同じことを繰り返してしまうんだろう」
「なぜ世界がこんなふうに見えるんだろう」

そう感じることがあるなら。

変えるべきなのは現実ではなく、
まずは自分がどんなチャンネルで世界を観ているのかを知ることなのかもしれません。



私たちは、出来事そのものではなく、
その出来事をどう解釈したかを見ていることがあります。

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