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うつ病の高校生、新しい人生②


涙が止まらない

夏休みで、私はとうとう限界が来てしまいました。

9月からは一切学校に行くことができなくなり、漠然とした将来への不安を抱え、何もできず寝転がるしかない自分に嫌気が差し、意味もなく涙がこぼれる毎日

脳裏に何度死がよぎったのか、数えきれません。

家の近くにある道路を見ると、車が処刑の道具に見えます。

キッチンを見ると、刃物が処刑の道具に見えます。

今思えば、頭がおかしくなっているんです。

ですが、当時は真剣に考えていたことでした。

(画像はAI作成)

考えると、とても楽になるんです。当時唯一心を慰めてくれたのは、そういった考えでした。

小説を書くことでもなく、好きだった音楽を聴くことでもなく、バラエティー番組を見て笑うことでもなく。

爪や、近くに転がっていた洗濯ばさみ…。痛みすら心地良かったんです。

専門的な話、追い詰められている際は、身体的な痛みが精神的な痛みを和らげることがあります。身体的な痛みは「脳内麻薬」とも呼ばれる神経伝達物質「エンドルフィン」を分泌させ、一時的にあらゆる痛みを麻痺させます。
自傷行為に走る人がいるのはこのためです。
またこうした痛みは、無謀な行動を起こす敷居を低くしてしまいます。

自傷をすることで、自分の意識から「つらい感情」「つらい出来事の記憶」を切り離して、「何も起こらなかった」「何も感じなかった」ことにしたり、「身体の痛み」によって「心の痛み」にフタをする行為でもあります。主に10〜20歳台が多く、自らの身体を傷つけた経験がある中高生は約1割認めるとする調査もあります。

「自分を傷つける」とはどのような症状ですか? - ユビー
https://ubie.app/byoki_qa/clinical-questions/symptom/w5x6uiixfx

父の勧めで母とともに心療内科を受診し、うつ病の診断を受けました

診察室に行くたびに、意味もなく動悸や目まい、手の震えが起きます。外に出るだけでつらい。ましてや、一人で学校へ行くなんてできるはずがありません。

医師を信頼して、自己判断で薬を増減したりやめたりしないことが大事(画像はAI作成)

たとえ母に送迎してもらえるとしても、学校に行くことを考えただけで動悸がしたり涙が出たりしました。

特定の誰かが苦手だとか、あの先生が怖いとか、そういうしっかりとした理由で行きたくないわけではありません。

これまで自分を偽り、「友達のいる明るくて社交的な自分」を演じてきた分、その反動が来たのだと思います。

「学校に通えない子」「人が苦手な子」というのは、他人事だと思っていました。それが突然自分のことだと突きつけられたのです。しかも受験期に。毎日泣いてばかりで、ティッシュの箱はものすごい勢いで減るばかり。

受験を考えるたびに心が塞がる私に、夏休みの終わり頃、学校側からこんな提案がありました。

「オンラインで授業を受けてみませんか?」

私の進みたい道は…

今の技術は本当にすごいです。

オンラインで授業を受けられる仕組みは、この年から導入されたものだそう。諸事情により学校に来られない子向けにできた仕組みです。
私と母、担任の先生と教頭先生が学校の会議室に集まり、そのような提案がありました。

夏休み以降、学校に慣れるために数分保健室に登校したり、親も同席して先生と進路を相談をしたりする以外に学校に来ていなかった私は、卒業するための単位が足りなくなり、どうしても授業を受けなければなりませんでした。

その上定期テストは学校で(別室受験可能)受けなければならず、補修課題でこれまでの単位不足を補わなければなりませんでした。

「もし無理そうなら、もう一年かかるけど、通信制の高校に転入する選択肢もあるよ」

担任の先生の提案に、私はこれまでの人生プランが崩れ落ちるのが怖くて拒否感を持ちました。
そして何より、ここまでたくさん支えてくれた先生方のおかげで、この高校がますます好きになりました。別の選択肢を示してくれるほど私の将来を考えてくれている。むしろ、そんな素敵な高校で卒業したいという思いが強かったのです。

それに、優しい友達がいたから。

そのときも友達が何なのか分かりませんでしたが、私が元気な頃に文化祭の準備を手伝ってくれたり、私が体調を崩したあとも、その子は私の体調を心配してくれました。独特の感性を持っている彼女とは、当時も今でも波長や価値観が合うなと思っています。

友達が何なのか分からないのは、そこに正解がないからだと思います。
友達というレッテルを貼らなくても、緊張しても、大切に思っていることに変わりはない。

自分を大切に思ってくれる、そして自分も相手を大切に思える。

それが大事なのだと思います。

うつ病を発症したことをきっかけに素の自分と向き合う時間が増え、本当の友達に気づくことができました。


薬の苦しい副作用

受験は、当時の志望校の中で最も自分の学力レベルに近い大学を受けることに決めました。とはいえ私にとって高嶺の花であることに変わりはありません。まともに文字を読むことすらできなくなっていた私は、赤本すら開くことができないまま、受験本番を迎えました。

残念なことに、受験会場は現地、東京です。家からは遠く、新幹線を使う必要があります。もちろん一泊二日。うつ病患者にとっては、歩いて地球を一周するに等しい長旅。

新幹線の駅や車内は人だらけで、東京自体にも大勢の人がいます。毎日どの時間でも混んでいます。
電車内や駅では、なんと映像の広告が流れている。

田舎者にとって、観光以外で来た初めての東京は驚きだらけでした。
そして、東京は情報の洪水そのものでした。

東京に来て二日目、受験当日。

目が覚めてから、私は内側から突き動かされるような、妙な不快感に襲われました。

常に体を動かしていないと苦しくて、苦しいあまり冷や汗が出たり意識がもうろうとしたり。

やり場のない身体的苦痛が、昼過ぎまで続きました。

今になって分かったことですが、これらの症状は薬やうつ病の症状からくるアカシジアと思われます(後述)。

「とりあえず大学まで行ってみようか」

父に連れられて、私は受験会場で志望校でもある大学の目の前までやってきました。制服を着た高校生たちが次々と校門へ入っていく中、私は苦痛のあまり動けなくなってしまいました。

別室受験の申請は通っているので、大きな会場で受験する必要はありません。うつ病の診断書も大学に提出済みです。何かあれば対応はしてくれるでしょう。

しかし体のそわそわ感のことを考えると、ただでさえうつ病で使い物にならなくなった頭を使って問題を解かなければならないのに、果たして耐えられるのかと不安になりました。それ以前に、苦しすぎていてもたってもいられません。私は一秒でも早くここから引き返して、安全なところで休みたがりました。

「これだけは言っておく。後悔しないでね」

何度も父がそう念を押してきましたが、私はそれどころではありません。何度も頷いて父を説得し、私たちは大学を去りました。

アカシジアが収まったのは、帰宅時、新幹線に乗ったあたりでした。少しずつ脳が落ち着きを取り戻していき、とりあえず苦痛は緩和されました。音楽を聴いて脳を休めようと努めます。

家に帰る前に、近所の蕎麦屋で夕食をとることに。

何を話したのか具体的には覚えていませんが、この先何をどう頑張ればよいのか、そんな人生に対する絶望感や厭世観を親に吐露した覚えがあります。

「自分自身だけは諦めないでね」という父の言葉も、私には『へりくだって私に許可を求めている』ようにしか感じられませんでした。「分かった」という返事を求められているかのような。

美味しいはずの蕎麦も、この日は全く味がしませんでした。

アカシジアは主に抗うつ薬等の副作用で現れるものであり、以下のような苦しい症状が現れます。

体や足のそわそわ感、むずむず感、灼熱感: 内側からこみ上げてくるような不快感があり、じっとしていることが耐え難くなります。
座ったままでいられない: 椅子に座っていてもすぐに立ち上がったり、歩き回ったりしたくなります。
じっとしていられず、脚を小刻みに動かす: 足を貧乏ゆすりのように動かしたり、常に体勢を変えたりすることが多くなります。
姿勢を頻繁に変えたくなる: 同じ姿勢を保つことが苦痛に感じられ、落ち着きなく姿勢を変え続けます。
歩き回りたくなる: 室内を意味もなく歩き回ったり、外を徘徊したりする行動が見られます。
これらの症状は、患者さん自身の強い苦痛を伴い、不眠や精神的な焦燥感、さらには攻撃性や自殺念慮につながる可能性も指摘されています。周囲から見ると「落ち着きがない」「わがまま」と誤解されることもありますが、これは本人の意思とは関係なく生じる不快な症状なのです。

アカシジアとは?症状・原因・対処法を解説

越谷心療内科さくらメンタルクリニック

うつ病で最もつらかったのは、これらの症状だったかもしれません。
特に高校卒業後の5月頃は毎日のように夜にこの症状が強く現れ、眠ることもできず、衝動的に危険行動を起こしてしまうのではと怖くなり、救急車を呼ぶこと、そして生きるのを諦めることも真剣に考えました。

親がそばにいてくれたのが大きな救いです。

かかりつけの精神科医と試行錯誤して薬を調整しましたが、原因となる薬が分からず、そもそも症状を理解してくれているかどうかも怪しかったと思います。それだけ説明が難しいのです。

ですが、この拷問のような症状が毎晩続くとなると居ても立っても居られなくなり、心のどこかでお医者さんに怒りを覚えていました。

お医者さんには症状を緩和させる頓服をもらいましたが、「頓服で症状が悪化するならやめていい。必ず飲まないといけないわけじゃない」とのこと。薬の調整(増量を除く)に関する許可も出していただきました。

そして飲んでいたとある薬をやめたとき、たった一日で、嘘のようにその症状が緩和したのです。

これまで半年近く飲んでいた薬をやめると、幸運なことに、アカシジアからは解放されました。

そのことをお医者さんに話すと、その薬をやめる最終的な許可をいただきました。

※医師の許可なく独自の判断で処方された薬をやめたり増やしたりするのは非常に危険です。必ず医師の指示に従って下さい。

お医者さんと患者の私、そして親とともに、試行錯誤して状況を良い方へ持って行くことができました。このことがなければ、今こうしてこの記事を書いていることは永遠になかったでしょう。

今でも、アカシジアのような症状を思い出したり感じたりするとトラウマのようなものが蘇ります。ですが実際に起こるその症状の頻度と強さは大きく減り、現在はこうして文章を考えることができるまでに回復しています。

当時は毎日、「明日生きているかな」と本気で不安になっていました。

ですが、当時の自分の頑張りのおかげで今の自分がいます。

あの頃の自分、そして、支えてくれたすべての人には、本当に感謝しかありません。


テストを受けにきたのに

先述の通り、定期テストは学校に行って受けに行かなければなりません。

とはいえテスト勉強は一切できず、体すら思うように動かない中でテストを受けに登校するのはかなり体力を使いました。とりあえず母に車で送迎してもらいました。

一人別室で、先生の監督の元で受験しました。

すると、途中で激しい腹痛が。私は試験監督の先生に一言残し、すぐさまトイレに駆け込みました。ストレスが原因だったのかもしれません。その後、テストを受けていた教室へ戻ろうとした際に、私は気を失って倒れてしまいました。

ふと目を開けると、周りにはたくさんの先生たちが。倒れた場所が職員室の近くだったのも幸いしたのかもしれません。すぐさま担架で保健室に運ばれました。

私は結局、残りのテストも受けられないまま帰宅することになりました。

私は卒業するために、授業やテストよりも補充課題に専念することにしました。授業やテストなど、リアルタイムで何かしなければいけないストレスフルな状況を避けようと思ったのです。課題なら期限までに完了したものを撮影して学校に送ればいいし、課題のやり方に制限はありません。「卒業すること」を最優先に、私はオンラインで授業を受けながら、とにかく課題を終わらせることに力を注ぎました。


卒業式、そして浪人生へ

私は担任の先生とよくよく話し合った末、卒業式の日は登校することに決めました。卒業式は体育館の一番後ろで親と見守る形で、その後は私一人で教室へ向かいます。友達と再会したとき、彼女の見せてくれた特大の笑顔が忘れられません。

「友達って、こういう子のことなんだな」ではなく、「この子が私の友達なんだ」とその時思いました。「友達」という言葉の定義は十人十色で、私にとっての友達はこの子のことなんだ、と。

彼女は現役合格して、東京にある大学に進学するとのこと。

東京で待ってるからね

その言葉に、私は浪人中ずっと支えられていました。


浪人生として:生まれた新しい自分

受験勉強は未だ苦痛でした、頭が考えることを拒否していて、文字すらまともに読めないのです。とはいえ勉強するしかありません。私は毎日机に向かっては、どれだけ参考書の問題を解いても自分の頑張りに満足しない日々が続きました。

そんな私に、親が「総合型選抜(旧AO入試)」という選択肢を教えてくれました。総合型選抜で受けられる大学について、早速家族で調べ始めました。そして私の第一志望の大学が更新されたのです。実技と面接で合否が決まる総合型選抜なら、自分の得意なことで勝負できます。受験勉強のままならない私にとって最高の選択肢でした。

私の価値観は変わりました。世間的に言われる「難関大学」を目指す必要などなく、自分の伸ばしたい才能を伸ばせる大学を選ぶべきだと。作家になりたい私は、文芸について教えてくれる芸術系大学を目指して実技の練習を繰り返しました。テーマをその場でランダムに決めて、短編小説を書くことを毎日続けました。両親は特段文章の書き方に詳しいわけではないのですが、添削やテーマの提案などをしてくれました。どんな時も支えてくれる両親には感謝しかありません。

そうした支えもあり、私は無事に総合型選抜を突破し、合格を勝ち取ることができました!「生きてて良かった」、そう思えた瞬間でした。合格発表日は、これまでの自分が無駄ではなかったことを証明できた日でした。

うつの症状が和らいだのもこの時からだったと思います。

卒業式のあの日、「東京で待ってるからね」と言ってくれた友達に、私は合格と感謝を伝えました。

生きてて良かった……。

総合型選抜の合否は11月に発表されました。(画像はAI作成)


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