うつ病の高校生、新しい人生①
空気が読めない、人と話すのが苦手、こだわりが強い、偏食が激しい…。
そんなあなたは、ASD(自閉スペクトラム症)かもしれません。ASDは発達障害の一種で、100人に1人がこのような特性を持ちます。しかし、グレーゾーンと呼ばれる、診断基準に満たないものの、このような特性を持つがゆえに生きづらさを感じている人はさらにたくさんいます。
私は現在、大学一年生です。ASDのグレーゾーンです。
今思えば、物心つく前から、そんな生きづらさを抱えながら「世の中とはこういうものだ」と自分の心を押し殺していた気がします。
「早く友達を作らなきゃ」
「明日は体育の授業があるから、みんなとたくさん話さなきゃ」
「昼休みは友達と話して、仲良くしておかなきゃ」
「目が合ったら声をかけないと」
自分で作り出した暗黙の了解は、一種の処世術だったのかもしれません。
もう「友達」が何なのか分からなくなり、口に出して言うのがはばかられるほど嫌いな言葉になっていました。
懸命に耐えてきた自分の心が破裂してしまった、高校生の頃からのお話をしようと思います。
「友達」って何?
私は第一志望の高校に受かることができました。それでも相変わらず集団生活は苦手。環境が変われば自分も変わるだろうと期待しましたが、まったくそんなことはありませんでした。
「友達とは仲良くしておかなきゃ」
「友達と縁を切るなんて、申し訳ないことだ」
たとえ自分がその子に惹かれなくなったとしても、「この子は友達だ」と自分を洗脳していました。それが本心と激しく衝突し、ますますその友達と会うのが億劫《おっくう》になる…。トイレですれ違うのが怖くて、私は個室にこもって、その友達が出ていくのをじっと待っていました。その友達が、別の友達と楽しそうに話している声を聞きながら……。
友達と話すときに緊張するのはどうしてだろう。緊張するのなら、その子は友達ではないのかな。そんなことに、誰も答えてくれません。家族でも恋人でもなく、かといって赤の他人でもない、私からすれば独特な関係。
「友達」が何なのか、この頃にはもう分からなくなっていました。
部活に一目惚れして高校に入学
それでも、私がどうしてもその高校に入りたかったわけがあります。それは、部活に惹かれたからです。
文芸部。小説を書くのが好きな私にとって、初めて本格的に外部の教えを受けることができる最高の機会でした。一人で自由に没頭でき、好きな世界を描くことができる。あるいは現実逃避することができる。これ以上性に合う趣味があるでしょうか。
高校一年生のとき、県の文芸コンクールで入賞し、賞状と誇りが一つ増えました。
人付き合いが苦手でも、好きなことがこうして実を結ぶのはとても嬉しいことです。人付き合いが苦手=人として駄目、というわけではないのです。
ですが、そのことに気づいても、自分の特性や行動が変わるわけではありません。
人は変われない。大学に行っても、どうせ変われないだろう。清々しいほどに、人生を諦観していました。
勉強がうつ病の原因?
一人で黙々と続ける作業はやはり向いているようです。
「テストでこの問題が解けなかったら悔しい」
「ここを理解できたのなら、こっちも理解しておきたい」
人と比べては、自分の人付き合いの苦手さに絶望する日々。ですが、勉強は自分との闘いです。成績は、目に見える形で上がっていきました。
「学校から家は遠いし、早く勉強しないと」
そういう名目で人付き合いが求められる場を早々に後にし、帰宅。
人付き合いで自分の心にどれだけ負担をかけていたか、当時は知る由もありませんでした。
ですが、それ以外が原因の体の疲れには敏感。体と相談して勉強時間の上限を決め、長期集中が得意なところを生かして、ぶっ続けで机に向かい、テストに臨む。
文系に分かれてからは、苦手な教科を力いっぱい勉強する必要がなくなり、高校三年生になってからは、連続して学年トップに躍り出ました。
「頑張りすぎ」
これが、うつ病となった原因なのでしょうか。
私はそうは思っていません。
「生きづらい」
それが原因だと思います。
行きたくても、行けない
高校三年生になって1か月ほど経った、ある日の朝。
ベッドから起き上がれなくなりました。
まるでベッドに縛り付けられているかのよう。学校に行くことを想像しただけで、さらに体が動かなくなります。
幸い、両親は一切反論せず、学校を休ませてくれました。特に父は、数年前にうつ病を患っていたこともあり、私の状態を敏感に察知してくれたのでしょう。
それから、学校を休む日は増えていきました。
ところが、この頃は高校三年生。春は、来年の受験に向けて本格的に準備を始める時期です。授業を休むわけにはいきません。
そういった焦りから、無理して学校に行く日もありました。
とある授業中に、目まいや耳鳴りがして気を失いそうになりました。誰にも言わず一人で耐えながら、「やはり休んだ方が良かったかもしれない」と内省。
その日は否が応でも自分の体調の悪化を自覚させられました。
しかし翌朝になると、脳内は「行かなきゃ」の大嵐。授業は一つ受けなかっただけでも、ついていくのに苦労します。だからこそ行かなければなりません。それでも体が動かない。
体が悲鳴を上げたのは、その後、5月末頃でした。
高校三年生、模試から帰宅後に新たな体調の異変
高校生で受ける模試は、過酷です。
特に、国公立大学の模試は恐ろしく過酷です。朝から晩まで、椅子に座りっぱなしで頭をフル回転。
模試会場からの帰り道は、星空を見上げながらの帰宅でした。
お風呂に入り、シャワーを持った辺りから、意識が遠のいていきました。実際に倒れたのはもう少し後のようです。気づけば両親の手を借りながら、洗面所で歯を磨いていました。
髪の毛は乾いているし、常備薬も飲んだ――。まったく記憶がありませんが、両親はそう言っていました。
翌月の模試の後も、同じようなことが起こりました。
帰宅後、お風呂から出る途中に意識を失いました。いつ倒れたかは分かりませんが、両親によると、倒れた頃にはソファで髪の毛を乾かしていたそうです。
意識が戻ったとき、なぜかベッドで号泣していました。ティッシュの箱とゴミ箱が置かれていて、自分はティッシュで鼻をかんでいる。
「ん?あれ?…おはよう」
混乱しながら、そんなようなことを言った気がします。涙もそこでぴたりと止まりました。しばらく気分の落ち込みと脳の疲労感が続きましたが、うつとは別の原因であるような気がします。
意外な病気を発見
その数日後、記憶のない私は訳も分からぬまま、訳の分からない症状で、母親に連れられ脳神経外科を受診しました。
母親によると、倒れてから痙攣《けいれん》を起こしていたようです。そして、私が就学前から同じようなことが起きていた、と。
お医者さんによると、どうやら「てんかんですね」とのこと。MRI検査や脳波検査を受け、全般発作のてんかんと断定しました。
何のことかさっぱりでしたが、毎日薬を飲まなければならないようです。
私は帰宅後、てんかんについて調べました。
てんかんとは、突然脳神経が一斉に興奮することで脳がオーバーヒートしたような状態となり、意識を失ったり、痙攣が起きたりする病気です。100人に1人が患っている身近な病気です。
特発性てんかん(原発全般てんかん)
全般てんかん発作を示すもので、神経学的検査で異常が見られず、脳の損傷も、画像診断などで認められないもの。原発性とは脳に損傷がなく、原因不明であることを意味し、一部に遺伝的要素も含みます。一般に経過は良好です。
てんかんについて | 公益社団法人 日本 ...
症状を誘発する原因は人やてんかんの種類によってさまざまですが、私の場合はストレスや寝不足が発作を誘発するそうです。
毎日薬を飲むのは、発作を防ぐためです。基本的に生涯飲み続けることになります。
そして、ASDとてんかん、そしてうつ病は、併発しやすいことを知りました。
「勉強しなきゃ…」の夏休み
長期休暇というのは、自分の体調と向き合うには絶好の機会です。
しかし、私はそうはしませんでした。
高校三年生の夏休みは、その時間を惜しむことなく勉強に使うべきです。塾の先生の「少しずつ勉強時間を増やしていこう」という言葉に追い打ちをかけられ、必死で勉強を続ける日々。
オープンキャンパスにも行きました。
東京の某難関大学を数校巡り、模擬授業を受け、ますます入学への希望と体調への不安が増しました。入学するには相当勉強しなければいけないのに、この体調のまま突き進んでいいのか。
そこで失望するのを恐れた私は、体調はそのうちよくなると思うことにしました。だから勉強は続けるべきだ、と。
受験までのスケジュールもばっちり組んで、スケジュールにおいていかれないように、ときには一日のノルマを超えて勉強を続けました。
両親は無理せず休むよう言いますが、休んでいては志望校に受かることはできないのです。
勉強しなきゃ。それが私の口癖になっていました。
「うつ病の高校生、新しい人生②」へ続く>>>
