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『戦う必要がなかった日本』Vol.4 歴史のif 柴五郎編 第四章:「中華民国を敵にするな!!」

もし英国が認めた柴五郎が総理大臣になっていたら、まったく違う日本が誕生していた。

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第四章 「中華民国を敵にするな!!」

―戦争をしない方が儲かる国を作れー

1938年(昭和十三年)1月。

上海。
朝六時。

黄浦江には、冬の薄い霧がかかっていた。
汽笛。
貨物船。
荷車。
クレーン。

埠頭では、中国人の労働者たちが忙しく荷物を運んでいる。
大阪から届いた工作機械。
神戸から送られてきた発電設備。
横浜から来た医療機器。

反対側では、中国産の綿花。
大豆。
鉱石。
茶。
生糸。
それらが日本行きの貨物船へ積み込まれていた。

日本人の商社員が時計を見ながら叫ぶ。
「天津行きの機械部品、今日中に鉄道へ回してくれ!」

中国人の現場監督が中国語で何か返す。
通訳が叫んだ。
「貨車が足りないと言っています!」
「またか!」

「だから鉄道を増やすんでしょう!」
「それもそうだ!」
二人が笑った。

その光景を、誰も歴史的なものだとは思っていなかった。
ただの仕事だった。
ただの商売だった。

だが。

もし別の歴史を知る者が、この1938年(昭和十三年)の上海を見ていたなら、異様な光景に見えただろう。
上海が燃えていない。
南京も燃えていない。
中国大陸へ、何十万もの日本兵が送り込まれていない。

日本の新聞に「南京攻略」の文字もない。
中国の新聞に「全面抗戦」の文字もない。

あるのは、株価。
鉄道。
工場。
契約。
関税。
輸送量。
投資額。
それだけだった。

戦争が起こらなかった結果として残された、
ごく普通の日常。
その積み重ねが、東アジアを変え始めていた。


東京、首相官邸。

柴五郎は、大量の資料を眺めていた。

七十八歳。

第二次柴内閣発足から半年。
盧溝橋危機は収まった。
しかし柴は安心していなかった。

側近が言う。
「総理」
「何だ?」

「日中貿易が前年比でかなり伸びています」
「そうか」

「日本企業の中国投資も増えています」
「そうか」

「少しくらい喜んでは?」
柴が顔を上げた。
「まだ足りん」

側近が苦笑する。
「どこまでやれば満足するのです?」

柴は机の上へ一枚の紙を置いた。
そこには大きく書かれていた。

日中産業協力五か年構想

「鉄道」
「発電」
「港」
「製鉄」
「機械」
「通信」
「大学」
「病院」

柴は指を折りながら言った。
「全部だ!」

側近が目を丸くした。
「日本が中国を開発するのですか?」

柴の顔が変わる。
「違う」
「違うのですか?」

「その言い方はするな」
柴は言った。

「中国が中国を作る。それを日本が手伝う」

さらに付け加えた。
「英国にも金を出させろ」
「はい」
「アメリカにも」
「はい」
「中国自身にも出させる」

側近が思わずつぶやく。
「日本だけではないのですね」
「当たり前だ」

柴は地図を見る。
日本だけで握れば、また日本が中国を支配しようとしていると言われる」

「では多国間で?」
「そうだ」

柴は続ける。
「中国の鉄道は中国のもの」
「発電所も中国のもの」
「港も中国のもの」
「日本企業は契約によって利益を得る」

側近が言った。
「ずいぶん商売人らしい政策ですね」

柴は即答する。
「軍人が外国へ行けば占領になる」
ひと呼吸置き。
「商人が外国へ行けば取引になる」


この政策には、日本国内から猛烈な反発が起きた。

帝国議会。
野党議員が立つ。
「柴総理!」
「何だ?」

「政府は中国の鉄道建設へ巨額の資金を投入するという」
「そうだ」

「その金は日本国民の金ではありませんか!」
「そうだ」

「なぜ中国人のために使う!!」
議場から「そうだ!」という声が飛ぶ。

柴はゆっくり立ち上がった。
「中国人のためではない」
「では誰のために?」

「日本人のためだ」
議員が眉をひそめる。

柴は続けた。
「中国に鉄道ができる」
「日本の機械が売れる」
「中国の工場が動く」
「所得が増える」
「中国人が日本の商品を買う」
「日本企業が儲かる」
「日本人の給料になる」

野党議員が言う。
「しかし、中国が豊かになれば」

少し間を置く。
「いつか日本を脅かすのでは?」

議場が静かになる。
柴はあっさり答えた。
「なるかもしれん」

ざわめき。
「何っ!?総理!!」

柴は手を上げ発言をさえぎる。
「では聞こう」
「中国を貧しいままにしておけば、日本は安全なのか」

誰も答えない。
「貧しければ軍閥が争う」
「革命が起きる」
「共産主義が伸びる」
「難民が出る」
「外国が入り込む」
「治安が悪くなる」\

柴は、議員席全体をゆっくり見渡した。
「隣の家に火をつけて、自分の家だけ暖かくなると思うな!」

議場が静まった。
「中国が豊かになることを止める?」

柴は首を振る。
「四億人を超える国だ」
「止められるわけがない」

そして
「中国が豊かになる時、日本も一緒に儲ければいい」


その思想が最も試される土地があった。

満州地域一帯。

日本。
中国。
朝鮮半島。
ソビエト連邦。
四つの世界が接する場所。

史実ならば1932年(昭和七年)この土地には「満州国」が作られる。
日本軍の影響下に置かれた国家。

だがこの物語の柴世界線では違った。
1931年(昭和六年)満州事変そのものが阻止された。

ゆえに「満州国」は存在しない。
満州は、中華民国主権の下に残った。
しかし柴は、この土地を単なる中国東北部とも考えていなかった。

1938年(昭和十三年)2月。
首相官邸。

柴は満州の地図を広げていた。
奉天。
大連。
新京になることのなかった長春。
哈爾浜。
黒竜江。
そして北にはソ連。
南東には朝鮮半島。

柴は言った。
「ここは危ない」

側近が尋ねる。
「満州ですか?」

「そうだ」
「資源がある」
「鉄道がある」
「港がある」
「ロシアが欲しがる」
「日本も欲しがる」
「中国は当然、自分の土地だと言う」

柴は地図を指でなぞった。
「誰か一国が強く握れば」
「他の国が怖がる」
「だから兵を置く」
「相手も兵を増やす」
「さらにこちらも増やす」

側近が言った。
「では、どうすれば?」

柴はしばらく考えた。
そして言った。

「満州を、誰かの剣にするな」

「剣?」

「盾にしろ」

「満州を盾にすれば良い」

この言葉は、後に「柴の満州構想」と呼ばれる。

当時、柴が想定していたのは独立国家ではなかった。
中国の主権を認めたまま、満州に大幅な自治を与える。

中華民国中央政府。
満州の地方政府。
日本企業。
英国資本。
アメリカ資本。
さらにロシアとの通商。
複数の利害を意図的に絡ませる。
一国だけが軍事的に独占できない場所にする。

柴は閣僚へ言った。
「満州を取った国は得をする」
「そう思うから奪い合う」
「ならば逆にする」
「取った瞬間に損をする仕組みにしろ」

閣僚は怪訝な表情で
「どうやって?」

柴が答える。
「皆で商売する」
「壊した奴が、皆から嫌われる場所にする」


1938年(昭和十三年)春。

満州自治協議会が設置された。
まだ「満州共和国」ではない。
あくまで中国国民政府の主権下。

しかし、奉天、吉林、黒竜江など東北地域の代表。
商工業者。
農業団体。
少数民族代表。
中華民国中央政府。
各者が参加する自治協議組織だった。

日本政府は一つの原則を明確にした。

満州の政治制度を日本が決めない。

この一文は、非常に重要だった。

日本は出資する。
技術も提供する。
鉄道も作る。
港湾も整備する。

だが、統治しない。

南京。
蒋介石が柴へ言う。
「満州に自治を与えすぎれば、中国から離れていくかもしれない」

柴は答えた。
「縛り付ければ、もっと離れる」

蒋が眉を上げる。
「日本が言いますか」

「だから言えるんです」
柴は苦笑した。
続けて
「我々も、そろそろ学ばなければならん」\

蒋は満州の地図を見る。
「ソ連への緩衝地帯にするつもりですか」\

柴は答えた。
「それだけではない」
「では?」

柴は満州の南東を指した。
朝鮮半島。
「朝鮮もある」

蒋が柴を見る。
当時の朝鮮はまだ日本統治下だった。

柴は言った。
「百年後も朝鮮を日本が直接統治しているとは思わん」

蒋の目が動いた。
柴はそれ以上説明しなかった。

「いつか朝鮮が、自分たちの国として立つ日が来る。その時」
柴は満州を指した。

「ロシアと朝鮮が直接、軍隊を睨み合わせる土地にしてはいかん」

蒋は黙ったまま。

柴は言った。
「満州は」
「中国と朝鮮を守る盾であると同時に、東アジア全体の緩衝地帯になれる」



中国が中央集権国家から、巨大な連邦国家へ変わっていく過程。

満州は、単なる「東北地方」ではなく、独自の議会。
独自の政府。
独自の自治権を持つ構成国となる。

そして誕生する。

満州共和国

中華連邦を構成する一国。

独立国ではない。
外交・通貨・連邦防衛は中華連邦政府と共有する。

しかし
教育。
文化。
地方警察。
産業政策。
地方税制。
土地制度。
広範な内政自治を持つ。

そして満州共和国には、他の構成国にはない重要な役割が与えられる。

極東の緩衝国家。

後に朝鮮半島では、日本統治が段階的に終了する。

そして復活する。

立憲君主国・大韓帝国。

北には、ソビエト連邦。
南東には、大韓帝国。
その間に横たわる、広大な満州共和国。
この地理は、東アジアの軍事構造を大きく変える。

ソ連軍と大韓帝国軍が、長大な国境線で直接対峙しない。
中華連邦も、満州を前線基地として大量の軍を集中させない。

満州共和国では、外国軍基地を原則として認めず、中華連邦軍の大規模常駐にも一定の制限を設ける。

国境防衛は、大軍ではなく
国境警備隊。
航空監視。
早期警戒網。
国際監視制度。
そして外交。

「軍隊を集めないこと自体を、防衛にする」
という思想だった。

ソ連と大韓帝国。
中国とロシア。
日本と大陸。
そのどちらにも完全に偏らない。

満州共和国は中華連邦の一員でありながら、東アジア最大の緩衝地帯となっていく。

そして後世、満州共和国の学校では子供たちにこう教えられる。

かつて満州は、日本と中国が戦争を始める場所になるはずだった。
だが今は、戦争を始めさせないための場所である。

だが、1938年(昭和十三年)。
柴は言った。
そこまで未来を知る者はいない。
柴五郎にも分からない。

ただ一つ。

柴には確信があった。
満州を日本が取らなければ、中国は日本を敵とする理由を一つ失う。
中国が満州を過度に軍事化しなければ、
ソ連も警戒する理由を一つ失う。

そして将来、朝鮮が自立した時。
満州が安定していれば、朝鮮半島の北に巨大な戦場を作らずに済む。

柴は側近へ言った。
「地図を見る時」
「はい」

「国境線ばかり見るな」
「では何を?」

柴は答えた。
「その線の向こうに、誰が怖がっているかを見ろ」


一方、中国国内では別の変化が起きていた。

中国共産党。

日本との全面戦争は起こらなかった。
これは、中国共産党にとって想像以上に大きな打撃だった。

日本という巨大な外敵がいない。
「抗日民族戦線」を旗印に勢力を拡大できない。
南京政府は上海を失わない。
南京を失わない。
工業地帯を失わない。
税収を失わない。
数百万の兵力を対日戦へ消耗しない。

中国共産党は依然として存在した。
貧困。
地主制度。
格差。
腐敗。
彼らが訴える社会問題も消えてはいない。

しかし、史実で得るはずだった巨大な政治的追い風がなかった。

中華民国の首都、南京。

側近が蒋介石へ言った。
「今なら共産軍を潰せます」

蒋は報告書から顔を上げた。
「完全に?」

側近は口ごもる。
「……完全には」

「山へ逃げるか?」
「はい」

「農村へ潜ることも?」
「はい」

「五年後十年後にまた出てくる」
蒋は窓の外を見る。

戦争で破壊されなかった南京。
「日本と戦わなくて済んだと思ったら」

蒋は呟く。
「今度は中国人同士か」


数週間後、蒋介石から柴へ極秘の照会。

中国共産党問題について、日本政府はいかなる立場を取るか。

柴はそれを読んでから言った。
「中国国内の問題だろ」

外務大臣が頷く。
「不干渉と回答を?」

「そうだ」

少し考えて
「ただし、個人的な意見なら伝えろ」
「何と伝えましょう?」

柴は言った。
「山に追い込むくらいなら、議会へ座らせろ」

外相が目を丸くした。
「共産党を?」

「武器を捨てるならな」
「それはあまりにも危険では?」

「銃を持たせておく方が危険だ」
柴は続けた。
「共産党に票があるなら選挙で取らせればいい」
「国民が選ばなければ負ける」
「間違っていると思うなら」
「戦場ではなく、議会で相手を負かせ」

1938年(昭和十三年)春。

南京政府。
地方軍閥。
共産党代表。
秘密協議が始まった。

簡単ではなかった。
長年同族同士で殺し合ってきた。

南京側は武装解除を求める。
共産党は政治活動の自由を求める。

何度も決裂した。
だが、日本との全面戦争がない。

南京政府には時間がある。
財政もある。
そして中国国内の若者から声が上がり始めた。

「日本と戦わずに済んだのに、なぜ中国人同士で戦うのか」

これは、国民政府にも、共産党にも、痛い言葉だった。


柴は中国内戦へ直接介入しなかった。

ただ一つ。
「中国に武器を売るな」\

陸軍関係者が反発した。
「南京政府向けもですか」

「そうだ」
「友好国ですが?」

「だから何だ」
柴は相手を見る。

「日本企業が中国の内戦で儲け始めたら終わりだ」
「しかし・・・」

「一度、戦争で儲かる仕組みを作れば」
柴は続けて言う。
「次から戦争を止めたくない人間が出てくる」

そして北。
ソビエト連邦。
モスクワは日本と中国の急接近を警戒していた。

日本と中国が戦わない。
南京政府は弱体化しない。
満州には日本の傀儡国家が存在しない。

その代わりに、中国主権下で自治制度が拡大され、日本・中国・英国・アメリカの資本が入っている。

満州を戦場ではなく緩衝地帯へ変えようとする動き。
それはソ連にとっても、
無視できない変化だった。
極東国境で兵力が増強され始める。


1938年(昭和十三年)夏、首相官邸。

「ソ連軍が満州北東部国境付近で部隊を増強」

陸軍大臣が言った。
「総理。満州へ我が軍を派遣すべきです」

柴が聞く。
「何のため?」
「日本企業の権益保護です」

柴は聞いた。
「満州は誰の国だ?」

陸相が止まる。
「中国、です」

「なら、中国の国境は中国が守る」
「しかし中国軍だけでは...」
「必要なら装備を売れ」

「軍事顧問の派遣はいかがいたしますか?」
「要請があれば少人数なら検討する」

「部隊派遣は?」
「認めん」

陸相が食い下がる。
「ソ連が侵攻した場合は?」

柴は地図を指で叩いた。
「中国政府が援助を求めてからだ」

「先に兵を入れておけば...」

柴の声が低くなる。
「中国を守るという名目で、中国へ日本軍を入れるのか?」

...沈黙。

「それでは満州国を作らなかった意味がない」

この判断は南京へ伝えられた。
蒋介石は確認した。

「日本軍は来ない?」
「はい」

「日本企業の権益があるのに?」
「柴総理が拒否したとのことです」

「ふむ、理由は?」
「中国の国境は中国が守るべきだ、と」

蒋は長く黙っていた。
やがて、一言だけ。
「そうか」

数日後。
南京政府から東京へ正式な援助要請。
通信機器。
車両。
医療物資。
航空偵察技術。
鉄道輸送支援。
英国・アメリカを含めた外交圧力。

柴は承認した。
ただし、日本陸軍の大規模派兵だけは認めなかった。

柴は言った。
「隣国が自分の足で立てるようにする」
「それが本当の安全保障だ」


1938年(昭和十三年)秋。

国境危機は全面戦争にならなかった。

ソ連も、中国との大規模戦争に加えて、日本・英国・アメリカとの外交摩擦を同時に抱えることを避けた。

国境交渉へ。

そして中国国内で、日本への見方がほんの少し変わった。
日本軍が入ってこなかった。
これは、どんな声明より大きかった。

11月、南京。

柴五郎と蒋介石は再び会談した。
今回は戦争を止めるためではない。

日中通商産業協定
を結ぶためだった。

日本。
中国。
英国。
アメリカ。
四か国の銀行団が参加。

中国国内の鉄道。
電力。
港湾。
通信。
工業都市。
教育。
巨大な開発計画。

ただし一つの原則が置かれた。

中国国内の施設及び土地の主権は中国に帰属する。

日本企業が投資しても日本領にはならない。
鉄道を作っても沿線を日本軍が支配しない。
鉱山へ投資しても租借地にはしない。

そして、満州についてはさらに一歩踏み込んだ。

満州自治制度の拡大。

これが後の、中華連邦構成国――

満州共和国

へつながる最初の制度的な第一歩となった。


調印式の後の晩餐会、人々が席を立ち始める。

蒋介石が柴へ声をかけた。
「柴総理」
「何でしょう」
「少し、こちらへ」

別室。
通訳だけが残る。

蒋は言った。
「今日の協定、中国にとって悪くない」

柴が笑う。
「日本にも悪くない」

蒋も少し笑った。
そして聞いた。
「一つ、いいですか?」
「どうぞ」

「なぜ、あなたは中国を取らないのです?」
「前にも言ったでしょう」

「商売した方が得だから?」
「それもある」
「他には?」

柴は考えた。
「中国は中国人の国だからです」

蒋の表情が変わる。
「...なるほど」
「外国人が勝手に所有して良い国などない」

「満州も?」
「中国だ」

「華北も?」
「中国だ」

「上海も?」
「もちろん」

蒋は静かに頷いた。
そして。
「では、朝鮮は?」
柴の表情が止まった。
「台湾は?」
部屋が静かになった。

柴は答えられなかった。

朝鮮。
台湾。
どちらも大日本帝国の統治下。

蒋が静かに言う。
「中国は中国人の国」
「私はその言葉に同意します」
「では」
「朝鮮は誰の国ですか?」

沈黙。

「台湾は誰の国ですか?」

柴は窓の外を眺めたまま。

そして、ゆっくり振り返った。

「その問いから逃げるつもりはない」


帰国の船の上。

船を満月が照らしている。

柴の机には地図があった。
日本。
朝鮮。
台湾。
満州。
中国。
ソ連。

柴は満州を見た。
その南東に朝鮮。

そして思った。
もし朝鮮がいつか独立するなら。

その北に、日本軍とロシア軍が直接向き合う土地を作ってはいけない。
もし中国もまた、満州を中央から強く縛り続ければ、

いつか再び民族と国境の争いが起こる。

満州そのものを

東アジアの緩衝地帯

へ変えればいい。

その考えは、まだ構想にすぎなかった。

しかし数十年後。
中国は巨大な連邦国家となる。

そして、その中心にあり続けた都市。

南京。

この世界では日中全面戦争は起こらず、南京が戦火によって政府機能を失うこともなかった。

中華民国政府が台湾へ移ることもない。
中国共産党政権も誕生しない。
したがって、北京が新国家の首都となる歴史も生まれなかった。

南京はそのまま中華民国の首都として発展を続け、のちに中華連邦が成立した後も、連邦政府の置かれる中心都市となった。

北京も北方最大級の都市として、歴史・文化・学術・外交の重要拠点であり続ける。

だが、この世界の中国政治の中心は。

南京だった。

そして、それまで中国全体を統治してきた中華民国は、連邦化に伴って漢民族主体地域を担う中核構成国としてその名を残す。

中華民国。
満州共和国。
内モンゴル共和国。
東トルキスタン共和国。
チベット王国。
それぞれが高度な自治を持ち、一つの中華連邦を形作っていく。

そして満州共和国は、中華連邦の北東の盾となる。
北にはソビエト連邦。南東には、再独立を果たした大韓帝国。

満州共和国が間に存在することで、ソ連と大韓帝国が直接巨大な軍隊を向かい合わせることはない。

満州は戦争が始まる場所から
戦争が始まらないための場所
へ変わったのである。


南京での日中通商産業協定の調印式が無事終わり、東京へ戻った柴。


すぐさま動く。

朝鮮総督府と台湾総督府の責任者を呼んだ。
「一つ聞く」
二人が姿勢を正す。

柴は言った。
「十年後も、総督府は必要か」
「総理?」

「二十年後は?」
沈黙。

「五十年後は?」
誰も答えない。

柴は台湾側を見る。
「台湾人はいつまで日本人に統治されれば」
「自分たちで政治ができるようになるんだ」

...沈黙。

柴は低い声で言った。
「もし答えが『永遠に』なら」
「我々は中国へ言ったことと、まるで違うことをしている」

数週間後。
首相官邸内に極秘の委員会が設置された。

帝国統治制度調査委員会。

朝鮮の自治。
台湾の自治。
地方議会。
参政権。
教育。
言語。
官僚登用。
総督府権限。

そして資料の最後。
将来的国家自立の可能性。

閣僚が言った。
「総理」
「ここまでやれば、大日本帝国そのものが変わってしまいます」

柴は答えた。
「変わってはいかんのか?」

「帝国、ですぞ」
「知っている」

「領土が減るかもしれません」
柴は笑った。

「日本と友好的な独立国が二つある」
「日本に反抗する事実上の植民地が二つある」
「どちらが日本にとって得だ?」

誰も答えない。
柴は窓の外を見る。
「取ることばかり考えてきた」
「そろそろ、手放しても離れない国を作ることを考えた方がいい」


1939年(昭和十四年)。

東アジアは、我々が知る史実とはまったく違う方向へ進んでいた。

日本と中国は戦争をしていない。
中華民国国民政府は崩壊していない。
中国共産党は抗日戦争という巨大な追い風を得ていない。
満州国は存在しない。

その代わり、中国主権下で自治を拡大し
やがて満州共和国となる地域が育ち始める。

後の中華連邦は
中華民国。
満州共和国。
内モンゴル共和国。
東トルキスタン共和国。
チベット王国。

複数の国が一つの連邦を作る巨大国家へ変わっていく。

その中でも満州共和国には、特別な使命があった。
ソ連と大韓帝国。
大陸と海洋。
中国と日本。

それらの間に立つ
東アジアの緩衝地帯。

かつて戦争の火種になるはずだった満州が、戦争を遠ざける土地になる。
そして日本国内では、さらに難しい議論が始まる。

朝鮮とは何か。
台湾とは何か。
大日本帝国とは何か。

柴五郎が止めたのは、満州事変だった。
次に、日中戦争を止めた。

しかし戦争を止めれば止めるほど、日本は自分自身へ同じ問いを向けなければならなくなる。
他国の主権を尊重するなら、自分たちはどうなのか。

中国を所有してはいけないなら、朝鮮は、台湾は。
柴五郎が人生の最後に向き合う相手は、外国の軍隊ではなかった。
日本軍でもない。

それは、自分自身が仕えてきた
「帝国」という仕組みそのものだった。

第四章・終



次章――「朝鮮と台湾を縛るな!!」

1939年(昭和十四年)。
首相官邸。

一人の朝鮮人政治家が、柴五郎の前へ座る。

柴が聞く。
「朝鮮は、日本から何を望む」

男は答える。
「日本人になりたいのではありません」
柴は黙る。
「日本と戦いたいのでもありません」
そして。
「朝鮮人として、日本の隣に立ちたいのです」

一方、台湾からも自治を求める代表団が東京へ向かっていた。

だが日本国内には猛烈な反発が起こる。
「帝国を解体するつもりか」
「朝鮮を独立させればソ連が入る」
「台湾を手放せば中国が取る」

その時、柴は満州の地図を広げる。
「だから満州を緩衝地帯にする」
「朝鮮とロシアを直接向き合わせるな」
「日本が朝鮮を手放した瞬間、そこへ別の大国が入るようでは意味がない」

そして言う。

「独立させるだけでは足りん」
「独立しても安全な東アジアを作るんだ」

大日本帝国は、領土を広げる帝国から、国々をつなぐ帝国へ変われるのか。

満州共和国。
大韓帝国。
台湾共和国。
そして中華連邦。

後の2026年に並び立つ国々の原型が、この時代から少しずつ生まれ始める。
次に柴が撃たせないものは、銃ではない。
独立を求める人々の声だった。

次章:第五章Vol.5 第一部 柴五郎編 完結へ続く。


柴五郎とは何者なのか?

柴五郎がどんな人物でどんな人生を実際に歩んだのか?
史実を元に柴五郎紹介記事を書いてみました。
実際の歴史で柴五郎は、何をしてどんな経験をしたのか?
こちらも併せて読んでみて下さい。

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