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『戦う必要がなかった日本』Vol.0「柴五郎って誰?」――世界に名を知られた会津の軍人、その史実の生涯

「柴五郎って何をした人?」

織田信長でもない。
坂本龍馬でもない。
西郷隆盛でもない。

歴史が好きな人でなければ、柴五郎という名前を聞いたことがなくても不思議ではありません。
けれど、この人の実際の人生を知ると
「なぜ、この人物を歴史IFの主人公に選んだのか」
が少し分かってもらえると思います。

会津戦争で家族を失った少年。
敗者となった会津から、陸軍軍人へ。

長く中国に駐在し、中国を自分の目で見た男。
そして1900年(明治三十三年)。
世界各国の人々が閉じ込められた北京で、籠城戦を指揮して名を知られることになります。

最終的には陸軍大将にまで昇進しました。

今回は歴史IFではありません。
ここに書くのは、あくまで史実の柴五郎です。

では、この少し知られざる明治の軍人の人生を見てみましょう。


1.「柴五郎って誰?」――敗れた会津から陸軍大将になった男

柴五郎は1860年(万延元年)、会津藩士の家に生まれました。
父は会津藩士。
兄の柴四朗は、のちに「東海散士」の名で知られることになる人物です。

五郎自身は、青森県庁の給仕を経て陸軍士官学校へ進み、1879年(明治十二年)に砲兵少尉として軍人の道を歩み始めました。

その後、日清戦争、義和団事件、日露戦争などを経験。
1919年(大正八年)には陸軍大将となり、台湾軍司令官、軍事参議官などを務めています。

経歴だけを見ると
「明治日本を代表するエリート軍人の一人」
に見えるかもしれません。

でも柴五郎の人生は、最初からエリート街道だったわけではありません。
むしろその出発点は、明治維新の“敗者側”でした。


2.会津戦争――少年・柴五郎が失ったもの

1868年(慶応3年)戊辰戦争。

会津藩は新政府軍と戦い、敗れます。
柴五郎はまだ8歳の少年でした。
しかし、この戦争によって彼はあまりにも大きなものを失います。

会津落城の際、祖母、母、姉妹が自刃しました。

柴自身が後年残した記録には、この少年時代の出来事と、その後の会津人たちの苦しい生活が記されています。
中央公論新社から刊行されている『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』は、その回想をもとに編まれたものです。

会津藩降伏後、旧藩士たちは現在の青森県下北地方を中心とする斗南藩へ移されました。
そこで待っていたのは、豊かな新天地ではありませんでした。
寒さ。
飢え。
物資不足。
かつて武士だった人々が、生きていくことそのものに苦労する生活でした。

柴五郎という人物を考えるとき、私はこの少年時代を抜きには考えられないと思っています。
彼は、戦争を地図の上の出来事として知った人ではありません。

戦争によって故郷が焼かれ、家族を失い、敗者となった側の生活まで経験した人でした。
ただし、ここで注意したいことがあります。
だからといって、「柴五郎は生涯一貫した反戦主義者だった」と単純化するのは違います。

彼はその後、実際に陸軍軍人となり、日清戦争や日露戦争にも参加しています。
柴五郎は「戦わない軍人」だったわけではない。
だからこそ、その人生は面白いのです。


3.中国を知る軍人になった

柴五郎の経歴で、私が特に重要だと思っている部分があります。
それが、中国との長い関わりです。

柴は1884年(明治十七年)に陸軍中尉へ進級したのち、1888年(明治二十一年)まで清国に駐在し、現地で調査活動などに従事しました。

そして1900年(明治三十三年)には、清国公使館付武官として再び北京にいました。
つまり柴は、中国を遠く東京から眺めていた軍人ではありません。

まだ若い時代から現地へ行き、実際に中国を歩き、中国社会を自分の目で見ていた軍人でした。

これは、のちに私が歴史IF物語の主人公として柴五郎を選んだ理由の一つでもあります。

もちろん、「中国滞在経験があったから、必ず日中戦争に反対したはずだ」などとは言えません。

そこから先は歴史IFです。

ただ、長期間、中国と接した経験を持つ陸軍高官だった。
これは史実です。

そして、その経験が最も劇的な形で表れるのが1900年でした。


4.1900年(明治三十三年)・北京籠城――柴五郎の名が世界に知られた瞬間

1900年(明治三十三年)中国で義和団事件が起こります。

北京では各国の公使館が集まる区域が攻撃・包囲され、外国の外交官や民間人、軍人、そして中国人キリスト教徒などが籠城する事態となりました。公使館区域の包囲は約55日間続きました。

その北京にいた日本の公使館付武官が、柴五郎でした。
当時、陸軍中佐。
柴は北京籠城戦の防衛に加わり、指揮官の一人として活動します。

国立国会図書館の人物紹介にも、

義和団事件で北京籠城戦を指揮し、功績を称えられた

と記されています。
ここが柴五郎という人物の最大の見せ場です。

北京にいたのは日本人だけではありません。
英国、米国、ロシアをはじめ、さまざまな国の外交官や軍人、民間人が同じ危機の中にいました。

つまり柴は、日本軍だけを相手に仕事をしていたわけではない。

言葉も文化も軍隊の習慣も違う人々が混在する状況で、長期の籠城戦を経験したわけです。
柴の働きは国外でも評価されました。

中央公論新社による『ある明治人の記録』の紹介でも、義和団事件における柴の「沈着な行動」が世界から称賛されたことが紹介されています。

この北京籠城をきっかけに、柴五郎という名前は、日本国内だけではない評価を得ることになりました。

ただし時々、「柴五郎一人が日英同盟を作った」というような語られ方も見かけます。
そこまで言ってしまうのは、この連載では避けたいと思います。

日英同盟成立には、ロシアの南下、英国の外交戦略、日本政府の判断など、はるかに大きな国際政治の流れがあります。
柴五郎は、その時代の日英関係を語るうえで興味深い存在ではある。

しかし、何でも柴五郎一人の功績にしてしまわない。
この線は、歴史IFを書くからこそ大切にしたいと思っています。


5.「賊軍」の少年は、陸軍大将になった

北京籠城で柴五郎の人生が終わったわけではありません。

1904年(明治三十七年)には日露戦争へ出征。
その後も軍歴を重ね

1919年(大正八年)、陸軍大将。
台湾軍司令官。

1921年(大正十年)、軍事参議官。
そして1930年(昭和五年)に退役しました。

ここまで来ると、改めて不思議な人生です。
1868年(明治元年)。
新政府と戦った会津藩の少年。
家族を失い、故郷を失い、斗南で飢えを経験した少年が、約半世紀後には、その明治国家の陸軍大将になっている。

これは歴史IFではありません。
本当にそういう人生を歩んだ人物です。

さらに柴五郎の人生は、幕末から第二次世界大戦の終結まで続きました。
1945年(昭和二十年)。
日本が敗戦。

柴は自決を図ったものの一命を取り留め、その後、同年12月13日に85歳で亡くなりました。
考えてみれば凄まじい人生です。

少年時代には、戊辰戦争で敗れた日本の国内戦争。
壮年期には、日清・日露戦争、義和団事件。
そして晩年には、第二次世界大戦で敗れた日本。

柴五郎という一人の人生の中に、幕末から帝国日本の終焉までが、ほとんど丸ごと入っています。


6.そして、ここから歴史IFが始まる

ここまでが、史実の柴五郎です。

会津出身。
戊辰戦争で家族を失った。
斗南で苦しい生活を経験した。
陸軍士官学校へ進んだ。
長く中国に関わった。
北京籠城戦を指揮して功績を認められた。
日清・日露戦争を経験した。
そして陸軍大将にまで昇進した。

ここから先は、史実ではありません。

私が書いている

『戦う必要がなかった日本』

という歴史IFの世界です。

史実の日本はその後
1931年(昭和六年)、満州事変。
1937年(昭和十二年)、日中戦争。
1941年(昭和十六年)、太平洋戦争。
そして1945年(昭和二十年)、敗戦へ向かいました。

柴五郎自身は1930年(昭和五年)に退役しており、その後の日本を政治の中心から動かした人物ではありません。

でも、ここで一つだけ

「もしも」

を置いてみます。

もし、会津戦争で戦争の悲惨さを知り、中国を実際に歩き、北京で外国人たちとともに籠城戦を経験し、陸軍の頂点まで上り詰めた柴五郎が。

もう少しだけ日本の進路を決められる立場にいたら。

日本は、同じ道を歩んだのでしょうか?

それとも。

別の道があったのでしょうか?

もちろん、その答えは誰にも分かりません。
歴史に「もしも」はありません。

だからこそ、歴史IFには「もしも」があります。


1921年(大正十年)東京。
一通の書状が、柴五郎のもとへ届く。

ここから先は、史実ではありません。
けれど、主人公だけは本当にいた人物です。

会津の少年だった男。
北京籠城で名を上げた軍人。
陸軍大将・柴五郎。

もし彼が、日本が引き返せなくなるよりも前に、国家の進路を変えられる場所に立っていたら――。


次回

『戦う必要がなかった日本』Vol.1

第一章 日英同盟を切るな!!

ここから、もう一つの日本の歴史が始まります。


※本記事Vol.0は、柴五郎の実際の経歴を紹介する「史実編」です。
Vol.1以降の『戦う必要がなかった日本』は、史実上の人物・事件を題材にした歴史IF物語・フィクションです。
史実と創作の境界が分かるよう、今後の物語でも可能な限り明確にしていきます。

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