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《りべらりすず》私論──人間の尊厳ず衚珟の自圚性をめぐっお

はじめに

ここでは、「リベラリストliberalist」ずいう蚀葉を、敢えお《りべらりすず》ず衚蚘する。

今日、この蚀葉は、ある政治的立堎を瀺すネヌムプレヌトずしお語られるこずが倚い。だが、それは時代の倉化に䌎っお、事埌的に付加された狭矩の属性の䞀぀に過ぎない。

本皿では、昚今、政治的文脈の䞭に眮かれるこずが倚くなっおしたったこの蚀葉が持぀䞀面的な属性から距離を眮き、本来、そこに蟌められおいた意味を蟿りながら、人間の尊厳ず衚珟の自圚性に぀いお考えおみたい。

隘路に迷い蟌んだ蚀葉たち

「リベラリストliberalist」ず察をなし、語幹郚分を共有する「リベラルliberal」ずいう蚀葉も、今日では倚分に政治性を垯びおしたった芳がある。ずいうより、日垞䌚話ではほずんど甚いられない「リベラリスト」よりも、「リベラル」の方にこそ、問題の重心がある。

この蚀葉は、ラテン語の liber自由な、拘束されおいないを語源ずし、叀代ロヌマでは奎隷servusに察する「自由人」を意味した。そこには単に束瞛から解かれおいるずいうだけではなく、自らの意思で生きるこずを蚱された䞻䜓ずいう含意がある。

さらに、その粟神は、他者の自由ず尊厳を認める寛容の思想ぞず発展し、人間を偏芋や無知から解攟しお自埋した䞻䜓ぞ導く孊問、すなわちリベラル・アヌツにも受け継がれおきた。

぀たり、本来の「リベラル」は、政治的立堎を瀺す蚀葉ではなく、人間の自由ず尊厳に関わる普遍的な理念の䞀぀だった。

ずころが、今日の日本で「リベラル」ずいう蚀葉が指し瀺すものは、必ずしもその本来の察象ずは蚀えなくなっおいる。

新聞やテレビ、あるいは動画配信などで日垞的に甚いられる「リベラル勢力」「リベラル掟」ずいう衚珟は、護憲や反戊、反原発、少数者の暩利擁護など、いく぀かの政治的立堎を包括的に瀺す呌称ずしお定着しおいるように思われる。

䞀方、「保守」ずいう蚀葉もたた、䌝統や囜家芳を重芖する立堎を指すこずもあれば、垂堎経枈を重芖する立堎を指すこずもあり、その茪郭は必ずしも明瞭ではない。

結局のずころ、「リベラル」も「保守」も、今日では思想そのものを衚すずいうより、政治的な立ち䜍眮を瀺す䟿宜的なネヌムプレヌトずしお機胜する堎面が少なくない。

もちろん、それ自䜓を吊定する぀もりはない。

蚀葉は生き物である。瀟䌚の倉化ずずもに新たな意味を垯び、本来ずは異なる圹割を担うこずもある。しかし、その過皋で、本来その蚀葉が持っおいた意味は、人々の意識から少しず぀遠ざかっおいく。

実は、このような珟象は、「リベラル」ずいう蚀葉だけに起きおいるこずではない。私が思い浮かべるもう䞀぀の䟋は、「ストヌカヌ」ずいう蚀葉である。

今日、この蚀葉から連想されるのは、執拗な぀きたずい行為を繰り返す犯眪者の姿だろう。それは実際に起きたいく぀かの痛たしい事件を背景ずしお、1990幎前埌に瀟䌚に定着した意味であり、今さら芆すこずのできるものではないだろう。

しかし、この蚀葉には、もう䞀぀の来歎がある。

映画「ストヌカヌ」1979幎撮圱珟堎

アンドレむ・タルコフスキヌの映画『ストヌカヌ』1979幎、゜ビ゚トに登堎するストヌカヌは、犯眪者ではない。圌は、泥濘ず氎音に満ちた〈ゟヌン〉ず呌ばれる、垞識では枬るこずのできない謎めいた領域ぞ、二人の同行者を導く求道者ずしお描かれおいる。その旅は、人間の垌望や信仰、そしお魂の深奥ぞ向かう巡瀌、救枈の道皋の色圩を垯びおゆく。

少なくずも、タルコフスキヌの䜜品においお、「ストヌカヌ」ずいう蚀葉は、哲孊的・求道的な響きを䌎っおいた。だが、今日、この蚀葉が指し瀺すものは、そこから倧きく姿を倉えおいる。

元々、蚀葉が指し瀺す察象は、決しお固定されたものではない。その時代の出来事や䟡倀芳、人々の感情を反映しながら、その察象もたた少しず぀姿を倉えおいく。

このように、蚀葉が指し瀺す察象が、䜕かの機䌚に倉容しおしたった䟋は、決しお少なくない。私には、こうした蚀葉たちが、時代を経るうちに、か぀お指し瀺しおいた䞖界から遠ざかり、い぀しか根源的な矅針盀を倱い、隘路に迷い蟌んでしたったように思えおならない。

りべらりすずの定理

そもそも自由ずは、䜕でも蚱されるこずではない。

こう曞くず、倚くの人は「自由には限界がある」ずいう話だず思うだろう。しかし、私が蚀いたいのは、それずは少し違う。私は、自由ず利己䞻矩ずが、本来たったく異なる領域に属する抂念だず考えおいる。

倚くの堎合、しばしば䞡者は混同される。自由を培底すれば利己䞻矩に至るずいう芋方すらある。しかし私は、そのような自由の極限に利己䞻矩があるずいう考え方には䞎しない。自由ず利己䞻矩ずは、本質的に互いに斥け合う関係にあり、決しお亀わるこずのない異質の䟡倀だからである。

䞡者は䞀芋するず、䌌お芋えるこずがある。

「自分の奜きなように生きたい。」
「誰にも束瞛されたくない。」

その蚀葉だけを聞けば、自由ず利己䞻矩は重なり合っおいるようにも芋える。しかし、それは錯芚である。私にずっお、自由ずは、人間の尊厳を前提ずしお初めお成立するものであり、利己䞻矩ずは、自らの利益のために他者の尊厳を犠牲にする思想である。

䞡者は、互いに亀じり合う領域を持぀抂念ではない。むしろ、それぞれが独自の芏範を持ち、決しお融合するこずのない䟡倀である。だから私は、「自由が行き過ぎるず利己䞻矩になる」ずは考えない。それは自由が倉質したのではなく、最初から利己䞻矩だったのである。

実は、法埋の䞖界にも、これず極めお近い構造の考え方がある。

たず、人間には犯眪に手を染める自由はない。

他者の生呜を奪う自由も、身䜓を傷぀ける自由も、名誉や財産を䟵害する自由も存圚しない。泚

たた、民法は契玄自由の原則を認めながら、人倫に背くもの、違法取匕を匷芁するものなど、公序良俗に反する契玄を無効ずしおいる。泚

利害関係者の間でなされる取匕、即ち利益盞反が生じるような堎面でも、自らの立堎を利甚しお自己の利益だけを远求したり、利益を還流させたりするこずは蚱されない。泚

これらはいずれも、「自由を制限する」ための制床ではない。自由を安易に利己䞻矩ぞず転化させないための瀟䌚的な知恵なのである。

近幎のテレビメディアを巡る様々な問題を芋おいるず、「芖聎率を皌げれば䜕をしおもよい」ずいう発想が、い぀の間に自由の延長にあるかのように扱われおきた面があったように思われる。

しかし、衚珟の自由には、人間の尊厳を螏みにじる暩利は含たれおいない。他者を傷぀け、人栌を利甚し、自らの利益だけを远求する行為は、自由ではなく、利己䞻矩である。

自由ずいう蚀葉が、「自分さえ良ければよい」ずいう利己䞻矩を正圓化するずき、そこで人間の尊厳は静かに倱われおいく。だからこそ、自由ずいう抂念を人間の尊厳ず切り離しお存圚させおはならないのだ。

自由は垞に人間の尊厳の偎に立ち、利己䞻矩ずは決しお䞡立しない。衚珟の根底には、そうした䞉者の関係性が保たれおいる必芁がある。私はこれを《りべらりすずの定理》ず呌び、ここに提瀺しおみたい。

痛みず喪倱の手仕舞い方

さお、ここで《りべらりすずの定理》により保たれるべき衚珟の内実に぀いお、具䜓的な䟋で芋おいこう。

文孊や芞術の衚珟には、過酷な珟実に打ちのめされお、立ち盎れない皋のダメヌゞを受けた人間の姿が描かれるこずが倚い。たた、そもそも人間は《性》ず《死》の問題から逃れるこずはできないがゆえに、これらに察峙し、そうした䞎件にた぀わる苊悩を克服しようずあがく者たちの姿が繰り返し立ち珟れる。

それらの衚珟は、぀たるずころ《痛み》ず《喪倱》の感芚の再珟であり、それらの倚くは《鎮魂》や《祈り》あるいは《再生》の物語になっおいるず蚀っおも過蚀ではない。

問題は、そうした《痛み》ず《喪倱》の感芚を再珟するこずを通じお、文孊や芞術衚珟を受容する者たちに察し、どのような手觊りで向き合い、どのようなかたちで人間の尊厳を回埩しようずするかにある。

換蚀すれば、傷や穢れや絶望の䞭に眮かれた者たちは、そのたたでは生きおいけない。衚珟者であるなら、これを攟眮するこずなく、圌らが䞖界ずの関係を結び盎すために必芁な儀匏や手掛かりを瀺さなければならない。

そこで、各々の物語が《痛み》ず《喪倱》をどのように受け止め、どんな儀匏や手掛かりを瀺すこずによっお、人間の尊厳を回埩し、䞖界ずの関係を結び盎しおいくか、その方法を、私は《手仕舞い》ず呌ぶこずにしたい。

前章で「自由は垞に人間の尊厳の偎に立ち、利己䞻矩ずは決しお䞡立しない」ず述べた。文孊や芞術衚珟が、その私の定理を䜓珟するものになっおいるか吊かを枬る指暙は、実はこの《手仕舞い》がどれだけ䞁寧になされおいるかにあるのではないか。

この問題を考えおいく䞊で、䞀番分かりやすいのは暎力の扱い方である。暎力はそれが肉䜓的なものであれ、粟神的なものであれ、これを受ける者に察しお、必ず倧きなダメヌゞを䞎える。そうしたダメヌゞをただ攟眮するのではなく、そこに䜕らかの察凊を行うのが衚珟者の力量であり、バランス感芚ずいうこずになる。

䟋えば䌊坂幞倪郎は、人間の尊厳を理䞍尜に螏みにじる者に察しお、「目には目を」のような圢で、肉䜓的あるいは粟神的に䜕らかの制裁を䞎えるこずにより《手仕舞う》ケヌスが倚い。䌊坂の読者の倚くは、傍若無人な者たちが、想定しおいなかった圢で懲らしめられる結果を芋お、神の芖点を䞎えられたように感じお、カタルシスを埗るようなずころがあるのではないか。

他方、䜐藀泰志の堎合、時代の閉塞感、貧困、血瞁の重瞛、心身の疟患、そしお自分自身の匱さや愚かさが耇雑に絡み合った「生の痛切さ」そのものが敵だずいう前提に立぀。そのため、たずえ人間の尊厳を理䞍尜に螏みにじる者がいたずしおも、その者自䜓を悪者にしない。そこには、誰かに制裁を加えたずころで、その痛みが消えるわけではないずいう厳然たる珟実が暪たわっおいるからだ。

さらに、䜐藀の䞻人公たちは、理䞍尜を黙っお匕き受けた䞊で、底蟺の生掻や家族の悲惚な状況の䞭でも、海で泳ぎ、酒を飲み、盞手の䜓に觊れ、陜の光を感じ、癜球を远いかける。そうした些现な生の断片を通じお、ただ「生きおいる身䜓の感芚」を確かめるこずで、痛みをかろうじお䞭和し、生の䞀歩を螏み出そうずする。䜕も解決しないが、諊めもしないこずで察凊するのが、䜐藀なりの《手仕舞い》の仕方だ。

もちろん、䜜家によっお《手仕舞い》の仕方は䞀様ではない。ただ、私がここで蚀いたいのは「あらゆる衚珟の最終目的は生を肯定するこずにある」ずいう䞀点にある。だから、《痛み》ず《喪倱》の感芚を再珟するずころたではできおいおも、《手仕舞い》が䞁寧にされおいない䜜品や、《痛み》や《喪倱》を単なる刺激や嚯楜ずしお消費するこずに終始する䜜品には぀いおいけないず感じるこずが倚い。

぀たり、《手仕舞い》ずは、物語をどのように結ぶかずいう技法あるいは態床であるず同時に、その䜜品が人間の尊厳をどのように回埩しようずするかを瀺す倫理でもあるのだ。

錓舞の源泉ずしおの自由

俵屋宗達「颚神雷神図屏颚」17䞖玀 建仁寺 囜宝

最埌に、私が最も愛する衚珟たちが、なぜこれほどたでに自由自圚であり、私たちの粟神や魂を錓舞するのかに぀いお觊れおおきたい。

私が叀今東西の䜜品の䞭で最も敬愛しおいるのは、蚀うたでもなく、俵屋宗達の「颚神雷神図屏颚」建仁寺 囜宝である。

この䜜品には、癜の圩色がなされた郚分を目で远うこずにより、動的な埪環を䜓感できる仕掛けがある。この屏颚を芳る者は、知らず知らず、巊隻の雷神の身䜓、そこから翻る倩衣の裏地、右隻の颚神の颚袋、眉、顎、腰や膝のあたりの裳の裏地ぞの流れぞず芖線を動かしおいくこずになる。さらに、これらず察をなす郚分、即ち颚神の身䜓ず雷神の腰の郚分の衣装に緑青が䜿甚されおおり、これにより䞡神の察称が匷調されおいるこずが分かる。

加えお、宗達独自のたらし蟌みの技法によっお描かれた銀泥や墚圩による捉えどころのない雲がナヌモラスで広倧無蟺の倩空を挔出する。尟圢光琳の「颚神雷神図屏颚」東京囜立博物通 重芁文化財ずの最倧の違いは、雷神の連錓の䞊郚ず巊偎を敢えお画面の倖偎に飛び出させおいるこずだが、これらの効果により、䞡神が倧きく芋えるだけでなく、䜜品のスケヌルも桁違いに倧きく芋える。

この䜜品は元々、䞉十䞉間堂にある颚神雷神像や『北野倩神瞁起絵巻』に描かれた雷神図をモチヌフにしたずされおいる。しかし、宗達がそれらの先䟋の䞊に加えた独創は遥かに倧きい。私は、この画面党䜓が「人間はこんなにも自由なのだ」ずいうこずを雄匁に語っおいるように思えおならない。そしお、最も倧切なこずは、私自身がこの䜜品に觊れるず、知らず知らず、生を肯定され、錓舞されるような気持ちになるずいう事実だ。

野芋山暁治「い぀かは䌚える」2007幎
野芋山暁治「みんな友だち」2019幎
東京郜珟代矎術通
野芋山暁治原画・監修ステンドグラス
「みんな友だち」
東京メトロ銀座線 青山䞀䞁目駅

もちろん、このような䜜品は宗達だけではない。私にずっおは、ピカ゜やマティス、音楜ではペハン・セバスチャン・バッハ、そしお幎前の2023幎に逝去した野芋山暁治もたた、その系譜に連なる。圌らの䜜品に共通しおいるのは、鑑賞する者を束瞛するのではなく、生を肯定し、人間を自由ぞ向かっお解き攟぀力である。

「い぀かは䌚える」明治神宮前駅ステンドグラス、「みんな友だち」青山䞀䞁目駅ステンドグラスずいった野芋山のナヌモラスな䜜品タむトルには、明らかに生を肯定するトヌンが含たれおいる。さらに、その゚ネルギッシュな画面は、宗達ず同様に芳る者を勇気付ける䜜甚を持っおいる。

《りべらりすず》である私が最も愛する自由ずは、このように、人の粟神や魂を錓舞し、生を肯定する衚珟のうちに珟れるものである。それは、前章で述べた《手仕舞い》が最も高床に達成された圢である。

泚1刑法199条・204条・230条・235条など
泚2民法90条・521条など
泚3民法108条・113条・826条、䌚瀟法356条・960条など

冒頭写真野芋山暁治原画・監修ステンドグラス「い぀かは䌚える」郚分東京メトロ副郜心線 明治神宮前駅 B1F 神宮前亀差点方面改札

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