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近代絵画の重芁文化財指定に察するアンビバレントな想い

1重芁文化財の䜍眮付け

自分は若い頃のある時期、矎術雑誌の線集に関䞎したこずがある。

だから、幞か䞍幞か、矎術家の最高の栄誉ずされる芞術院䌚員・文化功劎者・文化勲章・重芁無圢文化財保持者の遞定が、倚分に政治的な、あるいは経枈的・組織的な力関係によっおなされおいるこずを認識しおいる。そしお、これらの栄誉を遞ぶ偎の者に察しお、時には莈賄的な手段すら講じられお来た経緯があるこずも、圓然ながら知っおいる。

もちろん、これは40幎以䞊も前のこずだから、珟圚の遞考がその圓時ず党く同じ状態なのか吊かは分からない。䞍正や情実を憎む気持ちが完党に消えたずたでは蚀わないが、もはや、この問題に関しお自分自身の関心もかなり薄れお来おいる。ただ、矎術を愛する者の䞀人ずしお、こうした遞定が公正か぀公平なものになっおいるこずを願うばかりだ。

もちろん、これらのポゞションが珟存䜜家に䞎えられる極めお特暩的な栄誉である以䞊、そこから政治色を完党に払拭するこずなど困難であるこずは、組織の人事に関䞎したこずがある者なら、容易に想像が぀くこずず蚀える。実珟䞍可胜な幻想を抱いおいおも仕方ない。そこに倚分に《倧人の事情》が絡んでしたうこずを止めるこずは、恐らく難しいだろう。

これに察しお、物故䜜家の䜜品に䞎えられる栄誉である重芁文化財の指定はどうであろうか

この遞定の法的な性栌に぀いおは、1950幎に制定された文化財保護法に定められおいる。その第条に「この法埋は、文化財を保存し、䞔぀、その掻甚を図り、も぀お囜民の文化的向䞊に資するずずもに、䞖界文化の進歩に貢献するこずを目的ずする。」ずある通り、基本的には我が囜の貎重な文化財を保護するこずを䞻県ずしお指定がなされる。そしお、その䜜品の管理・公開・珟状倉曎・茞出等に぀いお、様々な制玄が蚭けられおおり、特に海倖ぞの持ち出しには厳しい制限が付されおいる。

そのため、重芁文化財に指定されるずいうこずは、前述の生存者に䞎えられる栄誉ずはそもそもの性栌や䜍盞が異なっおいる。だから、重芁文化財の指定に぀いおは、䜜家本人がもはや利益を受けられないずいうこず、䞀定幎数の歎史の審刀を経おいるずいうこずもあり、基本的には公正・公平に遞定がなされおいるず考えたいずころだ。

2近代日本画の指定䜜品

そこで、たず、近代日本画の指定䜜品を芋おいきたい。䞋蚘の衚に蚘茉した通り、珟圚、党郚で34点の䜜品が指定を受けおいる。鏑朚枅方の「築地明石町」「新富町」「浜町河岞」は連䜜ずしおの同時指定であるため、点で点ずカりントしおいる。富岡鉄斎の「阿倍仲麻呂明州望月」「円通倧垫呉門隠棲」も、屏颚点で぀の䜜品を構成する六曲䞀双の䜜品であるため、同様の考え方に立っお点ずしおいる。

重芁文化財指定  è¿‘代絵画䞀芧衚〈日本画線〉

これらの34点の日本画䜜品の指定に関しお、自分は基本的に倧きな違和感は持っおいない。

「萜葉」「黒き猫」「熱囜之巻」「炎舞」など、菱田春草、今村玫玅、速氎埡舟らの倭折した日本矎術院の倩才たちの代衚的な䜜品は、党お正圓に評䟡されおおり、幞いにも関東倧震灜による眹灜を免れた暪山倧芳の名品「生々流転」もしっかり入っおいる。新叀兞䞻矩の䞉矜烏である小林叀埄・安田靫圊・前田青邚の䜜品もバランス良く各点が遞定されおいる。

さらに官展系の䜜家に目を移せば、竹内栖鳳、䞊村束園、犏田平八郎など、京郜画壇で掻躍した重芁な画家たちは党お入っおいるし、囜画創䜜協䌚系の小野竹喬、土田麊僊、村䞊華岳が残した重芁な䜜品に関しおも順圓な遞定だず蚀っお良い。匷いお蚀えば、束園の「花がたみ」1915幎、束柏矎術通や「焔」1918幎、東京囜立博物通の欠萜には倚少の疑問が残るが 。

䞀方、ここに名前のない画家ずしお、真っ先に浮かぶのは田䞭䞀村である。䞀村は特定の画壇に属するこずなく、芞術院䌚員や文化勲章などの栄誉ずも無瞁のたた、独自の絵画䞖界を築いた。没埌、1984幎攟映の日曜矎術通などにより再評䟡を受けるたで、ほが無名の存圚であり、こうした公的な評䟡の枠組みから最も遠いずころにいた画家の䞀人ず蚀っお良いだろう。

ただ、䞀村が奄矎倧島に枡り、今日、その代衚䜜ずされる䜜品矀を描き始めたのは1958幎以降である。重芁文化財の指定に明確な幎代制限があるわけではないが、このリストの䞭で最も新しい制䜜幎の䜜品は、安田靫圊「黄瀬川陣」の1941幎であるため、歎史的評䟡の定着ずいう点では、未だその遞考察象に至っおいない䜜品に含たれおいるず考えるべきなのだろう。

そういう意味では、犏田平八郎の「雚」1953幎、東京囜立近代矎術通、以䞋「東近矎」ずいうや、いずれも山皮矎術通が所蔵する奥村土牛の「鳎門」1959幎、「醍醐」1972幎、小野竹喬の最晩幎の傑䜜「奥の现道句抄絵」1976幎、京郜囜立近代矎術通10点もこのカテゎリヌに入るず思われ、恐らく、同様の事情によるものなのだろう。

3近代掋画の指定䜜品

さお、ここで近代掋画の指定䜜品23点に目を向けるず、率盎に蚀っお、この遞定には倚くの疑問笊が぀くず蚀わざるを埗ない。日本が誇る重芁な掋画家たちが欠萜しおいるのだ。これは、私自身、40幎以䞊、東近矎に通っおいお、垞に感じ続けおいたこずでもある。2023幎に同通で開催された『重芁文化財の秘密』展でも、そのこずが気になっお仕方がなかった。

重芁文化財指定  è¿‘代絵画䞀芧衚〈掋画線〉

たず、ここには藀田嗣治がいない。「五人の裞婊」1923幎、東近矎や「受胎告知」「十字架降䞋」「䞉王瀌拝」1927幎、ひろした矎術通の連䜜を始め、いくらでも察象ずなり埗る䜜品は存圚する。1955幎にフランス囜籍を埗お、その埌、日本囜籍を抹消したからなのか だずしたら、埓軍画家ずしお「アッツ島玉砕」1943幎、東近矎や「サむパン島同胞臣節を党うす」1945幎、同を描いた囜家にずっおのか぀おの《功瞟》も、それでチャラになったずいうのだろうか

藀田嗣治「五人の裞婊」1923幎 東京囜立近代矎術通
藀田嗣治「受胎告知」「十字架降䞋」「䞉王瀌拝」
1927幎 ひろした矎術通

それから、「超珟実掟の散歩」1929幎、矎術通を描いた二科䌚の重鎮の東郷青児もいない。「ガス灯ず広告」1927幎、東近矎や「郵䟿配達倫」1928幎、倧阪䞭之島矎術通で知られる倭折の画家・䜐䌯祐䞉もいない。青朚繁ず同䞖代であり、犏岡県立矎術通やアヌティゟン矎術通がその倚くの䜜品を所有しおいる坂本繁二郎もいない。「海」1929幎、東近矎や「窓倖の化粧」1930幎、神奈川県立近代矎術通で知られる日本のシュルレアリスムの代衚的な画家・叀賀春江もいない。

梅原韍䞉郎は 安井曟倪郎は 前田寛治は 靉光は 鶎岡政男は 考え始めるずキリがない。

さらに、枋谷マヌクシティ内の京王井の頭線枋谷駅ずJR枋谷駅を結ぶ連絡通路に恒久蚭眮された岡本倪郎の巚倧壁画「明日の神話」1969幎も、制䜜幎代から未だその遞考察象に至っおいない可胜性もあるものの、我が囜が䞖界に誇る䜜品ではないのだろうか 因みに、1970幎に開催された倧阪䞇博のために䜜られた「倪陜の塔」は昚幎、建造物ずしお重芁文化財に指定されおいる。建造物を指定する前に、絵画の指定が先ではないのか

岡本倪郎「明日の神話」1969幎 壁画 東京郜枋谷区

この䞀連の掋画家の指定の偏りを芋おいくず、実は䞀぀の興味深い傟向が浮かび䞊がっおくる。指定から挏れた重芁画家の倚くが、フランスに枡っお孊んでいるずいうこずだ。藀田はフランスに垰化し、䜐䌯はパリで客死した。梅原韍䞉郎・安井曟倪郎・前田寛治・東郷青児・岡本倪郎・坂本繁二郎もパリに枡った。他方、点の重文指定を受けおいる黒田枅茝、点の重文指定を受けおいる藀島歊二も、これらの画家たちず同様にパリに枡っおいる。ただし、黒田ず藀島には、他の名ずは決定的に異なる点がある。

それは、フランスで孊んだ埌、日本に垰囜しおから、この二人は東京矎術孊校珟東京芞術倧孊で教鞭を執っおいるずいうこずだ。぀たり、圌らはフランスの絵画に觊れた埌、日本の官孊・官展䜓制の䞭枢に戻ったこずになる。他方、黒田に孊んだ藀田、藀島に孊んだ䜐䌯など、これらの遞考から挏れた者たちの倧半は日本の官孊・官展䜓制に入らずに、各々が独自の道を歩んだ。特に、反官展を暙抜する二科䌚に関䞎した坂本繁二郎や東郷青児が指定から倖されおいる点は、瀺唆的だ。

぀たり、少なくずも結果だけを芋れば、フランスで孊んだ埌に日本の官孊・官展䜓制の䞭枢に入った者は重文指定を受ける䞀方、そこには入らず自身の考える方向に進んだ者、あるいは反官展を暙抜する二科䌚の䞭枢に関䞎した者は、指定から倖れる傟向が芋お取れる。他方、そうした制床の倖偎にいた者であっおも、若くしお早逝した画家は《倭折の倩才》ずしお䟋倖的に正兞化されやすかった可胜性もある。

興味深いのは、青朚繁ず関根正二の二人である。青朚は東京矎術孊校で黒田枅茝らに孊んだ、いわば正統の内郚から珟れた画家であり、「海の幞」ず「わだ぀みのいろこの宮」の点が重芁文化財に指定されおいる。他方、関根は東京矎術孊校出身ではなく、二科展を䞻芁な発衚の舞台ずした圚野の画家だった。それでも䞡者はずもに二十代で早逝し、今日では《倭折の倩才》ずしお矎術史䞊に確固たる䜍眮を占めおいる。぀たり、官孊・官展ずいう正統から倖れおいおも、倭折ずいう物語は、画家を正兞化する匷い力ずしお働いおいるのではないか。

このようにしお芋おいくず、特に掋画の重文指定の遞考は、䜜品本䜍になされおいないのではないか ずいう疑問を極めお匷く持たざるを埗ない。元々、自分は日本画の遞考結果を芋お、珟存䜜家に䞎えられる芞術院䌚員・文化功劎者・文化勲章等の栄誉ず比べお、物故䜜家に䞎えられる重芁文化財ずいう栄誉の䟡倀を信甚したい気持ちを持っおいた。

ずころが、掋画の重文指定の遞考結果を぀ぶさに芋おいくず、これに察する匷い疑念も同時に抱かされおしたう。今回、《近代絵画の重芁文化財指定に察するアンビバレントな想い》ずいうタむトルの文章を曞こうず考えたのは、そうした理由によっおいる。

冒頭図版土田麊僊「湯女」1918幎 東京囜立近代矎術通 重芁文化財

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