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【福岡】田向山砲台跡(後編)| 戦争遺跡 | 福岡県北九州市 | 2005年アーカイブ


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明治28年(1895年)に設けられた探照灯台座跡。
中央の四角い窪みが探照灯を据え付ける部分。夜間、海峡に侵入する敵艦艇を照射し、砲台の射撃を援助するための施設だったが、説明板によると、実戦で使用されることはなかったという。

探照する海は写真右手。現在は埋め立てが進んだうえ、木も生い茂っており、海を臨むことはできなかった。


中央台座部分。
本来は探照灯を下部へ格納するための電灯井となっているが、現在は完全に埋まっている。


通路側から見た探照灯台座跡。


こちら友ヶ島の電灯井。
田向山砲台では電灯井が埋まっているが、本来はこのような感じになっていたのだろう。下部に掩蔽部につながる出入口が見える。


円形の壁には主な目標となる地名が刻まれている。
右から「古城山」、「興次兵ヱ燈台」、「火ノ山」、「鳴瀬燈台」、「田ノ首村」。


通路部の狭い部分。


探照灯から伸びる通路。
当時はもう少し深くなって半地下っぽくなっていたのかもしれない。


公園の最高部付近に残る砲台跡。

砲座は6か所あり、1砲座に24cm臼砲2門、計12門が配備された。第1~第4砲座はほぼ直線状に並び、第5・第6砲座は内側へ折れるように配置されていた。

写真中央右の奥まった部分が砲座跡。その横には第1号から第5号までの砲側庫が残る。


第5号砲側庫。
公園整備の際に周囲がかなり埋められたようで、現在は入口上部だけが地表に顔を出している。


第1号砲側庫付近から関門橋方面を臨む。宮本武蔵が小次郎と戦った巌流島も見える。


何番か忘れたが、砲座跡。


遊具が置かれた砲座跡。


海側に近い第2砲側庫。こちらはほとんど埋まっていない。
どの砲側庫も全て入口はブロックで埋められている。


2番砲側庫と3番砲側庫の間の第三砲座跡。
ステージっぽく整備されてしまっている。


3番と4番砲側庫の間の第四砲座跡。
説明板と砲台跡の碑が建てられている。


第4号砲側庫。
入口上部には「明治二十年九月起工 明治二十一年九月竣工」と刻まれた扁額がはめ込まれている。

白く塗られてしまい、何やら別の意味で痛々しい。


4番と5番の間には、狭くておっかない横墻に登るための石段が残っている。

フェンスで登れないようになっているが、世の中の人が皆、自分と同じくらい高所恐怖症なら、こんなフェンスが無くても誰も登らない。


手が加えられていない砲座跡。せっかく戦争遺跡のある公園として整備するのであれば、ここの木は少々邪魔、一つくらい往時の雰囲気を残してくれてもいいのだが。


砲座跡に残るブロックの遺構。


砲側庫の上部分も広場として整備されている。
写真は宮本武蔵の碑。養子であった伊織が建立したもの。


砲側庫上部の排気蓋。
多くは周囲の地面に埋もれかけているが、第1号砲側庫に近いものは地表にしっかり姿を見せていた。


<おわり>

↓ 同じく、下関要塞の砲台跡

↓戦争遺跡の記事を集めたマガジン


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