【福岡】 古城山砲台・堡塁跡 | 戦争遺跡 | 福岡県北九州市 | 2005年アーカイブ
戦捜録さんを参考に、福岡帰省時の戦争遺跡めぐり第二弾。
今回訪れたのは、関門海峡を防衛するため明治時代に築かれた下関要塞の一角、古城山砲台・堡塁跡。
古城山砲台は明治21年(1888年)に起工、明治23年(1890年)に竣工した海岸砲台で、周防灘方面から関門海峡へ侵入する敵艦を迎撃する役割を担っていた。
その後、砲台を陸上から攻撃する敵兵への備えとして、山頂付近に古城山堡塁も築かれた。
現在は一帯が和布刈公園として整備され、門司城跡と戦争遺跡が同居する少々不思議な場所になっている。
砲台本体の遺構はほとんど失われているが、堡塁の掩蔽部や塹壕、山頂の観測所跡などが残っている。
ただし、観光地としては門司城跡や関門海峡の展望が前面に出ており、戦争遺跡について詳しく説明する案内板などは見当たらない。知らずに歩けば、そのまま通り過ぎてしまいそうな遺構である。
明治時代に置かれた関門海峡を守る下関要塞の一角で、門司城跡に設けられたの砲台。現在では和布刈公園の一角となっていて国民宿舎もすぐ近く。
砲台跡というより、景観地・城跡として整備されているため、砲台に関する説明板等がないのが残念。
ちなみに「砲台」と「堡塁」は役割が異なり、古城山砲台が海上の敵艦を攻撃するための施設だったのに対し、古城山堡塁は、上陸して接近してくる敵兵から砲台を守るための陸戦用施設となっている。
国民宿舎の駐車場に車を停めて門司城方面へ。本丸跡へはらせん状の道を登っていく。写真は途中にある門司城の説明板。

古城山無線中継所の前に残る堡塁跡。
現存する主な遺構二つのうちの一つ。

掩蔽部入口。
高さは1m50弱?くらいだったような気がする。

扁額が据え付けられていた跡。

掩蔽部内部。堡塁がこんもりとした山に入口をつけたような形なので、中も広そうな感じがしたが奥行きもあまりなく狭い。
入口入ってすぐの前室で3mないくらい。仕切りをくぐった奥の部屋は1m少々くらいか。

掩蔽部の一番奥から入口方面を向いて撮影。

中の仕切り辺りから入口方面を向いて撮影。
野良犬がついてまわるので困った。

入口の横下方にある通気口らしきものの内部側。凹んだ所に通気口らしきものがある。

掩蔽部正面の貯水施設。

掩蔽部パノラマ写真。
写真左は古城山無線中継所。
階段は当時からのものと思われ、登っていくと頂上の遺構にたどり着く。

堡塁背面。
盛土を取り囲むように塹壕と石積みの胸墻が巡らされている。真ん中のこんもりとした所が堡塁背後側。山に奥行きがある割には倉庫は短い。

堡塁側面。硬そうな岩盤が見え、倉庫にうってつけの感じがした。

無線中継所脇を通ってもいけるが、普通に整備された道を通っていけば山頂にたどり着く。
奥の碑は門司城碑。

関門橋付近を見下ろすことができる。写真に写っていないが、左側を見れば門司レトロも見ることができる。

山頂に残る左翼観測所跡。

上に登ってみる。
円形のコンクリート構造が現在もよく残っている。

頂上部分から降りる階段。その脇にも外部から出入りすると思われる小さな階段が見られる。

円形のコンクリート構造と内部へ降りる曲線の階段が残る。
写真奥が遺構中心部。

下部から撮影。

階段をそのまま下ると無線中継所脇を抜けて倉庫跡にたどり着く。


コンクリート部分。
縁にスリットが確認できる。また、何かしら固定するために用いたような切れ込みも見られる。

登ってきた反対側から駐車場に戻る。
所々に城の遺構と思われる石垣がある。

墓石か標石みたいなのが転がっていた。何と書いてあるか読もうと思い、起こそうとしたが重くて駄目だった。

石階段。
脇には排水溝が見られる。

下から撮影。明治期にしては石階段が少し荒いような気もするので、こちらも門司城の石段を再利用したものか。

国民宿舎(現在は閉館・解体済)前の公園に建てられた砲台跡の碑。
植え込みの中にぽつんと背中を向けて建っている。


<おわり>
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