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【福岡】田向山砲台跡(前編)| 戦争遺跡 | 福岡県北九州市 | 2005年アーカイブ


戦捜録さんを参考に、福岡帰省時の戦争遺跡めぐり第三弾。
今回訪れたのは、北九州市小倉北区の手向山公園に残る田向山砲台(手向山砲台)跡。

田向山砲台は、関門海峡を防衛する下関要塞の一角として明治20年(1887年)に着工、明治22年(1889年)に竣工した。24cm臼砲12門を6つの砲座に配置した砲台で、現在は一帯が手向山公園として整備されている。

国道3号から入ってすぐという立地で、山城のような戦争遺跡にしては散策しやすい。もっとも、公園化に伴って砲座の多くが埋め戻されており、往時の姿がそのまま残っているわけではない。

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駐車場前に残るレンガ造りの建造物。案内図では「火薬倉庫」となっているが、実際には探照灯に電力を供給していた電灯機関舎跡。


フェンスで中に入ることができないので、外側のあちこちから撮影。写真は井戸跡、看板らしきものには「生水はのまない様に」とある。
現在はフェンスで飲みたくても飲めない。


建物内部。
奥に煙突が見えるが、発電機などを据え付けていたと思われる機器基礎は見当たらない。


横の丘から撮影。
この時期のレンガ建造物のデフォルトともいうべきか、屋根は抜け落ちて消失している。手前側にも別の棟があったように見える。


建物奥の煙突。


背後から撮影。


反対側の丘から撮影した、横部分。
こちらは後づけのプレハブが残る。戦後、何かしら再利用していた時の名残かと思われる。


少し奥に入ったところに残る左翼観測所跡。
砲台から離れた位置に設けられ、ここで敵艦までの距離や方向を測定し、その情報を砲台へ伝えていた。


上に上がる階段脇にはブロックで固められた入口と窓らしき跡が残る。今、この中がどうなっているかと考えると、いてもたってもいられなくなるのが廃墟スピリッツだ。


こちらは和歌山県の友ヶ島に残る、観測所下部の掩蔽部。
この角度からみるとほぼ同じ造りとなっている。

友ヶ島

階段を登ったところには円形のコンクリート掩体が残る。

本来は三本の石柱が三角形に配置され、その上に測遠機を据えていた。現在は一本だけが残り、残り二本は根元付近で折れている。


掩体内部をのぞき込んで撮影。

現在は失われているが、当時は測遠機や観測員を防護する鋼製掩蓋が設けられていた。縁には鋼製掩蓋を据え付けるための放射状のスリットが残る。

写真を撮る時によけたが、なぜかエロ本が散在していた

友ヶ島の観測所。
こちらは石柱が三本とも健在な上、鉄製の装甲覆も残っている。

友ヶ島

掩体内側の側面横の棚。
スリットと、お釜を伏せたような型が見られる。


戦捜録さんでは「指示所跡」とされている遺構。
下部にはスロープらしきものも見られる。




コンクリの切れ目部分。何か扉のようなものでもついていたようにみえなくもない。

上部分を反対側から撮影。中央窪み奥に登った階段がある。段差が大きい階段側に比べて、こちら側は地表の高さと同じ。


さらに公園内を散策、あちらこちらに当時の遺構らしきものが見られる。排水溝。


移動中。山中あちこちに通路がめぐる。掘り下げた通路と、脇には土塁。すこぶる城っぽい。


探照灯台座跡近くに残るコンクリート建造物。


同じく探照灯台座跡近くに残る遺構。


山肌に残る伝声管らしきもの。
当時の施設と思われるが、残念ながら中はゴミだらけ。


幕末、長州藩と小倉・熊本藩の両軍が激しい戦いを行った弾正山を臨む…と思ったがちゃんと見えなかった。


次回、探照灯台座跡、砲側庫跡など

<つづく>


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