メモ 日本陸軍の下級将校の供給過剰と所得低下
軍隊で指揮官や幕僚の職務を遂行する人材を得るためには、知識を付与するだけでなく、実際の経験を通じて学ばれる技能や行動を学習させなければなりません。軍隊は民間企業とは異なり、中途採用で即戦力を得ることができないので、安定した人材供給を確保しなければなりません。
日本の軍事行政史においては、1868年の明治元年から1904年の日露戦争にまで継続して一定量の人員を採用し続けており、1894年の日清戦争から1912年までの時期を見ると毎年800名程度の人員を将校生徒として採用しました(広田『陸軍将校の教育社会史』307頁)。ただ、1910年代に日本陸軍の内部で士官の過剰供給が起きており、進級が滞るだけでなく、働き盛りの40代半ばで待命辞令を受け、そのまま予備役に編入されるという事例も生じていました(同上、308頁)。
しかし、軍隊に留まれた軍人の生活も楽ではありませんでした。大正時代の中期から昭和前期にかけて物価が上昇してくると、士官の俸給も実質的に減少していきます。1918年と1919年に2度にわたって臨時手当が支給され、1920年の俸給見直しで少尉の俸給は480円から850円に、中尉は552円~684円から1020円~1200円に、大尉は900円~1260円から1600円~2100円に引き上げられており、少佐以降もそれぞれ引き上げられていますが、中尉で辛うじて中流の生活を維持できる程度でした(同上、314頁)。
1931年、若槻礼次郎内閣は財政上の理由から、官吏減俸令を発して文武官の俸給を削減するという人事上重要な決定を下しており、もともと所得が少なかった少尉と中尉二等級の俸給は維持されましたが、中尉の一等級以上の俸給区分に関しては1割の削減が行われました(同上、314頁;伊藤隆「官吏減俸問題」946頁)。そのため、特に影響が大きかったのは中堅の大尉(1470円~1900円)や少佐(2330円)であり、当時の日本で上流以上の生活をするなら、少なくとも中佐(3220円)以上に進級する必要がありましたが、そこまで進級できるのは一部でした(広田『陸軍将校の教育社会史』314頁)。
このように、大正から昭和にかけて、日本陸軍における下級将校のキャリアは、人員の余剰による進級の停滞、物価変動・財政政策に伴う所得の低下という課題を抱えていました。この時期の軍事行政史では、下級将校の規律の悪化が大きな問題となりますが、その原因を探索する際には、彼らのとった行動を調べるだけでなく、彼らが生活の拠り所としていた収入がどのような状態にあったのかを知っておくことが必要だと思います。
参考文献
広田照幸『陸軍将校の教育社会史 立身出世と天皇制』世織書房、1997年(ちくま学芸文庫として2021年に再版)
伊藤隆「官吏減俸問題」国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第3巻、吉川弘文館、1983年
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