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「あの人、仕事できるよね」で思考停止していませんか


いきなりですが
実は私は、人から評価されること自体が、あまり得意ではありません。

良い評価をもらっても、悪い評価をもらっても、どこかで「勝手にわかった気になられている」という感覚が拭えないのです。

妻にその話をしたら、「そんなに評価してもらってるんだから、素直に受け取りなよ」と言われました。

もっともな意見だと思います。
かなり捻くれている意見だと思います。

ただ、評価の言葉を素直に受け取ることと、評価というプロセスそのものへの違和感は、私の中では別の話でした。

この感覚の正体を考えているうちに、ひとつの言葉に行き着きました。

「あの人、仕事できるよね」

働いていると、しょっちゅう耳にする言葉です。先輩スタッフが新人を評して、他店のマネージャーが誰かを推薦して、面談の場で誰かの人事評価をするときに、ごく自然に出てくるフレーズです。言われた本人も、悪い気はしません。褒められているのは間違いないからです。

でも私は、この言葉がずっと苦手でした。おそらく、私が評価されること自体に感じてきた違和感の正体は、この言葉に一番よく表れています。

理由を突き詰めていくと、ひとつの違和感にたどり着きます。
「仕事ができる」という一言で片付けられてしまう能力の中身が、あまりにもバラバラだということです。

試しに、自分の周りで「仕事ができる」と言われている人を思い浮かべて、その中身を分解してみてください。おそらく、こんな要素が混在しているはずです。

- コミュニケーション能力が高い
- 社内調整力が高い
- 社外調整力が高い
- 専門知識がすごい
- 気配りがすごい
- 処理能力が高い

ざっと挙げただけでも、これだけ出てきます。しかもこの6つ、比べようがないくらいジャンルが違います。対人スキルもあれば、政治力・交渉力もある。知識量の話もあれば、スピードと正確性の話もある。

これを全部まとめて「仕事ができる」の一語で表現するのは、和食もイタリアンもフレンチも全部「美味しい」で片付けるようなものです。乱暴すぎませんか。

さらに厄介なのは、この言葉が「褒め言葉」という体裁を取っているせいで、誰も中身を疑わないということです。「具体的にどこが?」と聞き返すと、なぜか野暮な人間扱いされる。便利すぎる言葉ほど、思考停止を招きやすいのだと思います。

薬局という現場でも、この解像度の低さは色々な場面で悪さをしています。そして私が評価される側として感じてきた「勝手にわかった気になられる」違和感も、結局はこの解像度の低さと同じ根っこにあるのだと思います。

ここから先は、実際に私が薬局のマネジメントの中で見てきた「仕事ができる、の中身のズレ」が引き起こす具体的な問題と、それにどう向き合ってきたかについて、もう少し踏み込んで書いていきます。

薬局の現場で、こんな場面がありました。

あるスタッフに「〇〇さん、本当に仕事できるよね」と伝えたことがあります。

本人は「ありがとうございます」と返してくれましたが、表情はどこか曖昧でした。褒められて悪い気はしていないけれど、何が評価されたのか掴みきれていない。そんな反応でした。

これは、褒め方の解像度が低かったからだと、今なら思います。

「仕事ができる」という言葉は、褒める側にとってはとても便利です。何も考えずに使えて、相手を否定するリスクもない。でも、その便利さは受け取る側の解像度とトレードオフになっています。抽象的な言葉は、抽象的なままでしか受け取れません。

同じ場面で、もし私がこう伝えていたらどうだったでしょうか。

「〇〇さんが患者さんへの説明の前に、薬歴をよく見返してから声をかけているの、気づいてました。おかげでクレームが去年より明らかに減ってますよね」

これなら、何が評価されているのかが具体的にわかります。しかも、6つの能力(コミュニケーション・社内調整力・社外調整力・専門知識・気配り・処理能力)のうち、どれが評価されているのかもはっきりします。この場合なら「気配り」と「専門知識」の掛け合わせです。

解像度の高い褒め言葉には、共通する3つの要素があると気づきました。

1. どの能力かを名指しする(6つのうちどれか、あるいはその組み合わせ)
2. 何をしたときの話かを具体的に描写する
3. どんな結果につながったかを添える

この3つが揃うと、褒められた側は「勝手にわかった気になられている」という違和感を持ちにくくなります。なぜなら、評価している側が実際に「見ていた」ことが言葉の中身から伝わるからです。

逆に「仕事できるよね」だけだと、見ていたのか、なんとなくの印象なのか、受け取る側には判別がつきません。

私自身、評価されることへの違和感がずっとありました。でもその違和感の正体は、評価そのものが嫌なのではなく、「解像度の低い評価」が、まるで自分を理解したかのような顔をして渡されることへの抵抗だったのだと、この件を通して腑に落ちました。

解像度の高い評価は、逆に受け取りやすいのです。具体的だから、反論の余地がない。「そこまで見てくれていたのか」という納得感が先に立つからです。

もし部下や後輩を褒めるとき、「仕事できるね」で終わらせそうになったら、一度立ち止まって、上の3つの要素に分解してみてください。手間は増えますが、その分だけ、言葉は相手にちゃんと届くようになります。




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