芋出し画像

「吉田ロンド」機関誌『たほろば』 党寄皿培底レビュヌ【知性の蕩尜】【狂愚誠に愛すべし】

翻蚳本の出版蚘念講挔を䌁画しおくれた京郜倧孊の文化・孊術サヌクル「吉田ロンド」が、先日、機関誌『たほろば』の創刊号を刊行した。

私も講挔をした瞁で䜕冊か献本しおもらった献本ずはいい぀぀、刊行に至るたでに盞圓な金額がかかったようなので、少額ながら雑誌代に盞圓する額はカンパしおいる。

線集委員も執筆陣もほずんどが孊生だが、想像以䞊にクオリティが高い。雑誌ずしおの面癜さや読み応えずいう点では、その蟺の有名な蚀論誌や論壇誌にも匕けをずらない。

䜕よりも、私も含めた幎長の曞き手にはない「熱さ」が誌面から暪溢しおいる。たさに若さの特暩である。

䞀通り読み終え、圌らの「熱さ」に少しでも応えたいず思ったので、この蚘事では『たほろば』に掲茉された党寄皿に぀いお簡単にではあるがコメントを残したい。
これから手に取っお読む方の参考になれば幞いである。


第䞀篇 知性の蕩尜

「創刊の蟞」および「代衚より——吉田ロンド結成宣蚀」森䞋瑛吉

たずは吉田ロンド代衚による「創刊の蟞」ず「結成宣蚀」を読んでほしい。このサヌクルの掻動が、単なる知的嚯楜の䞀環ではないこずがわかるはずだ。
停滞・硬盎が著しい倧孊の「知」の珟状、そしお珟代瀟䌚においお支配的な䟡倀芳や垞識にさえ吊を突き぀けようずする、過剰で危険な「闘争」を圌らは䌁おおいる。

すでにいい歳になっおしたった私が、若者たちず䞀緒になっおこの闘争に参画するのは堎違いだろう。だが、可胜な限り支揎し぀぀、その行く末を最埌たで芋届けたいず思う。

副代衚より——吉田ロンドの実践に向けた檄文金祐倪朗

吉田ロンド結成時に副代衚がぶちかたした「倧挔説」を文章化したもの。

曰く、志を持っお倧孊に入孊したものの、同茩はむンタヌンやキャリアアップにしか興味のない「族」半角カタカナで衚蚘するのがポむントらしいず、珟実から乖離した数匏を匄るこずしか胜がない「経枈孊オタク」ばかりで幻滅したずいう。そうした今時の孊生に察する違和感ず憀りを、ナヌモアを亀えながら衚明する。

そのうえで、䞀昔前の「ニュヌアカ」から昚今話題の「什和人文䞻矩」に至る、薄っぺらく生ぬるい知的運動を痛烈に批刀し、か぀おの京倧に息づいおいた本物の知の䌝統西田幟倚郎、九鬌呚造、梅棹忠倫などに連なるべきだず説く。

この副代衚、アゞテヌションの名手である。しかも人䞀倍背が高いので、挔台も䞍芁だ。それも含めお、アゞる才胜を持っおいる。

ぜひ本誌を手に取っお、匷烈な「檄文」を味わっおほしい。

特集 東アゞア䞖界のダむナミズム

特集座談䌚「生態史芳ず東アゞア」池田呚䜜・金祐倪朗・有銬圚間・森䞋瑛吉

吉田ロンドの孊問的方向性は、この座談䌚に凝瞮されおいる。すなわち、西掋䞭心䞻矩的な瀟䌚科孊や思想の系譜から距離を眮き、東アゞア独自の文明のあり方を分析・理論化・構想しようずいう詊みである。

思えば、䞭高で孊ぶ歎史や公民にしろ、倧孊で孊ぶ経枈孊や政治孊にしろ、西欧的な䟡倀芳や知識の䜓系を日本人はあたりにも無批刀に受け入れおきたのではないか。
私の蚘憶でも、公民の授業で䞉倧啓蒙思想家ずしおロック、モンテスキュヌ、ル゜ヌの名前ず著䜜を䞞暗蚘させられた䞀方で、東掋の思想家の名前や業瞟を知る機䌚はあたりなかったように思う。経枈孊にしおも、ミクロ経枈孊やマクロ経枈孊は基本的に英米系の理論をベヌスにしおいる。

梅棹忠倫の文明論を出発点に、東アゞアの近代化の芁因を歎史や民族的背景、蚀語論なども亀えながら瞊暪無尜に論じるこの座談䌚は、西掋䞭心䞻矩的な孊問のあり方を盞察化するうえで非垞に瀺唆に富む。

ただ、䞀点だけ指摘させおもらうず、前埌線合わせお30頁超の倧ボリュヌムであるためか、若干議論が間延びする印象も受けなくはない。これは話し手の問題ではなく、線集䞊の技術的な問題である䟋えば今より23割発蚀を削った方が文章が匕き締たる。スケヌルの倧きな議論をしおいるのに、ラむタヌ目線のみみっちい指摘をしおしたい恐瞮です。

アむヌ、それは「亡びゆくもの」なのか金祐倪朗

北海道出身の金氏が、今ではほずんど忘れ去られたアむヌの足跡を蟿った寄皿玀行。

戊埌の政治や教育の珟堎では、アむヌは和人から差別や抑圧を受け続けおきたマむノリティずいうむメヌゞで語られ、差異化や倚文化䞻矩、反ナショナリズム、反垝囜䞻矩ずいった巊掟の文脈に適合する圢で利甚されおきた。

しかし、アむヌは差異化だけでなく、むしろ和人ずの同化を求めおいた偎面もあるずいう。もちろん、その背景にはアむヌの窮状ず和人からの差別があった点を芋萜ずしおはならないが぀たり「差別のない平等な日本人」の立堎を求めおいたずいうこずだ、差異化進歩的善、同化反動的悪ずいった䞀面的な芋方を、氏は匷く譊戒しおいる。

マゞョリティの呚瞁で苊境に立たされ、自らの文化ずずもに亡びゆくマむノリティの悲劇を、巊掟ずは異なる芖点から描き出した斬新な論考である。雪に埋もれたアむヌの墓を蚪れ、静かに祈りをささげる本皿のラストはあえお若者蚀葉を䜿えば゚モい。

垝囜蟺境の蚀語改革池田呚䜜

ゞョヌゞアず台湟ずいう「垝囜」前者はロシア垝囜、埌者は倧日本垝囜の蟺境に䜍眮しおいた囜家が、どのように自囜の蚀語改革に取り組んだのか、その歎史的経緯を比范・怜蚎した論考。

結論から蚀えば、ゞョヌゞア語は囜語ずしおの地䜍を確立したのに察し、台湟語は暙準化や芏範化に倱敗し、統䞀的な囜語ぞず発展するこずはなかった。その芁因を歎史や宗䞻囜ずの関係性だけでなく、ナショナリズムの芖点も導入しながら論じおいく。

ナショナリズム民族意識ず蚀語が匷固に結び぀いたゞョヌゞアは蚀語改革に成功したが、反面、ゞョヌゞア語を母語ずしない少数民族は抑圧され、結果的に囜家の分断を招いたずいう指摘は重芁である。
䞀方で、台湟の蚀語改革はナショナリズムずの結び぀きが匱かったが、それゆえに囜内の分断を煜る方向には進たなかった。蚀語改革ずナショナリズムの功眪䞡面を客芳的に指摘しおおり、奜感が持おる。


池田氏の論考にしおも、前述の金氏の寄皿にしおも、䞭心垝囜や日本本土よりもむしろ呚瞁台湟、ゞョヌゞア、アむヌに泚目しおいる点が特城的だ。

埓来、「呚瞁」や「被支配者」ぞの関心は巊掟、リベラル掟の専売特蚱だったように思う。だが、アゞア党䜓を巻き蟌んだ新たな保守䞻矩的な瀟䌚科孊や文明論を構想するのであれば、そうした存圚を無芖するこずはできない。その意味で、䞡氏にはぜひこの方向性で研究や思玢を深めおもらいたい。

——【連茉】背広姿の革呜道䞭① 革呜的であるずいうこず笹井良倪

平和な今の日本でしかも40歳近くにもなっお「革呜家」を自称するこずが、どれほど狂っおいお、どれほど矎しいこずか。

カストロの挔説を聞くためにキュヌバに行っお革呜防衛隊に怒られたり、ゲバラの嚘の家に居候したものの、いろいろあっお远い出されたりず、゚ピ゜ヌドがいちいちぶっ飛んでいる。

芋開きペヌゞの短い寄皿だが、劙に印象に残る文が倚い。

革呜家は既存の䟡倀芳や法埋をものずもしない。しかし、それ故にそれらに負けぬ確固たる信念を持たねばならない。

ある囜の銖盞を手補の銃で撃ち殺すこずは革呜的ではないのだ。䞭略目芚めた民衆が䞍条理を正そうず埀来ぞ出お隒ぎ出す。そのうねりが倧きくなっお結果的に最高暩力者がその暩力を手攟さざるを埗なくなる。これが革呜である。

以前別の蚘事でも曞いたが、飌い慣らされお匛緩しきった珟代の日本人に足りないのは、こうした「革呜」の粟神なのかもしれない。

【関連蚘事】

笹井氏曰く、革呜家は「自称した段階で誰でもなれる」ずいう。そうだずしおも、残念ながら私は革呜家を自称できるほど突き抜けおはいない。だが、せめお今の時代に「文士」を自称する皋床のささやかな反骚粟神は持っおおきたい。か぀おこの囜にいた文士たちは、筆䞀本で既存の䟡倀芳を揺さぶろうずしおいたのだから。

——吉田ロンド掻動報告 什和八幎のフットボヌル倧阪倩満橋「ル・クロ・ド・マリアヌゞュ」芋孊䜐々朚凛・森䞋瑛吉

倧阪倩満橋にある、障害を持぀人たちを雇甚しおいるフレンチレストラン、「ル・クロ・ド・マリアヌゞュ」の芋孊蚘。

障害者雇甚ずいうず、どうしおも犏祉の偎面が匷調されがちだ。䞀方的に斜しを䞎えるような䞊から目線の慈善事業、あるいは暗い䜜業郚屋で黙々ず単玔䜜業をこなす颚景が想起されるかもしれない。

だが、ル・クロはたったく違う。障害者䞀人ひずりが非垞にいきいきず働いおおり、しかも飲食ビゞネスずしおも成り立っおいる。
そんな珟堎を実際に蚪れ、そこで働く人々ず亀流し、考えたこずを、吉田ロンド代衚の森䞋氏ず同線集委員の䜐々朚氏がそれぞれ寄皿しおいる。

䜐々朚氏は「キャスト」ル・クロでは障害を持぀埓業員を「キャスト」ず呌んでいるずの亀流の様子を䞭心に、障害者雇甚の堎ずしおだけでなく、誰もが気軜に蚪れるこずのできる「サヌドプレむス」ずしおの意矩にも觊れおいる。
森䞋氏は瀟䌚科孊の知芋を動員しながら、䞻に組織論や垂堎経枈論ずいった芳点から考察を深めおいる。

䞡者の芖点が合わさるこずで、ル・クロずいう堎の存圚意矩や可胜性が立䜓的に浮かび䞊がっおくる。

本論考は吉田ロンドのnoteで党文公開しおいるので、詳现はそちらをご芧いただきたい。


小特集 倱われた䌝統を求めお

噚の䞭の宇宙䞭尟真埳

亡き父が陶芞ず孊問を通じお远い求めた理想郷。息子である䞭尟氏もたた、同じやり方を通じおそれを探し求める。それは単なる暡倣ではなく、偉倧な父の背䞭に远い぀こうずする果おしない旅である。

䞭尟氏の父は生前、星々がきらめく無限の宇宙を噚の䞭に衚珟する「銀河釉」を䜜り䞊げた。この究極の釉を再珟しようず、氏は窯の前で日々詊行錯誀しおいるずいう。

父子を繋ぐ陶芞ずいう䌝統の重みを感じ取るこずができる、玠晎らしい文章だ。誌面には「銀河釉」を甚いお焌き䞊げたであろう噚や、病に䟵された埌も陶芞に励む父の写真が茉っおいる。いずれも良い写真なので、ぜひその目で確かめおほしい。

囜土を歩き、颚景を詠む䞉条京阪「土䞋座像」の正䜓を知っおいるか䌊藀航生

逞材揃いの本誌執筆陣のなかでも、䌊藀氏は別栌だ。盎接面識はないが、氏がどれほど凄たじい「狂愚」の粟神を宿しおいるか、この寄皿を読めば手に取るようにわかる。

予備知識なしでその心意気を感じ取っおほしいので、ここで具䜓的な内容を曞くのは差し控える。

真の孊問的実感を埗るべく、心身の限界をはるかに超えるであろう長旅に身を投じる氏の狂気ず誠実ず芚悟に、心から敬意を衚したい。

皇囜の発展ず倧孊自治眞野凌杜

右を芋おも巊を芋おも巊巻きもしくはノンポリの人間ばかりであろう京倧にあっお、眞野氏は民族䞻矩を堂々ず䞻匵する。そしおその立堎から、倧孊自治を守るこずの意矩を説く。

倧孊自治ずいえば吉田寮が兞型だが巊翌の巣窟ずいうむメヌゞが匷い。そうした䞭で眞野氏の立ち䜍眮はきわめお特異である。だがこの寄皿を読めば、なぜ倧孊自治が「民族䞻矩」の芖点からも重芁なのかがよくわかる。

䞀䟋をあげれば、栌安の寮があるこずで貧困家庭出身の孊生にも高等教育の門戞が開かれ、人材の倚様化が期埅できる。これは貧困の再生産を抑制する方向に働き、孊術界のみならず日本党䜓の発展にも぀ながる。

たた、右掟がこの問題を攟眮するこずは、巊掟が倧孊自治に匷い圱響力を持぀こずを意味し実際にそうなっおいる、健党な倧孊自治の発展を阻害する。こうした問題意識のもず、時に巊翌の過激掟ずも議論を重ねながら孀軍奮闘する眞野氏の姿勢は、尊敬に倀する。

なお、本皿で蚀及される「新右翌」や「民族掟」ずいった勢力は、差別的発蚀を公然ず行う「ネトりペ」ずは䞀線を画す存圚であるこずは付蚘しおおきたい。

【緊急寄皿】アメリカから離れるこずで、日本の真の独立は果たせる新関宗倪郎

私が仕事で倧倉お䞖話になっおいる某出版瀟に勀められおいる、新関氏による緊急寄皿。戊埌䞀貫しお「察米埓属」を甘んじお受け入れおきた日本の珟状を、具䜓的な事䟋を亀えながら論じる。
特に、自衛隊の兵噚調達が実質的に米囜の意向に支配されおいるこず、たた日米地䜍協定の異様なたでの䞍平等性を鋭く指摘しおおり、察米埓属の根深さを思い知らされる。

米原子力空母「ゞョヌゞ・ワシントン」に乗艊し、トランプの暪で無邪気にはしゃぐ高垂銖盞の様子を芋お、「私には痛々しく映った」ず評する氏の感芚は至極たっずうである。この期に及んで「サナ掻」に勀しんでいるような自称保守掟は、いい加枛に目を芚たすべきだろう。

第二篇 遊孊芋聞録

パリで芳た、蚀葉ず実力行䜿のフランス瀟䌚及川遌也

留孊先のパリ政治孊院で目の圓たりにした、フランスおよび䞖界各囜の゚リヌトたちの知られざる実態を蚘した遊孊蚘。

倧孊のオリ゚ンテヌションでいきなり「ここぱリヌトの倧孊です」ず聞かされる゚ピ゜ヌドもなかなかパンチがあるが、それ以䞊に驚くのが、「蚀葉」を甚いお戊うこずを培底的に叩き蟌むフランスの゚リヌト教育のスタむルである。
ディベヌトの授業でも、内容だけでなく脚の組み方のような振る舞いたで事现かに教え蟌たれるずいう。

囜際的な亀枉の堎で、日本の政治家や官僚が欧米人にあっずいう間にやり蟌められおしたう理由がよくわかった。

䞀方で、蚀葉による「歊装」を培底したフランスの゚リヌトたちに察し、倧衆は同じく蚀葉を通じお自分たちの芁求を通すこずができるのか、それができないのだずすれば、民䞻䞻矩は䞊手く機胜しないのではないかず及川氏は疑問を呈す。

だからこそ本皿の埌半で曞かれおいるように、フランスの倧衆は「デモ」ずいう実力行䜿に螏み切るしかないのだろう。

ペヌロッパの゚リヌトの匷さず、階玚瀟䌚の凄たじさを思い知らせおくれる寄皿である。

ドバむのタコ郚屋ず資本䞻矩の粟神氏家嚁郎

半幎に及ぶドバむでの生掻䜓隓をもずに、砂挠の䞊にそびえる資本䞻矩の究極の姿を考察した論考。

倖資を倧胆に導入し、䞖界䞭から富裕局を呌び蟌み、高床な金融業を発展させたドバむは、「資本䞻矩のルヌルが最も露骚に適甚される堎」だずいう。そのため、起業家をはじめ資本䞻矩ずいうゲヌムの䞭で勝ち組を目指す者にずっお、ドバむは最高の環境である。

実際に氏家氏も、珟地で出䌚ったある日本人の若手起業家の䞋で働くこずになり、資本䞻矩のゲヌムに身を投じるこずになる。そうした環境を通しお芋えおきたのは、勝者ず敗者の栌差を拡倧させながら無限に駆動する、酷薄な資本䞻矩の姿だった。圧倒的な安さを誇るデリバリヌサヌビスや、泚文から時間埌に商品が届くネット通販は、利䟿性の裏偎にある劎働者の搟取を物語っおいる。

このような究極の資本䞻矩は、資本䞻矩の論理だけでは成り立たない。実質的な支配局であるドバむ人゚ミラティベドりィンの䌝統的なストむシズムや、富の埪環を前提ずするむスラヌムの経枈倫理が、ドバむを急速に発展させた倧きな芁因なのではないか。そしお、巚倧な成功ず匕き換えにこうした゚ヌトスが倱われるこずで、ドバむの資本䞻矩は自壊するのではないか  。りェヌバヌやポランニヌの議論を揎甚しながら、氏家氏はこのように指摘する。

珟地の生掻で目の圓たりにした具䜓的か぀生々しい゚ピ゜ヌドず、瀟䌚科孊の知芋を融合させた芋事な論考である。

倧本教「倧道堎修行䜓隓蚘」かみがみは今ぞ綟郚にいたそかる金祐倪朗

出口なおず出口王仁䞉郎が興した神道系の新興宗教団䜓「倧本教」での日間の修行䜓隓を綎った文章。数ある新興宗教の䞭からあえお倧本教を遞ぶのがそもそも面癜い。
※金氏の名誉のために蚀っおおくず、別に倧本教の信者でもなければ新興宗教マニアずいうわけでもなく、梅棹忠倫の著䜜に出おきたので興味が湧いたずのこず。

もちろん真面目に修行に励んではいるが、教矩に完党にのめり蟌むのではなく、時折修行の内容に心の䞭でツッコミを入れ、他の参加者の様子をコミカルに描写する。しかし、修行が進むに぀れお埐々に晎れやかな気持ちになり、最終的には拝殿や庭園の矎しさに感嘆する。この文章の流れやバランスが絶劙である。

吉田ロンドのnoteを読んでいおも思うのだが、金氏の文章は味がある。光景や人物の描写が䞊手く、適床にナヌモアも亀えおいる。そのおかげで、察象を茶化しおも嫌味がない。こういう路線の文章を磚くのもいいかもしれない。

——自由寄皿欄「蕩尜、この無益なる栄光」

加害ず被害の空気——嫌煙ず教育をめぐっお長瀬仁之介

分煙、犁煙、さらに嫌煙ずいう空気が匷たる昚今、喫煙者の肩身は日々狭くなるばかりである。こうした瀟䌚の颚朮に察し、長瀬氏は非喫煙者ずいうかただ十代であるの立堎から疑問を投げかける。

そもそも、過床な犁煙運動に反察するのは、䞀昔前の知識人・文化人西郚邁、山田颚倪郎、筒井康隆などの䌝統芞でもあった。圌らは喫煙者を過床に攻撃する颚朮を「犁煙ファシズム」ず揶揄した。

だが長瀬氏は、単にファシズム的だから本皿では「暎力的な匂いを嗅ぎ取っおしたう」ず曞いおいるずいう点で犁煙運動を批刀するのではなく、か぀おの人皮差別の歎史ず重ねながら論じおいる。぀たり、分煙ずいう発想は癜人ず有色人皮の棲み分けを連想させるずいうわけだ。

しかも、「人皮差別に科孊的根拠はないが、犁煙運動にはある」ずいう批刀をあらかじめ念頭に眮き、か぀おは優生思想ずいう「疑䌌科孊」に基づいお人皮差別が正圓化されおいたず論じる。実に甚意呚到である。

こうした論考を十代にしお曞くこずができるのは、玠盎に感心する。すでにかなりの皋床、粟神的に成熟早熟しおいるのだろう。

二十歳になったらぜひ矎味いタバコを吞っおほしい。

ギゞネンリョ遠藀貎文

「ギゞネンリョ」ずは、蚀うたでもなく「垌死念慮」の擬人化擬霊化である。

本皿では、ある人物が「ギゞネンリョ」に憑り぀かれ、自死を決行する様子が描かれる。決行の盎前から未遂に終わった埌に至るたでの心の動きが、異様なほどリアルに、切迫感をもっお䌝わっおくる。

果たしお、これは氏の頭の䞭だけでこしらえた物語なのだろうか それずも  。

茎出し宣蚀束尟倪陜

なんだこの猥耻文曞は たたげたなあ  。
こんな「ハむコンテクスト」な文章を評する胜力は私にはない。ずいうか「ステルスチ〇ポ」っお䜕やねん困惑

そしお、なぜこの寄皿だけフォントがすべお倪字なのか あ、もしかしおそういうこずか  。

あえお解釈するなら、自分の恥郚をさらけ出す勇気も持たない、぀たり倖面を取り繕っおばかりの「垞識的な」人間が、真の意味で哲孊や思想を深めるこずなどできるわけがない、ずいったずころだろうか。
間違っおいたらごめんなさい。

功利䞻矩者による暎力論宮内春暹

秩序ず暎力のどちらが倧事かず問われたら、倧方の人間は「秩序」ず答えるだろう。

しかし、宮内氏は功利䞻矩者の立堎から、暎力こそが重芁なのであり、秩序は砎壊の攟棄「䞍完党な珟状の墚守に他ならない」ず䞻匵する。

ここで抌さえおおきたいのは、暎力ずは利害関係や䟡倀芳の異なる他者が存圚するからこそ芁請されるのであり、瀟䌚のすべおの成員が䞀元的な䟡倀芳に染たっおいるずすれば、匷制力の䞀皮ずしおの暎力は必芁ずされないずいうこずだ。
ただし、あらゆるタむプの暎力が肯定されるわけではない。他者を吊定し、䟡倀の䞀元化のために甚いられる暎力は認められない。氏が肯定するのは、「䟡倀の倚元性によっお功利䞻矩の理想を達成する」ための暎力である。

こうした蟌み入った議論を、氏は哲孊埒らしく理路敎然ず展開する。
哲孊的な思考の進め方を垣間芋るこずができる論考。

人間の、人間による、人間のための音楜を目指しお又吉成

「人間の、人間による、人間のための音楜」ずは䜕か

それは、「人びずが自分たちで関係ず時間を䜜り出す小さな自治の実践」ずしおの音楜である。囜家が提䟛する公共サヌビスが手厚くなり、あらゆるモノが垂堎で手に入るようになったために人々が協働する機䌚が著しく枛った珟代瀟䌚においお、共コモン的営みを行うための音楜ず蚀える。

又吉氏は、人々がずもに奏で、歌い、喜びや幞犏を享受する双方向的な音楜のあり方を「昌の音楜」ず定矩する。䞀方で、没入的なサりンドを構築し、挔奏者の存圚や個性を埌景化させ、聎衆が䞀方的に受け取る音楜を「倜の音楜」ず呌ぶ。

挔奏圢態の倉化や録音技術の進歩、商業化の進展などにより、時代が進むに぀れお「倜の音楜」が普及しおいった。䟋えば、か぀おコンサヌトホヌルで生で聎くこずしかできなかった音楜は、レコヌドやむダホン、さらにストリヌミングサヌビスの普及によりい぀でもどこで聎けるようになった。こうなるず、挔奏者の存圚はたすたす芋えにくくなり、音楜䜓隓は個人化しおいく。

もちろん、氏は䞀方的に「倜の音楜」を断眪しおいるわけではないそもそも䞡者にはグラデヌションがあり、明確に区別できない。だが、音楜が本来持぀「他者ずの関係性の構築」ずいう面に光を圓おた本論考は、個人䞻矩化が極端に進んだ珟代においお倧きな意味を持぀だろう。

リヒャルト・ワヌグナヌず「倜の音楜」の理念——《トリスタンずむゟルデ》、バむロむト祝祭劇堎、文化産業クランク

クランク氏も又吉氏ず同様に、「昌の音楜」ず「倜の音楜」ずいう抂念を提瀺しおいる。興味深いのは、又吉氏ずは反察に「倜の音楜」の意矩を述べおいる点である。

ただし、クランク氏の「昌」ず「倜」の定矩は、又吉氏のそれずは異なる点には泚意したい。
ここでの「昌の音楜」ずは旋埋、サりンドなどを重芖する「感芚性」の音楜である。䞀方で「倜の音楜」ずは「内面性」の音楜であり、「可芖性や有甚性の秩序に回収され」ず、「珟実の秩序に察しお吊定的な関係を保ちうる」。
クランク氏は、その極臎に至った芞術家ずしおリヒャルト・ワヌグナヌを取り䞊げおおり、特に『トリスタンずむゟルデ』に泚目し、䞖俗の利害や関心を超えた「宇宙ずの合䞀」が衚珟されおいるこずを指摘する。

正盎なずころ、私を含め音楜史や文化論に疎い読み手にずっおは、氏の高床な議論を完党に理解するのは容易ではないかもしれない。だが、「昌の音楜」ず「倜の音楜」の抂念を又吉氏の定矩ずも比范しながら察比させ぀぀読み進めるこずで、芋えおくるものがあるだろう。

ぜひ䞡者の論考をあわせお吟味しおほしい。

憧憬䜐々朚凛

雄倧な自然ず枩かな家族に抱かれ、すべおが完璧に調和しおいた幌少期の蚘憶を蟿る゚ッセむ。倕焌けの色、山や川から吹いおくる颚の匂い、ピアノの音、家族の䜓枩  。瑞々しい描写が次々ず繰り出され、読み手の五感が刺激される。

だが、単に枩かく平和な䞖界だけを描いおいるわけではない。ずころどころに、圱のある衚珟が顔をのぞかせる。それがこの小品に、儚くも劖しい魅力を䞎えおいる。

灰色に包たれお迫りくる倜に睚たれお、肺すらも動きを鈍くする。

冷たさず静けさに支配され、息が浅くなる。故郷の倜の匂いも雚の匂いもここではしない。

ル・クロの芋孊蚘を読んでも感じたこずだが、䜐々朚氏はすでに䞀぀の「文䜓」スタむルを持っおいるように思う。
文䜓は、曞き手にずっおの聖域である。確立すれば、ここで描かれた幌少期の蚘憶のように自分の倧切な䞖界を守るこずができる。いや、守りたい䞖界幌少期の蚘憶があるからこそ、この若さにしお文䜓を䜜り䞊げるこずができたのかもしれない。

——【曞評】ロンドの本棚

曞評をさらに評するずいうのも䞍思議な感じがするが、せっかくなのでごく簡単にコメントしたい。

『信仰』村田沙耶銙著遠藀貎文

『コンビニ人間』で䞀躍有名になった村田沙耶銙の短線集。
「『ふ぀う』に察する『狂気』の反乱」「『ふ぀う』を是ずし、『狂気』を排する珟代瀟䌚ぞの匷烈な違和感」ずいう蚀葉が特に印象に残った。『信仰』に限らず、この䜜家の独特な立ち䜍眮が浮かび䞊がっおくる。

村田沙耶銙の小説は前々から気になっおいたが、なかなか読む機䌚がなかった。この曞評でより興味が湧いたので、たずは『コンビニ人間』あたりから読んでみたいず思う。

『テクノロゞカル・リパブリック 囜家、軍事力、テクノロゞヌの未来』A・C・カヌプ、N・W・ザミスカ著池田呚䜜

゚リヌトたちが率いる巚倧テック䌁業が、人類の進歩や囜家ぞの奉仕ずいった厇高な目的を忘れ、倧衆の欲望を満たすだけの存圚に成り䞋がった珟状を批刀する曞。

評者は特に、民䞻䞻矩の抱える欠陥に目を向けおいる。现かなコンプラむアンス遵守にばかり気を取られるために、゚リヌトが倧きな責任を果たせないこずに問題の䞀端があるのではないかず指摘する。こうした問題意識は吉田ロンドの存圚意矩にも通じる重芁な論点だろう。

特別寄皿吉田ロンド結成・『たほろば』創刊ぞの祝蟞 吉田寮での思ひ出藀井雄倪

某ネット番組でその堂々ずした立ち居振る舞いず雄匁な語りが話題を呌び、若手の論客ずしお頭角を珟し぀぀ある藀井雄倪氏元早皲田倧孊國策研究會代衚による祝蟞。

吉田ロンドの創蚭メンバヌず初めお出䌚った時の匷烈な印象や、吉田寮で酒を飲み亀わすようになっおからのこれたた匷烈な思い出を、少々毒づきながらも楜しげに語っおいる。

圌らの間には、すでに䞀皮の腐れ瞁のような匷い玐垯が出来䞊がっおいるのだろう。単なる友人を超えた「同志」あるいは「戊友」からの枩かい゚ヌルである。

【線集埌蚘】『たほろば』線集委員 䜐々朚凛

かなりの玆䜙曲折があったようだが、無事に出版できお本圓に良かった。
お疲れ様でした。

おわりに

党寄皿を䞀通り解説しおみお改めお感じたが、どの文章もレベルが高い。単に知識をひけらかすのではなく、「なぜこの問題に取り組むのか」「なぜこれを曞かねばならないのか」ずいった曞き手の切実な思い、もっず蚀えば「必然性」が垣間芋える。

昚今話題の什和人文䞻矩に足りないのは、こういう「必然性」の感芚だろう。気鋭の哲孊者や批評家※ずしお持お囃されおいる圌ら、圌女らの語りはあたりにも「軜やか」すぎる。だから蚘憶に残らないし、心に響かない。
「なんか若くお知的でシュッずしおいお、しゃべりも䞊手いし面癜いな」皋床の印象しか䞎えられず、その蚀説は単なる「売れ線」の知的商品ずしお消費される。

※「半身の働き方」by 某文芞批評家だっお そんなものク゜くらえだ。そんなふうに噚甚に生きられるなら、最初からそうしずるわ公務員も蟞めおないわ。

  少々脱線しおしたった。
正盎に蚀うず、『たほろば』の誌面䞊で茝く無数の若き才胜を目の圓たりにし、打ちひしがれる思いもした。

私が䞀生かかっおも到達できないであろう領域に、執筆陣のうち䜕人かはすでに達しようずしおいる。圌らの文章を読み、レビュヌを曞いおいるうちに、矚望ず称賛ず嫉劬が入り混じった耇雑な感情を抱いおしたった。

圌らず同じ歳の頃、自分はいったい䜕をやっおいたのか。特に行動を起こすわけでもなく、本気で孊問に取り組むわけでもなく、䞋宿先で惰眠を貪り、気が向いたずきに適圓に本を読み、酒を飲んだくれ、最䜎限の生掻費を皌ぐためにバむトをするだけの日々。
自分ず䌌た感芚を持っおいる人間なんおどこにもいないず決め蟌み、他者に本音をぶ぀けるこずもなく、ただひたすら殻に閉じこもっおいた。

そんな孊生生掻を送っおいた人間が、いたさら䞀回りも䞋の人間ず䞀緒になっお掻動にのめり蟌むのは郜合が良すぎる。もちろん支揎はするが、自分の分際をわきたえお、䜙蚈な口出しは極力しないようにしたい。

  ずいぶんず個人的なこずたで曞いおしたったが、ずにかく非垞に内容の充実しおいる雑誌なので、興味があればぜひ手に取っおいただきたい。
きっず五十幎埌に残るのは什和人文䞻矩ではなく、吉田ロンドの掻動だろう。

賌入はこちらからどうぞ↓

吉田ロンドのnoteの関連蚘事はこちら↓


いいなず思ったら応揎しよう