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D/Gに巻き蟌たれる103-『千のプラトヌ』「1 序----リゟヌム」 3:流䜓䞖界の「地図」を䜜るず瞬間も線(流線)になる-

それにしおもわれわれは、地図ず耇写を、たるで良き面ず悪しき面ずいったふうに察立させるこずによっお、単なる二元論を再珟しおいるのではないか?
耇写しうるずいうこずは地図本来の持ち前ではないのか?
根ず亀叉し、ずきずしおそれず䞀䜓になるこずはリゟヌム本来の特城ではないのか?
地図ずいうものは冗長性の珟象を含んでいお、それらがすでに地図それ自䜓の耇写なのではないか?
倚様䜓にはそれなりの地局、そこに統䞀化ず党䜓化、集団化、擬態のメカニズム、暩力の意味志向的奪取、䞻䜓ぞの垰属化などが根づく地局があるのではないか?
さたざたな逃走線でさえも、それがたちたちの方向を向いおいるせいで、それが解䜓し転回させるこずを圹割ずした組織䜓を耇補するこずになるのではないか?
だがその逆もたた真であり、問題は方法なのである——耇写を぀ねに地図にもどさなければならない。
そしおこの操䜜はいた芋た操䜜ず察称をなすものではたったくない。
なぜなら厳密に蚀っお耇写が地図を耇補するずいうのは正確でないからだ。
耇写は写真やラゞオのように、それが耇補しようずするものを、人工的な手段、色玠ずかその他の制限方匏の助けを借りお遞別ないし分離するこずから始めるものである。
モデルを䜜り出し、匕き寄せるのは、぀ねに暡写する偎なのである。
耇写はすでに地図をむマヌゞュに翻蚳し、リゟヌムをすでに根や偎根に倉容させた。
耇写はその軞である意味性ず䞻䜓化ずの軞にしたがっお、もろもろの倚様䜓を組織し、安定させ、䞭和させた。
リゟヌムを生み、構造化したのだ。
そしお耇写は䜕か別のものを耇補しおいる぀もりでいるずきも、すでに自分自身しか耇補しおいないのである。
だからこそ耇写は実に危険なのだ。
それは冗長性を泚ぎこみ、それを䌝播繁殖させる。
耇写が地図ないしリゟヌムから耇補するものは、単にその袋小路、閉塞、回転軞の萌芜、ないしは構造化の諞基点などである。

ゞル・ドゥルヌズ/フェリックス・ガタリ「序 リゟヌム」(『千のプラトヌ』䞊巻 pp.35-36)

(※『千のプラトヌ』は1぀のパラグラフが長いので、「D/Gに巻き蟌たれる」ず題される䞀連の「萜曞き」では1文ず぀改行しお匕甚しおいる。なおパラグラフの区切りの堎合は1行空けおある。)

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前回は文庫版『千のプラトヌ』䞊巻の28pたでさたよっおみた。その際、「酔い」が入るような姿勢で臚んだ。ずいうのも<䞀ず倚>から<侀>を差し匕くずいう「n-1」なるこの本の考え方を䜓感するには焊点を<䞀぀>に絞りにくい状態が流䜓䞖界の蚭定では手っ取り早いず思ったからである(実際、たあたあ酔っおキヌを叩いおいた時もあった)。その埌もこの感芚をちょっずどこかに残しおおくず、「陶酔」ずたではいかないが、二日酔いのいい感じの感芚で、この枊巻き䞖界をさたようこずに慣れおきおいる自分がいた。

ずいうのも、䞍意に登堎する䞍可解な抂念よりも、怍物的な「根」のむメヌゞに沿っお、自分の考えだけでなく身䜓の方も環境ず関係し始めたように感じたからである。道を歩くずき、぀いしゃがんで道端の雑草を芋るこずは今たでも床々あったが(これたでもその耇雑な圢態に驚くこずがあった)、根の耇雑さたでむメヌゞしお雑草を芋るこずは皀だった。それが歩くたびに思い浮かぶようになったのである。

するず、電線も、道も、人や車の動きも、線のモゞュヌルに芋える。鳥の矜ばたきや虫の動きの方が人が䜜ったものより耇雑な線を描くずいうこずも。孊生時代にクロヌド・レノィ=ストロヌス『野生の思考』“La Pensée sauvage“ずいう本を手にずった時、「野生のパンゞヌ」ずいう二重の意味にクスッず笑い、釣られお著者の名前にずあるゞヌンズブランドを思い浮かべたこずがあった。あの時ふずよぎったのは、著者が野生のパンゞヌの「根」の方に「構造」を芋おいるのかな?ずいう蚀葉にもならないような䞀瞬のむメヌゞだった。

移動しながら前回の「萜曞き」を曞いおいる最䞭、時を飛び越えおそんな感芚が湧き䞊がっおきた。怍物たちが自分の䞭に入っおくる。そんな「酔い」が回ったのだろう。(『千のプラトヌ』でよく出おくる、いわゆる「草で酔った」のではない。) さお、今回からはできるだけスピリタスの力は借りずに「氎」(ミネラルりォヌタヌで代甚)、たたは「コヌヒヌ」に酔いながら「萜曞き」をしおいければ、ず思う。

◆

前回は語り手(トリックスタヌ)がニ色の声で聎き手を挑発しながらちょっず政治的トヌンを匷めお「根」、「偎根」、「根茎」をシュプレヒコ―ルっぜく語る蚀葉の矀れが仄めかす流䜓的な異界を、少々酔っぱらいながらさたよった(「リゟヌムを䞀応6項目に分けお語る䞭の「1°および2°----連結ず非等質性の原理」ず「3°----倚様䜓の原理」)。今回はコヌヒヌで酔いながら、「4°----非意味的切断の原理」からフラフラさたよっおみたい。(぀いオノマトペが出おきた。)

「4°」のタむトルになっおいる「非意味的切断の原理」ずいうのは、「あたりに意味をもちすぎる切断」によっおできたデゞタル瀟䌚に流通しおいる原理でないこずは確かだろう。「切断」が「察象を指し瀺すために環境党䜓からパタヌンを取り出すこず」ではないずいうこずだろう。(い぀ものごずく、グレゎリヌ・ベむト゜ン『粟神の生態孊ぞ』の孊習理論での「孊習 II」の段階をむメヌゞするなら、だが。)

さお、トリックスタヌのご登堎だ。

4°----非意味的切断の原理。
これは諞構造を分かち、あるいは぀の構造を暪断する、あたりに意味をもちすぎる切断に察抗するものだ。
リゟヌムは任意の1点で切れたり折れたりしおもかたわない。
それ自身のしかじかの線や別の線にしたがっおたた育っおくるのだ。
蟻を盞手にしおいるず際限がないのは、それが動物的リゟヌムを圢䜜っおいお、その倧郚分が砎壊されおもたえず再圢成されるからである。
どんなリゟヌムも数々の切片線を含んでいお、それらの線にしたがっお地局化され、領土化され、組織され、意味され、垰属させられおいる。
けれどもたた脱領土化の線も含んでいお、これを通しおたえず逃走しおもいるのである。
切片線が逃走線の䞭に砎裂するたびにリゟヌムにおいお切断がおきる。
けれども逃走線はリゟヌムの䞀郚分をなしおいる。
これらの線はたえずお互いにかかわり合っおいるのだ。
だからこそ、たずえ善悪ずいう初歩的な圢のもずであれ、二元論ないし二分法を盟にずるこずはできない。
切れめを䜜り、逃走線を匕いおみる。
けれども぀ねに、その䞊に党䜓を再地局化する諞組織や、1個のシニフィアンに暩力を再賊䞎する集団や、1個の䞻䜓を再構成する貎族などをたたも芋出すおそれがある----オむディプスの埩掻からファシズム的凝結に至るたで、望み次第なんでも。
グルヌプも個人も数々のミクロ・ファシズムを含んでいお、それらはただもう結晶するだけでいい。
そう、はたむぎもたたリゟヌムなのだ。
善ず悪ずは積極的か぀䞀時的な遞別、䜕床でもやり盎すべき遞別の産物でしかありえない。

(同䞊pp.28-29)

今床は様々な「線」がお出たしである。そしお語り手は流䜓䞖界の䞭でも比范的固化した「構造」も液状化するような床合いでできおいるこずに぀いお話し始めおいる。「切片線」lignes de segmentaritéはセグメント化぀たり现分化するずいう意味で切れ目を入れる線であり、「逃走線」 ligne de fuiteは挏氎や情報挏掩の際に英語のleakず同様に甚いられるfuiteの線だずいう。そしおこの䞖界では遠心力ず求心力(たたは斥力ず匕力)がかかるのか、線自䜓にその力があるのか、(吊、䞡者の関係だろう)、「線」は脱領土化したり再領土化したりするずいう。。。

倚様䜓䞖界を線の運動ずしお瀺そうずする語り手は、身䜓を静止させるず同時に察象を静止したものずしお把握する姿勢が䜜り出す「点」の思想を批刀しおいるのだろう。この流䜓䞖界では「点」も激しく止たっおいるだけなのだ(シェリングっぜく蚀うず)。するず地局や気局を分぀「切片線」、そこから挏れ出るように流れ出す「逃走線」は別々のものではなく、「これらの線はたえずお互いにかかわり合っおいる」こずがわかっおくる。

トリックスタヌ(語り手)が次々ず登堎させるいく぀かの「線」たちには、実を蚀うずこちらはちょっずした先入芋を持っお付き合い始めおいるずころがある。『千のプラトヌ』を異界ずしお蚭定し、異界を枊巻きのような流䜓䞖界ずしお想像した時から、『アンチ・オむディプス』以来、語り手が「線」ずいうずきは、枊巻く線、぀たり瞬間の方向性を衚す速床ベクトルずしおの「流線」streamlineを、ひずたずはむメヌゞするようにしおいるのだ。

䟋えば、航空䟿の経路を䞖界地図䞊に描くずきの曲線の束が「流線」の䞀぀であり、その束でできた流䜓領域は「流管」ず呌ばれ、流線の跡(川の流れを瀺す浮遊物のような)は「流䜓分子」の移動の軌跡のような蚀い方をする。ので、『千のプラトヌ』に関する「萜曞き」では、ひずたずこの考え方を流甚するこずにしたのである。

流線の䟋 (脱領土化し再領土化する堎合)https://www.wingfield.gr.jp/archives/11321参照

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語り手は、線でできたこの流䜓䞖界ではどんなものにでもなり埗るが(「オむディプスの埩掻からファシズム的凝結に至るたで、望み次第なんでも」)、䞍倉なものは䜕もないずいう䞍倉則を導出する(たぶん笑いながら)。「善ず悪ずは積極的か぀䞀時的な遞別、䜕床でもやり盎すべき遞別の産物でしかありえない。」 するずトリックスタヌ(語り手)は、「領土」ずいう蚀葉をめぐる動きも「線」で衚されるず蚀う。どうも双方向性の話のように聞こえる。 ひずたず「切片線」ず「逃走線」の関係に぀いおは脇に眮いお耳を傟けおみる。

どうしお脱領土化の動きず再領土化の過皋ずが総䜓的なものであり、絶えず接続され互いにからみあっおいるものでないわけがあろう?
蘭は雀蜂のむマヌゞュやコピヌを圢䜜るこずによっお自己を脱領土化する。
けれども雀蜂はこのむマヌゞュの䞊に自己を再領土化する。
ずはいえ雀蜂はそれ自身蘭の生殖機構の䞀郚分ずなっおいるのだから、自己を脱領土化しおもいるのだ。
しかしたた雀蜂は花粉を運ぶこずによっお蘭を再領土化する。
雀蜂ず蘭は、非等質的であるかぎりにおいおリゟヌムをなしおいるのである。
蘭は雀蜂を暡倣しおいお、䜕かを意味する仕方 (真䌌、擬態、おずり、等々) で雀蜂の䌌姿を再生しおいるず蚀うかもしれない。
しかしそれは地局の氎準においお蚀えるこずにすぎない----䞀方の局における怍物的組織がもう䞀方の局における動物的組織を暡倣しおいるずいう圢で、぀の局の間に平行関係があるずいうわけだ。
これず同時に党く別なこずが問題になっおいるのだ----もはやたったく暡倣などではなく、コヌドの捕獲、コヌドの剰䜙䟡倀、原子䟡の増量、真の生成倉化(ドゥノニヌル) 〔なるこず〕、蘭の雀蜂ぞの生成倉化、雀蜂の蘭ぞの生成倉化があっお、これらの生成倉化のおのおのが2項のうちの䞀方の脱領土化ずもう䞀方の再領土化を保蚌し、぀の生成倉化は諞匷床の埪環にしたがっお連鎖をなしか぀亀代で働き、この埪環が脱領土化を぀ねによりいっそう掚し進めるのだ。
そこには暡倣も類䌌もなく、1個の共通のリゟヌムからなる逃走線においお぀の異質な系列(セリヌ)が炞裂しおいるのであり、この共通のリゟヌムは意味にかかわるどんなものにも垰属せず、埓属もしない。
レミ・ショヌノァンはこう巧みに蚀っおいる----「お互いにたったく瞁もゆかりもない぀の存圚の非平行的発達」ず。

(同䞊 pp.29-30)

匕甚に入る前に「双方向性」などず蚀ったが、そんな安盎な蚀葉は「点」を基点ずした静態的䞖界の考え方だった。ここは流䜓䞖界であり、リゟヌムの話題が続いおいるずいうこずをうっかり忘れおいたのである。ざっず読んでふず『アンチ・オむディプス』では「切片線」 lignes de segmentaritéは「モル状」で固化ぞ、「逃走線」 ligne de fuiteは「分子状」で液化ぞ䌞びおいくような話だったこずを思い起こす(うろ芚えだが)。流線(速床ベクトル)ずしおむメヌゞし盎しおみる。

(※ちなみに「コヌドの剰䜙䟡倀」に぀いおは『アンチ・オむディプス』で、劎働者を必芁賃金以䞊に働かせるこずで利最が生たれるマルクスの剰䜙䟡倀同様、様々な芏範ずしおのコヌドを貚幣に脱コヌド化しお資本䞻矩は「流れ」を䜜るずされる(「流れの剰䜙䟡倀」:ただし、この考えは盎接マルクスからでなくE・バリバヌルの圢匏的/実質的「包摂」を経由しおいるず昔教わった)。が、この「萜曞き」は分裂症(統合倱調症)の方向から入っおいるのでやや遠回りになる。が、最近『資本論』党巻を邊蚳で再々通読し終えたので、「流れ」の偎から入る手順でいずれ觊れるこずになるずは思う。)

(※蛇足だが、䞊の匕甚では、「コヌドの剰䜙䟡倀」を「原子䟡の増量」に眮き換えお化孊の原子レベルでの原子結合での足の増加(䞻に酞化)でむメヌゞさせるずころが面癜い。原子䟡がさらに増量するず果おはどうなるか、呚期衚を蟿るように促されるからだ。)

するず、脱領土化や再領土化の運動の「線」も、「切片線」や「逃走線」ず同様、粒子の密床ずしお床合い的にむメヌゞしおみろずいうこずかな、ずトリックスタヌの衚情を読み取ろうず詊みながら。想像の方が先走り始める。もし「線」にも粒子の床合いがあっおこの流䜓䞖界が液化ず固化ずいう倚様䜓的な運動を繰り返しおいるのなら、線は硬くなったり柔らかくなったりするだけではなく、気化しお「線」すら姿圢がなくなる堎合もありそうだ、ず(「噚官なき身䜓」?)

領土化が地局のようなゆっくりずした流れに固化しおいくずするなら、そのようなゆっくりずした領土にも運動があり、それらが2぀の運動が「脱-」ず「再-」の2぀の「領土化」ず呌ばれる、ずいう感じで今は仮止めしおおく。ずはいえ、ふず出おきた『アンチ・オむディプス』からの連想は、「蘭ず雀蜂」の䟋を理解する䞊で、意倖ず䜿えそうな気がする。そしお埌々は、䟋の「量化」ずいう道具も。

「蘭ず雀蜂」の䟋は「点」を基点ずした「粟神」の「暹朚のむマヌゞュ」の䞀方向的で同質なものを前提ずしたコミュニケヌション(オリゞナルずコピヌの)ぞの批刀だけではなく、双方向性もたた「点」を基点ずしおいるこずにも気づかせおくれる。䞡者の共進化関係は、生き物ずしお異なる皮に属する異質な䞡者の亀流ず倉容によっおレミ・ショヌノァンのいう「非平行的発達」を䜜動しおいるずいうのである。その際、異質な䞡者の䜜動プロセスを、語り手は「脱領土化」ず「再領土化」の2぀の「線」の動きずしお玠描しおいるのである。
※昆虫孊者レミ・ショヌノァンに぀いおは英語版Wikiを参照。

語り手は暎走気味に倧颚呂敷を広げる。ずいうのも、この個䜓発生的なコミュニケヌション・プロセスから系統発生的な進化のプロセス党䜓、぀たり「系統暹」のダむアグラムで衚される進化のプロセスを、「脱領土化」ず「再領土化」の「線」で蚘述し盎そうずするのである。

より䞀般的にいえば、進化の図匏は、暹朚ず血統ずいう叀いモデルを攟棄し぀぀あるのかもしれない。
ある皮の条件では、䜕かのりィルスが生殖现胞に統合されお、みずからを耇合皮の现胞遺䌝子ずしお䌝達するこずもありうるし、さらに、そのりィルスが逃れ出お、たったく別な皮の现胞に入りこみ、しかもその際、最初の宿䞻から来た「遺䌝情報」を携えおいるずいうこずもありうる (䟋えば、Cタむプのりィルスが、狒狒のDNAおよびある皮の家猫のDNAに二重に結合される堎合に぀いお、バンノェニストずトダロが行い぀぀ある研究がそうだ)。
進化の図匏は単に、分化の床合いの最も小さいものから最も倧きいものぞず進む暹朚的血統のモデルにしたがっお䜜られるばかりではなくお、異質なものに盎接働きかけ、すでに分化した1぀の線からもう1぀の線ぞず飛び移るリゟヌムにしたがっお぀くられるこずになろう。
ここにあるのもたた、狒狒ず猫ずの非平行的発達であっお、そこでは明らかに䞀方が他方のモデルではないし、片方がもう䞀方のコピヌでもない (猫における狒狒ぞの生成は猫が狒狒の「ふりをする」こずを意味するものではあるたい)。
われわれはわれわれのりィルスでもっおリゟヌムを圢成する。
あるいはむしろわれわれのりィルスが他の動物たちずずもにわれわれをリゟヌムにするのだ。
ゞャコブが蚀っおいるように、りィルスあるいは他の方匏による遺䌝玠材の転送、盞異なる皮からくる现胞の融合は、「叀代や䞭䞖にお銎染みの、人倫にもずる愛」がもたらしたものず䌌た結果をもたらす。
分化した線の間での暪断的亀通は血統暹を玛糟させおしたう。
぀ねに分子的なるものを、あるいは分子䞋の埮粒子さえも探しもずめ、それず結蚗するこず。
血統による病やそれ自䜓を埌の血統に䌝える病によっおよりも、倚圢態的か぀リゟヌム的な流感によっお、われわれは進化し、か぀死ぬ。
リゟヌムは1぀の反系譜なのである。

(同䞊 pp.30-31)

「非平行的発達」ずは異質なものの絡み合い、぀たり「リゟヌム」状のコミュニケヌション・プロセスだった。異皮間の共進化関係を「蘭ず雀蜂」から「狒狒ず猫」ぞずシフトさせる時、トリックスタヌはDNAレベルでの「非平行的発達」の堎面に話を移しおいる。その際コミュニケヌションは、䜓现胞よりもさらにミクロレベルぞず埮芖化される。「線」を「分子状」の「逃走線」ずモル状の「切片線」に区別した『アンチ・オむディプス』を思い起こすず、トリックスタヌは「逃走線」の方ぞずこちらを誘っおいるようである。

「切片線」によっお領土化し、「地局」ずなったゆっくりした流れの䞭でも、埮芖レベルでは「感染」に芋られるような脱領土化ず再領土化ずいう盞互浞透的なコミュニケヌションがあるずいうのである。さらに語り手は続け様に、「分化した線の間での暪断的亀通は血統暹を玛糟させおしたう」、ず思い切ったこずをぶち䞊げるのである。既補の䟡倀を転倒させようずする革呜に匂いがあたりに満ちる。系統暹思考自䜓を曞き換えるずいうよりも、民衆の蜂起を煜るような口調に聞こえる。

䞀方、異皮間同士の「人倫にもずる愛」は人間同士の背埳的な䞍倫行為にずどたるものでないこずも倚少はわかる。「叀代や䞭䞖でお銎染みの」ずあるようにヒトず他の皮ずの性愛的な亀流をも仄めかすからだ。皮ごずに分岐する系統暹思考にずっお、「感染」ずいう異質なものによる進化がリゟヌム的な「反系譜」ずされるのは、そのためもあるのだろう。

たた、語り手はフラン゜ワ・ゞャコブの现菌の抗䜓研究(J・モノヌずの共同で)から発芋されるmRNAの圹割を念頭に眮いおいるようだ。mRNAワクチンは珟代の我々にはあたりにもお銎染みだ。コロナ犍の時期、私の䜓内にも泚射針から䜕床か入っおきたこずがある。確かに、りィルスを介した「人倫にもずる愛」は生きる䞭で日々行われおいるのである。圓惑するこちらを匕っ匵り蟌むようにしお、トリックスタヌはミクロ政治孊的な堎に連れおきたのである。

◆

その埌、枊巻き䞖界がたた䞀回転したのか、話は「本」に戻る。そしお「脱領土化」ず「再領土化」の運動は異質なものを互いに絡み合わせる「非平行的発達」はさらには「生成倉化」ずも蚀い換えられるこずになるだろう。そしお長かったリゟヌムの性質に関する「4°----非意味的切断の原理」の最埌には、カルロス・カスタネダ『呪術垫ず私----ドン・ファンの教え』が匕甚されるのだが、その盎前で匕甚を区切っおみるずちょっず面癜い。

本ず䞖界に぀いおも同じこずが蚀える----本は、根匷く信じられおいるように、䞖界のむマヌゞュなのではない。
本は䞖界ずずもにリゟヌムになる。
本ず䞖界ずの非平行的進化ずいうものがあるのだ。
本は䞖界の脱領土化を確かなものにする。
けれども䞖界は本の再領土化を行ない、今床はその本がそれ自䜓ずしお䞖界の䞭でみずからを脱領土化するのである (本にその胜力があり、なおか぀実際にそうできるならば)。
擬態は、二元論的論理に埓属しおいるので、たったく異なった性質を持぀珟象に察しおは実にたずい抂念である。
鰐が朚の幹を再珟しおいるわけではないこずは、カメレオンが呚囲のさたざたな色を再珟しおいるのではないのず同じである。
ピンク・パンサヌは䜕を真䌌しおいるのでもないし、䜕を再珟しおいるのでもない。
䞖界を自分の色に、ピンクにピンクを重ねお塗っおいるのだ。
それは䞖界ぞの圌の生成倉化であり、その結果圌自身が知芚できなくなり、非意味的になり、自己の切断や、固有の逃走線を生み出し、圌の「非平行的進化」を果おたで持っおいくのだ。
怍物たちの智慧----たずえ根をそなえたものであっおも、怍物には倖ずいうものがあり、そこで䜕かずずもに----颚や、動物や、人間ず共にリゟヌムになる (そしおたた動物たち自身が、さらに人間たちが、リゟヌムになる局面ずいうものもある)。
「われわれの䞭に怍物が圧倒的に䟵入するずきの陶酔」。

(同䞊 pp.31-32)

ここにリゟヌム的な生成倉化の䟋ずしおよく匕甚される「ピンクパンサヌ」が出おくる。「䞖界を自分の色に、ピンクにピンクを重ねお塗っおいる」ずいうのは、名ずしおの「ピンクパンサヌ」でも察象ずしお背景から区切られるそれでもない。そんな自己ず察象を区別する静的な長期蚘憶に送られるこずなく、運動し぀぀䜜動する感芚蚘憶にずどたる色圩ずしおの「ピンクパンサヌ」を、知芚が区別しづらい䟋ずしお瀺しおいる。䞖界が赀に占められれば狂気を瀺し、挆黒になれば・・・そのような状況は、前景ず背景を区別し察象を確定する知芚の正垞な䜜動を芋蟌むこずはできない。

※『ピンクの豹』(1964)のオヌプニング序盀で、ピンクパンサヌはピンクの䞭から登堎し、䞭盀ではピンクのペンキで文字を曞き、終盀では濃いピンクの䞭で動き回る。

ここで「本」が出おきたのはカスタネダの著曞に関する論争が語り手(トリックスタヌ)の念頭にあるのではないか、ずふず思う。カスタネダの本の䞻人公ドン・ファンが実圚するかどうかずいう論争だ。が、語り手はそこに䞖界から察象を区別し、オリゞナルずコピヌを区別する「粟神」の「二分法」を芋出しお、むしろそれを掻き乱すカスタネダの方に接近しおいく。

ペペヌテを吞っお芚醒状態に入るドン・ファンず甘口のマテりス・ロれを飲んでドン・ファン・マトゥスを発想したずいうカスタネダは、サボテンずブドりずいう「怍物」ずヒトずの異皮の共進化を果たしおいる。「われわれの䞭に怍物が圧倒的に䟵入するずきの陶酔」。それは「本」を真停の区別から解攟し、リゟヌム状にするず語り手は蚀うのである。カスタネダはいう。「もっず先で、そのあいだにあった怍物が今床は自分の皮子をたき散らすずき、きみはこれらの怍物の぀぀から発する氎の流れにしたがうこずによっおきみの領土を殖やすこずができるだろう。」(同䞊 p.32)

「根」を持ち、液化し、気化もする「怍物」は、私たちを流䜓䞖界にふさわしいリゟヌム状ぞ倉容させる生き物なのだろう。私たちを地局的䞖界から脱領土化させ、流䜓䞖界に再領土化させる怍物たち。。。

◆

そんな「酔い」ぞずこちらを誘いながら、トリックスタヌ(語り手)は、今床は倧䞊段から「粟神」の「二分法」を振り回すような口調に倉わっお、「地図䜜補法」cartographiず「耇写術」décalcomanieは異なる、ず叫び始める。埌者の蚀葉を耳にするずマックス・゚ルンストや瀧口修造の䜜品を思い起こしおしたうが、どうもちょっず違う。耇写reproductibleず蚀い換えるずころからも語り手は資本䞻矩の再生産の方に関連させおいるようだ。たずはその「原理」から傟聎しよう。冒頭から批刀のトヌンもだいぶ高めだ。

5°および6°----地図䜜補法および耇写術の原理。
぀のリゟヌムは構造的たたは生成的な、いかなるモデルにも䟝存しない。
リゟヌムは生成軞ずか深局構造ずいった芳念ずはおよそ無瞁である。
生成軞ずは継起的な段階がそれにもずづいお組織される客䜓的回転軞的統䞀のようなものであり、深局構造ずはむしろ、無媒介の構成物に分解しうる基瀎の぀ながりのようなものであり、その䞀方で産出されたものの統䞀性は別の次元ぞず、぀たり、倉圢を行なう䞻芳的な次元ぞず移行する。
こうしお人は暹朚、あるいは根----盎根ないしひげ根ずいう衚象的モデルから䞀歩も出おいないのだ (䟋えば、チョムスキヌ的な「暹」がそうで、基瀎の぀ながりに結び぀けられ、二元論的論理にしたがっおみずからの産出の過皋を衚象しおいる)。
実に叀めかしい思考の倉皮にすぎない。
生成軞あるいは深局構造に぀いお、われわれはそれらがたず䜕よりも耇写の原理、無限に耇補可胜な原理であるず蚀いたい。
暹朚の論理はすべお耇写ず耇補の理論である。
蚀語孊においおも粟神分析においおも、この論理の察象はそれ自䜓衚象的な無意識であり、コヌド化された諞コンプレックスずなっお結晶し、生成軞䞊に配眮され、あるいは連蟞的構造の䞭に配分された無意識である。
この論理の目暙は珟実の状態を叙述するこずであり、盞互䞻芳的諞関係の均衡を回埩するこずであり、あるいは蚘憶ず蚀語の暗い片隅にひそんでいお、すでにそこにある無意識を探るこずである。
この論理は、すっかり出来䞊がったものずしお手に入る䜕ものかを、超コヌド化する構造から出発しお、あるいは支えずなる軞から出発しお耇写するこずに存しおいる。
暹朚はさたざたな茻射を分節し、か぀階局化する。
耇写の方は暹朚の葉のようなものだ。

(同䞊 pp.33-34)

土の䞋にあるずいう比喩ずしおの「根」、このむメヌゞを思考の「生成軞」や「深局構造」のように扱うのは「粟神」の「二分法」を䜜り出す「衚象モデル」の枠内に収たるからである。「衚象」représentationずいうモデルは再珟représentationの可胜性ずいう枠組みを蚭定し、「耇写の原理、無限に耇補可胜な原理」を䜜り、「二分法」を䜜動させるず語り手は熱匁する。耇写reproduction(再生産)を遡れば、起源に蟿り着くずいう「還元」なる考え方も、「粟神」の「二分法」ずいう安盎な思考から導出されおいるずいうのである。

語り手は、この䜿い叀された思考手順が、蚀語孊や粟神分析にも暩力を振るっおいお、蚀語においお語るこず自䜓をこの範囲内にずどめ、チョムスキヌなら蚀語の暹朚の頂点S(sentence)に、フロむトならオむディプスの<パパ-ママ-ボク>に還元しお、倖偎から「超コヌド化」された構造によっお、蚀葉自䜓の倚数倚様性を削いでしたう暩力を行䜿しおいる、ずいうのだ。倚数倚様性、たたは倚様䜓ず邊蚳されるmultiplicitéを、語り手は「根」ではなく「茎」であるリゟヌム(根茎)ず衚珟しおいる。

トリックスタヌに誘導されおミクロレベルの政治力孊の䞭に迷い蟌んでしたった。するず、次に出おくる「耇写」の察矩語のように甚いられる「地図」ずいう語はどうもこのmultiplicitéの地図であり、こちらがむメヌゞする玙に曞かれたりモニタヌで確認できるような「地図」ではないのだろう、ずいうこずはなんずなくわかっおくる。

リゟヌムはこれずは党く異なるもので、地図であっお耇写ではない。
耇写ではなく、地図を䜜るこず。
蘭は雀蜂の耇写を再珟しおいるのではなく、リゟヌムのうちにあっお雀蜂ずずもに地図になっおいるのだ。
地図が耇写に察立するのは、それがすべお、珟実ずじかに぀ながった実隓の方ぞ向いおいるからである。
地図は自己に閉じこもった無意識を耇補するものではなく、無意識を構築するのだ。
地図は諞分野の接続に向かい、噚官なき身䜓の封鎖解陀に、それら噚官なき身䜓を存立平面䞊ぞず最倧限に開くこずに向かう。
地図はそれ自䜓リゟヌムの䞀郚分をなしおいるのだ。
地図は開かれたものであり、たえず倉曎を受け入れるこずが可胜なもの、分解可胜、裏返し可胜なものであり、たえず倉曎を受け入れるこずが可胜なものである。
それは匕き裂かれ、裏返され、あらゆる性質のモンタヌゞュに適応し、䞀個人、䞀グルヌプ、䞀瀟䌚集団などによっお実行に移されうる。
それを壁に描くのもいいし、芞術䜜品ずしおずらえるのもよく、政治行動ずしおあるいは瞑想ずしお構築するのもいい。
倚分リゟヌムのいちばん重芁な性質の぀は、぀ねに倚数の入口を持぀ずいうこずだ。
この意味で巣穎は1個の動物的リゟヌムであり、ずきずしお移動通路ずしおの逃走線ず、貯蔵たたは䜏居甚の諞地局ずのあいだに明確な区別を持っおいる (ゞャコりネズミを参照せよ)。
地図は倚数の入口話持っおおり、これは぀ねに「同じもの」にもどる耇写ずは正反察である。
地図は運甚の問題であるのに察し、耇写は぀ねに仮定された「胜力」にかかわる。
粟神分析や粟神分析の胜力----どんな欲望や蚀衚も生成軞あるいは超コヌド化的構造に匕き寄せ、この軞䞊の諞段階、たたはこの構造の諞芁玠の単調な茻射を無限に䜜り出す粟神分析の胜力ずは反察に、分裂分析(スキゟアナリヌズ)は転写された宿呜のどんな芳念も拒絶する。
その宿呜に䞎えられおいる名が神的、聖曞神秘解釈的(アナゎゞック)、歎史的、経枈的、構造的、遺䌝的、あるいは連蟞的などどんなものであれ、拒絶するのだ。

(同䞊 pp.34-35)

『アンチ・オむディプス』以来、トリックスタヌが䜿う「機械」machineずいう語もそうだが、こちらが日垞䜿う蚀葉にこびり぀いたむメヌゞを匕き剥がさないずいけないような劙な圧力が、「地図」carteにもかかっおいる。「モダモダで行く」ずいう方針できたが、もうモダモダを倖偎から眺めるようなこずはするな、ず、モダモダの䞭に匕っ匵り蟌たれる感じだ。

するずトリックスタヌの二色の声が二重になっおいるこずにあらためお気づく。「粟神」の「暹朚状むメヌゞ」ずリゟヌムを察立させおいるように芋える圌(圌ら)の語り方は、リゟヌムのむメヌゞ(むメヌゞしにくいむメヌゞだが)にこちらを誘うために、ひずたずは既成のむメヌゞを倉圢させようずする手続き䞊の戊略なのだろうずいうこずを。

どこで切れおもちぎれおもいいリゟヌムから倚数の穎を持぀リゟヌムぞの芖芚むメヌゞで語るトリックスタヌの蚀葉は、ちょっずこちらの愚盎さを思い遣っおくれおいるず感じる。ただし、この優しさはmultiplicitéの倚様性(どこでも切れる)ず倚数性(倚数の穎)をバラバラにしお語るずいうリスクを担っおいるこずはこちらも理解できる。「倚分リゟヌムのいちばん重芁な性質の぀は、぀ねに倚数の入口を持぀ずいうこずだ」ず蚀う際に、圌(圌ら)はちょっず蚀い淀むように「倚分」ず発話したからである。

◆

この盎埌に、゚ピグラフに匕甚した「それにしおもわれわれは、地図ず耇写を、たるで良き面ず悪しき面ずいったふうに察立させるこずによっお、単なる二元論を再珟しおいるのではないか?」ずいう蚀葉になる(欲動ず郚分察象をオむディプスに耇写するメラニヌ・クラむンを非難した埌で)。ちょっずアゞテヌションが匷たりすぎお、盞手の眠にハマったような蚀い方をした、ずこちらの笑いを誘おうずしおいるのかもしれない。

ずもかく「問題は方法なのである——耇写を぀ねに地図にもどさなければならない」ずいう蚀葉を皮切りにこれたで抑えおいたかのような粟神分析ぞの批刀が始たる。(この詳现に぀いおは第2プラトヌ「1914幎----狌はただ1匹か数匹か?」の萜曞きの際にさたようこずにしお、今回はトリックスタヌの粟神分析ぞの憀りを受け止めるこずにずどめおおきたい。

頷きながら聎いおいるず、セラピストがクラむアントを型にはめるこずぞの語り手の飜くなき批刀は、セラピストが「暡写する偎」に立぀ずいう暩力をクラむアントに行䜿し続ける点にあり、クラむアントはその危険に晒され続けるこずに集䞭しおいる。そしおそこに「冗長性」ずいう語が出おきた。ヒトずいう皮が蚀語を持぀こずで獲埗した芋えないものを芋えおいるものから予想する胜力(ベむト゜ン「冗長性ずコヌド化」『粟神の生態孊ぞ』䞋巻参照)が批刀の俎䞊に茉せられおいる。「だからこそ耇写は実に危険なのだ。それは冗長性を泚ぎこみ、それを䌝播繁殖させる。」

すでに兞型的な幌児粟神分析においお、幌いハンスに起こっおいたこずを芋るがよい----たえず<圌のリゟヌムはこわされ>、<圌の地図はよごされ>、その地図は䜍眮を正され、あらゆる出口は塞がれお、぀いに圌は自分自身の恥蟱ず眪悪感を望むに至り、圌のうちに恥蟱ず眪悪感、<恐怖症(フォビヌ)>が根を生やす (圌に察しお建物のリゟヌム、次に街路のリゟヌムが封鎖され、圌は利甚心のベッドの䞭に根を生やすほど釘づけにされ、自分の肉䜓の䞊に偎根を生やされ、フロむト先生に金瞛りにされるのだ)。
(äž­ç•¥)
リゟヌムがふさがれ、暹朚化されおしたったら、もうおしたいで、もはや䜕䞀぀欲望から出おきはしない。
なぜなら欲望が動き䜕かを生み出すのは぀ねにリゟヌムを通しおなのだから。
欲望が暹朚にしたがうず必ず内的な䞋降が起こっお、それが欲望を挫折させ、死に導く。
ずころがリゟヌムは倖的か぀生産的な勢いによっお欲望に働きかけるのだ。

(同䞊 p.37)

䞊の匕甚で、耇写され暹朚化される以前の「地図」、リゟヌムの「地図」ずいう考えがようやく出おくる。途䞭を䞭略したのはトリックスタヌの怒りが蚀葉を投げ぀けるようにしおフロむトずメラニヌ・クラむンを匷い語調で批刀(むしろ眵倒)しおいたので、気持ちよく聎いおしたったからだ。そしお、䞭略した埌に圌(圌ら)の怒りがおさたったずころで、リゟヌムず欲望の関係぀いお語るずころを匕甚した。

欲望を動かすリゟヌムをモダモダしたものずしお存続させおいる感芚党䜓から䜜られるようなむメヌゞを圌(圌ら)は「地図」ず呌んでいるようだ。そんなふうに仮止めできるずころたできた、ず枊巻き状の流䜓䞖界にいるのも忘れお勝手に玍埗しおしたった。

けれど、ただ、ここ 

◆

怒りが倚少おさたったのか、トリックスタヌはやや平静な口調で、「耇写」ではなく「地図」を䜜るこずを語り出す。こちらも、ガタリの「地図䜜成」(cartographie)がきたな、ず䜙蚈な予備知識が出おきお身構えおしたう。どうやら、この「地図」をどうやっお䜿えるようにするのか、ずいうステップにきおいるようだ。

だからこそ、もう぀の操䜜、正反察だけれども察称的でない操䜜を詊みるこずが実に重芁なのである。
耇写を地図に぀なぎ盎すこず、根たたは暹朚をリゟヌムにもたらすこずだ。
幌いハンスの症䟋においお、無意識を研究するこずは、家族の䜏む家でもっお、たた建物や街路その他の逃走線でもっお、圌がいかにリゟヌムを䜜り䞊げようずするか瀺すこずであり、子䟛が家族のうちにみずからを根づかせ、父の姿のもずで写真に撮られ、母のベッドで耇写される以䞊、いかにそれらの逃走線が封鎖されおいるかずいうこず、そしおいかにフロむト先生の介入がさたざたな情動(アフェクト)の䞻䜓化や、シニフィアンによる暩力奪取を保蚌しおいるか、いかに子䟛が、恥蟱的か぀眪悪的なものずしお恐れられる<動物になる>ずいう圢のもずでしか、もはや逃走できないか、ずいうこずを瀺すこずであるだろう (幌いハンスが<銬になるこず>、これはたさに政治的遞択だ)。
けれども぀ねに地図の䞊に袋小路を眮き盎し、こうしお袋小路を可胜な逃走線に向かっお開いおやるべきであろう。
グルヌプの地図に぀いおも同じこずがいえる----リゟヌムのどんな点で集団化、官僚組織、リヌダヌシップ、ファッショ等々の珟象が圢䜜られるのか、にもかかわらずどんな線が、たずえ地䞋の線であっおも、存続しお、人知れずリゟヌムを䜜り続けおいるのか、ずいうこずを瀺すこず。
ドゥリニヌ・メ゜ッド----自閉症の子䟛の仕皮や動きの地図を䜜るこず、同じ1人の子䟛、幟人かの子䟛に察しおいく぀かの地図を組み合わせるこず・・・・・・。

(同䞊 pp.37-38)

確かに、フェリックス・ガタリ『分裂分析的地図䜜成法』(1988)を思い起こす郚分だが、その詳现を省きながらも「地図䜜成」ずいう行為のミクロ政治的な特城が端的に衚珟されおいるように感じられる。蚀語以前のダむナミックな䞖界の地図化は特に東掋で曌荌矅によっお衚され、蚀語に意味分節される過皋は阿頌耶識ずしお蚭定されおいたこずず察照するず、さらにこの「地図䜜補」ずいう行為が政治的な「操䜜」であるこずがわかるからである。(「ハンスが<銬になるこず>」に぀いおは、今回は省略。)

「耇写を地図に぀なぎ盎すこず、根たたは暹朚をリゟヌムにもたらすこず」ずいう「操䜜」は、東掋思想なら「俗䞖」ず呌ぶ䞖界から離れお行われるが、「地図䜜補」は「俗䞖」を倉えるこずに䞻県を眮いおいるず蚀えるからだ。぀たりミクロレベルから革呜を起こす「操䜜」ずしお匷調されおいるのである。個人の「地図」だけでなく「集団」の「地図」を䜜るずいう行為は、単なる個人の心理を基点ずした集団の行動を統蚈化したデヌタずしお扱うこずずは異なるようだ。「地図䜜補」者ずの関係もそこに入るからである。

ずいうのも、「ドゥリニヌ・メ゜ッド」を䟋に玹介される「地図䜜補」の「操䜜」モデルには、「自閉症の子䟛の仕皮や動きの地図を䜜るこず、同じ1人の子䟛、幟人かの子䟛に察しおいく぀かの地図を組み合わせるこず」ずいう、䜜補者ずの䞀時的で䞍確かな各々の「仕皮や動き」の関係も入るのであり、その「組み合わせ」を倚元的にダむアグラム(図匏)化するこずが求められおいるからだ。(倚数倚様なこの地図の䜜成法が4぀の機胜玠で倚次元化されお構成される点に぀いおはガタリの前掲曞を参照。)

「地図ないしリゟヌムが本質的に倚数の入口を持぀ずいうこずが真実なら、必芁な甚心をした䞊でのこずだが、耇写の道や暹朚-根の通路によっおもそこに入るこずができるずいうこずさえ考察に入れるべきだろう」(同䞊 p.38)ずいう蚀葉に続いお「(ここでもたたマニ教的二元論にこだわっおはならない)」ず加える語り手の二色の声は、ゟロアスタヌ教ずキリスト教の折衷した宗教以来「粟神」の「二分法」によっおトップダりン暩力(語り手はこの暩力による䜓制を「パラノむア」ず呌ぶ)を行䜿し続ける瀟䌚が倉革ぞ向ける入口を瀺そうずしおいるのかもしれない。

䟋えば、われわれはしばしば、袋小路の䞭をめぐるこずを䜙儀なくされ、さたざたな意味圢成的暩力や䞻䜓的感情を経由するこず、オむディプス的、パラノむア的圢成䜓に䟝拠するこず、あるいはもっず悪いこずに、その他の倉圢操䜜を可胜にする硬化した領土性に䟝拠するこずを䜙儀なくされるだろう。
粟神分析そのものが、䟝拠すべき点ずしお----いや、その意に反しおのこずではあるが----圹立぀ずいうこずさえありうるのだ。
他の堎合は逆に、地局を炞裂させ、根を断ち切っお、新たな接続をするこずを蚱すような逃走線に盎接䟝拠するこずになるだろう。

(同䞊 p.39)

䞊の匕甚で語られおいるのは戊略なのだが、「地図」の方は「操䜜」ずずもに倉容するずいう点で、䞀般にむメヌゞされる戊略の「地図」ずは違う。戊略ずしおはトップダりン型の䜓制(領土性)に「䟝拠」しお、「地局を炞裂させ、根を断ち切っお、新たな接続をするこずを蚱すような逃走線に盎接䟝拠する」ずいう。確かに、閉塞からの解攟ずいう自由のむメヌゞで語るずどこか叀颚な感じがしおしたうのは、これたで考えおいた「地図」のむメヌゞが倉わり始めたからかもしれない。(はっきりず「倉わった」ずは蚀いきれないのだが。)

◆

そんなこずを考えおあれこれず浮かぶ考えの䞭を逡巡しおいるず、語り手はいきなりたずめみたいなこずを蚀い始めおいる。これたで「粟神」の「二分法」に「䟝拠」するかのように区別しお蚀っおきたのは、各々セットになった「アレンゞメント」なのだずいう。「アレンゞメント」・・・、そうだった。すっかり忘れおいたが、ここは流䜓的な䞖界だったのである。速床酔いが芚めおきたのだろうか。あたり慣れるのもよくないようだ。

ずいうわけで、地図-耇写、リゟヌム-根ずいった実にさたざたなアレンゞメントがあり、それらはさたざたに倉化する脱領土化の係数をずもなっおいる。
リゟヌムのうちにも暹朚や根の構造が存圚する。
けれどもたた反察に暹朚の枝や根の䞀片がリゟヌムずしお発芜しはじめるこずもありうるのだ。
その刀定はこの堎合、䞀般抂念を前提ずする理論的分析にかかっおいるのではなくお、もろもろの倚様䜓あるいは匷床の集合を圢成するプラグマティックにかかわっおいる。
暹朚の䞭栞に、根の窪みあるいは枝の぀け根のずころに、䜕か新たなリゟヌムが圢䜜られるこずがありうる。
あるいは、暹朚-根の極埮な芁玠である偎根が、リゟヌムを生み出す糞口になるこずもある。
簿蚘や圹所仕事は耇写によっお進められる----にもかかわらずそれらが発芜しはじめ、リゟヌムの茎を䌞ばしはじめるこずもある。
ちょうどカフカの小説におけるように。
ある匷床の特性がみずから䜜甚しはじめ、幻芚的知芚、共感芚、倒錯的な突然倉異、むマヌゞュの戯れなどが突出するず、シニフィアンの芇暩は疑問に付させるこずになる。
身振り的-黙劇的-遊戯的ずいった蚘号䜜甚が子䟛においお自由を取り戻し、「耇写」から、぀たり教垫の蚀語の支配的胜力から身をもぎ離す----぀の極埮な出来事が局地的暩力の均衡を芆すのだ。
こうしおチョムスキヌの連蟞モデルにもずづいお構成された生成暹は、四方八方に向かっお開かれ、今床はそれらがリゟヌムになるかもしれない。
リゟヌム状になるずいうこずは、根のように芋える茎や繊維を産み出すこず、いやそれよりも幹に䟵入しおそれらの根ず連結され、それらを奇劙で新たな甚途に圹立おるこずも蟞さない茎や繊維を産み出すずいうこずである。
われわれは暹朚に倊み疲れおいる。
われわれはもはや暹朚や根を、たた偎根を信ずるべきではない。
そうしたものを我慢しすぎおきたのだ。
暹朚状の文化のすべおが、生物孊から蚀語孊に至るたで、そうしたものにもずづいおいる。
逆に、地䞋茎ず空䞭根、雑草ずリゟヌムの他には、䜕䞀぀ずしお矎しいもの、愛にあふれたもの、政治的なものなどない。
アムステルダム、たったく根をもたない郜垂、茎-運河をそなえたリゟヌム-郜垂、そこでは有甚性が、商業的戊争機械ず関係し぀぀、最倧の狂気ず結び぀いおいる。

(同䞊 pp.39-40)

様々な「アレンゞメント」には「脱領土化の係数をずもなっおいる」ずいう䞀節で、そうなのかず思ったこずがあった。「係数」ずいう語のおかげだ。「y=2x」ずいう簡単匏にも出おくる。右蟺にある「2」の郚分だ。これは「x」のような倉数がどのくらい倧きくたたは小さくなるかその床合いを衚す。ずおも基本的な匷床の衚珟からである。y=2xを単項匏ず呌ぶような項目間の関係ではなく、匷床(床合い)の関係ずしおの様々なアレンゞメントが重なり合う「地図」のむメヌゞががんやり浮かぶ。確かにモダモダしおいる。

「リゟヌム」がモダモダしおモゞャモゞャした倚皮倚数倚様倚重倚元なモゞュヌルであるこずが、床合いずいう項目を取らない関係それ自䜓を衚すず考えるず、芳念ず印象に纏わる感情や情動の床合いからなるアレンゞメントのモダモダの濃淡、匷匱、倧小、硬軟の床合いが倉わるこずも、倚少むメヌゞできるようになる。同時に、印象ず芳念は垞時身䜓に結び぀いおいるのだから、自分が動くたび立ち止たるたびに感じる、芋える、気づく、思う等々のこずもこの匷床の「地図」にその぀ど曞き蟌たれるのだろう。

そこたで考えお、トリックスタヌの蚀葉にだいぶ埌れを取ったこずに気づいお、慌おお远いかけるこずにした。「地図-耇写、リゟヌム-根」を察立する二項ではなく、1セットのアレンゞメントの床合いの違いず考えよ、ずいう。するず䞡者は「蘭ず雀蜂」のように、互いに入り蟌み、そこから出おいくこずを繰り返しお(「脱領土化」/「再領土化」)、異質なもの同士の「非平行的発達」を継続しおいるこずが感芚的にむメヌゞされおくる。

蚀葉を理解しようずするず蚀葉の方に觊発されお、意味に止たるこずが難しくなっおきた。が、もうちょっず螏ん匵っおみる。「䞀般抂念を前提ずする理論的分析にかかっおいるのではなくお、もろもろの倚様䜓あるいは匷床の集合を圢成するプラグマティックにかかわっおいる」ずいうトリックスタヌの蚀葉に沿っお進んでみるず、暹朚の比喩の扱いはミクロレベルからこの䞖界に革呜を起こそうずするアゞテヌションの修蟞に思えおくる。そうだった、トリックスタヌは䞖界を掻き回す圹回りであり、前の挔目から次の挔目に橋枡しするサヌカスのピ゚ロ、そしお革呜家だった。

写真は、革呜運動の䞭でアゞテヌタヌずしお掻躍した道化垫(ピ゚ロ,クラりン)、ノィタヌリ・ラザレンコ、ロシア・アノァンギャルドの䜜品に倚くのモチヌフを提䟛した(革呜revolutionもサヌカスcircusもグルグル回る:revolte/circle。倧島幹雄『サヌカスず革呜』(1990)から:https://deracine.fool.jp/books/kakumei.htm参照)

リゟヌム(根茎)は「根」ではない。そんな<リゟヌム-茎>の自己䞻匵を隅々たで「暹朚状のむマヌゞュ」で満たされた文化に䟵入させるずいう語り手のミクロ政治的な戊略は、䞀方で、䞖界党䜓が「母なるもの」の呜什に満ちた党称呜題(∀)ずしお受け止め、沈黙を匷いられるずいう、ある統合倱調症のクラむアントの症状を思わせるものがある(ベむト゜ン「疫孊の芋地から芋た統合倱調」『粟神の生態孊ぞ』䞭巻参照)。

他方で、語り手は、そのような文化からは「狂気」のように芋えるだろう「根」のない堎所があるこずも特称呜題(∃)を差し挟むように最埌に瀺す----「アムステルダム」、封建囜家ず絶察王政囜家の䞭の17-18䞖玀に隆盛を誇った「運河-茎」が瞊暪に走る海に開かれた郜垂。デカルトが蟿り着いた終焉の地、そしお、スピノザがそこから出おいく出生の地----。

「根茎」-郜垂はデカルト-スピノザずいうセットの匷床の地図を䜜り出した、ずいう含みでもあるのだろうか。自分の蚀葉にちょっず陶酔したような語り手の語調からするずそんな気もしおくる。ずいうのも、唐突に䜕の脈絡もなく「アムステルダム」ず詠嘆調でこの固有名詞が出おくるように感じたからだ。この郜垂は、語り手がもう少し埌に「特殊なもの」ず呌ぶこずになる<プラトヌ>状態の代衚的な䟋なのかもしれない。

「量化」(<すべお/䞀぀はある>の区別)は、「゚クリチュヌル」を意味から解攟し、量ずしお空間に配分するのだった(「序 リゟヌム」 『千のプラトヌ』䞊巻 p.17,18参照)。するず、トリックスタヌはその空間化する堎を「地図」ず呌んでいるのだろうか?

䞊の地図は16䞖玀のアムステルダムの叀地図:運河の流れ、物流の流れ、人の流れからなる「商業的戊争機械ず関係する」郜垂ずいう圢態ずなった「プラトヌ」?https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kaart_van_Amsterdam_in_vogelvlucht,_anno_1544.jpeg参照




で、「本」の話はどうなった?

もう終わった?

い぀終わった?


続く  

◆

今回は40pたでで力尜きた。『千のプラトヌ』の「萜曞き」を3回詊みお気づいたのは、語り手の衚情が蚀葉に滲み出おいるずいう点だ。それゆえ、次々に登堎する新奇な語を䞀般抂念ずしお取り出すず、語りの衚情が消えおしたうずいうこずも。それもあっお、邊蚳の文を省略しお匕甚するこずが難しい堎合が倚くなっおしたうこずも。いわゆる「たずめ」蚘事から芋れば「焌き増し」蚘事になっおいる。「萜曞き」なのでもちろん「目次」も぀けられない。

䞀方で、これらの「萜曞き」がLLMを䜿っおいないこずは、匕甚文の倚さずいう点で仄めかしおおきたい気持ちもある。(LLMでは著䜜暩のある文に぀いおは匕甚より芁玄で文字化されるのが䞀般的だ。) 仕事ではコンピュヌタに向き合う時間が倚く、閉鎖した空間で座ったり立ったりしおマン・マシン・システム化しおいるので、広い環境で身䜓を動かしおいるマン・ネむチャヌ・システム化にシフトした感芚をコンピュヌタに吹き蟌んでやりたい、ずい忿懣も倧いにある。

始終オンラむンの生掻にはうんざりしおいるのだ。(どちらかずいえば「暹朚のむマヌゞュ」に快楜を求めるより、『千のプラトヌ』に巻き蟌たれおいるほうがいいずいう性癖のようである。)

もう䞀぀、『千のプラトヌ』を萜曞きするこずで気づいたこずがある。私は身䜓をめぐる新しい蚀葉ずその䜿い方を習埗したいのだ。『千のプラトヌ』はこのような新しい蚀葉の語孊テキストでもある。この考えは、今回少しだけ蚀及したF・ガタリ『分裂分析的地図䜜成法』の倥しい「地図」(ダむアグラム)を芋ながら読む経隓ず、アラカワ+ギンズの著䜜での身䜓をめぐる蚀葉の䜿い方を圌らの䜜品を䜓隓し぀぀読むこずからきおいる。それゆえ、ドゥルヌズ哲孊に分類される『千のプラトヌ』だが、私の接し方は倚少ガタリ偎に偏ったものかもしれない(もちろん、ガタリの著䜜を「理解」しおいるわけではない)。

ずはいえ、月末に迫った移䜏の準備で、玙の資料はほが梱包しおしたい、広がりのない「萜曞き」になっおいるのは確かだ。吊、感想にもならないから「萜曞き」ず呌んでいるのだから、このような戯蚀の連なりが、盞応の曞き方なのだろう。それゆえ今しばらくは、こちらが知識をぶ぀けるのではなく受け身になる堎合が倚くなる。異界をさたよう物語ずいう手前勝手なスタむルはただ続きそうだ。



※芋出し画像は、乱流むメヌゞをあらゆるずころに芋出したレオナルド・ダ・ノィンチが軍事郜垂構想ずしお1502幎に䞊空から鳥瞰したようにしお描いたむタリア・むモラ垂の郜垂蚈画地図。
運河を匵り巡らし、人の流れず物流の流れを分離しお配するこずで、幟䜕孊的な均衡ず流䜓的な䞍均衡を組み合わせた図になっおいるずされる。画像では切れおいるが、幟䜕孊的均衡を砎るように右䞋の方にはうねった川の流れが描かれおいる。
(※https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/052600315/参照)

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