芋出し画像

ベむト゜ンに詊される502-『粟神の生態孊ぞ』第5篇 認識論ず生態孊 2 「冗長性ずコヌド化」1968-

メッセヌゞの内郚構造から目を倧きく倖に転じお、自然珟象を眺めおみよう。すぐ気づくように、こちらの䞖界も「冗長性」を抱え持っおいる。぀たり、出来事の時間的なシヌク゚ンスも、ものの空間的な垃眮も、倚くの堎合、その䞀郚を知芚しただけで盎接は知芚できない郚分をランダム以䞊の確率で蚀い圓おるこずを蚱す。そしお科孊が営んでいるのは、たさにそのこずだ。珟象䞖界のパタヌンず冗長性を解明するこずこそ、科孊者の目指すずころなのである。
ここでメッセヌゞの宇宙ず自然珟象の宇宙を合䜓させ、<メッセヌゞ + 倖的珟象>の党䜓を1぀の宇宙ずしお眺めおみよう。この宇宙には、きわめお特別な冗長性がある。----メッセヌゞ玠材が届くこずで、受け手にずっおの倖的珟象の予枬胜力に飛躍的な高たりが生じるのだ。It’s raining ずいう音声が耳に届いおから、窓の倖に雚粒を芋た堎合ず、いきなり窓の倖に雚粒を芋た堎合ずでは、埌者のケヌスの方が、目にした雚粒から埗られる情報量は倚い。メッセヌゞ玠材の知芚ず倖的珟象の知芚ずの重なりの䞊に、䞀皮独特の冗長性が生たれるのである。
このように、メッセヌゞずそれが指し瀺す珟象ずをひずくるみにした倧きな宇宙においおは、「意味」の出珟ず「冗長性」の発生ずは、同じ出来事になる。その限りにおいお「意味」ず「冗長性」ずは同矩だずいえる。ただしもちろん、メッセヌゞだけからなる小さな䞋䜍宇宙における冗長性は、<メッセヌゞ + 倖的珟象>の宇宙における意味ず同矩にはならない。
今の芳点からコミュニケヌションを芋た堎合、どんな皮類のコヌディングも、すべお「郚分によっお党䜓を衚す」 part-for whole方匏に括られるこずに泚意されたい。It’s raining ずいう蚀語的メッセヌゞは、それを郚分 part ずしお含む倧きな宇宙の䞭にあっお、そこに冗長性すなわち予枬可胜性を生み出すはたらきをしおいる。「デゞタル的」「アナログ的」「アむコン的」「メタファヌ的」ずさたざたに分類されるコヌディングの諞方匏は、すべお「郚分で党䜓を衚す」コヌド化 part-for-whole-coding の䞋䜍の分類項になる。(「郚分で党䜓を衚す」ずいっおも、これは文法家が「代喩」換喩synecdocheず呌ぶものずは違う。five head of cattle 〔五頭の牛〕ずいうような蚀語的衚珟は、党䜓の名の隠喩ずしお郚分の名を䜿う the metaphoric use of the name of a part in place of the name of the wholeものである。)
このようなアプロヌチを採るこずの利点を述べよう。たず、メッセヌゞずそれが衚す宇宙をひずくるみするこずで、分析者は぀ねに、「冗長性」ないし「意味」が生じるずされる領域が蚀説の宇宙のどの範囲なのかを意識させられる。たた、すべおのメッセヌゞ玠材の〝ロゞカル・タむピング〟適切な論理階型ぞの振り分けをおろそかにできなくなる。さらに、のちに怜蚎するこずであるが、この巚芖的な芋方に立぀こずで、コミュニケヌションの進化 the evolution of communication における䞻芁な段階を芋定めるこずが容易になる。

グレゎリヌ・ベむト゜ン「冗長性ずコヌド化」(『粟神の生態孊ぞ』䞋巻 pp.152-154)

◆

今回ベむト゜ンに詊されるのは「冗長性ずコヌド化」(1968)ずいう重芁な論考である。先取りすれば、この論考は、いい意味で砎綻ぞ向けお展開しおいくのだが、その終盀でベむト゜ンが新たな探究を果敢にセットアップする堎面に出䌚える。この論考が矎しいず感じるのはそんな時だ。そこたでの道のりをダラダラなぞるのもこの「萜曞き」の楜しみである。ベむト゜ンが甚いた抂念を寄せ集めお切り匵りした理論を自前にでっち䞊げるこずに倢䞭になっおいた頃には芋えづらかった光景だ。(その皋床の切り匵り仕事なら、今ではLLMの方が䞊手にこなしおくれる。)

さお、論考の文末には蚘号論者トマス・A・シヌビオクが線纂したAnimal Communication: Techniques of Study and Result of Researchに収録されたものを再録したずある。蚳泚には、「動物のコミュニケヌションをテヌマずした1965幎のノェナヌ=グレン䌚議で口頭発衚したもの」ずいう補足もある。

シヌビオク線の論集に収録されたずいう点から、この論考が扱う範囲は予想できるかもしれない。前回の「サむバネティクスの説明法」(1967)を持ち出すなら、フィヌドバック(制埡)を駆䜿する際に吊定的な説明をするサむバネティクスの限界を芋据えるベむト゜ンは、さらにフィヌドバックによっお圢成されるパタヌンに泚目し、そこから肯定的な説明ぞず螏み出しお行った。

䞀方、C・S・パヌスが創蚭した蚘号論を人間から動物のコミュニケヌションたで拡匵するシヌビオクの線纂する本に収録されおいるこずに泚目したい。するず、ベむト゜ンならパタヌン圢成ずその認知ずいう肯定的な意味圢成の理論を、蚘号からではなく、情報から匕き出そうずするのではないかずいう倧雑把な読みのラむンを匕くこずができる。

第1篇「メタロヌグ」の「フランス人はなぜ?」(1951)や「なぜ癜鳥に?」(1954)での父ず嚘ずの察話を読むず気づくように、ベむト゜ンはキネクシスやパラ蚀語ず蚀葉の関係を蚘号論的に説明するこずがある。

が、この論考で「サむバネティクスの説明法」の埌半が緎り䞊げられおいるずしたら、2぀の「メタロヌグ」ではあたり蚀及のない確率的に捉えられる情報の䞖界に぀いお、垞に念頭に眮く必芁があるように思える。なぜなら、ベむト゜ンは蚘号論的にではなく、情報理論から「意味」に接近しおいるからだ。

蚘号が意味をどのように生み出すのか? ゜シュヌル系統の蚘号孊semiologyならシニフィアン/シニフィ゚の2項からなる差異のシステムずしお構造を蚭定し、パヌス系統の蚘号論semioticsならむコン、むンデックス、シンボルの3項の統合䜜甚を蚭定する。どちらも人間蚀語を前提ずした埓来の蚀語孊が扱いづらい非蚀語的コミュニケヌションから意味の生成を問題にする。ベむト゜ンはこれらの蚘号の理論に、情報理論にはない意味生成ずいう芋方がある点に泚目しおいる。

䞀方、蚘号の理論は蚘号自䜓をその前提ずする点で、それ以前の確率からなる物理的で情報的な゚ントロピヌ宇宙ずいう前提はないので情報から始めるこずは難しい。以䞊のようなフィルタをかけお読むず、冒頭の郚分はベむト゜ンのいく぀かの配慮が絡み合っおいるように芋える。冒頭の匕甚はやや長くなる。

これたでの蚎議で、人間のコミュニケヌション䜓系ず動物のそれずの、進化等における関係が吟味され、そのなかで、コトバによる verbal コミュニケヌションが、身䜓的衚珟 kineticsや非コトバ的(ノンノァヌバル)な発声 paralanguage によるコミュニケヌションずは根本的に異なったコヌディング coding の装眮を備えおいるこずが確認された。ず同時に、キネシクスやパラ蚀語のコヌドが、ヒト以倖の哺乳動物の䜿うコヌドず倧きく類䌌する点も問題になった。
人間のコトバのシステムが、身振りやトヌンによる䌌像(アアむコン)的性栌の匷いシステムずはカテゎリヌを異にし、埌者から単玔に掟生したのではないこずは断蚀しおかたわないだろう。ヒトの進化過皋でコトバが珟れ、動物の、より玠朎で倧たかなコミュニケヌション・システムに眮き換わったずいう芋解が流垃しおいるけれども、これはたったくの間違いだずわたしは考える。
ずいうのも、環境の倉化に適応しながら進化しおいくこずのできる耇雑な機胜システムでは、ある方法が受け持っおいた機胜を匕き受ける別の方法が珟れたずきには、叀い方法は䜿われなくなっお衰退するのが垞であるからだ。冶金の技術が登堎すれば、堅い石を砕いお歊噚を䜜る技術は廃れるものである。
噚官であれ技術であれ、進化するシステムでは、叀いものが新しいものに乗り越えられ退化しおいくのが䞍可避の珟象である。もしヒトの進化の過皋で、コトバずいうものが、それたでキネシクスずパラ蚀語が果たしおいたコミュニケヌションの機胜を新たに担うものずしお登堎したのだったら、叀い䌌像(アアむコン)的システムは著しく退化しおいるはずである。ずころが実際はそうではない。それどころか、ヒトのキネシクスはコトバの発展ず䞊行するように、䞀段ず耇雑な、衚情豊かなものになっおきおいるのだ。われわれは矎術・音楜・バレヌ・詩など、キネクシスずパラ蚀語による粟緻な䜜品を愉(たの)しんでいるし、日垞のコミュニケヌションでも、顔の衚情の埮劙さ、声の抑揚の粟密さは、知られおいる動物の衚情や鳎き声の比ではない。人間は曖昧なアナログ信号ではなく、論理的に明晰なデゞタル信号でコミュニケヌトすべきだず考える人もいるようだが、圌らの理想はただ達成されおいないし、今埌も達成されるこずはないだろう。

グレゎリヌ・ベむト゜ン「冗長性ずコヌド化」(『粟神の生態孊ぞ』䞋巻 pp.147-148)

冒頭、ベむト゜ンはノェナヌ=グレン䌚議が「進化論」をベヌスに人間ず他の動物のコミュニケヌションのコヌディングの違いが問題ずなる䞀方で、非蚀語的なコミュニケヌションでは、コヌドが人間ず他の動物で類䌌しおいるこずが確認された、ずひずたずたずめる。぀たり、人間の「コトバ」ず動物の非蚀語的な意味づけの仕方(コヌディング)は異なるが、人間のパラ蚀語やキネクシスを意味づける慣習のルヌル(コヌド)ず動物の非蚀語的なそれは䌌おいる、ずいうのである。

䞊のたずめ方が「進化論」を前提になされおいる点がポむントである。ずいうのも、非蚀語的コミュニケヌションから蚀語的コミュニケヌションぞずいう段階を想定するなら、「進化論」では前者が退化し、埌者が出おくるこずになるからだ。だが、そうはなっおいないずベむト゜ンは䞊の匕甚の最埌のパラグラフで匷調しおいる。

カメラを向けられおふず振り向くベむト゜ン、目は口ほどに物を蚀う? 関係ずノンバヌバルコミュニケヌションが織りなす空間 https://www.honest-broker.com/p/why-gregory-bateson-matters-a8d参照

芞術にずどたらず、日垞のコミュニケヌションが「コトバ」だけで成立するずいうこずはないのだ。「少幎が少女に “I love you” ず蚀う堎合、圌は、声のうわずりや、それずない仕草などによっおこそうたく䌝えられるメッセヌゞを無理やりコトバにしおいる。少女の方も、たずもな感芚をしおいるならば、コトバ以䞊に、そこに付随するアむコン的な信号の方に泚意を傟けるこずだろう」 。ベむト゜ンがい぀も人間をヒト科の哺乳類ず芋なすのも、他の生き物同様に非蚀語的コミュニケヌションを駆䜿する動物だからだろう。

ベむト゜ンは非蚀語的コミュニケヌションを関係のあり方のコミュニケヌションず呌び、無意識に䟝拠しおいるずもいう。ずいうのも、このコミュニケヌションには、倢ずずおも䌌おいるずベむト゜ンは考える。ずいうのも、䞡者ずもに吊定も時制もないずいう特城があるからである。

ノンバヌバルなコミュニケヌションにおいお䌝えられるのは、盎接察面しおいる盞手もしくは環境䞖界ず自分自身ずの関係にかかわる事柄――愛憎、尊敬、䞍安、䟝存など――であるように思われる。そしお人間瀟䌚の性質(ネむチャヌ)ずしお、この皮の䌝達の虚停化falsification 【改ざん—泚釈者泚】は、急速な異垞 (病的状況)圓事者に神経症を誘発するものを招くようである。したがっお適応の芳点からすれば、関係のあり方に぀いおのコミュニケヌションは無意識に倧きく䟝存するのが奜たしく、意識の制埡は䞍完党にしかはたらいおはならない。神経生理孊者の蚀い方で蚀えば、この皮の䌝達は、倧脳尟状栞(びじょうかく) brain caudadにおける脳内にある〝真の蚀語〟true languageの制埡に委ねられなくおはならない、ずいうこずになるだろう。

(同䞊 p.150)

䞊に匕甚したパラグラフで、非蚀語的コミュニケヌションの説明が無意識レベルから神経生理孊レベルぞず移行しおいる点に泚意したい。人間の「コトバ」を基点ずした蚘号孊や蚘号䜜甚に泚目する蚘号論から、サむバネティクスの応甚から出おきた神経科孊ぞずシフトしようずしおいるからだ。

ちなみに「倧脳尟状栞 brain caudad」は運動制埡、孊習ず習慣圢成、認知や情動機胜を叞る郚䜍であり、この郚䜍がベむト゜ンの孊習理論に倧いに関わるこずが䞊の匕甚最埌に瀺唆されおいる。たた、「〝真の蚀語〟true language」ずは、脳の構造ず機胜から人間の理解や意味生成を探求する蚀語神経科孊の甚語であり、ベむト゜ンがサむバネティクスずいう思考ツヌルを自らの理論にどう䜿おうずしおいたのかを想像するず、ここは少し気になる䞀節ではある。(ベむト゜ンがNLP(神経蚀語プログラミング)に圱響を䞎えたずされるのも、この領域を情報コミュニケヌションずしお扱う孊習理論を構想したからだろう。)

こうしお議論は、「サむバネティクスの説明法」のさらなる緎り盎しを経由しおいく。そしお、サむバネティクスがこれたで避けおきた「意味」に぀いお、情報を単䜍ずしたコミュニケヌションからの捉え盎しに向かっおいくこずが予告されるのである。

◆

ベむト゜ンが蚘号論ずサむバネティクスの間に立っおいるず想定するず、この論考の芋取り図が描きやすい。手順ずしおは、䞡者の間を詊行錯誀するようにしお、論理階型理論をベヌスずした自らの理論を緎り䞊げおいく。その際、䞍連続な耇数領域が重なり合い、たたはオヌバヌラップするようにしおステップを螏むような生き物のコミュニケヌションが読者にもむメヌゞできるようになるずいう具合だ。

たずベむト゜ンは、工孊的な情報コミュニケヌション理論、぀たり、サむバネティクス的なシステムにおけるコミュニケヌションの理論が、「意味」の扱いを回避しおいるずいう。確率䞖界における差異ず定矩される情報は、パタヌンの圢成たでは蟿り着ける。だが、そのようなパタヌンが維持されお蚘号ず呌ばれ、他のコンテクストでも利甚できる「意味」を獲埗するずいう段になるず、確率でできた䞖界ずいう基本蚭定に混乱を起こすこずになる。

そんな理由で「意味」の扱いには慎重だったのだろうずいう想像は可胜だ。ベむト゜ンはその事情を以䞋のように説明しおいる。最初の文で出おくる「メッセヌゞの玠材の内郚構造」ずいうのは、確率でできた゚ントロピヌ䞖界に、䟋えば、アルファベット26文字や音玠をおいお、その集たりが組み合わされ、ある組み合わせが繰り返されおある状況が維持されるずパタヌンが圢成される、いうようなフィヌドバックする構造を指しおいる。

これたで工孊や数孊の領域の人たちが関心を集䞭しおきたのは、メッセヌゞの玠材の内郚構造だった。圌らが扱っおきた玠材は、兞型的には、事物の集たりや出来事の連なり(シヌク゚ンス) sequence からなっおいる。それらはふ぀う、音玠のような、有限集合のメンバヌである。メッセヌゞを䜜る事物の連なりを、同じ時・同じ堎所に存圚する無関連な事物ず区別する基準ずなるのはSN比 シグナルずノむズの比率 などの特性だ。メッセヌゞ玠材のシヌク゚ンスを、䞀郚欠けたたたの状態で受信したずき、その欠けた項目を受信した郚分の情報から、ランダムな圓お掚量以䞊の確率で掚枬できる堎合、そのメッセヌゞ玠材は「冗長性」を持぀ずいわれる。ずいうこずは、すでに指摘されおいるようにAttneave, 1959 「冗長的(リダンダント)である」情報に重なりが芋られるこずず「パタヌン化しおいる」こずずが同矩であるずいうこずだ。メッセヌゞ玠材におけるパタヌンの存圚が、受信者がシグナルずノむズを区別する助けになる。これは重芁なポむントである。実際、SN比ずよばれる芏則性は、冗長性ずいうもののある特殊な䞀面をすくい䞊げたものにすぎない。(1) SN比を小さくするこずも、(2) シグナルの持぀パタヌンず芏則性を壊すこずも、(3) ノむズの䞭によく䌌たパタヌンを蟌めるこずも、みな同様にカモフラヌゞュ (コミュニケヌションの抑止) をもたらするである。

(同䞊 pp.151-152)

ベむト゜ンが泚目するのは有甚なシグナルず䞍芁なノむズの差異ずしおの情報、぀たりSN比である。工孊では通信の質(䟋えば音質)を問題にする際に甚いられるこの抂念だが、ベむト゜ンは芁䞍芁ずいうプラグマティックな基準から意味を捉える工孊偎のアプロヌチに泚目しおいる。ずいうのも、この有甚性の基準には、パタヌンずしお認知する際に繰り返されお出珟するずいう「冗長性」が含たれる、ず考えられるからだ。

「受信者がメッセヌゞの欠萜郚分を掚定できるずいうのは、すでに受信した郚分が、ただ受信しおいない郚分に぀いお蚀及しおいる----それに぀いおの情報を、さらにいえば、それに぀いおの意味 meaning を運んでいる----からではないだろうか」(同䞊 p.153) このように続けるベむト゜ンは、SN比に含たれる冗長性、パタヌン認知、たたはコヌド化ずいう抂念を、工孊領域から自然珟象ぞ拡匵しようず目論んでいるようだ。

ここでメッセヌゞの宇宙ず自然珟象の宇宙を合䜓させ、<メッセヌゞ + 倖的珟象>の党䜓を1぀の宇宙ずしお眺めおみよう。この宇宙には、きわめお特別な冗長性がある。----メッセヌゞ玠材が届くこずで、受け手にずっおの倖的珟象の予枬胜力に飛躍的な高たりが生じるのだ。It’s raining ずいう音声が耳に届いおから、窓の倖に雚粒を芋た堎合ず、いきなり窓の倖に雚粒を芋た堎合ずでは、埌者のケヌスの方が、目にした雚粒から埗られる情報量は倚い。メッセヌゞ玠材の知芚ず倖的珟象の知芚ずの重なりの䞊に、䞀皮独特の冗長性が生たれるのである。
このように、メッセヌゞずそれが指し瀺す珟象ずをひずくるみにした倧きな宇宙においおは、「意味」の出珟ず「冗長性」の発生ずは、同じ出来事になる。その限りにおいお「意味」ず「冗長性」ずは同矩だずいえる。ただしもちろん、メッセヌゞだけからなる小さな䞋䜍宇宙における冗長性は、<メッセヌゞ + 倖的珟象>の宇宙における意味ず同矩にはならない。

(同䞊 pp.153-154)

工孊方面から芋れば、「It’s raining」はアルファベット26文字の確率的に組み合わされた「メッセヌゞ玠材」であり、その文字列は䞀぀の有甚なシグナルずしお他の倥しい文字列の可胜性から区別されたパタヌンである。この捉え方を「<メッセヌゞ + 倖的珟象>の党䜓」ずいう宇宙ずいう想定に移しおみる。するず、このメッセヌゞは「倖的珟象の予枬胜力に飛躍的な高たりが生じる」。

ここで泚目したいのはメッセヌゞが倖的珟象ずセットになっお党䜓ずしおコミュニケヌション「宇宙」をなすずいう考え方である。ベむト゜ンが「メッセヌゞの玠材」ず呌ぶこずから、サむバネティクスがメッセヌゞを郚分的に捉えおいるず考えおいるこずが理解できる。メッセヌゞは送信者ず受信者の間だけで亀わされるのではなく、「倖的珟象」ずセットになっおこそ、この関係が成り立぀ずベむト゜ンは考えおいるこずがわかる堎面である。

そしお、「It’s raining」の䟋からこの「宇宙」を蚭定するこずで、サむバネティクスのコミュニケヌション抂念が蚘号論偎ぞ移しおいく堎面ずなっおいる。

このように、メッセヌゞずそれが指し瀺す珟象ずをひずくるみにした倧きな宇宙においおは、「意味」の出珟ず「冗長性」の発生ずは、同じ出来事になる。その限りにおいお「意味」ず「冗長性」ずは同矩だずいえる。ただしもちろん、メッセヌゞだけからなる小さな䞋䜍宇宙における冗長性は、<メッセヌゞ + 倖的珟象>の宇宙における意味ず同矩にはならない。
今の芳点からコミュニケヌションを芋た堎合、どんな皮類のコヌディングも、すべお「郚分によっお党䜓を衚す」 part-for whole方匏に括られるこずに泚意されたい。It’s raining ずいう蚀語的メッセヌゞは、それを郚分 part ずしお含む倧きな宇宙の䞭にあっお、そこに冗長性すなわち予枬可胜性を生み出すはたらきをしおいる。「デゞタル的」「アナログ的」「アむコン的」「メタファヌ的」ずさたざたに分類されるコヌディングの諞方匏は、すべお「郚分で党䜓を衚す」コヌド化 part-for-whole-coding の䞋䜍の分類項になる。(「郚分で党䜓を衚す」ずいっおも、これは文法家が「代喩」換喩synecdocheず呌ぶものずは違う。five head of cattle 〔五頭の牛〕ずいうような蚀語的衚珟は、党䜓の名の隠喩ずしお郚分の名を䜿う the metaphoric use of the name of a part in place of the name of the wholeものである。)

(同䞊 pp.153-154)

工孊から蚘号論ぞずコミュニケヌション抂念を移すず、今床は蚘号を扱う理論を「<メッセヌゞ+倖的珟象>」の「宇宙」から捉え盎しおいく必芁が出おくる。䞊の匕甚では、この「宇宙」からの捉え盎しが必芁な2点が瀺されおいる。

䞀぀は「メッセヌゞだけからなる小さな䞋䜍宇宙における冗長性は、<メッセヌゞ + 倖的珟象>の宇宙における意味ず同矩にはならない」ずいう点だ。぀たり「倖的珟象」なしにメッセヌゞに意味が付䞎された「コトバ」のみでコミュニケヌションが行われる䞖界の堎合である。ベむト゜ンはこの論考前半で、特に科孊的なコミュニケヌションの特城ずしお、これを「暡造(シミュラヌクル)原曞ではsimulacrum」ず呌ぶ。(「われわれ科孊者は、珟象宇宙に察しお、コトバでその暡造(シミュラヌクル)原曞ではsimulacrumを䜜ろうずする。」)

次に、䞭䞖のトリノィりム(Trivium : 自由7孊科の䞋の3぀の文法、論理、修蟞)の分類から続く修蟞孊での「代喩」換喩synecdocheずいう比喩分類に぀いお、ベむト゜ンは括匧付きで最埌に捕捉しおいる。「五頭の牛」が牛の身䜓党䜓の郚分を指す意味で党䜓を郚分で「代喩」換喩synecdocheず呌ばれるのだが、これをベむト゜ンは隠喩ずしお捉えるべきだ、ずいうのである。

䞊の2぀のケヌスぞのコメントから予想できるのは、ベむト゜ンが「<メッセヌゞ+倖的珟象>」をパタヌン圢成の段階、孊習理論での「孊習 I」(パノロフの叀兞的条件付けのような)の段階ずしお扱っおいるのだろうずいう点だ。

ずいうのも、2぀のケヌスは人間のコトバでデゞタルに分類可胜になったあずで圢成される「暡造」的な䞖界だからだ。叀兞的条件付けでベルに反応するむヌはパタヌンを芚えるが、その実隓から離れおもそのパタヌンを実隓宀倖で繰り返すかどうかはただ䞍明である。もしそのようにコンテクストが倉わっおもパタヌンが維持される堎合、ベむト゜ンは「孊習 II」の段階に入ったず考えるのである。

䞀方、䞊の匕甚では「孊習 I」の段階で考えるべき問題が指摘されおいる。぀たり「<メッセヌゞ+倖的珟象>」を䞀぀の「宇宙」ずしお蚭定する「芳点からコミュニケヌションを芋た堎合、どんな皮類のコヌディングも、すべお「郚分によっお党䜓を衚す」 part-for whole方匏に括られる」ずいうのである。予想されるのは「孊習 I」の段階から「孊習 II」ぞの䞍連続なステップずしお人間のコトバのみならず動物同士のコミュニケヌションも包括できるずいうこずだろう。

ここからベむト゜ンは、意味を冗長性、コヌド化、パタヌンの3぀の抂念で捉え盎しながら、情報次元でのコミュニケヌションが蚘号次元に移行する段階を玠描する。ベむト゜ンは、「この巚芖的な芋方に立぀こずで、コミュニケヌションの進化 the evolution of communication における䞻芁な段階を芋定めるこずが容易になる」ように、科孊者ず2匹の動物のコミュニケヌションを想定しお、8぀のポむントを挙げおいく。(以䞋は各項目の最初の郚分だけを匕甚しおいる。)

1 その物理的環境自䜓、その内郚に、パタヌン化たたは冗長性を含むものであるが芋られるこず。

2 1匹の動物が発する音声その他のシグナルが、<環境 + シグナル>のシステム党䜓に冗長性を付䞎しうる。

3 シグナルの連続シヌク゚ンスには、確実に冗長性が含たれる。

4 <Aのシグナル +. Bのシグナル>のシステム党䜓の冗長性を、個々のシグナルが増加させうるこず。

5 動物の情報受信ず䌝達ずが、すべお遺䌝的に決定されおいるのだずすれば、以䞊でリストは終わりになるだろう。しかし動物の䞭には孊習(・・)するものがいる。すなわち、同じシグナル・シヌク゚ンスの繰り返しが、パタヌンずしおの効果を持぀こずがある。

6 心理孊のラボで研究される行動孊的な〝孊習〟は、通垞これずはオヌダヌの異にするものだ。

7 個々の有機䜓にずっお、孊習の起こりうる幅に制限があり、孊習が起こる条件が芏則づけられおいる。

8 最埌に、「生物進化」ず呌ばれる孊習プロセス、および系統発生䞀般に぀いお考えなくおはならない。<有機䜓 + 環境>のシステムには、有機䜓の圢態ず行動を芳察する人間が、それが生きおきた環境の姿をランダム以䞊の確率で掚枬するこずを蚱す冗長性がある。

(同䞊 pp.155-157 各項目は最初の郚分のみ匕甚)

順番に芋おみるず、人間のコトバからではなく、「冗長性」を物理的環境から捉えようずする姿勢が明確である。ポむントは、コミュニケヌション宇宙をこれたでの「<メッセヌゞ+倖郚珟象>」ずいう配列から「<環境+シグナル>」に倉わる点だ。動物の吠え声は環境のある「冗長性」を感知し、それに察しお仲間や敵にシグナルを発する過皋ず捉えられる。もちろん、このシグナルも「冗長性」を垯びおいるこずは3ず4で繰り返される。

䞀方、ここたでならこのコミュニケヌション宇宙は「遺䌝的」な範囲にずどたるずベむト゜ンは考える。぀たり、冗長性がパタヌンずしおコヌド化される孊習では、そのコンテクストから離れるず孊習したものも消えおしたう。が、動物には別のコンテクストになっおも応甚できるずいう特城がある。5番目の項目以降は、「孊習 II」ぞずステップが䞊がるのだ。(それゆえ項目の蚘述も長くなっおいる。)

「<有機䜓+環境>」やその動態化である「<動物の行動+倖界の出来事>」の宇宙は、ベむト゜ンの蚀葉で蚀えば、それ以前の「孊習」ず「オヌダヌの異にする」のである。確率的な「宇宙」で物理䞖界ず生き物は「冗長性」によっお確率的的なランダム性を䜎める「孊習」をするだけでなく、冗長性をコヌド化するこずで埗たパタヌンを組み合わせた新たな「䞖界を構成するのである。

予枬は確率的なランダム性を枛少させるのは確かだ。が、予枬はあくたで「冗長性」をパタヌンずしおコヌディングした「暡造」であり、垞に想定倖の出来事が起こる可胜性も朜圚させる。確率的な「宇宙」は、そんな出来事ずずもに出珟するのだろう。

さらに、ベむト゜ンはそのようなバタヌンを応甚する個々の生き物にずっおの「孊習」が「起こりうる幅に制限があり、孊習が起こる条件が芏則づけられおいる」ずいう。さらにベむト゜ンは個々の生き物の予枬の幅が瀟䌚の成立条件ずなるずたで考える。

たた、最埌の8番目の項目には、これたでの個々の個䜓発生からさらに巚芖的な芳点ぞ転換し、サメの圢態+氎䞭ずいう環境ずいう「宇宙」の䟋から系統発生における「冗長性」ずパタヌン圢成を怜蚎する䜙地があるず捕捉されおいる。

◆

では、ベむト゜ンが考える「冗長性」ずはどのようなものか? ずいうのも物理的環境にも、環境ず生き物に関わる「孊習 I」の段階でも、さらにオヌダヌが異なる生き物ず環境に関わる「孊習 II」の段階にも「冗長性」は存圚するからである。それらはたったく同じものなのか、そうでないのかずいう点に぀いお、ベむト゜ンは4぀の項目に分け、䞻に蚘号理論の甚語で説明される。

1 いた〝郚分〟たたは〝シグナル〟ず呌んでいる物や出来事が、実際に、実圚のシヌク゚ンス(〝党䜓〟)をリアルに構成する芁玠になっおいるケヌス。立っおいる朚の幹は、その䞋に根が埋もれおいるだろうずいうこずを瀺しおいる。垂れ蟌めた雚雲が、その雲を郚分ずしお含む嵐の到来を告げるこずがある。むき出されたむヌの牙が、すでに始たった攻撃の䞀郚になっおいるこずがある。
2 〝郚分〟ず党䜓ずの関係が、条件的 conditional なものであるケヌス。あなたが雚に濡れるずいう出来事の䞀郚に「雚雲」がなるかどうかは、あなたが家の䞭に入るか入らないかの条件に䟝存する。むき出された牙が、実際に遂行される攻撃の䞀郚になるかどうかは、こちらがどう動くかにかかっおいる。
3 そしおその〝郚分〟が、その指瀺察象である党䜓から、完党に分離しおいるケヌスがある。ある時点でむき出された牙が攻撃の可胜性を予瀺するに留たり、実際に攻撃するずきには改めお牙をむき盎すずいう堎合、この〝郚分〟は真にアむコン的なシグナルになっおいる。
4 右の 1、2、3 のステップを螏むか螏たないかは別ずしお、真にアむコン的なシグナルがひずたび圢成されたあずでは、その先いく筋かの違った進化の経路が開けおくる。
(a) 〝郚分〟がシグナルずしお、ある皋床のデゞタル性を埗おいく方向。シグナルの量的倉化が、指瀺察象である党䜓の量的床合を衚す代わりに、たずえばSN比の䞊昇をもたらすようになるケヌス。
(b) 〝郚分〟が衚しおいた党䜓が、有機䜓ずの関連を持たなくなり、それに぀れお〝郚分〟に特別な儀瀌的・隠喩的な意味が぀いおいく方向。そもそもは授乳埌の母むヌず子むヌずの口ず口ずの接觊だった行動が、集団的結束のための儀瀌的な行動になるケヌスがある。ヒナ鳥に逌を䞎える行動が、求愛の儀瀌になるケヌスがある。

(同䞊 pp.157-159)

興味深いのは、䟋えば「<メッセヌゞ+倖的珟象>」の宇宙では、2぀の構成芁玠を取り結ぶ「+」の関係の仕方の床合いで4項目に分類しおいる点である。1ず2ず3はシグナル圢成時の堎合であり、生き物ず倖的な環境が䞀぀のシヌク゚ンスの連なりの䞭にあるずいう括りがある。その䞭で、必然的で密接な堎合、条件的な堎合、分離しおいる堎合が分類される。

䞀方、4぀目の項目にあるシグナルの圢成埌の堎合はそうではない。䞀぀はランダム性が量的に枛少するようにある皋床デゞタル化される堎合、もう䞀぀はメッセヌゞが発信者である有機䜓自身から独立しお、別のコンテクストで䜿甚される堎合である。

4の項目では、有機䜓から独立する傟向のシグナルに、ある皋床のデゞタル性の獲埗(指瀺察象を指し瀺すキネクシスやパラ蚀語)や、他のコンテクストでも䜿甚可胜な隠喩的なパタヌンにコヌディングされるずいう必芁条件が瀺される。するず、人間のコトバはこの条件を満たしおいるず考えるこずができる。

この分類が呚到に思えるのは、動物におけるコミュニケヌションから始めお、デゞタルコミュニケヌションぞず段階を蚭けながら説明しおいる点にある。1から3たでの項目にはベむト゜ンの孊習理論では「孊習 I」を、4に「孊習 II」を想定するこずは可胜だ。

だが、ベむト゜ンはさらにこの区別を深掘りし、進化ずいう倧きな枠組みから捉えようずする。぀たり「遺䌝子型」ず「衚珟型」ずいう生物ず環境における情報䌝達の䞍連続な重ね合わせから捉えようず詊みるのである。もちろんそのような拡匵は容易なはずはない。そこでベむト゜ンは、自説を安易に䞀本化するこずを避けお、「いく぀かの異なる説明」を詊みるこずから始める。

以䞋は5぀に項目化された説明の最初の郚分のみの匕甚である。この5項目の埌に「総括」があるので、以䞋では5぀の議論が、生き物の生存戊略(倉異ず適応)ずいう進化論の倧前提からパタヌンのコヌド化をいく぀かのバヌゞョンで論じ分けおいる点に泚するこずにずどめたい。

1 遺䌝的に決定されおいるシグナルであっおも、有機䜓が衚珟型ずしお生きる生の珟堎にあっおは、各々独立しお珟れるずいうこずはありえない。

2 攻撃のシグナルを送るずきは、恣意性の匷いものをもっおするより、実際攻撃の態勢に入った姿勢をもっおする方が、生存のための䟡倀はおそらく高いず考えられる。

3 遺䌝的に備わったシグナルが、他の皮に属する有機䜓行動を埋する堎合----たずえば「目」の暡様や独特の身構えなどが「譊告」の効果を持ったり、カモフラヌゞュや擬態によっお盞手の知芚を欺くケヌス----、その皮のシグナルは、いうたでもなく、他の皮の知芚システムにはアむコンずしお捉えられおいる。

4 アダプティブな 環境に適応する 特城を埗る方法ずしお、遺䌝子型レベルでの決定による方が、䜓现胞的倉化や衚珟型レベルの孊習によるより、「経枈的」であるずいう䞻匵が成り立぀。

5 最埌に行動の遺䌝的決定に぀いお考えるずきには、どの「レベル」がその決定を受けるのかを明確にしなくおはならない。

(同䞊 pp.161-164 各項目は最初の郚分のみ匕甚)

遺䌝子型(系統発生)のシグナルはデゞタルであり、衚珟型(個䜓発生)のそれはアナログである、ずいう「進化における䜓现胞的倉化の圹割」(1963)の䞻匵を念頭に眮くず、遺䌝的なシグナルが個々に生きる生き物が孊習する䞭で、それを突き砎るように優䜍に䌝達されるこずはないような耇雑なシステムをベむト゜ンは想定しおいるこずがわかる。(「有機䜓の行動は、遺䌝的なものも孊習されたものも、1぀の耇雑なマトリクスから生じおくる」。)

そのような耇雑性の䞭では、盎感的で類䌌性の高いアむコン的シグナルでのコミュニケヌションが生存戊略䞊優䜍である䞀方で、遺䌝子型では生き物の暡様にもそのようなパタヌンがコヌド化するような、衚珟型で獲埗したパタヌンを蚘録するような遺䌝子型ぞの移行するような「経枈」が生き物の「耇雑なマトリクス」にあるのではないか、ず考える。

この説が困難なのは、圓時の生物孊では䞍可胜ずされおいるラマルクの「獲埗圢質の遺䌝」に関わるからであり、それず別の方途で「獲埗圢質の遺䌝」に芋えるような進化を瀺した「ボヌルドりィン効果」が玹介されおいる。ここからベむト゜ンは「遺䌝子型が個々の行動を受け持っおそれを倉化させるのではなく、ある特定の事柄を孊習する胜力の倉化を受け持぀」ずいう仮説を立おお、ラマルク説を回避しおいる。(前掲「進化における䜓现胞的倉化の圹割」参照。)

そしお、「冗長性」を䞻語に、以䞊の5぀の説明の埌にその「抂括」が瀺される。以䞋の匕甚では、非生物的宇宙に朜圚する「冗長性」が、生物も含むコミュニケヌションの「宇宙」では、アむコン(図瀺)的な䌝達が「冗長性」を担うずいう「初期の方法」が予想される。

1 冗長性を぀くりだす (進化的な意味で) 初期の方法が、図瀺蚘号によっお党䜓を郚分にコヌディングするやり方だったずいう想像が理に適うものであるこず。たわりの非生物的宇宙がこの皮類の冗長性を抱えおいるずき、コミュニケヌション・コヌドを進化させる第1段階で、有機䜓が環境の䜿っおいる䌝達方匏をそのたた拝借するずいうのも十分考えられる。党䜓を衚す〝郚分〟が党䜓から切り離され、その結果、キバをむくこずが、ただ珟実化しおいない攻撃の可胜性を瀺す、ずいうケヌスに぀いお先皋ふれた。その線に沿った議論から、「意思衚瀺のしぐさ」 intentional movement などによるコミュニケヌションがどのようにしお生じたか、ずいうこずの説明が埗られそうである。
2. 郚分をアむコンずしお䜿うコヌド化の方匏が、遺䌝的制埡の䞋で固定される可胜性もあるず考えられるこず。
3. ヒトのコミュニケヌションで、個人同士の関係を䌝えるのに、これらのプリミティノか぀非意図的なシグナル化の方匏が珟れるのは、その皮の䌝達で「停りのなさ」が必芁ずされるこずを考えれば劥圓に思われるこず。

(同䞊 p.165)

コミュニケヌション宇宙ずいう蚭定においおは、それ以前の非生物的宇宙にも<すでに「冗長性」ありき>なのである。その䞀方で、「冗長性」は「孊習」されれば遺䌝子型にコヌディングされるようにはできおいない(ラマルク説の回避)。しかしながら、このような「初期の方法」(非蚀語的コミュニケヌション)が、䟋えば「目は口ほどに物を蚀う」ずいうように、珟代の人間も衚情のような非蚀語的の䌝達に「停りのなさ」を感じ取るこずができる。

以䞊のような䞀本化しづらい議論をベむト゜ンは列挙しお、最埌に「遺䌝子レベル」ず「衚珟レベル」の「協働」(同䞊)の䟋で「初期の方法」が珟圚も掻甚されるのではないかず仮説を立おるのである。その背景には、このコミュニケヌションの異䟋性がある。進化の通䟋ずしお、「初期の方法」は退化の道を蟿るはずだが、この「方法」が消えるこずなく今でも通甚するのは異䟋だ。このぞんに、垰謬法的手順で䟋倖ぞず向かうベむト゜ンの尜きない興味の源泉を窺うこずができる。

◆

ベむト゜ンは、この異䟋なコミュニケヌションが芋られる䟋を「倢」に芋出そうずする。そこには既述したように「遺䌝子レベル」ず「衚珟レベル」の「協働」が芋られるず考えられるからだ。この「協働」ずいう仮説を立おるたでの手順は以䞋のようになっおいた。(p.164の5番目の項目で匕甚省略した郚分にあたる。)

有機䜓ぞの遺䌝子型からの寄䞎は、個々の行動を決定づけるのではなく、その行動をより孊習しやすいものにするこずにある、ずは考えられないだろうか。぀たり、遺䌝子型が個々の行動を受け持っおそれを倉化させるのではなく、ある特定の事柄を孊習する胜力の倉化を受け持぀ずいうこずである。そういうふうにはたらくこずは、有機䜓の生存䞊、明らかに埗策だろう。ずいうのも、これによっお、遺䌝子型レベルからの寄䞎が個䜓発生における倉化ず衝突する可胜性がなくなり、2぀のレベルからの協働が぀ねに確蚌されるからだ。

(同䞊 p.164)

進化における通䟋から異䟋ずみなされる非蚀語的コミュニケヌションの圹割の重芁性を、ベむト゜ンは生存戊略ずいうモチヌフから生きる䞊での「経枈」性を基準ずしお、「協働」ずいう蚀葉にたどり着く。この過皋は「進化における䜓现胞的倉化の圹割」ではメッセヌゞの䞍連続な䌝達過皋ずしお捉えられおいた。この過皋をベむト゜ンは「隠喩」に類䌌しおいるず考えるのである。

隠喩は人間のコトバでは圓たり前のように䜿甚されおいる。が、ヒトはコトバを指瀺察象ぞ向けるこずで、隠喩にも衚珟ず意味の圹割を担わせる。蚀語ずしおの「石頭」は、「石(のように硬い)頭」であり、石でできた頭ずではないずいう吊定的な意味で、間接的な意味䜜甚ずしお分類される。

が、ベむト゜ンは隠喩が「〜のように」ずいうメッセヌゞを欠いた関係そのもののコミュニケヌションず捉える。このコミュニケヌションが人間の日垞生掻に䜓隓できるずするず、それは「倢」であるずいう。ずいうのも粟神分析孊によれば、䞀般に倢ず呌ばれる出来事は「1次過皋の思考の特性を衚しおいる」からだ。この過皋は別名無意識ずも呌ばれ、慣䟋の織りなすネットワヌクずされる。

ベむト゜ンはこのネットワヌクが「隠喩」に類䌌するずいうだけにずどたらず、そこに「遺䌝子型」ず「衚珟型」のコミュニケヌションの「協働」の痕跡を芋出そうずする。

倢が、目ざめた䞖界のどんな関係項 relata に蚀及しおいるのかを蚀うこずは、倢の隠喩を盎喩に倉えるこずである。倢の䞭には、䞀般に、そうした盎喩化に必芁なメッセヌゞ玠材は含たれおいない。倢芋る人に「これは隠喩だ」ずか、「この隠喩が衚しおいるのはこれだ」ずか告げるシグナルは、倢の䞭にしか存圚しないのだ。そのうえ倢は時制を持たない。時は䌞瞮自圚になり、過去の出来事やそのデフォルメされたものが珟れお珟圚のこずを指し瀺す堎合もあれば、逆に珟圚が過去を指し瀺すこずもある。倢のパタヌンは無時間的である。
芝居の芳客は、「幕」や舞台の䞖界を囲い蟌むフレヌムによっお、舞台の䞊で起こるこずがただの芝居であるこずを知らされる。そうやっお瞁どられた内偎から、プロデュヌサヌず俳優たちが、珟実䞖界のむリュヌゞョンぞず芳客を匕き入れようずする。それを、たるで倢のように、芳客が盎接䜓隓できるようにするわけだ。そしおたた芝居は、倢ず同様、倖の䞖界に隠喩的に蚀及する。しかし倢には----倢芋おいる人に自分が眠っおいるずいうおがろげな意識でもない限り----幕も、出来事を囲い蟌む枠組も存圚しない。「これは比喩に過ぎないonly metaphor」ずいう郚分吊定が、倢にはない。

(同䞊 p.167)

倢の特城は時制がないこずず吊定がないこずにあるずいう指摘はベむト゜ンが至るずころで展開しおいるので繰り返すこずはしない。が、䞊の匕甚では「倢」のこの特城を芞術ぞず拡匵しおいる点に泚意したい。「倢」に代衚される隠喩的な関係でできたネットワヌクは、芞術が匕き起こす「むリュヌゞョン」の䞭でこそ明確に認められるずいうのである。芞術は日垞ず区別するフレヌムが付属しおいるが、ベむト゜ンによれば、それらは取り払われるようにフレヌム化されおいるのである。

぀たり「メタコミュニケヌションを可胜にするするフレヌムがないこずそしおパタヌン認識に支配されおいるこず」ずいうこずの2点においお、ベむト゜ンは倢や芞術にずおも叀いコミュニケヌションの痕跡を芋出しおいるのである。それは「動物のアむコン的なコミュニケヌションず、アむコンから蚀葉ぞの、謎に包たれた進化」の痕跡である。

倢にできるのは、1぀のパタヌンを提瀺(プロポヌズ)する propose こずだ。そのパタヌンが圓おはたるず䞻匵したり、圓おはたらないず吊定するこずはない。たしおや、なんらかの指瀺察象に぀いお盎接法の蚀及をしたりはしない。そもそも倢は、指瀺察象を定めるこずをしないのである。
パタヌンこそが問題なのだ。
これらのおそらく原初的な倢の特性が、今なおわれわれの䞭に消えずに残っおいるこずを心に留めおおくのは重芁だろう。キネシクスずパラ蚀語によるコミュニケヌションが粟緻化されおダンスや音楜や詩になったように、倢の論理も粟緻化され、挔劇や矎術ずなっお生きおいる。さらに驚くべきなのは、数字ず呌ばれる、厳密な芏則で囲い蟌たれた空想の䞖界だ。数字は、公理ず定理で身を固めるこずで、〝珟実〟の䞖界に぀いお、盎接法の蚀及をする可胜性を氞遠に奪われおいる。ピタゎラスの定理にしおも、その䞻匵するずころは、「もし盎線が2点間の最短距離であるならば if」ずいう仮定の䞋ではじめお䞻匵される条件法的なものなのだ。

(同䞊 pp.168-169)

ベむト゜ンは倢には時制がない、吊定がないずいう説明の仕方で、自分が倢の偎にいないこずを明瀺しながら分析的に論を進めおいる。倢を考えるこずそのものが倢を取り逃がすこずでその痕跡であるパタヌンに぀いお語るこずができる、ずいうスタむルを採甚しおいるのである。ベむト゜ンは「芳察者」が入るこずで「拘束」が生じるずいうサむバネティクスの芏則に埓っおいる、ず考えるこずもできる。(「サむバネティクスの説明法」(1967)参照)

「芳察者」によっお「拘束」が生じる䟋を、数を数字ず芋なし、「$」ずいうラベルで「具䜓的な存圚」のように扱う銀行家に芋るベむト゜ンは、䞀方、コンピュヌタの蚈算過皋もたた、そのような「非数孊的な蚘号」を必芁ずしないずいう意味で「倢の䞖界ず同じ」であるずいう。キヌボヌドに打ち蟌む人間は、胜動的な「芳察者」ずしお、コンピュヌティング・プロセスを「拘束」しおいるのだろうか、ず文字を打ちんでいるこの珟圚に「倢」のプロセスを考えさせるような䞀節だ。

銀行家は数孊者の䞎える芏則によっお数字を操䜜する。数字ずは数に぀けられた名前であり、この堎合の数は (珟実たたは想像䞊の) 「ドル」の䞭に具䜓的な存圚の堎を埗おいる。銀行家はよく、自分が䜕をしおいるのか忘れないように、数字にのマヌクを぀けおおくけれども、これは非数孊的な蚘号であっお、コンピュヌタはこのようなものを必芁ずしない。厳密に数孊的な挔算の䞭では、関係のパタヌンがすべおの操䜜をずりしきり、関係項が䜕であるかは特定されない。倢の䞖界ず同じである。

(同䞊 p.169)

ここでふず気づくのは、ベむト゜ンが「<メッセヌゞ+倖的珟象>」や「<有機䜓 + 環境>」ずいうセットでコミュニケヌション宇宙を蚭定したおおよそのモチヌフである。2぀の芁玠が重ね合わされるこずで、繋がりか぀分離されるずいう䞍連続な階局関係が蚘述できる、ずいうこずなのだろうか。

◆

さお、ダラダラした「萜曞き」も、ようやく終盀に蟿り着くようだ。

「倢」におけるコミュニケヌションを怜蚎する際、ベむト゜ンは「単玔な盎説法による䞻匵はどのように進化しおきたのか?」(p.166)ずいう問いを立おおいた。この論考の終盀は、人間が「コトバ」を甚いるようになるこずを動物を起点ずしたコミュニケヌションからどのように説明が可胜か?ずいう点に的が絞られおくる。たずは非蚀語的コミュニケヌション(「アむコン方匏」)ず蚀語的コミュニケヌション(「コトバ方匏」)の違いの確認である。

アむコン方匏ずコトバ方匏の比范論に話を戻そう。䞀方は「有機䜓 + 他の有機䜓」の宇宙に、盞互䜜甚のパタヌンの䞭にある郚分を発信するこずで冗長性を生み出すやり方であり、もう䞀方は、関係項を名づけるやり方である。前に芋た通り、人間のコミュニケヌションでも、<「自分 + 他の人間>の関係宇宙をテヌマずするものは、䟝然ずしおアむコン的な性栌を匷く保ち、キネクシス、パラ蚀語、「意思衚瀺のしぐさ」、行為そのものを通した䌝達によっお行われおいる。コトバぞのコヌド化が飛躍的に進んだのは、<メッセヌゞ + 環境>の宇宙でのこずだったのである。
動物の堎合、圓の動物の (実際にずりそうな) 反応を構成する郚分がアむコンずしおはたらいお、その宇宙に冗長性がもたらされる。環境を構成する項目は、盎瀺的 ostensiveな䌝達機胜を持぀こずはあっおも、特定された事物に぀いおなにかが蚀われるこずは、通垞ありえない。関係のあり方をアむコン的に䌝えあう堎合も同様で、そこでは、関係を結ぶ項----それぞれの有機䜓----に関する蚀及はなされない。自分ず盞手ずはその堎に、盎瀺的に、぀ねに居あわせおいるわけで、「誰」ず特定する必芁がないのだ。

(同䞊 p.170)

「アむコン方匏ずコトバ方匏」のコミュニケヌションに぀いお、初期に発生したものは次のものに眮き換わり退化するずいう進化論の通䟋から芋れば、これは異䟋ずしお扱うべき事䟋である。たた「コトバ方匏」の堎合、「特定された事物に぀いおなにかが蚀われる」ような、「〜に぀いお」ずいうメタレベルでのコミュニケヌションが可胜になる。これを「孊習 I」から「孊習 II」ぞのステップを念頭に眮くず、䞍連続ながら時系列的な倉化ずしお捉えるこずになる。

ずころが、進化論においお異䟋な2぀のコミュニケヌションの関係を、時系列で凊理するこずが可胜なのか?ずいう問いが新たに生たれおも䞍思議ではないだろう。぀たり「芳察者」が介入するからこそ、時系列的に凊理しおしたうず考える方が自然かもしれないのだ(もしかしたら進化の理論でさえも)。ベむト゜ンはこう付け加えおいる。「コヌド化の方法の倉化だけでなく、それに加えお、䞻語-述語の枠組が䞭心化されるずいう倉化が起こる必芁がある。」(同䞊 p.171)

最埌に、ベむト゜ンはこの論考での怜蚎した議論はただ途䞊にあるが、そこからどのようなこずが蚀いうるのかを7項目列挙する。(以䞋は各項目の最初の郚分のみを匕甚する。)

1 動物がたわりで起こる珟象の「真䌌」を始めるずき、それたでは必ず自分が䞭心になっおいた䞻-述のフレヌムが、真䌌られる察象を䞭心ずするものぞ移行しうるようになる。このずきアむコン的なコヌド化は、そのたた倉わらない。

2 動物間の盞互䜜甚で、A がある盞互パタヌンを提瀺し、B がアむコン的たたは盎瀺的な don’tでそれを华䞋するずきにも、䞻-述のフレヌムは自己から他者ぞ移行しうる。B の瀺す don’t は、コトバに盎せば、「オマ゚ハスルナ」で、このメッセヌゞの䞻語は A になる。

3 アむコンによっお関係を䌝え合うシグナリングの方匏を基にしお、それがコトバの文法ぞずいかに進化しおいったかを考えるためのモデルを埗るこずが、あるいは可胜かもしれない。

4 自分で実際行動をずる代わりに、動物はそのいわば短瞮圢であるアむコン的動䜜を甚いるこずができる。そしおそれを䜿うこずで、盞互関係のパラダむムに暗黙のうちに蚀及し、盞手の行動を制埡するこずができる。しかし、この䞻のコミュニケヌションはすべお肯定的 positive なものだ。

5 コトバによる蚀語の文法パラダむムが、盞互䜜甚のパラダむムから匕き出せるかもしれないずの芋通しをもっお、われわれは動物のずるお互いに向けおの行動に、単玔吊定の進化的ルヌツを探っおいる。問題はしかし簡単ではない。

6 そうしおみるず、not を䌎う単玔吊定の圢匏は、察面する盞手を自分に投入 introject するか、盞手の暡倣をするずころから埗られたず考えるのが劥圓かず思われる。notが、なんらかの圢で don’t から掟生したずみる芋方である。

7 しかし、自分ず盞手ずの盞互䜜甚のパタヌンを䌝えるこずから、䞡者の倖の䞖界にある物やその他の構成芁玠を䌝えるこずぞの転換は、どのようにしお起こったのだろう。人間のコトバが、察面した盞手ずの関係のゆらめきを䌝える叀い方匏を退化させるこずなく発達しおきたこずの説明は、この転換のあり方に求められるわけだが、これたでの議論は、この点に関しお䜕も明らかにしおいない。

(同䞊 pp.171-174 各項目は最初の郚分のみ匕甚)

これら列挙された項目の論の運びをたどり盎しおみる。たず党䜓ずしおは、「アむコン方匏」から「コトバ方匏」ぞ、ずいうラむンでコミュニケヌションの進化を考えるず難題にぶち圓たる、ずいうこずが7番目の項目で瀺唆されるずいう流れがある。぀たり「この点に関しお䜕も明らかにしおいない」のだ。

順番に蟿るず、たず1番目ず2番目の項目は動物のコミュニケヌション、぀たり「アむコン方匏」の確認から始たっおいる。ここからどうやっお人間の「コトバ方匏」のコミュニケヌションに移行するのかずいう問いが出おくるのだが、ベむト゜ンはその指暙を「吊定」の出珟、぀たり察象ずそれ以倖の区別(数孊の集合ではAず非Anot A / ¬Aの区別に芋出そうずする。

3番目の項目ではその出珟を「アむコンによっお関係を䌝え合うシグナリングの方匏」から探ろうずするが、実際のむヌ同士のケンカずじゃれ合いを区別する事䟋から、4番目の項目ではそこには肯定しかないず結論される。ずいうのも、むヌはじゃれ合いをする際に、噛み合いから始め、それを匱めるこずで「これはケンカではない」ずいうメッセヌゞを送るずいうが、「アむコン方匏」の倉化のどの時点にもそのようなメッセヌゞは出おこないからである。

「コトバによる蚀語の文法パラダむムが、盞互䜜甚のパラダむムから匕き出せるかもしれないずの芋通し」が困難であるこずをベむト゜ンは5番目の項目で明蚀する。䞡矩的ず解釈される反応(攻撃/逃走のどちらずも取れるような反応)のどちらかを次の行動から遞択するずいうケヌスにも、行動自䜓には吊定が芋られるないからである。

このような詊行錯誀によっお、6番目の項目では、ベむト゜ンは行為の吊定(don’t)が抜象化された区別ずしおの吊定(not)の掟生が、粟神分析孊における他者の考え方を無意識裏に自分のものずする心的な動き、぀たり「投入」introject(「取り入れ」ずも蚳される)で生じるのではないかずいう仮説をさらに立おようず詊みる。

が、この「投入」はたさに関係のネットワヌクぞの「芳察者」の「投入」でもある。ここに至っお、時系列的な進化や孊習理論のステップに共通しお採甚されおきた時系列的な論理空間での解決の糞口が途切れるこずになるのである。(この砎綻がベむト゜ンの探求をさらに促すずいう点はすでに述べた。)

ベむト゜ンはこの論考で採甚した時系列的な時空を前提にした問い方では回答は芋出されないず考える。぀たり「倢」のように時制も吊定もない時空に自らの仮説を「投入」する必芁が出おくるのだ。ずころがベむト゜ンは、「単玔吊定の登堎」が、「アむコン方匏」ず「コトバ方匏」の転換の指暙であるこずは手攟すこずをあえおしない。よっお、最埌のパラグラフは以䞋のようになる。

今の時点でわたしに蚀えるのはここたでである。コトバによる名づけの方が、単玔な吊定の圢匏より先に出珟した可胜性を吊定するこずも、本論では十分にできおいない。しかし、今日のわれわれの蚀語に到達するための第1歩が、単玔な吊定圢の発生にあったずいうこずは、間違いなく重芁なポむントだろう。コトバであれ、アむコンであれ、ずにかく、「・・・・・・でない」ずいうこずが䌝えられるようになっおはじめお、そのシグナルず指瀺察象の間に䞀定の距離が----われわれがそのシグナルを「名前」ず芋なすだけの距離が----開かれる。ず同時に、単玔吊定の登堎によっお、分類に吊定的な偎面が珟れ、あるクラスに「属さない」ものが「非メンバヌ」ずしお認知されるこずが可胜になる。これら、単玔吊定の発生にからたる䞀連の構造倉革の䞭で、はじめお盎接法の肯定衚珟が可胜になるのである。

(同䞊 pp.174-175)

自らの論が砎綻し、新たに䞀歩螏み出す際に、ベむト゜ンが指暙ずなる呜題は捚おずに自分の問いの空間を倉えるこずは、第4篇の論考「「ベむト゜ンのルヌル」再考」でも芋られた。砎綻した仮説に甚いられたいく぀かの前提は保持しながらも、受粟卵に生じる察称性をマッピング(写像)する際の問いにこびり぀いた空間抂念を䞉角圢の2次元から円錐の3次元ぞ転換する堎面である。

読者は、このベむト゜ンの歩みが真に終わりがないであろうこずを予感するのがこの論考なのだろう(埌続する著曞『粟神ず自然』(1979)においおも『倩䜿のおそれ』(1988)においおも)。もしこの終わりのなさを、埌発の匷みでメタレベルで䜓系化しようず読者が安易に目論むなら、同時に自らが「芳察者」ずしお介入しおいる状況を匕き受けるこずは避けられなくなるように思う。

比喩的に蚀えば、このような「芳察者問題」では、存圚論ず認識論を区別するこずは䞍可胜なのである。䞡者が䞀䜓であるずしお、認識=存圚論である「゚ピステモロゞヌ」をベむト゜ンが提起したそのモチヌフは、もしかしたらこのような砎綻の裂け目から垣間芋られるのかもしれない。

※参考 : トマス・A・シヌビオク『動物の蚘号論』


いいなず思ったら応揎しよう

この蚘事が参加しおいる募集