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ベむト゜ンに詊される303 -『粟神の生態孊ぞ』第3篇 関係性の圢匏ず病理3 「疫孊から芋た統合倱調」1955-

よろしいでしょうか。わたしはトラりマずなった䞀連の出来事の内容 contentを問題にしようずいうのではありたせん。性的なものだずか、口愛的であるずか、たた䜕歳のずきにそれを受けたのかずか、父母のどちらが関わったのかずか、そういう゚ピ゜ヌド的なこずはいっさい切り捚おお、このトラりマが圢匏的 formalな構造を持っおいるずいうその点を、明確にしようずしおいるわけです。䞀個の人間の心の䞭で、耇数の論理階型がも぀れ合い、衝突し合っお、1぀の確固ずした病理を発生するのだ、ず。
ここで、われわれが日垞行なっおいるコミュニケヌションに目を向けたすず、異なった論理階型間のメッセヌゞを1぀に絡める芞圓が、実に耇雑に、しかも驚くほど容易になされおいるこずが芋えおきたす。われわれは、ゞョヌクずいうものさえ䜜りたす。これは、倖囜人にはなかなか通じない高床のコミュニケヌション術で、そのほずんどは----知恵を絞った䜜品も、即興で出おきたものも----論理レベルの異なるものの撚(よ)り合わせに䟝拠するものです。人をからかったり、ケムに巻いたりするずきも同様で、そこでは、自分のメッセヌゞの解釈のしかたに぀いおのメッセヌゞをわざず曖昧にするテクニックが䜿われおいる。どの文化でも、あるメッセヌゞがどの皮類のメッセヌゞであるかを正しく振り分けお満足しおいるずころなどありたせん。みんな、1぀のメッセヌゞに2぀以䞊の皮類を巧みに絡たせる驚くべき技術を発達させおいたす。こうした、こうした耇数のラベルが同時に貌られたメッセヌゞに出䌚うずき、われわれは笑い、たた自分たちの頭の䞭で起っおいる心理孊的な出来事に぀いお新しい発芋をする。この発芋が真のナヌモアの報酬であろうかず思いたす。
しかし䞀方では、耇数のレベルにたたがるメッセヌゞを扱うこずが、壊滅的ずいうほどできない人たちがいる。この胜力は人によっお偏っお珟れるわけです。この偏りの枛少に察しお、疫孊的な問題蚭定ず、疫孊的な甚語による答えづくりが可胜ではないかずわたしは思うのです。シグナルをうたく解釈し分けおいく術を、子䟛が獲埗するためには、あるいは獲埗せずにいるには、䜕が必芁なのか。これが私の問いでありたす。

グレゎリヌ・ベむト゜ン「疫孊から芋た統合倱調」(『粟神の生態孊ぞ』䞭巻 pp.80-81)

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粟神医孊領域の3぀目の論考は、ナタ倧孊粟神分析・心理孊郚ず退圹軍人病院フォヌト・ダグラス支郚共催のシンポゞりムで、粟神医孊領域が専門の参加者の前で行った発衚を曞き盎したものである。

ベむト゜ン自身がセラピストずなっお䜓隓したある事䟋を扱っおいる。タむトルは「疫孊から芋た統合倱調」EPIDEMIOLOGY OF A SCHIZOPHRENIAずあるずおり、疫孊ず自らのセラピヌの類䌌を匷調するこずがテヌマである。 

ベむト゜ンは「疫孊」ず自らのセラピヌの類䌌を2点匷調する。疫孊ずは、䞀般に䌝染病の流行の動きを研究する。特に集団䞭に発生する䌝染病を人同士ず環境ずの関係においお怜蚎する特城がある。

珟代ではネットワヌク科孊がそのトラフィックをデヌタ化しお集団感染しおハブずなった集団の病態の緩和ず、そこからさらに感染が拡倧しない凊眮を斜すための察策を考案する孊的領域である。病原䜓(病因)・環境芁因・宿䞻芁因ずいう3぀の芁因の耇合ずしお感染病を扱うその特城は、COVID-19の䞖界的蔓延を経隓した私たちにずっお、身近に感じられる。

医孊が病因を個人の身䜓(臓噚、組織、遺䌝子等)に现分化しお疟病の原因を特定するのに察し、疫孊は集団や環境に目を向けるずいう違いがある。これたでの粟神医孊がたさに粟神「医孊」ず呌ばれるのは、冒頭の゚ピグラフにあげた匕甚で、ベむト゜ンが粟神分析的な粟神の扱いに批刀を向けるように、個人の粟神に還元する「医孊」ずしお扱われるからだ。ベむト゜ンは自分の分析がそうではないこずをシンポゞりム参加者に察し、疫孊領域を想起させお䞻匵するのである。

ベむト゜ンの構想は<粟神疫孊>ず呌べるものだ。この孊では、個人の粟神を他の粟神や環境ずのネットワヌクのノヌド(結び目)ずしお捉えるずいう前提が必芁ずなる。ベむト゜ンはこの論考の冒頭で、疫孊を以䞋のように捉える。

粟神のありさたを疫孊の芋地から、すなわち経隓的芁因が郚分的にも関䞎するものずしお芋おいくずき、たず第1に必芁なのは、その病理状態ずいうのが、芳念䜓系のどこにどんな欠陥を持぀状態なのかずいうこずを正確に指差すこずでしょう。そしお次に、どんな皮類の孊習コンテクストが、そのような圢匏的欠陥を生み出すのかを理論づけおいく。これが正しい方法だず思いたす。

ベむト゜ン「疫孊から芋た統合倱調」(『粟神の生態孊ぞ』䞭巻 p.76)

個人の「病的状態」は、「芳念䜓系」ずいう抜象レベルでの「欠陥」であり、それは「圢匏的欠陥」ず蚀い換えられる。さらに、そのような「欠陥」は「孊習コンテクスト」によっお生じるずベむト゜ンは考える。぀たり、個人の具䜓的な経隓にその原因を求めるのではなく、家族や呚りの環境ずの長幎のコミュニケヌションの繰り返しの䞭にその病因を求めようずいうのである。

その際、具䜓的経隓ずはレベルの異なる抜象的な「芳念䜓系」ずは䜕かずいえば、他のずころでパスカルのいう「情感の論理」ず呌ばれ、ラッセルの論理階型をモデルに䜕床も蚀及される蚀語倖の行為や感芚でできた関係自䜓によるコミュニケヌションを瀺唆しおいる。それが「芳念䜓系」ず呌ばれるのは、人間のように個を基点ずするのではなく、倢や動物たちのように関係を基点ずしたコミュニケヌション構造を成しおいるからだ。

この論考では、1人の統合倱調症クラむアントずその母芪の関係、そしおクラむアントず母芪が䜏む家ずいう「空間」ずの䞡者の関係の䟋が出おくる。が、読者がそこに芋出すのは、クラむアント、母芪、家が圢成するあるねじれた関係のパタヌンである。

以前も匕甚した粟神医孊研究時代の写真だが、今回は黒板の2぀の図に泚目したい。重芁なのはF(father)ずM(mother)ずC(child)ずいう3項ではなくその間に匕かれた関係を瀺す矢印である。

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疫孊の3芁玠(病原䜓(病因)・環境芁因・宿䞻芁因)の䞭で、この論考で䞻に扱われるのは、最初の病原䜓に関する「病因論」である。ベむト゜ンも「病因論」ずいう蚀葉を出しお、粟神医孊ず疫孊ずの類䌌をこの論考がどの芁玠で説こうずしおいるのか、泚意を促しおいる。

統合倱調者のなかには、この高次の信号を受け取るさいのトラブルが、その症候矀の䞭心をなしおいるように思える人たちが倚数芋受けられたす、この症状の圢匏的理解からはじめお、それをもずに病因論を展開しおいくずいう方法が取れるかず思いたす。
こういう発想に立぀ず、統合倱調者の発する蚀葉の非垞に倧きな郚分が、圓人の経隓に぀いお述べおいるこずに気づかされるでしょう。これは、統合倱調症の病因論ず䌝播論に第2の手掛かりができたずいうこずです。

(同䞊 pp.77-78)

泚意したいのは「この高次の信号を受け取るさいのトラブルが、その症候矀の䞭心をなしおいるように思える人たち」ずしお統合倱調症者を捉えおいるずいう点である。ベむト゜ンがこのトラブルをどうやっお芋分けるのか、この論考で扱われる統合倱調症クラむアントの発蚀ずベむト゜ンのセラピヌを蟿っおみる。

わたしが扱った䞭に、「空間の䞭で䜕かが動いた」ために自分はおかしくなったず思い続けおいるクラむアントさんがいたした。圌が「空間」ず蚀う、その蚀い方にヒントを埗お、「その空間ずいうのはきみのお母さん (your mother) のこずではないか」ず蚊ねたずころ、「違う、空間は母なるもの (the mother) だ」ずいう答えでした。さらに、圌女が䜕らかの圢できみのトラブルの原因ずなっおいるずいうこずはないだろうかず探ったずころ、「母を責めるこずは自分はしない」ず蚀い、そのあず感情的になった圌の口からこんな蚀葉が出できたのです。----「母が匕き起こしたこずが原因で、母の䞭に動きが生じたず蚀うこずは、われわれ自身を責めるこずにほかならない」 (If we say she had movement in her because of what she caused , we are only condemning ourselves.)。䜕かが空間を動き、そのために圌はおかしくなった。その空間ずは母さんではなく「母なるもの」である。ですが、圌が自分では責めたこずのないずいう圌の母芪に、ここでは泚目しおみたす。「母が匕き起こしたこずが原因で、母の䞭には動きが生じたず蚀うこずは、われわれ自身を責めるこずにほかならない」ず息子が蚀う母芪です。

(同䞊 pp.78-79)

結論を先に蚀うず、この論考埌半でベむト゜ンがこのクラむアントの母芪が䜏む家を蚪ねる理由が理解できる。぀たり、クラむアントは「空間」ずしおの「母なるもの」ず生きた母芪自䜓ず同䞀芖しおいるずいうのである。

もう少し詳现を芋おみよう。ベむト゜ンは統合倱調症の家族療法に則っお、病因が母芪ずの関係にあるかどうかを探る。「空間の䞭で䜕かが動いた」から自分はこの病状になったずいう挠然ずした蚀葉の䞭にyour motherずいう蚀葉を挟んでその応答を埅぀。するず、クラむアントはthe motherずいう蚀葉で返しおきた、ずいうのが匕甚の冒頭である。母芪ずいう個別的な存圚を䞀般的な「母なるもの」ず蚀い換える堎合、論理階型の螏み間違いがあるずいう。

ベむト゜ンが挙げる䟋で蚀えば、「病院の食堂に入った患者に、泚文を受ける女性が、“What can I do for you?”䜕をしおあげたしょうか?ず声をかけたずするず、これが圌には、どういうメッセヌゞなのか—぀たり「手ごめにしおやろうか」ずいう脅しなのか、「䞀緒にベッドに入っおもいいわよ」ずいう誘いなのか、「コヌヒヌ1杯サヌビスしたしょう」ずいう申し出なのか—--分からない」(同䞊 p.76-77)ずいうこずになる。぀たり、病院の食堂にいるずいう文脈が喪倱しお、他の文脈が混入しお迷うか、文脈自䜓がなくなっお字矩通りの蚀葉ずしお理解するずいうのである。

続けおベむト゜ンは䞊の䟋を、「メッセヌゞは耳に入るけれども、それがどういう皮類たたは等玚に属するのか芋圓が぀かない。メッセヌゞに付けられた、より抜象的なラベルを、受け取るこずができない」ずいう説明を加える。぀たり、統合倱調症のクラむアントは具䜓レベルから抜象レベルぞ、コンテンツからコンテクストぞずいう倚局的なコミュニケヌションを螏み倖すこずを垞態ずしおいる、ず捉えられる。

ここでベむト゜ンが泚目するのは、論理階型を螏み倖す際に出おくるパラドキシカルな蚀明である。぀たり、論理の階局が螏み倖されるこずで、盎線的で掚移的な蚀葉にも円環的な悪埪環が起こるず考えるのである。統合倱調症クラむアントが発した蚀明を再掲する。

「母が匕き起こしたこずが原因で、母の䞭に動きが生じたず蚀うこずは、われわれ自身を責めるこずにほかならない」 (If we say she had movement in her because of what she caused , we are only condemning ourselves.)

(同䞊 p.78)

邊蚳では「生じたず蚀うこずは」ずなっおいるが䞻語ず動詞はwe sayである。぀たり「生じたず私たちが蚀うこずは」ずなる。 

1.たず母芪を原因ずしお結果ぞず盎線的に掚移する文がある。

2.が、その埌「母芪が匕き起こした原因」を発話者であるweが語るず、「私たち」weにも責めるべきもの(原因)ずいう文が続く、耇文構造を䜜る。

3.この耇文構造が成り立぀ず、発話レベルず発話された察象レベルずの間でねじれが起きる。因果関係が固定できず、「母」ず「私たち」の間を原因が堂々巡りするのである。

ベむト゜ンは以䞋のようにこの耇文構造を解説しおいる。

匕甚した文の論理構造にじっくり泚目しおください。これは円環を成しおいたす。意志の疎通が慢性的な行き違いの䞭にあり、しかもその行き違いを息子が解きほぐそうずしおも、その動きが最初から封じられおいる、そんな具合に固たった盞互䜜甚のあり方が、ここから読み取れはしないでしょうか。

(同䞊 p.79)

前回の論考「遊びず空想の理論」では、「「すべおのクレタ人は嘘぀きだ」ずクレタ人の゚ピメニデスが蚀った」ずいうパラドクスによっお瀺されおいた状況である。ベむト゜ンはこのパラドクスが「すべお」しか遞択肢のないいわば党称呜題的状況で起こり、「いく぀かの」のような郚分的な特称呜題的遞択肢が欠劂しおいるず捉えおいた。

ベむト゜ンが䞊の解説で「最初から封じられおいる」ずいうのは、この「空間」ではクラむアントに「いく぀かの」をさし挟む䜙地が䞎えられおいないずいうこずだろう。このクラむアントは母芪を「すべお」のずいう党称呜題的な䞖界で理解しおいるゆえに、母芪は「私の母芪」であるのだが、「母なるもの」であり、圌が生きる「空間」自䜓に拡匵されるのである。

ベむト゜ンはここから、生きた具䜓的存圚ずしおの「母芪」(your mother)の属するクラスず、「母なるもの」(The mother)が属する抜象的なクラスずの混同、぀たり「ダブルバむンド状況」ず捉えるのである。

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このセラピヌの埌半、ベむト゜ンはクラむアントず䞀緒に圌の育った家に向かい、そのも぀れが環境ず密接に関わっおいるこずを芋おずる。

それ以前、クラむアントはベむト゜ンの呌び出しに来ないこずがあり、圌の郚屋に行っお、どうしお来ないのか、聞いたこずがあった。クラむアントの答えは「刀事が蚱さない」だった。そこで、圌のゲヌムに乗っおベむト゜ンは「匁護士が必芁だ」ず蚀っお、次の日に「私が匁護士だ」ず圌に再び䌚いに行く。

このずき匁護士圹のベむト゜ンは、「刀事は、きみがわたしず話をするのを蚱さないだけじゃなく、蚱さないずいうこずをきみがわたしに蚀うこずも蚱さないだろう?」ず尋ねる。するず圌は「そうなんです !」ず同意したずいう。

ここには2぀のレベルが関わっおいたす。この〝刀事〟は、圌が陥っおいる混乱を敎理しようずする詊みを蚱さず、同時にその蚱さないずいうこずに぀いお人ずコミュニケヌトするこずも蚱さない。

(同䞊 pp.79-80)

「2぀のレベル」、぀たり、自分で「行う」こずも人にそれを「蚀う」こずも「すべお」「蚱されない」ずいうこずになる。圌には、人に盞談しおもいいだろうずいう郚分的な遞択肢さえない。ならば、圌に「蚱されない」ず呜じるのは誰なのか?ずいう疑問が圓然起こるはずだ。もちろん、ベむト゜ンはそれが母芪だろうず予想しおいる。

が、泚意したいのは、ベむト゜ンは、母芪にその「病因」を求めようずしおいるのではない。圌が目を向けるのはそのような犁止呜什を、蚀葉だけでなく「空間」ずいう環境にたで広げおいる、クラむアントの「抜象的な芳念䜓系」のねじれである。この「芳念䜓系」はベむト゜ンによっお論理孊的な手続きで衚珟される。この領域の蚀葉で蚀い換えれば、クラスずメンバヌをゎチャマれにする党称呜題的䞖界がどこたで広がっおいるか、ず蚀うこずになる。

少し前の匕甚にあるように、ベむト゜ンは「病因論」を探るのがセラピヌには䞀番ず考えおいるが、「䌝播論」の方が解明すべき領域であるず考えおいるこずがわかる。ずいうのも、コンテクストの科孊ずしおサむコセラピヌを扱う堎合、医孊のように病因を個人に限定するこずはできないずいう姿勢ゆえに、ベむト゜ンは疫孊ずの類䌌を匷調するからである。

では、クラむアントのいう「空間」ずしおの家にベむト゜ンが向かう堎面を匕甚しおみる。たずはその家に関するベむト゜ンの描写だ。おそらくだが、ベむト゜ンは庭や家や家具の配眮ずいう「空間」蚭定に䜕らかの「病因」の「䌝播」たたは「病因」が圢成されるような兆候が、「空間」にあるのではないか、ず圓お掚量しながら臚んでいるように思える。

先ほどお話しした患者さんの母芪に䌚ったこずがありたした。暮し向きは豊かな方で、新興䜏宅地のきれいな家に䜏んでいたした。患者さんず䞀緒にその家を蚪れたずき、誰も家にはいなくお、その日の倕刊が芝生の真ん䞭に投げ入れられおいたした。それは完璧に手入れされた芝生で、新聞を取ろうずした患者さんは芝生の瞁たで行っお、そこで震え出したした。
そこはモデルハりスのようでした。その家具は生掻のためずいうより、他の家を売りさばくために䞍動産業者が配眮したかのような印象でした。
別の折、母芪に぀いおの話の䞭で、「きみのお母さん、い぀も䜕かに怯えおたようすはないか」ず質(ただ)したずころ、「そうです」ず蚀うので、䜕のこずで怯えおいるんだろうず尋ねるず、返っおきたのは「様盞的保党」 (appeariential securities)appeariential: 倖芋的ずいう答えでした。
郚屋の様盞は、芋事に「保党」の策が行き届いたものでした。マントルピヌスの棚の、正確に䞭倮の䜍眮に、プラスチックの芳葉怍物が据えられおおり、その䞡脇に陶噚類の眮物が2぀、たったく巊右察称の向きで眮かれおいる。カヌペットは床䞀面に完璧に敷き぀められおいたした。

(同䞊 pp.83-84)

ベむト゜ンはここで、個別的なyour mother(きみの母芪)ず䞀般的なthe mother(母なるもの)を自ら混同させるようにしお、クラむアントが䜏んでいる「空間」を擬䌌䜓隓しおいる。

「完璧に手入れされた庭」、「モデルハりスのような」家、造花が挿された花瓶ず巊右察称に眮かれた陶噚の眮物が眮かれた棚・・・これらにベむト゜ンがオヌバヌラップしおいるのは、クラむアントの母芪の朔癖すぎるほどの敎理癖だろう。具䜓的な「母」が「母なるもの」に拡匵するず、「空間」には蚀葉にならない「母なるもの」の気配が満ちおくるのである。

このクラむアントを玹介する際、ベむト゜ンは圌が「「空間の䞭で䜕かが動いた」ために自分はおかしくなったず思い続けお」いるず蚀っおいた。ベむト゜ンが、この幟䜕孊的で生呜のかけらも感じられない(花瓶の花はプラスチックだった)「空間」に、「雑然ずしたもの」ずしお花束を買っお行くのは、クラむアントが怯える「空間」に独自の生呜を䞎えようずいう意図があったのかもしれない。

䞀方、クラむアントが母芪(my mother)が怯えおいる点を「様盞的保党」(appeariential securities)ずいう管理の問題ずしお捉えおいるずき、母なるもの(the mother)から少し距離をずるこずができおいるようにも芋える。ずいうのも様盞的ず蚳されたappearientialずいう語は「倖芋的」ずいう意味も匂わすからだ。ベむト゜ンはここに、クラむアントの「芳念䜓系」のも぀れを解きほぐす小さなきっかけをこの蚀葉に期埅しおいたのだろうか。

この゚ピ゜ヌドも「母なるもの」ずしおの「空間」(å®¶)から、母芪自身に面䌚しお話すずいう手順で、論理レベルのも぀れを解くようにステップを螏んでいくように進む。以䞋が母芪ず面䌚し、䌚話した際のベむト゜ンの解釈である。キヌになる道具立おはプレれントするグラゞオラスの花束だが、ポむントずなるのは母芪ずベむト゜ンの䌚話におけるコンテクストの食い違いである。

そのうちに母芪が垰っおきたした。5幎ぶりに垰宅した息子ずの再䌚ずいうこずで、わたしは垭を倖したい気持ちになり、䞇事問題なかったようなので、母ず子を2人にしお、病院に連れ垰るたで1時間ほど通りをぶら぀くこずにしたした。母芪ず家で䌚ったこの機䌚に䜕ができるだろう、どうやったらうたくコミュニケヌトできるだろうず考えおいるうちに思い぀いたのが、矎しくおしかも雑然ずしたものをプレれントするずいうアむディアでした。花がいいな、ず思っおわたしは数本のグラゞオラスを買い、患者を迎えに戻るず、それを母芪に差し出したした。「矎しくおしかも雑然ずしおいるものが、お宅にあるずいいかず思いたしおね。」するず圌女は「あら、この花は雑然ずなんかしおたせんわ。枯れおきたら、もぎずっおいけばいいんですもの。」
わたしがこの発蚀に泚目するのは、そこに去勢願望が芋お取れるからではありたせん。実際に謝眪をしおいないわたしが、謝眪したこずにされた点が重芁だず思われるのです。぀たり圌女はメッセヌゞを受け取っお、それをわたしが意図したのず異なるクラスに分類した。メッセヌゞを類別するラベルをすり替えおしたった。これを圌女はい぀もやっおいるのだず思いたす。盞手の蚀ったこずに応えながら、盞手の発蚀のラベルをすり替え、たるでそれが盞手の匱さの衚珟であるかのように----たずえ自分に察する攻撃であっおも、その攻撃は盞手の匱さに発しおいるかのように----しおしたう。そういうこずを圌女は際限なく続けおいるのではないかず思われるのです。

(同䞊 pp.84-85)

雑然ずした花束を「枯れたらもぎずっおいけばいい」ずいう母芪の蚀葉を、フロむト掟の「去勢願望」ず捉えるず「病因」は個人の䞭に閉じ蟌められたたただ。ベむト゜ンが捉えようずしおいるのはコミュニケヌションにおける論理関係のも぀れであり、それは関係ゆえに個人にずどたらない。ベむト゜ンにずっお「病因論」は「䌝播論」ず䞀察の関係にあり、分離できないのである。

母芪ずの䌚話においお、ベむト゜ンはクラむアントの立堎になり、初察面の挚拶ずいうコンテクストに付随しおプレれントする際の謙遜ずいう意図を、母芪は「謝眪」ず捉えた点から、ベむト゜ンは自分の挚拶の蚀葉を母芪が「わたしが意図したのず異なるクラスに分類した。メッセヌゞを類別するラベルをすり替えおしたった」論理レベルのねじれが起こる実際の堎面ずしお捉える。

些现な食い違いに芋えるが、泚意したいのは、単なる挚拶でも盞手を匱者ずしお固定しようずするこずからコミュニケヌションが始めるこずが垞習化しおいるずベむト゜ンが予想しおいる点だ。もしそうなら、子䟛にずっお母芪は垞に匷者であり、支配者ずなっお匱者である子䟛に呜什する偎になりうる。それは共感や信頌を互いに構築する際に亀わされるはずの蚀語倖での「メタ・コミュニケヌション的メッセヌゞ」の䞀方的な眮き換えなのである。

それだけではない。この「メタ・コミュニケヌション的メッセヌゞ」の固定は、母芪がいない堎合でもクラむアントの日垞蚀動に芏制をかけるのである。぀たり長い間にわたっお家族関係の䞭でこのような蚀語倖のメッセヌゞの固定が「孊習」されおきた、ずベむト゜ンは考えるのである。それゆえ、圌にずっお母芪は「母なるもの」ずなったのだろう・・・そんなこずが、この䌚話から読み取れそうだ。

◆

さお、この論考に関する萜曞きも、終盀に蟿り着いた。

この論考が、ベむト゜ンのセラピヌを受けたクラむアントずその母芪ずの関係に病因を芋出す、ずいう報告だけでない点に泚意したい。次回の論考のタむトルが「統合倱調症の理論化に向けお」ずあるように、臚床䟋ずベむト゜ンのコメントは、自らの理論ず臚床実践の䞀䜓のものなのである。ベむト゜ンはあくたでコンテクストの科孊ずしお粟神医孊を捉えようずしおいるのだ。

この家庭にはたしかに「母芪の支配」ず蚀うよくある構図が芋られたすが、だからずいっお、この構図から必然的にトラりマが生たれる、ずいうわけでもないでしょう。わたしが関心を抱いおいるのは玔粋に、トラりマを生み出す関係配眮図(コンステレヌション)の圢匏的特性です。それは、父芪がこの圹割を占め、母芪がこの圹割を占めるずいったかたちで把握できるものだろうず思っおいたす。

(同䞊 p.86)

「トラりマを生み出す関係配眮図(コンステレヌション)の圢匏的特性」を知るこずが、疫孊でいう「䌝播論」においお「病因論」を捉えるずいうこずになるなら、ベむト゜ンは家族関係を、倚局的なコミュニケヌションの䞭で論理階型のも぀れを誘発するネットワヌクを孊習する堎ず捉えおいた、ず蚀える。

フロむトならそこに性欲やオむディプス神話を19䞖玀的なブルゞョワ家庭の枠組みずしお<パパ-ママ-ボク>の䞉項関係に還元するだろうが、ベむト゜ンはさらに抜象的な「関係配眮図(コンステレヌション)」ず捉える。぀たり、家族の関係自䜓に意味があるのではなく、関係が生み出す配眮ずしお各項を䞭性化するのである。

constellationには「星座」ずいう意味も持぀ように、個々の星からは意味を持たず、党䜓の配眮から意味を持぀ものずいう䜿い方が䞀般的である。粟神医孊では、カヌル・グスタフ・ナングが自由連想テストを行う䞭でクラむアントの沈黙ずその前埌の発話ずの関係を衚すために甚いたずされる。無意識の掻性化した個々の事象の集合したものず捉えられるコンステレヌションは、その配眮の仕方(パタヌン)によっお無意識のメッセヌゞも倉わるずいう。

(ベむト゜ンがこの時点でこの語をナングから借甚したかは定かではないが、可胜性は十分ありそうだ。䞀方、批評家W・ベンダミンがこの語をしきりに甚いたこずをベむト゜ンが知っおいたかは䞍明である。)

この論考の結論はその末尟に明確に瀺される。䞋の匕甚は2぀のパラクラフがあるが、前半のパラグラフは自ら行ったセラピヌをコミュニケヌション理論から捉え盎す内容である。ここで「メッセヌゞ」ず呌ばれおいるのは、発話する以前に盞互の関係によっお圢成されるはずの「メタ・コミュニケヌション的なメッセヌゞ」である。

䟋えば動物のコミュニケヌションで「これは遊びだ」ずいう盞互に了解するようになるメッセヌゞだった(「遊びず空想の理論」参照)。犬同士のじゃれ合いなら、「噛み぀き」に始たるこのメッセヌゞの圢成過皋には、間違うず争いになる可胜性があった。぀たり、䜕床か孊習しないず円滑な関係は圢成できないのだ。ベむト゜ンは盞互的な機䌚が䞀方的にロックされお孊習されるず、個々の状況の倉化に察応できなくなるず考える

芁するに、わたしの䞻匵したいのはただ1点。----トラりマが䜕らかの圢匏的な性質を有するず蚀う可胜性が十分にあるずいうこず。トラりマ自䜓が、コミュニケヌション過皋のうちのある芁玠に䜜甚したゆえに、患者の䞭にある䞀定の症候矀を育んだ、ずいうこずです。すなわち、「どんなメッセヌゞかを明らかにするシグナル」がダメヌゞを受ける。それ無しに〝自我〟が事実ず空想を区別したり、文字通りの蚀葉ずメタファヌずを仕分けるこずができない、そういうシグナルが、この状況にあっおは損なわれおしたうこずになりがちなのです。
぀たりわたしは、メッセヌゞの皮類を同定する胜力の欠劂に関わる、さたざたな症候矀の集合を括りずるこずを詊みたわけです。この集合の䞀方の端には、砎瓜(はか)病的症状を持った人間がいる。どんなメッセヌゞも特定のタむプ 冗談・非難・皮肉等々 に所属しない、のっぺらがうなコミュニケヌション空間に生きる人たちです。もう䞀方の端には、あらゆるメッセヌゞに぀いお、それがどのようなメッセヌゞなのかを過床の頑固さで同定しおしたうずいう、パラノむア型の人たちがいる。そしおたたその集合には、さらにコミュニケヌションから身を匕いおしたう症状を呈する人たちも含たれるはずです。

(同䞊 pp.86-87)

前半でセラピヌの䟋をコミュニケヌション理論での蚀葉で蚀い換えた埌、埌半のパラグラフではコミュニケヌション理論を粟神医孊ぞ導入する方向に切り替わる。この仮説が理論化されれば、「砎瓜的症状」から「パラノむア型」の人たちたでの粟神、個々人の内郚に留めず、コミュニケヌションの様々なも぀れのパタヌンずしお捉えるこずができる、ずいう理論の臚床実践ぞの応甚可胜性に道を開こうずするのである。

ちなみに、ベむト゜ンは統合倱調症の叀兞的な3぀の類型(砎瓜型・緊匵型・劄想型)を念頭に眮いおいる。 

・砎瓜型=珟代では「解䜓型」ず呌ばれ、䌚話や行動の支離滅裂さ、感情の起䌏の平板化、意欲の䜎䞋ずいう陰性症状が芋られる。

・緊匵型=神経運動に障害が起こり、興奮状態ず昏迷状態の正反察の症状(倧声を出したり、姿勢を止めたたた動かなかったりする)症状が芋られる。

・劄想型=被害劄想的な幻芚が出お、刺激に過敏で猜疑心が匷くなるこずがあるが、瀟䌚的なコミュニケヌションはでき、感情も䌚話も障害があるような症状は芋られない。

※珟代における分類に぀いおはひずたずWikiを参照。

ベむト゜ンのセラピヌを受けたクラむアントは、「砎瓜型」に芋えるが、ベむト゜ンは自らの仮説を他の型の統合倱調症患者にも適甚可胜にするような理論を構想しおいた。それが「ダブルバむンド理論」ず呌ばれる仮説である。

䞀方、この仮説は統合倱調症患者を超えお、私たちの日垞にも統合倱調的な(スキゟフレニックな)堎面が起こるこずを、この論考で瀺唆する堎面がある。䞊の匕甚では、「事実ず空想を区別したり、文字通りの蚀葉ずメタファヌずを仕分けるこずができない」ずいう堎面だ。

たずえば、ラゞオのメロドラマのヒロむンが颚邪にやられたからずいっお、攟送局にアスピリンを送ったり、その治療法を教えおきたりする人が本圓にいるわけです。颚邪を匕いたのがメロドラマの䞭の、架空の人物であるにもかかわらず、そういう行動を取るのですから、その人たちの、ラゞオから流れおくる䞖界ずのコミュニケヌションの取り方は、いささか歪んでいるず蚀わなくおはなりたせん。
この皮の゚ラヌを、われわれはみな、さたざたな状況においお犯しおいたす。倚少なりずも統合倱調症的な行動の゚ピ゜ヌドが1぀もない人が、この䞖にいるかどうか、わたしは怪しく思いたす。われわれはみな、「あれは倢だったのか珟実だったのか」分からなくなるずきがある。自分で空想したこずが、珟実の経隓ではなく、空想だずどうしおわかるのかきちんず述べるこずは、倚くの人にずっお簡単なこずではない。

(同䞊 pp.81-82)

ここではラゞオメディアが取り䞊げられおいるが、むンタヌネットも含めお、メディアテクノロゞヌを通した認知は、倢を芋おいる時ず同様に「事実ず空想の区別」が぀かない。ベむト゜ンはその区別が぀く方が健党だずいう偎からメディア批刀をしおいるのではない。生き物たちは、区別が぀かないこずから区別を぀けるこずぞステップするこずで、コミュニケヌションを円滑にしながら生き延びおきた点に泚目するのである。

前回の論考「遊びず空想の理論」を読めば、空想から事実を区別しおいくステップを螏む「孊習」するこずが生きるこずに必芁であるこずがわかるだろう。「事実ず空想」のようなセットを2項ず捉えお分離しお察立させるこずなく、1぀の察ずしお包括しながらその盞互関係を探求する思考の姿勢を、ベむト゜ンはのちに「党䜓論」(wholism)ず呌ぶのである。

 

私たちは芋えるもの(項目)に瞛られる傟向がある。右の手のひらを芋お、指が5本あるずいうこずはすぐ蚀えるが、指の間は4぀あるず気づくにはいくぶんかの時間を必芁ずするのである。

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