昨日見た地獄《18》
第1話→https://note.com/ra_wa/n/n25700f8a7754
第17話→https://note.com/ra_wa/n/nc0129c5f74b2
蔵野さんからもらった彼の叔父さんの曲を、繰り返し再生する。
正直なところ、特別に出来の良い曲ではない。
最近の子どもなら、打ち込みソフトで作れるのではないか。
それでも、渡してくれること自体に意味があったのだろう。
あの機械のような人にも、青春があったとわかって。
ひどく羨ましくて、憎らしかった。
……ふう。よくない、よくない。
どうしたものかな。
あのあと、少し話しすぎたかもしれないけれど。
結局、本当に話したいことはあまり伝えられなかった。
おれの地獄についても、分析されてしまいそうな気がして怖かった。
あの人は、寂しい人だ。
けれど、他人に対してそんな風に思ってしまうおれよりは、いくらか上等な人間なのだと思う。
蔵野さんがいう通り、描いている時間にしか意味がないとしても、おれはまた地獄を描く。それを積み重ねれば、どこかにたどり着く気がするから。
だが、ペンタブを起動すると同時に、電話が鳴った。無視しようとも思ったが、着信先を見て気持ちを切り替えた。
『蜜蜂さん、こんばんは。蔵野先輩とのデートは楽しかったでしょうか』
「どうしたの、遊馬さん」
先日少しだけ話をした、蔵野さんの後輩。絶対に自分が優位に立っていないと落ち着かないような挑戦的な目は、おれが昔少しだけ仲良くしてすぐ別れた女に似ていた。
あいつをこちらから振ったときの騒ぎぶりと暴れぶりは、ちょっと笑ってしまうくらいだった。
『コインを投げたんです。表が出たので、電話しました』
おれの知っている女とは違う、無機質な声。優しさがないから、少し落ち着く。
『あなたの作品への感想と、謝辞を伝えようと思いまして』
「おー、ありがとう。わざわざ電話なんてしなくても良いのに」
『効果的な攻撃になるかな、と。あるいは、試験』
なーんだかなあ。大好きな先輩が珍しく仲良くする男友達に、無駄に嫉妬してるようにしか見えない。
こんなメンヘラに懐かれても揺らがない蔵野さんは、大人なのか壊れているのか。
「遊馬さん。あんまりそういう物言いは、良くないよ」
『私もそう思いましたが、コインが表でしたので』
ダメだこりゃ。
『あなたがペンギンラボで製作している作品に、あまりオリジナリティを感じませんでした。確かにある程度無難で、技法も優れています。しかし、その程度の人が蔵野先輩を惹きつけるとも思いませんでしたので、少し調べさせてもらいました』
「別に、仕事で仲良くなった訳じゃないんだけどね」
『はい。ならば、人間性ですよね。だから、もう少し調べたんです』
遊馬は得意げに、おれの来歴や趣味について調べたことと、そこから勝手に紡いだ物語を聞かせてきた。
『蜜蜂さん。あなたは蔵野先輩に会っても、本当のところでは笑っていない。他人のことなんて、誰一人信用していない』
「ひどいなあ。人をサイコパスみたいに」
『むしろ、逆でしょう。サイコパスは共感性がありませんが、あなたは共感性も感受性も高すぎる……だからあなたの絵はいつも、他人の一番強い感情を描いている。そしてたまに、受け取った感情に押しつぶされて、フラッシュバックのトリガーを引く』
「へー。まるでお医者さんみたいだね」
『調べた内容から、少し想像すればわかることです。そんな生活が、地獄に近しいことくらい』
皮肉が通じないのか、流しているのか。
地獄。地獄。地獄、ねえ。
笑ってしまう。遊馬の語るその言葉には、重みがない。やたらと激しい表現に凝る、中学生みたいだ。
「えーと、さっきは感想と謝辞がどうとか言ってなかった?」
『はい。あなたの本当の作品は、確かに蔵野先輩に必要なものです。とても、幼くて、痛々しい。私にも、その痛みがわかるくらいに』
「……あはは」
フラッシュバック。
叫びだしたくなる。吐きたくなる。
遊馬は、あえてそういう言葉選びをしているのだろう。
『本音を素直に言えない人の気持ちが、私には理解できません。誰も自分のことなど守ってくれないのだから、自分が好きなことをして生きているべきです』
「そうだね。だから、仕事と趣味は分けてるよ」
『あなたは、狂っています。しかし、その狂気には見るものがありました。私からも、改めて感謝をお伝えします』
話が噛み合わない。
人にひどい評価をする前に、少しは自分のことをかんがみてほしい。
「遊馬さんはさ」
『はい』
「なんでそんなに、紗那江さんのことが嫌いなの?」
『傲慢だからです。周りすべてを、守ってやりたいと思っている。母親面をしたくて仕方ないんですかね。あるいは、そうしないと自己が保てないのか』
あのとき、紗那江さんは幼いおれに、「優しくしてなきゃ、壊れちゃいそうなんだ」と言った。
遊馬の分析は、そこまで外れてはいないだろう。
『宮村呉将(くれまさ)。宮村紗那江の元相棒。白衣の悪魔、でしたっけ? あの男の影でも、蔵野先輩に見ているのでしょうか。蜜蜂さんは、いずれもご存じだと思いますが』
「踏み込みすぎ。嫌われたいなら、そう言いなよ」
『すみません。そんなつもりはないのですが、私は他者との距離感をつかむのが苦手でして』
そう言いながら、電話口の声はどこか自慢げだった。
あー、うっとうしい。
おれは喧嘩にもトラウマがある。
たぶんこいつはそれをわかって、あえてギリギリを挑発してきている。
「遊馬さん。ちょっとだけ嫌なことをいうよ」
『嫌なことなら言わないでください』
言われたくないなら、少しは態度を考え直せ。
「きみは、蔵野さんにはなれない」
『……それは、そうでしょう』
「ほんとはわかってないくせに。あれかな? きみ、親戚にすごい人がいるって、自分のことみたく威張るタイプなのかな?」
『……』
少しはイラっとしたらしい。
「てかさ。今日の蔵野さんの話でも、きみの話でも、ずっと思ってたんだけどさ。温室育ちの恵まれた奴らがいちいち不幸面すんなよ。どーせうだうだ悩んだまま大学まで普通に通えて、恋人や友達が作れるのに自分で拒否して、親の介護なんて考えたこともないんだろ」
『私の親は、まだ介護が必要な年齢ではありません』
「おれの親が壊れたのは、おれが小学生のときだよ」
『……』
「あー、そんなのはどうでも良いんだ。不幸自慢したい訳じゃない。蔵野さんを見てて、恵まれた奴らにもそれなりの悩みがあるのはわかったから。だが、蔵野さんと紗那江さんをバカにするのは、ちょっと許せないね」
『宮村はともかく、蔵野先輩を侮辱した覚えはありません』
「そーかい。ま、それなら言ってもたぶんわからないよ」
少しの沈黙のあと、ピン、と硬質な音が聞こえた。
『失礼しました』
「うん、気にしないでいいよ。とりあえず切っていいかな」
『いえ、もう少しだけ』
コインが表だったんだろう。なんなんだ、この自己中モンスターは。
『温室育ちの恵まれた人間でなかった蜜蜂さんは、私たちになにが足りないと思いますか?』
少しだけ、声が上ずっていた。彼女なりの、誠意を込めた問いなのだろう。
おれは、自分なりの答えを返した。
「逃げずに傷を受け止める、経験かな」
平和な時代には、激しい物語が流行する。荒れ果てた時代には、優しい物語が望まれる。
恵まれたやつらは、ちょっとしたことですぐつまらない自傷に走る。そうすることで誰かに守ってもらえると、これまでの経験で信じているから。
『……あなたは、それこそずっと逃げているのでは?』
「おれは弱いからね。きみたちほど賢くもないし、傷のほうから追ってくる。逃げなきゃ自分を守れないから」
『私も同じです』
「はは。なめんなよ。紗那江さんに守られてるうちは、子どものままさ」
あんまり、ここまで大人げなく喧嘩したくはなかったんだけど。
昔の恋人を思わせる遊馬が悪いことにしてしまおう。
『蜜蜂さん。どうか、死なないでくださいね』
遊馬は最後に、突飛なことをいってきた。
『あなたを失った蔵野先輩を、想像したくありませんから』
電話が切れた。たぶん、他にも伝えたいことがあったんだろうが、ここまで決裂したら仕方ない。
つーか、もうちょっとちゃんと謝れよ。なんで終始上から目線なんだこいつ。
ひとまず。
おれは、作品のデザインを変えることにした。
めんどくさい彼らとの一日を、また思い出せるように。
第19話→https://note.com/ra_wa/n/n170119c92dd2
