昨日見た地獄《15》
第1話→https://note.com/ra_wa/n/n25700f8a7754
第14話→https://note.com/ra_wa/n/n90998e947253
「怖い子ですね」
遊馬と三人で帰った翌朝、蜜蜂はホームで話しかけてきた。
「あの子を手懐けるって、いったいどんな魔法を使ったんですか」
「遊馬は、蜜蜂さんとも和やかに話していたように思えますが」
「それは、世間話だからです。仕事であのタイプが後輩ってのは、怖すぎます。全部監視して採点してくる感じしません?」
それは、感じないこともないが。
そもそも業務上の態度が万人に見られているのは、当然のことではないか。通常通り、自分の役割をこなせば良いだけだ。
「そのノリを他人に求めちゃダメですよ。それこそハラスメントになりかねません」
「心得てます。ただ、遊馬はいくつかの癖を許す他は、私と同程度の水準を求めたがる傾向があるので」
正直、戸惑っている。
本庁で最初に後輩を持ったときと同程度には求めて良さそうなのだが、その相手は値を上げて転職した。結局、私の中で指導の正しいさじ加減がわからないままだ。
「おかげで、私が事務作業に割く時間が大分減りました。得意なことばかりするわけにはいかない、というのはわかっていますが、不毛な要求を受け流すのはストレスがたまりますね」
「その分、紗那江さんは楽になっているでしょうか」
「そのはず、なのですが」
室長はずっと元気がない。本当に、今季で室長の座を退くつもりなのだろうか。
「私のような若輩者が、室長なしに業務を回せるとも思えません。それに、遊馬の配属された理由が、本当に休職者の穴埋めだけなのか。気になります」
「公的機関では、あり得ないことだと思いますが」
蜜蜂は、言葉を選んでいた。
「おれの知っているパターンだと、職場自体が縮小する、支店を徐々になくしていく、なんてことがあります」
「……国立精神保健調査センターについて、統廃合の話は聞いていません」
「ですよね。流石にそんなことはないと思うんですが」
だが。対外的には変わらなくとも、内部機構が変わることはある。
室長はともかく、私や遊馬の事務仕事があの執務室でないと行えない訳ではない。いや、室長も同じか。所詮、雇われ人には代わりがいる。
電車の時刻表のように生きていたい。
けれど、時刻表すらも、定期的に更新されてしまう。
そして、簡単にその日常に慣れていく。
「すみません、蔵野さん。想像で変なことを」
「いえ。いつも蜜蜂さんの意見には、気付かされます。最近は、フラッシュバックも少なくなっているようですし」
「ないことはないんですけどね。遊馬さんは、ちょっと危険なツボでした。昔こっぴどく振られた女の子に、ちょっと似てましたし」
「それは、失礼しました」
電車がホームに止まる。今日の話は、こんなところか。
イヤホンを取り出そうとしたら、蜜蜂はさらに声をかけてきた。
「蔵野さん。差し支えなければ、週末遊びに行きませんか」
「遊びに?」
「紗那江さんや遊馬さんを呼んでも、呼ばなくても構いません。おれの好きな絵を、見せてみたいなと思いまして。無理はしなくていいのですが」
「私は、人と遊びに出掛けるのが苦手です」
「ええ、知ってます」
「しかし、あなたと話す時間がもっとほしいとは思っていました」
私はこの男と出会ってから、少しずつ変わっているらしい。
先日、敬愛する上司に答えたのと同じ言葉を返した。
「命じられた役割は、つつがなく遂行いたします」
「……あはは」
「なにか、おかしなことでも?」
「いえ。蔵野さんと電車の中で話せたの、初めてだなって」
もう、私たちを乗せた電車は動き出していた。
「蔵野。おはよう」
宮村室長は、いつも通り珈琲を入れていた。
この珈琲の香りがない執務室に入ることを、少しだけ考えた。それはなんだか、とても不愉快だ。
「おはようございます。今日ですが、午後には予定がすべて完了する見込みです。遊馬も、恐らくは同様でしょう」
「おー、電話番でもしてゆっくりしときな。午後休でもいーぞー」
「室長のお手伝いをしたいのですが」
「いや、あたしも暇になってきてんだよねー」
「業務の仕分けと外部委託化が進んでいるから、ですか?」
「……朝からそんな話させないでよ」
明らかに、室長は不機嫌そうだった。
「蔵野と遊馬さんが優秀だから、やることが減ってるだけ。気にするなって」
「遊馬は優秀ですが、処理能力はまだ私に及びません。また、私を高く評価していただいていますが、そもそも定時帰りの若輩者がこなせるだけの業務で二名も倒れたとは考えにくい。最初から、配慮していただいていたんですね」
「まー、最初はね? でも、蔵野のおかげでずいぶんと楽になったからさ」
「失礼ながら、その二名分の補填を、一時的にでも室長が負えていたというのが、そもそも不思議でした」
「……なめんなって」
「私は事務官です。室長は、元々が医療職です。知識や体力、経験で私が室長に及ぶとは思いません。それでも、事務処理においてあなたが突き抜けているわけではない。少しずつ、本庁に仕事を引き上げさせて……私でもこなせるほどに、切り分けてくださっていた」
「ま、人足りないからねぇ。つーか、仕事減ってんだからいいじゃん」
「私たちをここに送った矢口主査の性格を、私は存じております。相手のことを立てる顔をして、自分の目的を成し遂げる。最初から、この場所を縮小するつもりで」
とん。
ペンを、机に強く叩く音。
「自惚れるな。勘繰りすぎるな」
「……失礼しました」
「蔵野が考えてることは、分かってるよ。事務に長けた人間を送り込んで、ここの仕事を表面的には楽と見せる。矢口くんは、それを持ってここのポストを減らして外部化する。蔵野の、仕事を平準化して効率化する能力を見込んで。そしてあんたは、その期待に応えた」
「はい。だから、私の仕事が」
「休んでるやつから居場所を奪う、ってか?あほくさいなぁ。矢口くんもいってたけどさ。一部の優秀なやつが回してる仕事って、そもそも破綻してるんだよ。別に今すぐって訳じゃないし」
しかし。
遊馬が配属されたこと自体、この場所に新たな役割を求められていることを示している。それが移行のための手続き要因だとしたら、納得が行く。
きっと矢口主査は、その負担を結局室長が隠して背負おうとすることすら計算済みでいるのだろう。
「確かに、蔵野は想像以上に優秀だったよ。でもせいぜい、プランが少し前倒しになっただけ。みんなどのみち異動すんだし、別にいいじゃん」
「……それでも」
「ん?」
「この職場に室長がいないことを考えると、寂しいです」
室長は少しだけ目を丸くして、聞き分けのない子供をあやすように私を見つめた。
「だから、別にすぐいなくなる訳じゃないよ。蔵野の珍しい顔も見れたし、今日はなんだかいい日になりそうだね」
第16話→https://note.com/ra_wa/n/n0e9e66865cfb
