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昨日見た地獄《16》

第1話→https://note.com/ra_wa/n/n25700f8a7754
第15話→https://note.com/ra_wa/n/n99104cb2ceca

「蔵野さん、おはようございます」
 三番線のホームに、蜜蜂は立っていた。

 私は、蜜蜂と出掛けるに当たってひとつ条件をつけていた。平日とはダイヤが異なることを承知しながら、いつもの電車で待ち合わせようと。
「蔵野さんらしいですね」
 蜜蜂は、からかうように笑って頷いた。
 私たちはいつものように待ち合わせ、普段よりも五駅先の街に降りた。

 室長と遊馬にも声をかけたが、かえって気を遣われてしまったようだ。
「友人とゆっくりお話しされるのであれば、私たちが出張らないほうが良いでしょう」
「あたしも遊馬さんに賛成だ。千尋くん、あたしがいると遠慮しそうだし」

 それにしても。
 休日を他人と過ごすのは、一体いつぶりだろうか。

「それにしても、蔵野さんの私服は新鮮です」
「恥ずかしながら、あまり人と会うことがないもので。浮いていなければ良いのですが」
「そうですか? すごくパリッとしてますよ。スーツでくるんじゃないかと、ちょっと怖かったですけど」

 そういう蜜蜂は、私には着こなせないようなカラフルな服を着ている。
 私たちが友人には、とても見えないだろう。

「やっぱり、蔵野さんって普通にかっこいいですよね。体もがっしりしてて、精悍で。事務の人って、そんなに体引き締まってないイメージですけど」
「昔からの習慣で、体は鍛えています。最低限の運動をしなければ、頭も回らないので」
「へー。運動部だったんですか?」
「野球部でした。とはいえ、大学では控えでしたし、活動はそこそこに学業を優先していましたが」

 逆に、蜜蜂は妙に線が細い。それでも弱々しさより清潔感を感じさせる着こなしは、デザイナーの美的センスというものだろう。

「蜜蜂さんは、部活動は?」
「あー、おれ、集団活動って苦手で。家で好き勝手してましたね」
 現在の社交的な姿からは、想像がつかない。

「で、今から見に行くのが、そんなおれが良く見ていた絵です」



 天国。
 誰も見たことがないのに、多く選ばれる題材。
 西洋の宗教画に代表されるパブリックイメージと、蜜蜂に連れられてみたそれは大きく異なっていた。

 錆びた鉄棒。鎖がひねられたブランコ。
 置き去りにされたおもちゃが埋まった砂場。申し訳程度の雑草と虫。
 まだそこまで殺人的でなさそうな、青い日差し。

「真昼の公園、ですね」
「はい。おれたちよりももう少し前、それこそ親世代の公園って感じです」
 芸術家の考えることはわからない。日常こそが一番の幸福とでもいいたいのだろうか。

「これに『天国』って題をつける人のセンスも、それを有り難がる人がいることも、当時のおれには愉快でした」
「愉快、ですか。高校生の頃の蜜蜂さんには、理解しがたかったのではないでしょうか。正直、私などは今もわかりかねます」

「うーん」
 蜜蜂は少しだけ言葉をまとめるように沈黙し、頭を掻いた。
「この作品が発表されたのは、おれが中学生の頃でした」
「それなら、ますますわからないでしょう」
「そんなこともなかったんですよ。だって、ここには子どもがいない」

 確かに、公園を描くのなら、遊ぶ子どもがいてもいいはずだ。
 風景画なのだとしても、天国などと名付けるセンスはわからない。

「当時のおれは、こう捉えました。親世代にとって、子どもはうっとうしい存在で。公園にすら子どもがいない安心が、彼らの天国なんだって」
 ずいぶんとひねくれた解釈だ。

「だからおれの親は、生きていても気軽に天国に行っているんだと。おれのことも、他のいろんなことも忘れて、天国をたまに眺めていると。そう思うと、ほら、少しだけ気が紛れたんです」

 蜜蜂の親は、健忘症を患っている。私は詳しくはないが、記憶障害は身近な人間から忘れていくケースも多いようだ。

「おれも、親から忘れられていたほうが気楽でしたから」
 どこまでが本当かはわからないけれど、すべてが嘘というわけでもないのだろう。

「で、大学生になってから見ると。この絵は、公園の思い出こそを天国と言っているように見えたんです。絵って面白いですよね。それ自体は変わらないはずなのに、こちらの認識と解釈で違うように見える」
「……もし思い出だと言うなら、それこそ友達が遊んでいるのでは?」

「蔵野さんは、幸せな方ですね」
にこりと、少し声を低くして蜜蜂は笑う。
「友達がいなくても、公園では遊べるんですよ。むしろ、他の子どもがいなくてなんの煩わしさもなく遊べるなんて、最高です」

 蜜蜂は、屈折している。これまでも見え隠れしてきたが、私や遊馬のように分かりやすくコミュニケーションが不得手でないから目立たなかった。

「で、今。おれは、この絵の作者がこんな公園で遊んだことはないんじゃないかと思い始めました。イメージだけで作った、かつてあった場所。蔵野さんって、公園で遊んだことは?」
「野球の練習の度に、公園は使っていました」
「なら、わからないかもしれません。意味もなくこういう場所に入ることの、怖さが」

 私は、決して他者の感情を読み取るのが得意ではない。
 それでも、蜜蜂がこの絵になにかを投影していることはわかる。

「この絵について、蔵野さんの率直な感想を聞きたいです」
「失礼になってしまうかもしれませんが」
「今さらですよ」

 ふむ。それもそうか。
 私は、私なりの解釈を話した。

「この絵と題には、思想の関連などないのではないでしょうか」
「へえ。どうして、そう思うんですか?」

「この絵は、大変写実的に描かれています。私は実際、このような場所でトレーニングをしたことがある。遊具が多くて、普段使いには不便ですが」
 かつて私がトレーニングした公園は、もう残っていないが。
 練習場所なら、他にもいくらでもある。

「もしこの風景そのものより、意味深なタイトルに意味の重心を持たせたのなら、なにか他のメッセージを刻むのではないかと。子どもであれ、夕暮れであれ。先ほどの解釈は興味深いですが、蜜蜂さんの感受性の豊かさによるものが大きい」

「面白いですね」
 蜜蜂は私の言葉を歓迎するようにも、いらだちを抑えるようにも見えた。
 この手の正解のない感覚的な発言は、やはり苦手だ。
 私は一息つき、改めて蜜蜂を見据え、続きを述べた。

「……だから、私はこう推理します。作者はただ、自分でもテーマがわからないままうまく描けた絵を誰かの心に残したかった。そのために、少しでも解釈の余地のある題をつけた。あなたのように、豊かな観察者によって意味付けされ、誰かの心に残ることを願った」

「乱暴と言うか、そんな適当な作り方をする人なんていませんよ」
「ふむ。その辺りの感覚は、作品作りをする蜜蜂さんのほうが私よりも詳しいのでしょう。それでは、もう少し言い方を変えますと」

 私らしくなさを引き出すこの男の前では、多少感傷的でもよいだろう。
「この絵を描けた時間こそが、作者にとっての天国だったのかもしれません」

第17話→https://note.com/ra_wa/n/nc0129c5f74b2


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