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昨日見た地獄《13》

第1話→https://note.com/ra_wa/n/n25700f8a7754
第12話→https://note.com/ra_wa/n/n8fe81a60582e

 遊馬は、これまでに見た後輩の中でもかなり物覚えが良い。
 私の定例処理にかかる業務量は明らかに削減され、代わりにチェックや個別案件の経緯についての引き継ぎをする時間が増えた。

 ありがたいことではあるのだが、少しばかり手持ち無沙汰だ。
 これまでと同様の報酬を得て良いのだろうか。

 室長は相変わらず、珈琲を飲みながら私たちよりも残業をしている。
「早く家に帰りすぎるとむなしくなるんだよねー」などと笑っているが、本来は私が引き受けて平準化するべきなのだろう。
 一応いくつかの業務をもらっているが、それでも二度手間になっているようにしか思えない。

「私が配属されたということは、やめた方はもちろん、お休み中の方ももう帰ってこないのでしょうね」
 遊馬は、宮村室長が席を外したときを見計らって私に声をかけてくる。
 彼女は統計データと業務報告を眺めながら、つまらなさそうにポケットで手を動かしていた。

「なぜ、そう思うのですか? 復帰の見通しが立っていないのであれば、補充をするのは自然です。もともと定数が四人なのですから、遊馬さんが入っても一人欠けているのは変わりません」
「三人ですよ。前の部署で、人員計画にかかる資料を見る機会がありました。ここの所長があげてきた資料では、事務担当は室長と担当二人、となっていました」

 人事計画。私が本庁にいたときの主査が、いまはあそこを管轄している。
 となると、遊馬に私のことを吹き込んだのはあの方だろう。

「それに、定数が足りないなら、非常勤のスタッフなりをつけて対応するのが普通です。これまで二人欠員で半年以上回している職場に、ヘルプがなかったことからも明らかです」
「ふむ」

「そもそもが、必要ですか? これ以上。蔵野さんほどの能力を求めないとしても、私程度のスタッフが二名いれば、十分に回せる環境だと思いますよ。てっぺんを越えるような残業もないですし。残業手当がひどく減ってしまい、逆に困ってます」

 なるほど。はじめてここに来たときの私に似た感想だ。初配属の環境は、そういうものとして受け入れる。
 私は本庁時代でも、不要な残業は避けていたが。

「遊馬さん。本日ご予定はありますか?」
「え」
ひくり、と、遊馬の手が止まる。
「無理はなさらないで結構です。少しばかり、お時間をいただけますか。現在の仕事を終えてからで」
「……」

 しばらく、遊馬は硬直し。
「蔵野さん。それは、業務命令として受け取って良いですか」
 少し試すような目で、見つめてきた。
「はい」
「なら、『業務命令です』と言葉にしてもらえますか。面倒ですみません」
 あまり意味があるようにも思えなかったが、いう通りにしてやった。
 遊馬はポケットの手を動かし、満足げにうなずいた。


「人間の能力は、同一ではありません」
「さすがに、わかってます」
「はい。しかし人事計画査定は、それを定量化する仕事です。現場から可能な限り適材適所の配分を求められる職員配置とは、ベクトルが違う恨まれ方をする。しかも人事院査定をクリアするためには、現場の声を圧縮して要求を理論化しなくてはならない。報われにくい仕事です」

「蔵野さんも、ご経験が?」
「私自身ではなく、前の上司から聞いたことです。おそらくは、あなたもご存じでしょう。矢口主査」
「はい。私をここに置いてくださったのも、矢口さんの口添えです」
 分かりやすい声色。主査とぶつかった、というわけではないようだ。 

「彼はよく、こう言っていました。『査定側に立つ人間は、自分の能力を基準にするべきではない。そして理論値ではなく、平均値で考えなければならない』」
「あ、それ、何回も聞きました。あの人、自分は仕事できないよって顔して、全部さらっと終わらせちゃうんですよね」
 遊馬の顔が柔らかくなった。

「しかし、お優しいだけではない。不要とあれば切り捨てる判断をする方です。私も、切り捨てられた身です」
「蔵野さんが?」
「『蔵野くんは間違ってない。でも、正しくはないんだよ』。彼にそう言われて、私はここに送られました。当時の私の能力がその場にふさわしくないゆえのことなのだと、そう理解しています」

「なら、私も同じですか」
「遊馬さんは自分からやめたいと申し出たのでしょう。それに、考え方次第です。私は言ってしまえば、適正配置の可能性を試されただけ。しかし、今休んでいる人間は、おそらくそうではない」

 生産性の期待できない人間を滞留させても仕方ない。我々の給与は、対価に基づくものであるべきだ。
 正しい。ここに来る前の私なら、それを疑うことはなかった。

「しかし、宮村室長のお考えは異なるようです」
「……」
「休んでいるスタッフが、本人から申し出ない限り一応の籍を残しているのは、あの方が人を見捨てられないから。管理職としては、向かない思考です」
 私が配属されたとき、室長は退職したスタッフの仕事だけを分担し、休職中のスタッフの仕事は自ら引き受けてしまっていた。引き継ぎの余裕がないなどと言っていたが、室長ご自身の感傷も少なからずあったのだろう。

「それって、優しさじゃないですよ」
 遊馬は、不愉快そうに口を尖らせた。
「本人にも、残されて皺寄せを食う側にも、マイナスしかありません。中途半端に希望を引きずるから、その分の時間を無駄にしてしまうんです」

「ええ。遊馬さんは間違っていません」
「正しくはない、と言いたそうですね」
「正しいですよ。それで倒れられたら元も子もない。ただ、私たちがそれを簡単に糺すような立場にないというだけです」

 仕事を与えられるのは、信頼の証明だ。よそから来た問題児に、ぽんと仕事を渡してもフォローの手間が増えるのはわかる。
 それでも、最低限の役割をこなさないと一日を終えた気がしない。着任して少ししたときに、そんな私の考えをお伝えしたら、室長は難しい顔をして仕事を譲るようになった。

 あの難しい顔の意味が当時の私にはわからなかったし、今も本当のところはわからない。
 だから、きっと今の遊馬にはわからなくて当然なのだ。

「ただ、これで宮村室長が苛立っている理由も想像がつきました。休職中のスタッフを定数外として、退職を勧奨するようにでも伝えられたのでしょう。私とあなたがいれば、業務を回すことに困難はありませんから」
「あぁ、あのイライラ、更年期とかじゃなかったんですね」
「……」
「すみません」

 少しだけ、安心している私がいた。
 遊馬を嫌っているだとか、またなにかを背負っているだとか、そんな私的な理由だけでは無さそうなことが。

 もちろん、今の部署に回されているのには遊馬にも原因があるのだろう。
 あるいは、私の育成のためか。指導の経験を積ませ、やがては自分の手元に戻す。矢口主査の考えそうなことだ。すべて、下っ端の邪推でしかないのだが。

「なにやら小難しいことを言ってしまいましたが、要はあまり宮村室長の前でその類のことを言わないでいただきたいというのが遊馬さんへのお願いです」

 遊馬は、あまり納得がいっていないようだ。
 手をポケットに入れ、わちゃわちゃと動かす。
「……私はまだ新参の未熟者ですから、業務分担にもの申したりはしませんが。蔵野先輩は、それでいいんですか?」

「私、ですか? それに、先輩呼びはやめていただきたい」
「定時を過ぎましたから。蔵野先輩にとっての『日常業務』には、現在の業務量は不足しているように感じます。私は、蔵野先輩はもっと頼もしい方だと思っています」

 余計な期待だ。
 こういうものが、人生には絡みついてくる。

 遊馬の指導があるから、私に役割がないわけではない。
 しかし、時刻表のように定まった処理をもう少し与えてほしいと思う。
 蜜蜂は、こんな私をどう思うだろうか。今度、聞いてみたい。 

「ところで、蔵野先輩。さっきの言葉をもう一度いただけませんか?」
「さっきの言葉、とは?」
「『私とあなたがいれば、業務を回すことに困難はありません』、と」

第14話→https://note.com/ra_wa/n/n90998e947253


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