マルセル・プルースト『失われた時を求めて』を読む。第1回
第1回「理解はいつも遅れてやってくる」
これから一年ほどかけて、マルセル・プルーストの大作『失われた時を求めて』(高遠弘美訳)の読破に挑戦してみようと思った。
それは、ただの思いつきだった。
たまたま、こんな記事も見つけた。なんとなく励まされる(;^_^A。↓↓↓↓↓↓↓↓
とはいえ一年では読了しないかもしれない。若い頃に何度も挫折した本だ。
今回は紙の本ではなく、Kindleで読み、iPhoneの読み上げ機能にも助けてもらう。
読書というより、「耳で聴く時間」も含めた、新しい読書体験になるだろう。
この作品を読破した人は少ない、と聞く。
しかし、この本は、「読めた」「読めなかった」を競う本ではない。
自分にとって、自分という人間が一年後、二年後にどう変わるのか。
その変化を映す鏡のような作品になってくれるのではないかと思っている。
若い頃には気づかなかったことが、歳を重ねてから見えてくる。
「理解はいつも遅れてやってくる。」のだ。
そんな経験を、私は「反転」と呼んでいる。
プルーストもまた、「失われた時間」は消えてしまうのではなく、
ある日突然、現在の中によみがえることを書いた作家である。
このシリーズでは書評を書こうとは思わない。
読書の進み具合や印象だけでなく、本を読みながら、自分自身がどう反転していくのかを記録していきたい。
一年後、この第一回を読み返したとき、きっと私は今とは違うことを考えているだろう。
その変化もまた『失われた時を求めて』という長い旅の一部なのだと思う。
私も、もう少しだけ、このゆっくりとした時間に付き合ってみようと思う。
今日のプルースト
書物のテーマは私から離れ、
それをさらに追うか否かは、
私の裁量に任される。
ほんのさわりの部分を読んだだけだが、私は、決意した。
この本が問いかけるテーマを、自分の人生の中で追いかけてみよう、と。それは、私にとっては、
過去の意味づけであり、反転する記憶をめぐる旅だ。
……とはいえ、昔のように18ページそこらで挫折してしまっては、この旅は始まらない(笑)。
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・第2回|眠りと目覚め、自分を思い出す。
