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マルセル・プルースト『失われた時を求めて』を読む。第2回

第2回 目が覚めるたびに、私たちは自分を思い出している。

プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいる。

この読書記録の第1回では、

「この本が私に問いかけるテーマを、自分の人生の中で追いかけてみよう

と決意した。

そのテーマとは「過去の意味づけ」であり「反転する記憶」だ。

さて、いよいよ読み進めようと思うが、なかなか先へ進まない。

主人公は眠っている。

目を覚ます。

また眠る。

そしてまた目を覚ます。

何ページにもわたって、その繰り返しが続く。

正直に言えば、

「いつになったら話が始まるのだろう。」

そう思った。

しかし、読み返しているうちに気づいた。

プルーストは、まだ物語を書いているのではなかった。

「記憶とは何か」を書こうとしていたのだ。

朝、目が覚めた瞬間、

「あれ、ここはどこだろう。」

と思うことがある。

出張先のホテルならなおさらだ。

ほんの数秒、自分がどこにいるのかわからない。

やがて天井や窓の位置を見て、

「ああ、大阪だった。」とか「東京だった。」とか、思い出す。

そのあと、

今日の予定、仕事、終わったら、どこに飲みに行くか――
みたいな現実が少しずつ戻ってくる。

私たちは目が覚めるたびに、世界を思い出しているのだ。

プルーストは、そのほんの数秒の出来事を、驚くほど丁寧に描いている。

だから、この長い「眠り」の場面は退屈なのではない。

むしろ、私が「私」になる瞬間を書いているのだ。

そう考えると、この小説の冒頭は急に面白くなってきた。

ふと、映画『寝ても覚めても』を思い出した。今や世界的に評価される濱口竜介監督の商業映画デビュー作だ。もちろん、『寝ても覚めても』が『失われた時を求めて』をモチーフにした作品だというわけではないし、そのように語られているわけでもない。それでも今、プルーストを読みながらあの映画を思い返すと、「記憶が現在を書き換えていく」という感覚に、どこか通じるものを感じてしまう。

プルーストを読んでいて、不思議とこの映画を思い出した。もちろん、これは私だけの連想だ。

これは、一人の読者で、映画好きの私の勝手な連想である。悪しからず。

人は、「眠り」と「目覚め」の境界に揺れ動いている。

そしてプルーストは、その曖昧な境界から物語を書き始める。

目が覚めても、心はまだ夢の続きを生きている。

あるいは、過ぎ去った過去の記憶が現在を書き換えてしまう。

私も、もう少しだけ、このゆっくりとした時間に付き合ってみようと思う。


今日のプルースト

「眠りながらも私は、いましがた読んだばかりの書物のテーマについてあれこれ思いをめぐらすことは続けていたのだ。」

『失われた時を求めて〜第一篇「スワン家のほうへ」』(高遠弘美訳)(kindle版18ページ)

眠っている間でさえ、読書は終わっていない。

私も、そろそろ眠くなってきた。

それでも、プルーストのテーマは、眠っているあいだもどこかで私の中を歩き続けるのかもしれない。

まだ私は、「第一部 コンブレー」の第一章にいる。

先は長い。

でも、急ぐ必要はない。

おやすみなさい。

👇次回の記事はこちら
第3回|マドレーヌの場面がなかなか現れない。



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