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💌続.静岡県民の幸せを願って!「台風神風論-日本は神国なり!」(串呂哲学研究ノート№260)

💖心よりお見舞い申し上げます!

この度の台風15号で、大雨により被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災された皆様の生活が1日も早く平穏に復することをお祈り申し上げます。

このオンラインブックは、静岡県民の皆様方の益々の幸せを願って記述されました。著者の意図するところが読者の皆様に伝わりますように!

著者 鈴木超世志

💫参考資料

【伊藤貫の真剣な雑談】第9回「プラトン哲学と国家の独立」
ソクラテスも プラトンも、人間にとって、そして国家にとって、最も大切なのは、質の高い価値規範を維持すること、それから徳のある人生を生きること、もしくは徳の ある 国家を作ること、これが 政治の目的であると(述べています)。
(2022/10/08   YouTube 1:08:03~)

💞はじめに

「台風は神風かみかぜだ!二度にわたる元寇げんこうに際し、当時、世界最大規模の艦隊であったげんの軍船団を、二度共に壊滅かいめつさせ撃退した大台風は神風かみかぜだった!」と言えば、現代人のほとんどは「そんなの迷信だ!」と言って冷笑するだろう。

【参照】『元寇- Wikipedia』(文永の役/1274年・弘安の役/1281年)

私は管見かんけんにして、これまで「台風は神風(神が起こした風)である」ことを考証した論文がある事を聞いたことがない。従って、本書は世界で最初の「台風神風論」である。(有ったら教えて頂きたい!)

もちろん私は、全ての台風が神風だとは思いません。ほとんどの台風は自然現象による台風だと思いますので、厳密に言えば、本書は「神風台風論」と云うべきかもしれません。

その件はさておき、私は下記で述べる4件の台風に関しては、明らかに神風台風で、決して自然現象の台風ではないと確信していますし、最後の5件目に述べる「2022年9月の台風15号」も神風台風であると確信しています。

最後までご一読下さり、コメント欄やメールで、ご質問なり、ご批評なりして下されば幸いです。静岡県民の皆様方の益々の幸せを重ねて祈念いたします。前回の記事「号外」をお読み頂いた皆様に心より感謝しています。


台風神風論-日本は神国なり!

(1)吹嵐ふきあらしの中に降誕!

神風串呂(串呂哲学)を大成した三浦芳聖みうらよしまさは、明治37年(1904年)9月17日(陰暦8月8日)の降誕です。

この降誕日の前夜から、世にもまれなる大台風が来たので、お産が近づいた芳聖の母親は、450年前に建てられた母屋おもやでは危険であるということで、家族は皆、堅固けんごな造りの米蔵こめぐらに移ってお産の準備をしたそうです。

この大台風は、愛知県岡崎市牧平町の、当時七十、八十のおじいさんやおばあさん達でさえ、生まれ出てから初めてで、牧平中の家の屋根瓦やねがわらが一軒残らずめくられたという程の大台風でありました。
(三浦芳聖著「神風串呂」177号/1970年9月発行/要約)

三浦芳聖の降誕に当って吹き荒れた、この大台風は、決して偶然起きたものではなく、神風台風であったことは、三浦芳聖が解明した「吹嵐ふきあらしの中、昼神ひるがみ神明しんめい降誕の神風串呂」で明らかです。

吹嵐の中、昼神・神明降誕の神風串呂
『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版より

上記の串呂は、芳聖が住職した「日曜院にちよういん」、僧侶の修行地「安楽寺あんらくじ」、「幼年時の居住地」、「三浦芳聖降誕地こうたんち」、「昼神ひるがみ」、「吹嵐ふきあらし」などが一直線上に串線する驚異的な神風串呂です。

地文の一部を抜萃ばっすいしますと、下記のようになります。

神明しんめい」-「三浦芳聖降誕地こうたんち」-「昼神ひるがみ」-「吹嵐ふきあらし」-「神宮寺じんぐうじ

🟡下記は地文の意義です(WEB地図がリンクしてあります)。

ア、神明は、串呂主宰神「天照大御神」を表わす。ここでは芳聖は、その分身分霊と解読する。
イ、三浦芳聖降誕地は、愛知県岡崎市牧平町大門の芳聖の降誕地。
ウ、昼神は、天照大御神の別名「大日孁貴神おおひるめむちのかみ」を表わす。ここでは芳聖は、その分身分霊と解読する。
エ、吹嵐という地文(地名)は台風を表わす。
オ、神宮寺は、伊勢の皇大神宮を表わす。

💞この串呂を解読すると「三浦芳聖の降誕に当って、その前夜から吹き荒れた大台風は、伊勢皇大神宮の天照大御神が起こした神風台風である!」となります。

三浦芳聖降誕時に襲来した未曽有みぞうの「大台風」は、串呂主宰神・天照大御神の神経綸かみしくみ(神国再建計画)に基づく一大イベントであったのです。

上記の大台風については、日本気象庁の過去の台風資料に記録が残っていないため、三浦芳聖降誕時に本当に「大台風」が襲来したのか?を疑う人のために、串呂主宰神(天照大御神)は、新暦9月17日と陰暦8月8日が重なった、昭和36年9月17日の前夜に、三浦芳聖の降誕時と同様の大台風を起こしてお示し下さっています。

この芳聖降誕時と同様の大台風は、本書の(2)昭和36年9月の芳聖の降誕祝賀会前日の大台風について、で述べる「第二室戸台風」です。

🟡三重県志摩市阿児町「神明」の地図

🟡愛知県岡崎市牧平町大門「三浦芳聖降誕地」の地図

🟡「吹嵐」の資料
三浦芳聖が降誕した時の「大台風」を表わす串呂地文「吹嵐」は、長野県飯田市上飯田松川入の松川ダム湖の北方、大平街道と松川ダムのダム湖へつながる林道「押の沢おしのさわ線」との分岐付近に位置し、地図検索では「松川入財産区吹嵐事務所」を確認することができた。

長野県飯田市上飯田松川入「吹嵐」(YAHOO!JAPAN地図)

下記のサイトには、吹嵐は、松川ダムのダム湖へつながる林道「 押の沢おしのさわ線」との分岐に在ると出ている。

大平街道を往く【吹嵐】ふきあらし(WEB頁)参照

【参照】◆吹嵐(ふきあらし)(村影弥太郎の集落紀行)

🟡長野県下伊那郡阿智村智里「昼神」の地図

🟡長野県諏訪市湖南中州「神宮寺」の地図

🟠この大台風と三浦芳聖の降誕の串呂については、すでに下記で詳述していますので興味のある方はご覧ください。
【参照】吹嵐の中、昼神・神明降誕の神風串呂


(2)昭和36年の芳聖の降誕祝賀会前日の大台風について

昭和36年(1961年)9月17日は、明治37年(1904年)の芳聖の降誕日と同様、9月17日と陰暦8月8日が一致した日でした。
(下記「新暦と旧暦」の資料参照下さい。)

当時、串呂主宰神(天照大御神)から三浦芳聖に、「明治37年(1904年)の芳聖降誕時と同様の大台風を発生させて、降誕時の有様を示す!」と霊示があったので、三浦芳聖は、その旨を事前に門人一同に通知していました。

三浦芳聖から、大台風来襲の事前通知が有った事は、当時、私の母親が芳聖の教えを受けていたので、小学校高学年だった私はよく記憶しています。

果せるかな、降誕祝賀会前日の9月16日は、その2年前の伊勢湾台風と同規模の大台風「第二室戸台風」が、愛知県の北方を通過し、翌日の芳聖の満57歳の降誕祝賀会の当日は、下記の画像のような「芳聖の降誕時を彷彿ほうふつとさせる」一点雲なしの澄み切った快晴でありました。

💞以上のことから、第二室戸台風は、串呂主宰神(天照大御神)が、三浦芳聖の解明した「吹嵐の中、昼神・神明降誕の神風串呂」を補強昭示するために、計画的に起こした神風台風であったと断言できるのです。

この「第二室戸台風」も、串呂主宰神・天照大御神の神経綸かみしくみ(神国再建計画)に基づく一大イベントであったと言えます。

【参考資料】9月17日と陰暦8月8日
 三浦芳聖の生涯で、9月17日と陰暦8月8日が一致した年は、明治37年(1904年)、大正4年(1915年)、昭和36年(1961年)の3回あったことが確認されています。
 このうち、昭和36年(1961年)の9月17日は、神界から三浦芳聖に「降誕時の大台風の有様を示す!」との予告があり、前日の9月16日は、三浦芳聖の降誕時を彷彿ほうふつとさせるような大台風(第二室戸台風)が到来しました。
 翌17日は台風一過の超快晴で、三浦芳聖の降誕日に参集した門人らと57年前の降誕時のありさまを偲んだと、当時発行された『神風串呂』誌に出ています。
【出典】「吹嵐の中、昼神・神明降誕の神風串呂

【参照】新暦と旧暦

🟠明治37年(1904年)9月17日(陰暦8月8日)の資料

こよみのページ

🟠昭和36年(1961年)9月17日(陰暦8月8日)の資料

こよみのページ

【参照】第2室戸台風について

第2室戸台風(だい2むろとたいふう、昭和36年台風第18号、国際名:ナンシー / Nancy)は、1961年(昭和36年)9月16日に室戸岬に上陸し、大阪湾岸に高潮などによる大きな被害をもたらした台風である。1934年の室戸台風と進路がよく似ていたことからこの名称が付けられた。また、1951年の統計開始以来、日本に上陸した台風の中では上陸時の中心気圧が最も低く、2年前の伊勢湾台風にほぼ匹敵する勢力で本土を直撃した。しかし、伊勢湾台風の教訓を生かして災害対策が進められていたこと等もあり、室戸台風やジェーン台風などと比較しても、台風の規模等の割に、高潮による浸水面積や人的被害など全体的な被害は小さかった。(『第2室戸台風- Wikipedia』)


(3)昭和28年台風第13号について

昭和28年(1953年)9月25日(陰暦8月18日)に、紀伊半島に上陸した「昭和28年台風第13号」について三浦芳聖は、次のように述べています。

昭和二十八年の二月に同じ日に火災のあった箇所三ツが同一線上に串呂していてしかも其の串呂線上に富士山麓の「大嵐おおあらし」と云う地名と愛知県刈谷市の「高津波たかつなみ」と云う地名と、「葉月はづき」と云う地名と「観音山かんのんやま」と云う地名を串呂するので、「旧八月十八日に大台風高津波が来る」と読んで、更に御示しを待っていると、バスが転落したり色々な事故で御示しになって間違無まちがいないと確信し、三月、五月、七月と三回に渉って、吉田首相及面識のある緒方おがた氏に陰暦八月十六日より五日間を全国万全の対策を講じて、此の不可避の大台風大津波被害を最小限に喰いとめられる様にと進言書を提出したが、何等返事もなければ又何等の対策も講ぜずムザムザ一兆億の国富を失ってしまいました。ところが其の翌年の九月十一、十二、十三の第十二台風など何等の御神示もありませんでしたから、従って私からはいずれの処へも何の通知もしなかった訳ですが、ラヂオで余りにも大袈裟おおげさに申すので人々は仕事も手につかず、学校も工場も休業になって防備に大童おおわらわでしたが、何の事もありませんでした。これだけの防備を先年の第十三台風に私の言う事を聞いて政府が大童おおわらわになって宣伝してくれたら、むざむざ一兆億の国富を失う事はなかったでしょう。政府とは万民をして其のを安んぜしむるものでなくてはなりません。
(三浦芳聖著「串呂哲学第一輯」4頁/1956年5月/新仮名遣いに変換済み)

💞上記の一節を「昭和28年台風第13号」は、誰が発生に関与していたのか?という視点から読み解きますと、

ア、下記の串呂が構築されていること
「観音山」ー「葉月」ー「高津波町」ー「大嵐」
イ、同じ日(昭和28年2月28日)に火災のあった箇所三ツが同一線上に串呂していて
ウ、御示しを待っていると
エ、何等の御神示もありませんでした等の記述から、

串呂主宰神(天照大御神)が、昭和28年台風第13号の発生に関与されていることが明らかであり、昭和28年台風第13号は、その勢力が事前に予告されていた「神風台風」であったと断言できるのです。

この「昭和28年台風第13号」も、串呂主宰神・天照大御神の神経綸かみしくみ(神国再建計画)に基づく一大イベントであったと言えます。

【地文などの解説】
🟡観音山(三重県亀山市関町)・・・観音さんの縁日が毎月18日であることから、陰暦8月18日を挟んで16日~20日を台風襲来日と予想した。下記の新暦と旧暦変換計算を見ると、昭和28年9月25日は陰暦8月18日である。

🟡葉月(現在不明)・・・陰暦8月を表わす(地名が消滅したか?)。

🟡高津波町(愛知県刈谷市)・・・台風による高潮たかしおや津波を表わす地文。

🟡大嵐(山梨県南都留郡富士河口湖町)・・・台風を表わす地文。

🟡緒方氏・・・緒方竹虎(CIA協力者?)のこと。1956年5月発行「串呂哲学第一輯」の出版準備中の同年1月28日、67歳で急逝きゅうせいした。

🟡新暦と陰暦・・・昭和28年9月25日は陰暦8月18日

こよみのページ

【参照】昭和28年台風第13号の資料

昭和28年台風第13号(しょうわ28ねんたいふうだい13ごう、国際名:テス/Tess)は1953年(昭和28年)9月25日に紀伊半島を襲い、近畿地方を中心に大きな被害を出した台風である。テス台風とも呼ばれる。

1953年には、西日本大水害、紀州大水害と1000人以上が亡くなる超大型災害が相次いでいたため、初期段階で死者104人もの被害が確認されていたにもかかわらず「台風被害、予想より軽減」「西日本災害より規模小」といった報道が行われた。(『昭和28年台風第13号 - Wikipedia』)


(4)昭和34年(1959年)の伊勢湾台風について

三浦芳聖が実施した「皇居遷都提唱せんとていしょう運動」(昭和31年~34年)で、芳聖が提唱した「神皇正統家極秘伝の神風串呂から見ると、東京都千代田区の皇居の位置は天皇の住居の位置として相応ふさわしくない!」との説を不愉快に思った某大物政治家が、

昭和34年(1959年)9月、某右翼新聞を使って、三浦芳聖を二度にわたって糾弾した事件がありました。
(愛国団体や宗教団体の代表者などが連名で糾弾した。)

神風串呂から見ると、天皇の住居の位置として
相応しくないと思われる東京都千代田区の皇居

この三浦芳聖を糾弾した記事が掲載された某右翼新聞が、わざわざ三浦芳聖の住所あてに郵送されてきたため、芳聖の知る所となったのですが、第一回目の発行日に新幹線(日本国有鉄道)が、運行開始以来初めて止まったので、串呂主宰神のお怒りを直観し、危機感を抱いた芳聖は、公安委員会に出向き「今度このようなことをさせたら、何が起きるか保障できない!」と注意をうながしました。

しかるに、芳聖を糾弾した同内容の記事が掲載された右翼新聞が再び発行され、再び芳聖の住所あてに郵送されてきたのですが、その二回目の発行日(9月26日)に「伊勢湾台風」が発生し、死者・行方不明者の数は5,000人を超え、明治以降の日本における台風の災害史上最悪の大惨事となったのです。(『伊勢湾台風- Wikipedia』)

💞上記の状況証拠から、この「伊勢湾台風」は、その文字通り、伊勢神宮の神々(串呂主宰神)が、三浦芳聖を糾弾したことに対して、猛烈にお怒りになったので発生した神風台風であると断言できます。

【参照】皇居遷都提唱運動について

この件については下記を参考にしてください。
🟡皇居遷都提唱運動- Wikipedia
🟡皇祖神からの伝言「串呂と為政者」
🟡三浦芳聖伝 54、皇居遷都提唱運動
🟡大戦防・逆面・皇居の神風串呂

【参照】伊勢湾台風について

伊勢湾台風(いせわんたいふう、昭和34年台風第15号、台風195915号、国際名:ヴェラ/Vera)は、1959年(昭和34年)9月26日(土曜日)に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心にほぼ全国にわたって甚大な被害をもたらした台風である。伊勢湾沿岸の愛知県と三重県での被害が特に甚大であったことからこの名称が付けられた。死者・行方不明者の数は5,000人を超え、明治以降の日本における台風の災害史上最悪の惨事となった。
(『伊勢湾台風- Wikipedia』)


(5)2022年15号台風について

この台風については『💌静岡県民の幸せを願って!💖災い転じて福となせ!「静岡県内の南朝皇陵祭祀と台風15号の災害について」』で詳述していますので、そちらを参照して頂きたいと思いますが、その要点を述べますと

ア、静岡県内には南朝正統の皇陵が4つ存在する。

イ、その内の小松天皇御陵(磐田市神増原)と小室門院御陵(牧之原市大寄の妙覚塚)の二つは、慰霊の為の祭祀が十分になされていないようだ。

ウ、特に小室門院御陵(妙覚塚)は、おやしろの屋根が大きく破損していて雨漏あまもりがしている。これは雨による水害である。

エ、2022年15号台風は、9月23日の秋季皇霊祭(秋分の日)に、静岡県西部地方の牧之原市で、時間雨量「史上1位」を更新するなど、集中豪雨が発生し甚大な水害に見舞われた。

以上の状況証拠から、2022年15号台風は、静岡県内にある皇陵の皇霊が、地元静岡県の人々に、皇陵の祭祀(皇霊祭)を要望している神風であると確信しています。



(6)本書のまとめ

以上、私が神風串呂(串呂哲学)の研究で知り得た「台風神風論」について、極めて簡略に記述しました。

本書の冒頭で述べました様に、全ての台風がそうだとは言いませんが、上記5件の台風に関しては、明らかに神風であり、決して自然現象の台風ではないという「台風神風論」が理解して頂けたのではないかと思います。

串呂主宰神(天照大御神)は、『地文学への招待-「大御神」(第258号)』で、ご紹介しましたように「竜神系の大御神」ですから、台風を起こすことくらいは、いとも容易たやすいことだと思います。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版より

下記は串呂の一部抜粋です(地図がリンクしています)。
龍神村」ー「大日岳」ー「皇大神宮」ー「天竜区」ー「大御神

小松天皇御陵については、14世紀(中世)の「御恩(恩賞)と忠誠(任務)の封建時代」のことですから、忠臣が任務を引き受けるに当たって、御子の松良天皇から、墓守はかもりの任務に対する何がしかの恩恵(皇女の降嫁こうかとか、任務の報酬や、地元に土着するための費用など)が付与されたはずであります。

仮に、そうだったとすると、これは一種の永代管理契約ですので、現在、墓守役はかもりやくがいないというのは契約違反ということになるのではないでしょうか。

富士古文献の権威、加茂喜三先生の「富士〝隠れ〟南朝史」に、
一日いちじつ、私はこの妙覚塚を訪ねた。(中略)それにしてもこの立地条件が、小松天皇の神増原御用邸と全く同じだと言う事を知って驚いた。
(311~312頁/富士地方史料調査会)と出ています。

「神増原御用邸」とは、神増原台上の「小松天皇御陵」のことですので、「小松天皇御陵」と「妙覚塚」を、同じ立地条件で築造した南朝忠臣は、同じ一族の人々であったと思われます。

要するに、小松天皇御陵(神増原)と小室門院御陵(妙覚塚)の二つの皇陵については、この二つの皇陵の墓守役はかもりやくを任務とする南朝忠臣が存在し、子々孫々その任務を遂行していたが、時代の変遷で子孫がその任務を忘れてしまった。

その墓守役の任務を有する南朝忠臣の子孫は、それ以降の7世紀間に、婚姻を繰り返すことで静岡県西部地方を中心にした周辺の広い地域に分散している。

だから静岡県内の皇陵の皇霊が地元の人々に祭祀を要望していることを気付かせるために、静岡県西部地方に度々水害が発生すると考えると、この間の事情がよく理解できますね。

従って、小松天皇御陵(神増原)と小室門院御陵(妙覚塚)の二つの皇陵は、地元の人々の奉仕によるおおやけの費用で奉斎(祭祀)を実施する必要があり、ことにおやしろの屋根が破損して雨漏りがしている小室門院御陵(妙覚塚)については、緊急事態であると申し上げているのです。

2022年15号台風は、串呂主宰神(天照大御神)が、地元・静岡県の人々に、皇陵の奉斎(皇霊祭)を要望していることを示した「神風」であるという「台風神風論」が、ご理解いただけたでしょうか。

ご質問・ご批評をお待ちしています!


🔴神風串呂の集大成、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』は、国立国会図書館、豊川市立図書館、京都府立資料館、京都大学文学研究科図書館、九州大学附属図書館にありますので、誰でも読むことが可能です。



串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機にひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。

串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№259)
静岡県内の南朝皇陵祭祀と台風15号の災害について
🟢次号(№261)
速報!裾野市市民文化センターでスプリンクラーの誤作動事故で大水害!被害数億円!原因不明!

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