💟皇祖神からの伝言-串呂と為政者
🎀串呂哲学研究ノート 第241号
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「皇祖神からの伝言-串呂と為政者」について詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
今回は、これまで串呂に関わった為政者について述べ、2000年以上にわたって極秘で構築されてきた「神風串呂」が公開された意味を考察して見たいと思います。
1、大戦防・逆面の串呂と近衛内閣
三浦芳聖が極秘で研究していた「串呂の存在」を初めて公開したのは、軽井沢の近衛家の別荘に滞在中の昭和15年(1940)7月12日のことでした。
支那事変が勃発した昭和12年(1937)に、三浦芳聖が、時の首相であった近衛文麿公に、文書で意見具申した「東洋平和の大方策」が機縁となって、芳聖は、その3年後の昭和15年(1940)7月、近衛家の軽井沢の山荘に招かれ、近衛公の諮問に答えて、国難打開の秘策を進言していました。
三浦芳聖が、近衛家の山荘に滞在中の昭和15年7月12日、三宅島雄山が爆発(噴火)したのでした。
明治 7年(1874)以来、約65年ぶりのマグマ噴出と記録されています。
その日の夕刻、三宅島雄山が爆発(噴火)したという「号外新聞」を見た三浦芳聖は、直感で「大戦の勃発」を予感し、近衛公に地図を買い求めて貰い、東京都の「三宅島雄山」と茨城県結城市武井の「大戦防」とを結ぶ串呂を引いて見せたのが、串呂を公開した最初であると、三浦芳聖の著書に記録されています。

すると、その中間に、東京都千代田区の「皇居」、「大戦防」の北方に栃木県宇都宮市の「逆面町」が串呂していました。
「三宅島雄山」は、三宅=宮家、宮家の雄=天皇と解読すれば、「三宅島雄山」と「皇居」との関連性が首肯できるかと思います。
串呂哲学的な視点で申せば、「三宅島雄山を起点に皇居の位置を鑑定したら大戦防・逆面の忌まわしい串呂であると判明した」となります。
宮家の住まいには、ふさわしくない位置ということです。
🔴[三宅島雄山]―[皇居]―[大戦防]―[逆面町]
三浦芳聖が、この串呂を詳細に調べると、この線上に、下記の地名が串呂していました(北方から、地名に地図がリンクしています)。
🟡「東城南」(ひがしじょうなん、栃木県小山市)
「とうじょうみなみ」と読めるので「東条」の諺文か?
🟡「昭和」(川崎市川崎区)・・・昭和時代
🟠「池田町」(横須賀市)
}・・・池田二串 -🟠-🟠-
🟠「池田」(三浦市南下浦町松輪)
即ち、「昭和帝の御代、大戦防の逆面が現れる」、言いかえると「昭和時代に大戦に巻き込まれるぞ!」という「池田二串 -🟠-🟠-」の神風串呂だったので、芳聖は驚きを隠せませんでした。
この時、三浦芳聖は近衛公に、この大戦に巻き込まれる危機を回避するには、「皇居の遷都」しかないと進言したのですが、もちろんそのような意見が聞き入れられる事はありませんでした。
今から思えば、この日、昭和15年(1940)7月12日に「三宅島雄山」が爆発(噴火)したのは、偶然ではなく、日本神界からの警告であったのです。
この時、もっと真剣に「神風串呂」に関心を持ち、神界からの警告を真摯に受けとめていたら!と残念に思われてなりません。
日本神界とは、串呂主宰神(天照大御神)を始めとする皇祖神です。
このように、日本神界からの警告が有ったのにも関わらず、近衛公は、その直後の昭和15年(1940)7月22日、第2次近衛内閣を組織して新体制運動を展開して行ったのです。

新体制運動(しんたいせいうんどう)とは、1940年(昭和15年)、日本の近衛文麿首相が中心となり、同年の第2次近衛内閣による外交政策で日独伊三国同盟が締結され、アドルフ・ヒトラーの率いるナチス・ドイツやベニート・ムッソリーニ率いるイタリア・ファシスト党を模して内政面で、国民組織を結成しようとした政治運動である。
近衛公は戦後になって、「大陸に於ける戦火を拡大した内閣の首相としての責任」を問われ、戦犯容疑者としてGHQに逮捕される前日の、昭和20年(1945)12月16日、服毒自殺を遂げたことになっています(享年54)。
2、皇居造営審議会委員長
昭和27年(1952)頃、皇居新宮殿の建設計画を知った三浦芳聖は、敗戦、異民族による被占領・保護国化という苦い経験から、こうした国家不祥事の原因は、上記の串呂をはじめとする「皇居の串呂」に原因があるとして、ひそかに政府要人に働きかけて皇居遷都を提案しました。
しかし、一向に埒が明かないため、三浦芳聖は、昭和30年(1955)1月から、文書により政府当局者や国会議員らに呼びかけ、皇居遷都提唱運動を実施しました。
皇居遷都 提唱運動(こうきょせんと ていしょううんどう)は、戦後、南朝正統の皇胤であると主張した愛知県豊川市の三浦芳聖が、三浦独自の哲学である地文学(串呂・串呂哲学・神風串呂)の解釈に基づき、東京都千代田区の皇居の位置が国家の象徴たる天皇の住居として相応しくないとして、皇居遷都を提唱し、1955年(昭和30年)1月から1959年(昭和34年)6月まで、文書により政府当局者や国会議員らに呼びかけた運動のこと。
時の政府は、昭和34年(1959)4月、皇居造営審議会を設け、各界の学識経験者に諮問した結果、翌35年1月、その答申に基づいて皇居造営を閣議決定しました。今を去る、63年前の事であります。
その時の、皇居造営審議会の委員長に就任したのが「大野伴睦」(おおのばんぼく)氏でした。
三浦芳聖は、昭和27年(1952)から昭和34年(1959)の七ケ年間に、政府・宮内庁へ69回、衆参両院議員全員へ9回、大野皇居造営審議会委員長へ9回、文書により皇居遷都を提唱しました。
🔴昭和34年(1959)9月26日に発生した「伊勢湾台風」は、この皇居遷都提唱運動に関し、某政治家が右翼新聞を使って二回にわたり、三浦芳聖を糾弾したため、伊勢神宮の神々がお怒りになって発生したと聞いています。

大野は首相就任に強い意欲を燃やしており、1960年7月に行なわれた岸辞任後の自民党総裁選では、池田勇人に対抗し、石井光次郎とともに党人派から出馬に名乗りを上げた。しかし、大野支持で岸派の一部・十数名を束ねていた川島正次郎から「党人派が分裂すると池田に勝てないので、石井一本にまとめたほうがいい」との進言を受け、大野は泣く泣く出馬を辞退する。ところが川島は「大野を支援しようと思ったが、辞退したのでわが派は池田を支持する」と表明し、池田当選に一役買うこととなる。この時大野は「川島にだまされたんだ」と再度号泣したといわれる。 1961年、池田に接近し再び自民党副総裁に就任。脳血栓で慶應義塾大学病院に入院中だった1964年5月29日に心筋梗塞をおこして死去(享年73)。
3、キューバ危機の池田内閣
昭和37年(1962)10月に勃発した「キューバ危機」の時、核戦争の危機を痛感した三浦芳聖は、「大戦防祭祀」をより効果のあるものにし、第三次世界大戦の危機を防止するため、某参議院議員に依頼して、時の総理大臣・池田隼人氏に、文書を以て「政府が大戦防祭祀に協力するよう」働きかけました。
キューバ危機は、1962年10月から11月にかけて、旧ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚、アメリカ合衆国がカリブ海でキューバの海上封鎖を実施し、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した一連の出来事のこと。
この池田内閣「昭和35年(1960)7月19日~昭和39年(1964)11月9日」の時代は、下記のような危機一髪の悪条件が重なっていました。
🔴大戦防・逆面・皇居の神風串呂

[三宅島雄山]ー[🟡池田]ー[🟡池田町]ー[🟠昭和]ー[皇居]ー[🟠庄和町]ー[大戦防]ー[逆面町]
(「池田」二串 -🟡-🟡- 、「昭和」二串 -🟠-🟠- )
以下は、すべて、ほぼ上記の串呂線上でのことで、池田内閣の時代です。
🔴埼玉県北葛飾郡「庄和町」の出現・・・昭和29年(1954)7月1日に発足、2005年10月1日、春日部市と合併し消滅したが、現在も「庄和郵便局」「庄和総合公園」「庄和高校」「庄和IC」等に庄和の地文が残っている。

🔴昭和37年(1962)8月24 日。
三宅島雄山爆発(噴火)中規模マグマ噴火
🔴昭和37年(1962)11月、ノルウエータンカー炎上。
東京湾のこの串呂線上で起きたタンカー炎上事故。
🔴昭和39年(1964)6月11日に爆発の起きた「昭和電工川崎工場」(神奈川県川崎市川崎区扇町)も、ほぼこの串呂線上にある。

🔴昭和39年(1964)7月14日、品川勝島倉庫爆発火災。
東京都品川区勝島1丁目の危険物保管倉庫で発生した爆発火災事故。

🔴昭和島(大田区)の建設中!
昭和14年(1939)~昭和42年(1967)7月18日 - 完全竣工

[逆面町]―[大戦防]―[🟠庄和町]―[皇居]―[💥品川勝島倉庫爆発火災現場]―[🟠昭和島(大田区)]―[🟠昭和(川崎市)]―[💥昭和電工川崎工場爆発現場]―[💥ノルウエータンカー炎上事故現場]―[🟡池田町(横須賀市)]―[🟡池田(三浦市)]―[💥三宅島雄山(爆発噴火)]
上記のような串呂主宰神からの再三再四にわたる「大戦勃発」の警告を前にして、三浦芳聖が寝食を忘れ、命懸けで「大戦防祭祀」を厳修したことは言うまでもありません。
その「大戦防祭祀」の成果(バロメーター)は、池田内閣の任期途中の退陣という形で表れています。
昭和39年(1964)11月9日、池田内閣の退陣により、辛くも「池田二串 -🟡-🟡- 大戦防・逆面」の危機を脱したのでした。

1964年9月9日、国立がんセンターへ喉頭癌の治療のため入院した。すでに癌は相当進行していたといわれる。病名は本人に告知されることなく、「前がん症状」と発表された。政治家、とりわけ首相や実力者が病に倒れた場合には政局変動の要因になるため、その病状がひた隠しされることが通例と言われる。池田の場合も池田派の側近議員らが癌であることをひた隠し通した上で、任期を残して退陣する演出を行った。東京オリンピック閉会式翌日の10月25日に退陣を表明、自民党内での後継総裁選びの調整を見守った上で11月9日の議員総会にて佐藤栄作を後継総裁として指名した(池田裁定)。後継総裁選びを、退陣予定の総裁の指名に委ねた戦前・戦後を通じて最初のケースであった。 その後、療養に努めたが、翌1965年8月13日に死去した。享年65。
4、串呂を無視・敬遠して来た日本国政府
以上のように、日本国政府は、串呂主宰神(天照大御神)が長期間にわたって想像を絶するご苦心の上、構築して来られた串呂を無視・敬遠してきました。
その結果、三浦芳聖が下記の「皇居遷都提唱理由書(抜粋)」で警告した通り、戦後75年を経過した今日、いまだに異民族による被占領下で、首都上空の制空権もない保護国同然の有様です。【参照】日米合同委員会
私(三浦芳聖)は、敗戦以来現在に至る迄、あらゆる角度より検討致しまして、国の象徴たる天皇の皇居の位置が、三浦家極秘伝の神風串呂地文の上より見て極めて不適格なるに因由することを痛感し、極秘裏に皇居の遷都を提唱して参りましたが、一向に取上げてくれませんから、余儀なく爰に国民の代表たる衆参両院議員諸賢の良識に訴えて、先づ日本国再建に当っては憲法改正よりも皇居遷都が先決問題である事を提唱する者であります。
三浦芳聖による、昭和31年(1956)の皇居遷都提唱運動から66年が経過した今日、日本国民統合の象徴たる天皇陛下を首めとする皇室におかせられては、「皇族数の減少」「今上陛下に男子のお世継ぎなし!」という皇運衰退現象に見舞われています。

日本国政府は、2021年12月22日、こうした深刻な皇運衰退現象に対処するため「安定的な皇位継承の確保などの課題を議論する政府の有識者会議」の答申を受け、「皇族数の確保を図ることが喫緊の課題だ」として、現在、国会で審議中であります。
上記の画像をご覧になればお分かりのように、政府要人らには、日本国が深刻な状況下にあるという何らの危機感も感じられません。
5、日本国民すべての責任
今日の状況を歴史上の事蹟で譬えるならば、いずれも男子のお世継ぎがなかった「武烈天皇の御代」や「奈良朝末期」の状況に譬えることが出来ます。
皇室を中心に国家運営を行って参りました我が日本国にとって、このような深刻な皇運衰退現象は、日本国存亡の危機と云わなければなりません。



上記の画像を見る限り、日本国民統合の象徴である今上陛下を首めとする皇族方が、伊勢神宮参拝に当たり、皇祖神から歓迎されているようには思えません。
伊勢神宮の神々が、今日の我が国のあり方を御嘉納になっていないことを、こうした形でお示しになっているのではないでしょうか。
もしそうであるなら、責任は「皇族方」にあるのではなく、お御輿を担いでいる「私達国民」にあると思います。(同じ担ぐなら、伊勢神宮の神々に歓迎されるようにしたいものです。)
別の言葉で申しあげるなら、戦後75年間の日本国民の勤務評定が現象化した結果であると思うのです。
その底流にあるのは、串呂主宰神(天照大御神)が長期間にわたって想像を絶するご苦心の上、構築して来られた串呂を、無視・敬遠してきたからであると申上げねばなりません。
串呂を無視・敬遠することは、日本国の守護神であり、指導神霊である皇祖神(天照大御神)を無視・敬遠することと全く同じです。
われわれ日本国民は、皇祖神(天照大御神)のご神意に添い奉り、前号で考察した「神性敬遠の歴史」を一日も早く終焉させねばなりません。
🔴神風串呂の集大成、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』は、国立国会図書館、豊川市立図書館、京都府立資料館、京都大学文学研究科図書館、九州大学附属図書館にありますので、誰でも読むことが可能です。
🍀祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします!
💌イエローハットの創業者であり、NPO法人「日本を美しくする会」の
相談役でもある鍵山秀三郎氏の言葉
国民一人ひとりが、自分にとって、もしくは誰にとってよいかどうかではなく、本当に何が正しいかどうかを考えて行動するようになれば、どんな問題も解決できるでしょう。
あなた方の議論はすべてどちらが正しいかという議論ばかりで、何が正しいかという議論を聞いたことがない。泥棒と詐欺師どちらが正しいかという議論をして、どちらが勝ったという結論を聞かされても、私から見ると意味がない。
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💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
🟡バックナンバー(総合)
🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ74才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。
著 書
「神風串呂入門」
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「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
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