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💟近鉄笠縫駅を貫線-つるぎ町天皇と⛩️崇神天皇陵との神風串呂2

🎀串呂哲学研究ノート第488号

はじめに

🌺前号でご紹介しましたように、「つるぎ町天皇と⛩️崇神天皇陵との神風串呂」を概観した所、青山 六串 -🟢-🟢-🟢-🟢-🟢-🟢-、入 六串 -🔴-🔴-🔴-🔴-🔴-🔴- の超 絶対確証の神風串呂ですので、この串呂には、いかなる地文が構築されているのかとワクワクしながら研究を進めました。

つるぎ町天皇てんのうと⛩️崇神天皇陵との神風串呂(Google.map)


🌺すると、近鉄橿原線の「笠縫駅かさぬいえき」(奈良県磯城郡田原本町秦庄はたのしょう)を貫線しましたので、崇神天皇の御代の「笠縫邑かさぬいむらの故事」を思い出しました。

つるぎ町天皇-近鉄 笠縫駅-⛩️崇神天皇陵-青山よさみ幼稚園

笠縫駅(奈良県磯城郡田原本町秦庄)
近鉄橿原線 笠縫駅(奈良県磯城郡田原本町秦庄)
「つるぎ町天皇と⛩️崇神天皇陵との神風串呂」(Google.map)
つるぎ町天皇と⛩️崇神天皇陵との神風串呂(Google.map)

❇️元伊勢伝承の起点
❇️神風串呂の超原点
さて、崇神天皇の皇女 豊鍬入姫命とよすきいりひめのみこと神籬ひもろぎを立てて天照大御神を奉斎したと伝承される笠縫邑かさぬいむらは、元伊勢伝承の起点となる場所ですので、神風串呂の超原点であると言えるのではないでしょうか。

【参照】『笠縫邑- Wikipedia


🌺試しに「笠縫駅」と「⛩️皇大神宮内宮」とを結んで見たら、⛩️檜原ひばら神社(奈良県桜井市三輪)を貫線しました。(地図の縮尺27.7万分の1)

檜原神社(ひばらじんじゃ)(奈良県桜井市三輪)

近鉄橿原線 笠縫駅-⛩️檜原神社-⛩️皇大神宮内宮

笠縫駅と⛩️皇大神宮内宮との神風串呂(Google.map/27.7万分の1の縮尺)


🌺笠縫邑について考察する場合、再確認したいのは、なぜ崇神天皇の御代に笠縫邑に天照大御神を奉斎する神社ができたのかという由緒であります。

この件については、『元伊勢- Wikipedia』には、下記のように記載されています。

伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神は皇祖神こうそしんであり、第10代崇神すじん天皇の時代までは天皇と「同床共殿どうしょうきょうでん」であったと伝えられる。すなわちそれまでは皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖いふした同天皇が皇女・豊鋤入姫とよすきいりひめ命にその神霊を託して倭国やまとのくに笠縫邑かさぬいむら磯城しき厳橿いつかしもとに「磯堅城しかたき神籬ひもろぎ」を立てたことに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫やまとひめ命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座せんざしたとされる。
(『元伊勢- Wikipedia』)

🌺上記の「それまでは皇居内に祀られていたが」は、その前段が省略されていて、真実は富士山麓で祭祀されていた天照大御神及び三種の神器を、崇神天皇五年に大和国に奉遷ほうせん(お移し)し、一旦は宮中に納めたが、「その状態を畏怖いふ」した崇神天皇が、皇居外の笠縫邑にお宮を設けてお移ししたのでした。(「神皇紀じんのうき」)

🌺これを分かりやすく説明しますと、崇神天皇五年、富士山麓で祭祀されていた三種の神宝を召し上げて宮中に納めた所、崇神天皇の精神が不安定になった(霊障?)ので、その原因を調査すると、富士山麓で祭祀されていた天照大御神及び三種の神器を大和国やまとのくに奉遷ほうせんし、宮中に納めたことが原因であると分かったので、崇神天皇は恐ろしくなって笠縫の里にお宮を設けてお移ししたという事であります。

🔴崇神天皇は、三種の神宝と同床共殿に生活できなかったのであります!


【参照】
同床共殿の神勅(日本書紀)

みここれ宝鏡みかがみまさむこと、まさあれるがごとくすべし。ともみゆかを同じくし、殿みあらかをひとつにして、斎鏡いわいのかがみすべし。
*この神勅の大意は、「この鏡(八咫鏡)を、わたし(天照大御神)だと思って、同床共殿どうしょうきょうでんに奉斎しなさい」です。

この間の詳しい経緯は三輪義熈みわよしひろ著「神皇紀」(1921年6月発行)に詳細に記載されていますので、その「現代語訳 神皇紀」(神奈川徐福研究会・神皇紀刊行部会)から引用させて頂きます。

現代語訳 神皇紀

現代語訳 神皇紀
第二編 神宮之巻 神皇即位所
 第二章 阿祖山太神宮
  第三期 神器奉遷
10 天照大御神及び神器の奉遷

 崇神天皇五戊子つちのえね(BC九三)三月、天皇は皇子豊城命とよきのみこと(正史、作豊城入彦命、古文書。作豊城命、本記。古文書)に命じて、高天原より天照大御神を大和国笠縫の里に移させ、また高天原元宮七廟惣名ななびょうそうめい阿祖山太神宮あそやまだいじんぐうより三品の大御宝を、大御神の神霊として大和国に奉遷させた。是より先、皇女豊耜入媛命とよすきいりひめのみことに命じて天照大御神にお移り願う宮殿を大和の国笠縫の里に造営し、さらに皇子豊城命を勅使として皇女豊耜入媛命、及渟名城入媛命ぬなきいりひめのみことを副使として高天原に上り、天照大御神を勧請かんじょうする事にした。即ち勅使の面々は沐浴斎戒もくよくさいかいして高天原阿祖谷中室の麻呂山に鎮座している、天照大御神の御神殿において勧請の祈願を行い、阿祖山大神宮の御神殿を尋ねて、其処で天つ大御神の御神託を受け、三品の大御宝を授けられた。時に三月三日であった。
 のち勅使豊城命は副使豊耜入媛命・及渟名城入媛命と三品の大御宝を捧持し、太神宮の宮守司長吉田彦命、副宮守司長太田川彦命を初め宮守一同が道中を警護して、是を帝都に奉遷し、笠縫の里にある天照大御神の新宮に納め安置した。そして豊耜入媛命・及渟名城入媛命は新宮の御神殿において鎮座の祈願を行われた。更に両皇女を初め宮守司長吉田彦命以下一同で御神殿において、大日本惣国魂神祭の祈願を行った。時に四月九日であった。
 詔によって新宮を天照皇太神宮と称し、笠縫の里を天社の地と定め、天神戸に組み入れられることになった。このようにして高天原阿祖谷中室の麻呂山に、鎮座している天照大御神の神廟しんびょうを、古宮の天照皇太神宮と称されることになった。
 六月、天皇の命により、笠縫の里天社天照皇太神宮の前方の広場に、百間四方の垣を廻らし、その中に神筵しんえんを設け、その前方に又十間四方を区画して荘厳な工場を設け、天下の名工、亀湖池、都留松、千久男、宇目男、真津実の五名が三品の大御宝の模倣品を製作した。
 のち、各名工は斎戒沐浴さいかいもくよくして神祖神宗天つ大御神はじめ諸々の天つ神、国の神に祈願をし、誠意を尽くして、ついに三品の大御宝と同一のものが作成できたので、その功績を天皇の御前で奏上(報告)した。そして高天原の太神宮の宮守司長吉田彦命、副宮守司長太田川彦命をはじめ皇女豊耜入媛命・渟名城入媛命等の方々に百日間、諸々の天つ神、国つ神に、六根清浄の祈願を行わせた。このようにして新器を代々の天皇守護の大御宝と定められ、神代伝来の三品の大御宝は笠縫の里にある天照皇太神宮の神霊として鎮座されることになった。天皇のお言葉で、それ以後即位式は真神殿の正殿において、神祖神宗天つ大御神に拝礼をして大御位に即くように儀典を改めた。
 それより後、天下は飢饉となり、疫病が流行し、盗賊も蜂起した。是は天照大御神及び三品の大御宝をうつしたことにより、高天原の太神宮の神祖神宗天つ大御神の御怒りが原因であろうと人々は恐れおののいた。従って天皇は神威を恐れ、徳を修め、庶民を賑はし、神々を祭られた。即ち先ず豊耜入媛命・渟名城入媛命等に命じて笠縫の里に祭られている、天照大御神の神前において大国魂神祭を行わせ、毎日祈願させた。更に吉備彦命に命じて高天原に行かせ、西の高峰に鎮座する神皇産霊神かみむすびのかみを祭り、これを神座山かみくらやまと称し、東の高峰即ち天の石窟せきくつである天照大御神の奥宮を祭り、これを御祖代山と称し、南の高峰に鎮座する高皇産霊神たかみむすびのかみを祭り、これを高座山たかくらやまと称し、北の高峰に鎮座する道祖作田毘古命を祭り、これを道祖山と称し、太神宮を初め、各七廟を祭られた。
 詔により列聖の遺例に従って、毎年五月五日の高天原太神宮の大祭には、天皇皇后も親しく臨席され祭典をとりおこなうこと、四季の大祭には、奉幣使を派遣して祭典を行わせることを布宣した。これにより国中は鎮まった。
(下略/185頁~187頁)

🌺この神皇記の記事の最も重要な点は、「富士山麓でお祭りしていた天照大御神の神霊および三種の神器を大和国やまとのくにへ奉遷したところ、天下は飢饉となり、疫病が流行し、盗賊も蜂起した。その原因は、高天原の太神宮の神祖神宗天つ大御神の御怒りであろうと人々は恐れおののいた。」の箇所です。

崇神天皇の御代に「天照大御神が定めた規約(遺勅)を守らなかったため神々がお怒りになった」という点であります。

記紀には、この時人民の半数が死亡し、農民は田畑を捨てて逃亡し、反乱が起き、その勢い治め難し、と記録されています。

崇神天皇が天照大御神の皇孫であるなら、そのような遺勅違反をしなかったであろうし、疫病も起きなかったはずです。すなわち崇神天皇が異民族の渡来王である明白な状況証拠であります。

🌺次に重要な点は、崇神天皇が神代伝来の三品の大御宝を笠縫の里にある天照皇太神宮の神霊として奉斎したにもかかわらず、天照大御神はそこにお鎮まりにならず、崇神39年、京都府福知山市大江町内宮の⛩️元伊勢内宮皇大神社を皮切りに、理想的な鎮座地を求めて各地を転々とされ、最終的には都を遠く離れた伊勢地方にお鎮まりになられた事であります。

これまで、なぜ辺鄙へんぴな伊勢地方にお鎮まりになられたのか理由が分からず謎でしたが、三浦芳聖師によって、神風串呂の一大拠点を構築するためであったということが判明したのであります。

大御神が各地を転々とされたのは、串呂地文を構築するため各地の地霊・地神に協力を要請するための遊説だったと思われるのです。元伊勢伝承の研究家は、「元伊勢クシロ」という結界構築の旅だったと述べています。

「元伊勢クシロ=神風串呂」なのです!

こうした経緯は、下記で考察しましたので興味のある方は参照して下さい。


すなわち天照大御神は、渡来王・崇神天皇による遺勅違反や皇統簒奪こうとうさんだつの史実を神風串呂によって明らかにするために伊勢地方にお鎮まりになられたのであります。

従って、下記の崇神天皇の串呂が構築されているのであります。

(1)濁川町-弓削(岡山市東区)-⛩️崇神天皇陵-⛩️内宮
(2)濁川町-⛩️元 崇神天皇社-御所市御門町-大王町(志摩市)
(3)曲り-大酒-JR厄神駅-⛩️崇神天皇陵-大王町(志摩市)

濁川町を中心とする崇神天皇の神風串呂(Google.map)

❇️⛩️元 崇神天皇社と厄神駅とを結ぶ串呂
⛩️元 崇神天皇社-神爪-神爪1丁目-厄神駅-⛰️龍爪山

⛩️元 崇神天皇社と厄神駅とを結ぶ串呂(Google.map)

❇️⛩️元 崇神天皇社と大酒とを結ぶ串呂
⛰️王頭山-⛩️元 崇神天皇社-大酒-大宮町

⛩️元 崇神天皇社と大酒とを結ぶ串呂(Google.map)

❇️つるぎ町天皇と⛩️元 崇神天皇社(長船町)との串呂
つるぎ町天皇-⛩️元 崇神天皇社-瀬戸町弓削

天皇(つるぎ町)と⛩️元 崇神天皇社(長船町)との串呂(Google.map)


🌺記紀の編集者(および後世の改竄かいざん)により、崇神天皇の出自が隠蔽されていますので、このような串呂に不快感を持たれる方があるかと思いますが、国家再建のために必要な皇祖神の天佑神助を得るためには、正しい歴史を解明し、真実を開顕しなければならないのであります。

今号は、往昔、崇神天皇が富士山麓でお祭りしていた神宝を大和国へ奉遷し宮中に納めた所、同床共殿にお祭りする事が出来ず、本来なら元の富士山麓へ奉還しなければならないのに、

同床共殿できなかったことを理由に、笠縫の里に神社を設けて奉斎した事に対する「天つ大御神の御怒り」が神風串呂に構築されていました。

🔴神宝が、いまだに富士山麓へ奉還されていないからではないでしょうか。

笠縫駅から、このような記事になってしまいましたが、心を鬼にして「歴史の誤謬を正す」ことが、今の我が国には最も重要かつ喫緊の課題であると確信しています。


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🔴つるぎ町天皇と⛩️崇神天皇陵との神風串呂2

前号からの続きです。
今号は、笠縫邑に関連した地文を取り上げて考察いたします。

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