💟祈りの地文学Ⅱ──王政復古を導いた大宝天皇の写経
🎀串呂哲学研究ノート 第514号
争いではなく祈りが歴史を動かす! 大宝天皇が写経に込めた祈りは、四百年後の王政復古へ届いていた!豊田市黒田町の卍正壽寺と⛩️明治天皇陵を結ぶ串呂を初公開します!
はじめに──祈りが歴史を動かすという視点
大宝天皇の行在所「愛知県豊田市黒田町の卍正壽寺」に秘められた祈りの軌跡をたどると、未だ誰も気づかなかった“王政復古への地文”が姿を現す。本稿では、卍正壽寺を起点とする新たな串呂を初公開し、大宝天皇の写経が明治維新の深層で果たした役割を明らかにする。
前々号(512号)に続き、本号では「大宝天皇の写経こそが明治維新・王政復古を導いた」という三浦芳聖師のご教示を手がかりに、「大宝天皇の祈りと王政復古」の関係をさらに深く探究していく。
研究の中心に据えるのは、王政復古・新政維新の象徴的モニュメントである京都市伏見区の⛩️明治天皇陵であり、そこを串呂の至点として地文の配置を読み解く試みである。
🟣王政復古の象徴的モニュメント⛩️明治天皇陵

🔶大宝天皇の祈りと明治維新の深層
なぜ祈りの串呂を研究するのか。それは、祈りこそが歴史を動かす原動力であり、長く異民族の支配下に置かれてきた日本を救い、日本民族の精神を再び立ち上がらせる道を開くと考えるからである。
争いを捨て、剣を合掌に、弾丸を祝詞に替え、世界平和と人類の繁栄を祈り続けるとき、必ず奇跡が起きる――その確信がある。
東北の天才詩人も、次のように光の道を歌っている。
日ハ君臨シ カガヤキノ 太陽系ハ マヒルナリ ケハシキタビノ ナカニシテ ワレラヒカリノ ミチヲフム
「⛰️御正体山から⛩️明治天皇陵へ結んだ串呂」には、明治天皇個人に関わる情報だけでなく、明治維新の深層を示す多くの地文が配置されていた。
その中でも特に注目すべきは、神皇正統 第百代 大宝天皇(美良)を示す以下の三つの地文である。
❇️滋賀県湖南市「吉永」
❇️滋賀県日野町「西明寺」
❇️名古屋市熱田区「大宝」
これらを手がかりに、「大宝天皇(美良)の祈りが明治維新を導いた」という師説の検証を進めてきた。

第512号では「卍寺野薬師堂から⛩️明治天皇陵への串呂」を初公開し、「吉永町加賀美/多麻」「⛩️天計神社」などの地文が、大宝天皇の16年に及ぶ写経と王政復古との関係を裏付ける重要な証拠となった。

🔶卍正壽寺──大宝天皇の行在所と遺された祈りの証
そして今号では、大宝天皇が念書した大般若経を所蔵する愛知県豊田市黒田町仲根の卍正壽寺を起点とし、⛩️明治天皇陵を至点とする新たな串呂を研究する。
卍正壽寺は大宝天皇の行在所であったと伝わり、愛用の硯や和歌の短冊が残されている。かつては御衣も伝わっていたと考えられ、三浦芳聖師によって「御衣野(三重県桑名市多度町)という地文を含む串呂」も公開されている。
🔶大般若経三冊が語る“奇跡の保存”と神意
戦国の戦火を奇跡的に免れ、大宝天皇の大般若経(三冊)が今日まで残されたことは、神々のご配慮としか思えない。これこそ、卍正壽寺が串呂の重要基点である証である。
🔴大宝天皇が念書した大般若経

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』318頁2の写真版)
🔴卍正壽寺(愛知県豊田市黒田町仲根)

🔶吉永-大宝-卍正壽寺を結ぶ直線が示す意味
さらに、黒田町の卍正壽寺と吉永(滋賀県湖南市)を結ぶと、そのほぼ中間に「大宝」(愛知県海部郡飛島村)が位置していることが判明した。
湖南市吉永-(ほぼ等距離)-飛島村大宝-(ほぼ等距離)-黒田町卍正壽寺
この地文の配置・配列は、愛知県豊田市黒田町の卍正壽寺が大宝天皇(諱 美良)の行在所であったことを証明する実証の神風串呂である。
天地神明の御教導により、下記の貴重な地図をスクリーンショットとして得ることができた。

本号では、この新たに浮かび上がった串呂の意味を読み解き、大宝天皇の祈りが明治維新の深層でどのように働いたのかを明らかにしていく。
🍀この記事は前々号からの続きですので、初めての方は、まず第512号をご覧下さるようお願いします。
🟡神風串呂を学びましょう!
🟣情報拡散のお願い
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
🌷この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
🌷串呂主宰神 天照大御神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
🌷神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
神風串呂の主宰神は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
🟡祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

🔴卍正壽寺から⛩️明治天皇陵へ──未公開串呂の解読
💞豊浦町吉永を発見
今号は、大宝天皇(諱 美良)が念書された三冊の大般若経を寺宝として所蔵している「卍正壽寺」(愛知県豊田市黒田町仲根)を起点として⛩️明治天皇陵とを結んでみました。
するとまことに神秘的な事に、「卍寺野薬師堂から⛩️明治天皇陵への串呂」と同様、大宝天皇の忌み名「美良(よしなが)」をあらわす吉永(山口県下関市豊浦町大字)が配置されていました。
🔶吉永(山口県下関市豊浦町大字)

吉永(豊浦町)-⛩️明治天皇陵-卍正壽寺(黒田町)

距離を測ってみますと、およそ3:1の位置に配置されていました。
豊浦町吉永-(455km)-⛩️明治天皇陵-(157km)-卍正壽寺(黒田町)
🔴三ヶ所目の「吉永」(大宝天皇の諱 美良)の出現です。
(1)⛩️明治天皇陵-吉永町(湖南市)-⛰️御正体山
(2)吉永町(備前市)-⛩️明治天皇陵-卍寺野薬師堂
(3)吉永(豊浦町)-⛩️明治天皇陵-卍正壽寺
💞当に知るべし
的確なる地文の配置に感激しつつ、さらに調査を進めておりましたら、愛知県名古屋市港区の「当知町」および「当知1~3丁目」が隣接して配置されていました。
吉永(豊浦町)-⛩️明治天皇陵-当知町/当知-卍正壽寺(黒田町)
この地文は、漢文の「当に知るべし」と読み「ほんとうに知らなければならない」「ほんとうに知るほうが良い」という意味の重要地文です。例によって、国内唯一のユニークな地名であろうと思います。
🔶名古屋市港区当知町

卍正壽寺と⛩️明治天皇陵との神風串呂(Google.map)
🔶名古屋市港区当知1~3丁目

卍正壽寺と⛩️明治天皇陵との神風串呂(Google.map)
この地文によって、この串呂は前々号同様、非常に重要な神線であると思われ、徹底的に地文を調査しなければならないと決意を新たにしたのであります。
(以下「当知町・当知1~3丁目」を当知町と表記する場合もあります。)
神秘的なのは、これだけでは有りません。
この串呂は巻頭でご紹介した下記の神線と重なり、吉永 二串 -🔴-🔴- の確定立証の神風串呂でした。
🔴吉永(豊浦町)-⛩️明治天皇陵-🔴吉永(湖南市)-大宝(飛島村)-当知町-卍正壽寺(黒田町)

しかも、「吉永 二串 -🔴-🔴- の超串呂」の出現に驚きつつ、この神線を東方に延長したところ、⛰️経ヶ岳(神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷)が配置されていました。(地図の縮尺約95.2万分の1)

卍正壽寺と⛩️明治天皇陵との神風串呂(Google.map/縮尺約95.2万分の1)
🔴吉永(豊浦町)-⛩️明治天皇陵-🔴吉永(湖南市)-大宝(飛島村)-当知町-卍正壽寺(黒田町)-⛰️経ヶ岳(清川村)
❤️🔥この一本の串呂を見れば、大宝天皇の写経が 王政復古 新政維新 の実現に及ぼした精神的な影響が、いかに大きかったかという事が拝察されるのであります。💞🎯🍀💝🏵️


💞大宝天皇の祈りが描いた見えざる道を読む
この串呂には、「大宝天皇の写経こそが王政復古を導いた」という師説を証明する地文、言い換えると「大宝天皇の祈りによって刻まれた神秘的かつ驚異的でユニークな地文」が多数配置されていました。
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明治大室王朝の神風串呂
明治大室王朝説をあらわす神風串呂を21本以上まとめたマガジンです。明治大室王朝説とは、明治天皇が南朝の王孫「大室寅之祐」であるという仮説で…
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