💟祈りの地文学-大宝天皇の写経と王政復古
🎀串呂哲学研究ノート 第512号
💞はじめに
大宝天皇が十六年の歳月をかけて大般若経六百巻を写経した祈りは、決して古代に埋もれたものではない。卍寺野薬師堂と⛩️明治天皇陵とを結ぶ一本の串呂には、その祈りが刻んだ地文が静かに並び、王政復古へと至る“見えざる道”が浮かび上がってくる。本稿では、この未解明であった串呂を初めて公開し、大宝天皇の祈りが明治維新の深層でどのように働いたのかを探っていく。
今号では、十六年の写経道場であった「卍寺野薬師堂」を起点とし、明治維新・王政復古の象徴である「⛩️明治天皇陵」へと一本の線を引いてみた。
卍寺野薬師堂 … 美良天皇が十六年間にわたり写経を続けた聖地
⛩️明治天皇陵 … 王政復古を象徴するモニュメント
この二点を結んだ線をさらに西へ延ばすと、驚くべきことに、大宝天皇の忌み名「美良」をそのまま示す「吉永町(岡山県備前市)」が、まるで待っていたかのように配置されていた。
吉永町(備前市)-⛩️明治天皇陵(京都市)-卍寺野薬師堂(岡崎市)
その的確さに胸が震え、さらに調べを進めると、串呂は「吉永町加賀美」「吉永町多麻」──すなわち鏡と玉、三種の神器を象徴する地文──をも正確に貫いていた。
🔶吉永町 … 美良(大宝天皇)
🔶加賀美 … 鏡
🔶多麻 … 玉
加賀美地区の⛰️八塔寺山頂にある行者堂は、卍寺野薬師堂をあらわす地文ではないのか!
🔶行者堂 … 卍寺野薬師堂

しかも神秘はこれだけではなかった。
⛩️明治天皇陵を中心に、卍寺野薬師堂と吉永町加賀美/多麻は、ほぼ等距離(約138.5km)に位置していたのである。
加賀美/多麻 -(等距離)- ⛩️明治天皇陵 -(等距離)- 卍寺野薬師堂

明治天皇陵を中心におよそ138.5kmの等距離に配置されている。
この精妙な配置を目の当たりにしたとき、大宝天皇の祈りが明治維新・王政復古の実現に深く関わっていたことが、地文そのものによって語られていると確信した。
そして私は、この串呂線上に刻まれた地文を徹底的に調査すべきだと、あらためて心に決めたのである。
🟡神風串呂を学びましょう!
🟣情報拡散のお願い
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
🌷この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
🌷串呂主宰神 天照大御神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
🌷神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
神風串呂の主宰神は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
🟡祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

卍寺野薬師堂から⛩️明治天皇陵へ
当ブログ第510号では、大宝天皇の祈りが明治維新・王政復古の実現にどれほど深く関わっていたのか、その可能性を探りました。
大宝天皇は、満十六年という歳月をかけて大般若経六百巻を一心に写経され、その大誓願が天照大御神の御心に通じ、皇統復活の約束を賜った!――もしそうであったなら、明治維新・王政復古の奇跡的な成就も、まさにその祈りの結実として理解できるのではないか。これが本研究の中心にある仮説です。
これは、三浦芳聖師が説かれた「大宝天皇の祈りこそが明治維新を導いた」というご教示を、別の角度から検証しようとする試みでもあります。
今回焦点を当てたのは、大宝天皇が大般若六百巻を写経し、皇威回復を祈願された卍寺野薬師堂(愛知県岡崎市夏山町)と、⛩️明治天皇陵(京都市伏見区)とを結ぶ串呂です。これは串呂研究史上、初めて明らかにする内容となります。
後醍醐天皇の⛩️塔尾陵は、宮内庁が管理する由緒正しき皇陵であり、『太平記』に記された遺詔によって、後醍醐天皇の祈りを象徴する重要な串呂起点であることは疑いありません。
一方、卍寺野薬師堂は、神皇正統の天皇が十六年もの長きにわたり写経に専念し、空前絶後の大誓願を成就された道場です。日本史上、天皇自らがこれほどの写経をした例は他になく、⛩️塔尾陵と並び立つ重要な串呂起点と考えられます。
🔴これは、あくまで私見でありますが、天照大御神が御出現になり、「後世直系皇孫に神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現 八幡大明神を降誕せしめ、天下を平定せしめる。その時まで三種の神器を地下深くに埋蔵し、子々孫々その時の至るを待て!」 ――と御神諭を賜った場所こそ、この卍寺野薬師堂であったのではないかと拝察されるのです。
卍寺野薬師堂の串呂については、前号「2026(丙午)年の年頭に当たって-寺野薬師堂の神風串呂」を準備する過程で研究を進めたところ、極めて重要な霊的スポットであることが判明しました。(詳細は後日、あらためて公開する予定です。)
境内にそびえる樹高36メートルの大楠が象徴するように、卍寺野薬師堂には、南朝正統の天皇が十六年にわたり写経に身を捧げた霊気が満ちあふれています。まさに特別な力が宿る場所といえるでしょう。

❇️串呂起点・・・卍寺野薬師堂
既述につき省略。
下記を参照下さい。
🔶寺野薬師堂(岡崎市)の神風串呂
❇️串呂至点・・・⛩️明治天皇陵
既述につき省略。
下記を参照下さい。
🔶明治天皇の神風串呂
💞大宝天皇の祈りを示す地名が多数配置されていた!
串呂起点の卍寺野薬師堂といえば、大楠で有名なパワースポットです。
卍寺野薬師堂の境内にそびえる大楠の幹周りは約12m、樹高は約36m、根囲は約27メートル、根の横幅は約10mあり、愛知県指定の天然記念物となっています。

この大楠は、大宝天皇が、永享10年(1438年)~享徳3年(1454年)の満16年間にわたり大般若六百巻を念書して、皇威の回復を熱禱祈願した象徴であると思われます。
楠=木偏+南・・・南朝の象徴
大宝天皇の16年にわたる写経による祈りが、明治維新・王政復古実現の重要なる霊因であったという師説に基づいて、「卍寺野薬師堂と⛩️明治天皇陵とを結ぶ串呂」を研究したところ、大宝天皇の祈りが刻まれた神秘的な地文が多数配置されていました。
そのなかで、ひときわ神秘的な響きをもつ地文は、岡山県備前市吉永町の「加賀美」「多麻」です。

✳️この備前市「吉永町」は、大宝天皇の忌み名「美良」を示すとともに、三種の神器を地下深く埋蔵して岩戸籠り中の神皇正統家をあらわす地文です。
✳️贈り名(大宝天皇)の「大宝」は、三種の神器を示す名称で、美良天皇みずから命名したと伝承されています。大宝を選んだ理由は、崇神天皇の御代以来、代々の天皇が継承した三種の神器を御神諭に従って地下深く埋蔵された天皇であるからです。
備前市吉永町の「加賀美」「多麻」「都留岐」については、今を去る半世紀以上前に、三浦芳聖師によって解明されていて、当ブログでも「💟三種の神器を昭示する地文と大宝天皇」でご紹介しています。
この地文は「吉永町加賀美」を中心に南西側に「吉永町都留岐」、東側に「吉永町多麻」が隣接していて、まさに「三種の神器」(皇位)をあらわす地名です。吉永すなわち大宝天皇(諱 美良)が三種の神器を継承した天津日嗣の天子であることを示すために出現した地名と思われます。
🔴この串呂を概観したところ「加賀美・多麻」二つの地文は、⛩️明治天皇陵をはさんで、ほぼ等距離(およそ138.5㎞)の位置に配置されているのです。これは、重要な地文である事を示す串呂構築技法のひとつです。
加賀美/多麻-(等距離)-⛩️明治天皇陵-(等距離)-卍寺野薬師堂

明治天皇陵を中心におよそ138.5kmの等距離に配置されている。
🔴詳細なWEB地図のお蔭で、北西部に隣接して、天照大御神や天皇をあらわす大日山(地名/兵庫県佐用郡佐用町)が、八塔寺山の頂きには行者堂が配置されている事が判明しました。
❇️「吉永町」「加賀美」「多麻」「行者堂」「大日山」

❇️吉永町=大宝天皇すなわち神皇正統家をあらわす地文。
❇️加賀美=八咫の鏡(三種の神器のひとつ)
❇️多麻=玉(三種の神器のひとつ)
❇️行者堂=卍寺野薬師堂をあらわす。
❇️大日山=天照大御神や天津日嗣をあらわす。
こうした地文は、串呂主宰神 天照大御神が、天翔けり国翔り、過去 現在 未来を自在に行き来して、神計りによって構築・配置されているのであります。
これは、この串呂を西方に延長した線上にある⛩️天計神社(岡山県加賀郡吉備中央町豊岡下)が証明しています。
⛩️天計神社-加賀美・多麻-(等距離)-⛩️明治天皇陵-(等距離)-卍寺野薬師堂

(Google.map/縮尺約23.8万分の1)

上記の串呂をご覧になれば卍寺野薬師堂における大宝天皇の16年間という長期間にわたる祈りが、明治維新・王政復古の実現に大きな影響を与えた事が推察できるかと思うのであります。
💞大宝天皇の祈りが刻まれた主要地文を読み解く
この串呂線上には、満十六年間という長期にわたる写経による大宝天皇の祈りによって刻まれたと思われる神秘的かつ驚異的でユニークな地文が多数配置されていました。
その一例として「毛利長門西町、毛利長門東町」(京都府京都市伏見区桃山)を挙げることが出来ます。
明治維新 王政復古を実現した長州藩の毛利家、すなわち大室寅之祐(明治天皇)の庇護者をあらわし、明治大室王朝説を補強する重要地文です。

⛰️御正体山と⛩️明治天皇陵との神風串呂
煩雑を避けるため、多くの関連地文の中から主要地文のみを限定して取上げています。
それでは、大宝天皇の祈りによって刻まれた神秘的かつ驚異的でユニークな地文を直観力を鋭敏に研ぎ澄まして読み解いて参りましょう!
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明治大室王朝の神風串呂
明治大室王朝説をあらわす神風串呂を21本以上まとめたマガジンです。明治大室王朝説とは、明治天皇が南朝の王孫「大室寅之祐」であるという仮説で…
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