とんかつ聖地巡礼事件―サキティ少女の事件簿外伝
和歌山県御坊市。
黒潮の影響を受けた、温暖な気候。
海に囲まれた自然豊かな街の片隅で、
揚げ油よりも熱い炎が、
静かに燃え上がっていた。
――
ついに、この日がやってきた。
とんかつ屋。
私のプライドを
千切りキャベツよりも細く、
幾度となく切り刻んできたライバルだ。
トレードマークの、
店名が書かれたTシャツ。
その背中に導かれるように、
私はこの場所に立っていた。
正確には、
とんかつ屋の店主ではない。
店員ですらない。
ただのとんかつ屋ファンだ。
Tシャツも自作らしい。
だが私にとって、
永遠のライバルであり、
永遠のとんかつ屋であることに、
なんら変わりはない。
彼を、
そこまで夢中にさせるものは何か。
何を食べたら、
彼に勝てるのだろうか。
ロースカツか。
ヘレカツか。
それともビフカツか。
その真相を確かめるため、
高速道路で一時間かけて、
彼の愛する聖地へと車を走らせる。
いわば、聖地巡礼だ。
まずは準備運動。
持参したランニングシューズに足を通し、
見知らぬ街を走り抜ける。
6:00/km。
抑え気味のペースに反して、
熱く燃え上がる身体。
荒く不規則な呼吸。
高まる鼓動は、
炎天下の
ランニングのせいだけではないはずだ。
まだ見ぬ聖地に想いを馳せ、
5:50/km。
5:40/km。
知らぬ間にペースも加速する。
途中で迷子になりながらも、
とんかつ屋への執念だけは、
一切の迷いがなかった。
無事に11kmを走り終え、
ここからが本番だ。
ランニングウェアから、
正装のスウェットに着替える。
もちろん、ウエストはゴム紐だ。
聖地に挑む者としては、
最低限の礼儀であり、最強の戦闘服。
抜かりはない。
缶ビールで喉も覚悟も潤し、
いよいよ決着の刻。
老舗を思わせる店構え。
その看板に描かれた髭のオッサンですら、
不思議と神々しく見えてくる。
私が選んだのは、
一番人気の一口ヒレおろしカツ定食。
なるほど、
生卵入りおろしポンズが、
良い仕事をしている。
思わず進む、箸とビール。
私の全力疾走よりも遥かに速いスピードで、
胃袋へ消えていくヒレカツ。
豚汁。
大盛りご飯。
そして、瓶ビール。
付け合わせのレモンすら
余すことなく胃袋へ納め、
もはや完全犯罪である。
これで私の勝利は間違いない。
明日のランニングが、
次のレースが楽しみだ。
薄ら笑いを浮かべながら、
私は完全なる勝利を確信していた。
……はずだった。
その翌朝。
確信はヒレ肉よりも柔らかく、
儚く砕け散った。
激しい胃もたれと二日酔いで
ランニングどころか、
仕事にすら行きたくない。
いや、起き上がる気力すらない。
聖地で、
ヒレカツと豚汁の挟み撃ちに遭い――
布団の中で
情けなく駄々をこねる
一人の中年女性が爆誕したのは、
言うまでもない。
