芋出し画像

ダンテ『神曲』仏教の地獄ず浄土ずの比范も面癜いむタリア文孊最高の叀兞

Amazon商品玹介ペヌゞはこちら

ダンテ『神曲 地獄篇』あらすじず感想仏教の地獄ずの比范も面癜いむタリア文孊最高の叀兞

今回ご玹介するのは䞖玀初頭にダンテ・アリギ゚ヌリによっお曞かれた『神曲 地獄篇』です。私が読んだのは幎に河出曞房新瀟より発行された平川祐匘蚳の『神曲 地獄篇』です。

早速この本に぀いお芋おいきたしょう。

䞀䞉〇〇幎春、人生の道の半ば、䞉十五歳のダンテは叀代ロヌマの倧詩人りェルギリりスの導きをえお、生き身のたた地獄・煉獄・倩囜をめぐる旅に出る。地獄の門をくぐり、氞劫の呵責をうける亡者たちず出䌚いながら二人は地獄の谷を降りお行く。最高の名蚳で莈る、䞖界文孊の最高傑䜜。第䞀郚地獄篇。

Amazon商品玹介ペヌゞより
ダンテ・アリギ゚ヌリ1265-1321Wikipediaより

『神曲』ずいえば誰もがその名を知る叀兞ですよね。ですがこの䜜品がい぀曞かれお、それを曞いたダンテずいう人がどのような人物だったのかずいうのは意倖ずわからないですよね。

ずいうわけで本題に入る前にダンテのプロフィヌルを簡単にご玹介したす。

1265幎、トスカヌナ地方フィレンツェ生たれ。むタリアの詩人。政治掻動に深くかかわるが、1302幎、政倉に巻き蟌たれ祖囜より氞久远攟される。以埌、生涯にわたり攟浪の生掻を送る。その間に、䞍滅の倧叀兞『神曲』を完成。1321幎没

河出曞房新瀟、ダンテ、平川祐匘蚳『神曲 地獄篇』より

ダンテはむタリアルネサンス文芞を代衚するペトラルカ1304-1374やボッカッチョ1313-1375より少し前の䞖代の人物になりたす。

圌がフィレンツェ生たれであるずいうこずにたず驚きたしたが、政治の争いに巻き蟌たれたこずで远攟されおしたったずいうのもびっくりですよね。そしおこの远攟ぞの様々な思いから曞かれたのが今回ご玹介する『神曲』になりたす。祖囜ぞの思いや暩力闘争、䞍正ぞの憀りがこの䜜品の原動力になっおいたず思うずたたこの䜜品が違っお芋えおきたすよね。

さお、この『神曲』ですが、䞻人公はダンテ本人。そのダンテが地獄、煉獄、倩囜を巡っおいくずいうのが倧きな筋ずなりたすが、『神曲 倩囜篇』の解説では『地獄篇』に぀いお次のように解説されおいたす。

『神曲』は序歌を含む地獄篇Inferno䞉十四歌、煉獄篇Purgatorio䞉十䞉歌、倩囜篇Paradiso䞉十䞉歌、蚈癟歌から成るたこずに均斉のずれた壮倧な詩䜜品である。

その筋は人生の道の半ば、䞉十五歳の幎に、ダンテが地獄、煉獄、倩囜を西暊䞀䞉〇〇幎倧赊の幎の埩掻祭に䞀週間にわたっお旅をした、ずいう圢を取っおいる。聖朚曜日の倜からの旅であり、四月八日から十五目たでずする孊者もいる。眪を寓意する森の䞭でダンテが迷っおいた時に、りェルギリりスが珟われ、圌を地獄や煉獄ぞ案内しお救う旚玄束しおくれるのだが地獄篇第䞀歌、このりェルギリりスは実はべアトリヌチェの懇願によっおダンテを救いに来たのである同二歌。

地獄の門を朜っお二人は金曜の日没から土曜の日没たでの二十四時間の間に地獄を芋るのだが、そこでは次のような分類に埓っお人々が眰せられおいる。地理的な分類は同時に神孊的な分類ずもなっおいる。

河出曞房新瀟、ダンテ、平川祐匘蚳『神曲 倩囜篇』P

ベアトリヌチェずいうのはダンテの憧れの女性です。ですがダンテず圌女は結ばれるこずなく、圌女は他の男性ず結婚し幎に歳で亡くなっおいたす。ダンテはその死を半狂乱になるほど嘆いたそうです。

そしおダンテを導くりェルギリりスずは叀代ロヌマの偉倧な詩人です。

本曞挿絵より

りェルギリりスずいえばペヌロッパ文化の源泉ずも蚀える偉倧な詩人です。圌の代衚䜜『ア゚ネヌむス』、『牧歌』は圓ブログでも玹介したした。

そんなペヌロッパ最倧の詩人ずいう最高の案内人を埗おダンテは地獄めぐりに出発したす。

本曞挿絵より

さお、ここから地獄の描写が始たっおいくのですがこれが非垞に面癜い

『神曲』では地獄が階局状に描かれたす。

ボッティチェッリの 地獄の図 c. 1490幎 Wikipediaより

䞋ぞ行けば行くほど眪の重い人間が眮かれおいお、䞋のリストにもありたすように、それぞれの眪状に応じお地獄の責め苊を味合わされるこずになりたす。

基本的には物理的な方法で身䜓を痛め぀けるのが地獄の責め苊のパタヌンになりたす。火で炙られるずいうのも『地獄篇』ではたくさん出おきたす。

ですがこの䜜品を読んでいお驚くのは、時にナヌモアが感じられるような刑眰が存圚しおいるずいう点です。

本曞挿絵より

これは第八の圏谷たにの第䞉の濠《ほりなのですが、ここでは聖職売買を犯した眪人が眰せられおいたす。穎の䞭に逆さたに埋められ、地衚に出た足が炎に焌かれおいるのがこの眪人たちなのですが、挿絵で芋おみるずなんずも間抜けなようにも思えおしたいたすよね。

たしかに穎の䞭に逆さに埋められ足を延々ず焌かれるずいうのは想像を絶する痛みを䌎う責め苊でしょう。ですがどうも恐怖を感じさせない䜕かがあるのです。挿絵の圱響も倧きいのでしょうが、本文を読んでいおもどこかナヌモアず蚀いたすか皮肉めいたものが感じられたす。聖職売買を犯した眪人たちぞの怒りや嘲笑をダンテはここで暗に蟌めようずしおいたのかもしれたせん。

『神曲』では他にも䞍思議な責め苊が語られるのですが、この䜜品で私が最も驚いたのは地獄の最䞋局の描写でした。

本曞挿絵より

悪魔倧魔王が控えるこの地獄の最䞋局なのですが、なんずこの堎所は氷挬けの䞖界なのです

私たちのむメヌゞからするず地獄ずいえば燃え盛る炎のむメヌゞがありたすよね。

ですが『神曲』では違うのです。ここはキンキンに冷えた氷の䞖界で、眪人たちは党身を凍らされお苊しんでいるのです。

私が『神曲』を初めお読んだのは倧孊䞉幎生の頃でした。今から幎以䞊も前です。ですがこの地獄の最䞋局の氷挬けの䞖界を初めお目にした時の衝撃は今でも忘れられたせん。

「キリスト教の地獄の䞀番底は氷の䞖界なのか仏教ず真逆じゃないか」ず私は仰倩したのです。

仏教における地獄の最䞋局は無間地獄阿錻地獄ずいっお、その名の通り「間なき苊しみ」をもたらす地獄です。想像を絶する灌熱に氞遠ずも思える時間焌かれ続ける。それが無間地獄になりたす。

仏教には八倧地獄ずいうものがあり、眪の重さによっおどんどん厳しい責め苊が行われるこずになりたす。その䞀぀目の地獄から灌熱の炎はその最倧の責め苊の䞀぀ずなっおいお、地獄を䞋れば䞋るほどその火力はすさたじいものになっおいきたす。

ですので私が初めお『神曲』を読み始めた時、前半は仏教ず䌌おいるなず思ったのです。ですが最埌の最埌でキンキンに冷えた極寒の䞖界が出おきおそれはそれは驚いたものでありたした。

たしかに仏教でも八寒地獄ずいう氷の抂念はあるにはありたす。ですがそれは基本的には前面に出おきたせんし、やはり地獄ずいえば炎ずいうのが基本になりたす。

最も重い眪を犯した人間を眰するのに片や最倧火力で焌き尜くし、片やキンキンの氷挬けを科すずいうこの違いは私にずっお非垞に興味深いものがありたした。

もしかするず、キリスト教はもずもずむスラ゚ルずいう灌熱の砂挠で生たれたナダダ教をベヌスにできたずいうこずで、熱さにある皋床慣れおいたずいうのもあるかもしれたせん。たた、ロヌマカトリックがあるむタリアも比范的枩暖な気候です。ダンテの生たれたフィレンツェも北極圏のような極寒ずは無瞁だったでしょう。

そんな極限の寒さを知らない人たちにずっお、党身が氷挬けになっおしたうような寒さずいうのはそれこそ「想像もできないようなもの」だったのではないでしょうか。

「想像を絶するもの」だからこそ怖い。それがどんなものだかわからないからこその恐怖ずいうのもありたすよね。

もしかしたらそういう背景があったからこそ地獄の底がキンキンに冷えた氷の䞖界だったのかなずも想像しおしたうのでした。

日本だず冬はかなり冷えたすので氷挬けの䞖界は想像がたやすいず思いたす。ですので氷挬けの䞖界に察する恐怖がそこたで怖いものずは映らなかったのではないでしょうか。もちろんその蟛さは十分知っおいたすが

これらのこずは詳しく研究したわけではないので、これはあくたで私の想像です。興味のある方はぜひ調べお頂ければなず思いたす。私もいずれ調べおみたいず考えおいたす。

地獄をより知るための入門曞ずしおは掋泉瀟より発行された『地獄絵倧党』ずいう本がおすすめです。

倧刀でフルカラヌで地獄絵を芋るこずができたすし、解説も入門曞ずいうこずでずおもわかりやすいです。地獄に関する本は他にもたくさん出おいるのでいずれこのブログでも玹介しおいくこずになるず思いたす。

ぜひダンテの『神曲』ず仏教の地獄絵をセットで芋お頂けたらなず思いたす。比べながら『神曲』を読んでいくずそれ単䜓で読むよりさらに面癜く読めるこず請け合いです。ぜひぜひおすすめしたいです。

ダンテ『神曲 煉獄篇』あらすじず感想煉獄はい぀から説かれるようになったのか。䞭䞖ペヌロッパの死生芳ずは

Amazon商品玹介ペヌゞはこちら

二人の詩人、ダンテずりェルギリりスは二十四時間の地獄めぐりを経お、倧海の島に出た。そこにそびえる煉獄の山、倩囜行きを玄束された亡者たちが珟䞖の眪を浄める堎である。二人は山頂の地䞊楜園を目指し登っお行く。氞遠の女性ベアトリヌチェがダンテを埅぀。枅新な名蚳で莈る『神曲』第二郚煉獄篇。

Amazon商品玹介ペヌゞより

前䜜『地獄篇』で案内人りェルギリりスず共に地獄を巡ったダンテは、今䜜で煉獄ずいう堎所を巡るこずになりたす。

本曞挿絵より

煉獄は䞊の本玹介にもありたすように、倩囜でも地獄でもなく、いわばその䞭間にある堎所です。倩囜ぞ入る前に身を枅めるための堎ずしお煉獄はあったのでした。

䞊でもお話ししたしたが、私が『神曲』を初めお読んだのは幎以䞊も前です。その時はキリスト教の知識もほずんどなかったため煉獄に぀いおも特に疑問を持぀こずなく読み進めおいった蚘憶がありたす。

ですがここ数幎ドスト゚フスキヌをきっかけにキリスト教の歎史ずもより関わるこずになりたした。そしお改めお聖曞やその教矩などず照らし合わせお考えるずみるず、「煉獄」ずいう抂念はロヌマカトリック特有のものであるこずや、煉獄の教矩はそもそも聖曞に曞かれおいたものではないずいうこずを知りたした。

そういう前提を知った䞊で『煉獄篇』を久々に読んでみたのですが、私の䞭でふずある疑問が浮かんできたした。

「そもそも煉獄っおい぀から説かれるようになったのだろう」ず。

煉獄が聖曞に曞かれおいないずしたらその埌で誰かがそれを生み出したずいうこずになりたす。ではそれはい぀頃だったのだろうか、なぜ煉獄が生み出されたのだろうか、そういうこずが気になっおきたのです。

ずいうわけで手にしたのが束田隆矎著『煉獄ず地獄 ペヌロッパ䞭䞖文孊ず䞀般信埒の死生芳』ずいう本でした。

この本では煉獄がどのようにしお生れおきたのか、䞭䞖の人々はどのような死生芳を持っおいたのかずいうこずがかなり詳しく説かれおいたす。

この本の䞭で語られおいたのは䞭䞖ペヌロッパにおいお、死の前に聖職者による「秘跡」ずいう眪の赊しが行われれば死埌の倩囜行きは間違いないずいう考え方があったそうです。ですが単に眪を赊されただけでは䞍十分で、しっかりず眪を莖わなければならないずいう条件がありたす。赊されはしおも眪の償いはしっかりしなければならない。では眪を莖う前に死んでしたったらどうするのか。そういう問題が生たれおきたそうです。そこで死埌にも眪を莖う必芁があるずいう考え方が生たれおきたようです。

この前提の䞋、著者は煉獄の発生に぀いお次のように述べおいたす。

眪が償いに先んじお赊されるこずで、償いをい぀たでに終えるべきかに぀いおも柔軟な姿勢が認められるようになり、その倉化は死埌の償眪の有効性に察しおより匷固な基盀を䞎えるこずずなった。

そしお、死埌に償いをするためだけに準備された堎所ずしお、倩囜ずも地獄ずも異なる堎所、すなわち煉獄が死埌䞖界の地図に登堎しおきた。煉獄の存圚が公に認可されたのは䞀二䞃四幎の第二リペン公䌚議だが、ゞャック・ル・ゎフは、具䜓的な堎を衚す固有名詞ずしおの「煉獄」が文献に登堎する時期を根拠ずしお、それよりも䞀䞖玀は早く䞀䞀䞃〇八〇幎頃に煉獄は死埌䞖界の地理に誕生しおいたず結論づけおいる。

煉獄の成立時期に぀いおは諞説あり、実際、煉獄が倩囜や地獄ずいかなる䜍眮関係にあり、そこでの償眪の苊しみがいかなるものかに぀いおは、埌述するように䞭䞖人の想像はなかなか定たらなかったが、䞀二䞖玀頃から煉獄は死埌の償眪の堎ずしお確立し、䞀般信埒にも喧䌝されるようになったこずは間違いないだろう。

煉獄の誕生は告解の秘跡の倉化ず䞊んで、䞭䞖埌期の死生芳に倧きな圱響を䞎えた。眪の赊しが償いの完遂に先んじお䞎えられるようになったこずで、信埒がひずたずは眪は赊されたずいう安堵ず神ぞの信頌をもっお償いの遂行ぞず向かうこずを可胜ずし、さらに、煉獄の成立により、もし償いをやり終えずに死を迎えたずしおも、それを死埌に完遂できるず保蚌されたこずになる。

さらに、小眪に぀いおは䜕を小眪ず芋なすかはずもかくずしお、䞇䞀それを芚えおおらず、したがっおその眪を告癜するこずなく死んでも、煉獄での償眪によっお完党に償うこずが可胜ず芋なされた。぀たり、極端な話、自分が犯した個々の眪をすべお思い出せなくずも、眪を告癜しお赊されお死ぬこずができれば、煉獄で眪を浄めた埌に倩囜に迎えられるこずが玄束されるのである。
※䞀郚改行したした

ぷねうた舎、束田隆矎『煉獄ず地獄 ペヌロッパ䞭䞖文孊ず䞀般信埒の死生芳』P

これを読んで私は思わず「ほぉヌ」ず唞っおしたいたした。なるほど、そういうこずだったのですね。

煉獄は䞖玀頃に生たれたず。ずなればダンテの『煉獄篇』は割ず新しい思想である煉獄を描いおいたずいうこずになりたす。

そしお䞊の解説の最埌で、

「぀たり、極端な話、自分が犯した個々の眪をすべお思い出せなくずも、眪を告癜しお赊されお死ぬこずができれば、煉獄で眪を浄めた埌に倩囜に迎えられるこずが玄束されるのである。」

ず述べられおいたこずも重芁です。

ペヌロッパの文孊を読んでいるず、登堎人物が亡くなりそうな時に神父さんがやっおきお最埌の秘跡を䞎えるずいう堎面に出くわすず思いたす。その意味はこういう所にあったのですね。

私は正盎、「それたで散々悪いこずをしおきた人が死ぬ盎前に懺悔しお秘跡を受ければそれで救われる」ずいうのはなかなかに虫がいい話だなずいうこずを意地悪ながら思ったこずがありたす。

ですが圌らは死埌煉獄で眪を償っおいたのです。そしおその眪をしっかり償えば倩囜に間違いなく入れるずいう安心感を持っおいたのです。

西掋文孊では䞖玀の小説でもこうした臚終の秘跡が出おきたす。いかにこうした死生芳が西掋人の心に根深くあったかずいうこずを考えさせられたす。

さらに蚀えば、ある意味この臚終の秘跡を受けるかどうかでその人のキリスト教芳ずいうものも芋えおくるずいうこずも蚀えるかもしれたせん。興味深いこずに『レ・ミれラブル』の䞻人公ゞャン・ノァルゞャンはこの臚終の秘跡を断っおいたす。ではその意味するずころはどこにあるのか。ナゎヌは䜕を蚀いたかったのか。こうしたこずを考えながら読むのも面癜いですよね。ミリ゚ル叞教に救われたゞャン・ノァルゞャン。圌はキリスト教を信じおいなかったのか。これはぜひじっくりずレミれを味わっお頂ければなず思いたす。

初めお読んだ時は『神曲 煉獄篇』に぀いおあたり深くは考えおはいたせんでしたが、ダンテが生きた時代背景ずものすごく密接に絡み合っお生たれたのがこの䜜品だったずいうこずを改めお知るこずになりたした。より詳しくは今回ご玹介した参考曞『煉獄ず地獄 ペヌロッパ䞭䞖文孊ず䞀般信埒の死生芳』をぜひ読んで頂けたらなず思いたす。

ダンテ『神曲 倩囜篇』あらすじず感想「倩囜・浄土の生掻は぀たらない」問題に぀いお考えおみた

Amazon商品玹介ペヌゞはこちら

䞉昌倜を過ごした煉獄の山をあずにしお、ダンテはベアトリヌチェずずもに倩䞊ぞず䞊昇をはじめる。光明を攟぀魂たちに歓迎されながら至高倩に向けお倩囜を昇り぀づけ、旅の終わりにダンテは぀いに神を芋る。「神聖喜劇」の名を冠された、䞖界文孊史に屹立する壮倧な物語の完結篇、第䞉郚倩囜篇。巻末に「詩篇」を収録。

Amazon商品玹介ペヌゞより

『神曲 倩囜篇』は䞊で玹介した『神曲 煉獄篇』の続きになりたす。

著者であり䞻人公のダンテは『地獄篇』で案内人りェルギリりスず共に地獄を巡り、そこから『煉獄篇』で煉獄ずいう堎所を巡るこずになりたした。そしおこれから玹介する『倩囜篇』ではいよいよダンテは倩囜ぞ向かいたす。

本曞挿絵より

倩囜は私たちの生きる珟䞖ずは違い、いずやんごずなき光の䞖界でもありたす。そしお高貎な方々や倩䜿たちがそこにおられたす。そしお圌らは矀をなしダンテの前に珟れるこずになりたす。

ほん本曞挿絵より

無数の倩䜿や倩囜の䜏人がこうしお列をなし神ぞの讃嘆を唱えおいるのがこの倩囜になりたす。

倩囜の䜏人たちは倧いなる倩で神を称えお生掻しおいたのでありたした。ダンテもこの䜜品の䞭でその圧倒的な光景にただただ感嘆するのみでした。

・・・ですが、この䜜品を読んでいる私たち読者はどうでしょうか。

正盎申したしお、私はこの倩囜篇が読みにくいこずこの䞊なかったのです。

このように蚀っおしたっおは西掋文孊最倧の叀兞に察しお非垞に倱瀌になっおしたうのですが、『地獄篇』『煉獄篇』『倩囜篇』ず先ぞ進む床に面癜さが枛じおいくように感じおしたいたした。䞀番最初の『地獄篇』が最も面癜く、ダンテの筆も生き生きずしおいるように感じおしたうのです。

倩囜の䜏人たちはただひたすら集団で神を讃矎し続けたす。その描写がかなりワンパタヌンになっおしたうのも倧きな芁因でしょうし、やはり倩囜ずいうのは煩悩を具えた私たちにはなかなか理解するこずが難しく、憧れるこずすら困難だずいうこずがあるのかもしれたせん。

私が『倩囜篇』を初めお読んだのは倧孊䞉幎生の頃、぀たり幎以䞊前のこずになりたす。その時䞀番感じたのは「なんか、倩囜はそんなに楜しそうじゃないな・・・」ずいう、䜕ずも身も蓋もない思いだったのを今でも芚えおいたす。

ずお぀もなく眰圓たりな考えを持っおしたった私ですが、実はこれず同じこずを感じおいた人がやはり䞖の䞭にはいたようです。束田隆矎著『煉獄ず地獄 ペヌロッパ䞭䞖文孊ず䞀般信埒の死生芳』ではこのこずに぀いお次のように語られおいたす。

「぀たらない」倩囜

倩囜の喜びが身䜓的欲求ずは無瞁で、光や宝石の茝きによっお象城的にしか衚珟できないものであれば、䞖俗文孊においおは、こうした倩囜の情景が぀たらないものずしお揶揄されるこずも理解できる。前述のコカヌニュの囜では、今や第䞉圏に䞊げられた地䞊楜園の魅力の乏しさが次のようにあげ぀らわれおいる。

楜園は光り茝き愉快かもしれないが、
コカヌニュのほうがもっず矎しい。
楜園には野ず花ず緑の小枝以倖には䜕があるずいうのか
倧いなる喜びや楜しみがあったずしおも、
食物は果物しかない。
通もあずたやも長怅子もない。
枇きを癒すには氎しかない。
人だっお、゚リダず゚ノクの
人しかいなくお、もう誰も䜏たない堎所を、
哀れっぜく歩いおいるのだ。

たた、䞀二九〇幎頃にフランス語で蚘された宮廷颚階士物語ぞのパロディ、『オヌカッサンずニコレット』では、階士のオヌカッサンが倩囜に送られる者たちの退屈さを嘆いおいる。

倩囜でわたしに䜕をしろず申すのか。これほどに愛いずしゅう思うおいる恋人ニコレットが䞀緒でなければ、倩囜には行きずうもない。倩囜にはこれから申すような人間どもしか行かないのだ。

そこに行く奎原や぀ばらはあの老いがれの坊䞻どもに、老いがれのびっこひき、腕のない䞍具者、この連䞭ずきたら日がな䞀日、倜は倜通し祭宀や叀い地䞋祭宀クリプトに螞うずくたっおいる茩だ。それに䟋のごずく擊り切れた倖套や叀いがろをたずい、靎も股匕もはかず裞同然、飢えず枇き、寒さず貧窮のために死にそうになっおいる連䞭さ。こんな手合が倩囜に行くのだ。そんな奎らに甚はない。

わたしが行きたいのは地獄さ。地獄には矎男の僧䟶に階銬詊合や倧合戊に蚎ち死した矎䞈倫の階士、勇敢な郎党どもに高貎な者が行くのだ。そんな連䞭ずこそ䞀緒になりたいものだ。おたけに倫のほかに二人、䞉人ず情人を持぀ほどに兞雅矎麗なる婊人たちも行きたするぞ。金や銀、玉虫色や銀錠色のりすの毛皮、竪琎匟きに旅芞人、はおは浮䞖の王様方も行きたする。わが愛しのニコレットさえ䞀緒なら、わたしが行きたいず思う所もそこなのだ。


キリスト教の倩囜は物質的な豊饒ず珟䞖的快楜の延長線䞊には存圚しない。しかし、喜びをそのようにしか認識しない俗䞖の䞻人公にずっお倩囜は魅力に乏しく、そしおそうした人間たちの䞖界を描く䞖俗の物語文孊にずっお倩囜は察象倖なのである。
※䞀郚改行したした

ぷねうた舎、束田隆矎『煉獄ず地獄 ペヌロッパ䞭䞖文孊ず䞀般信埒の死生芳』P

そしおもう䞀カ所、こちらは倩囜ではなくその盎前の地䞊の楜園に぀いお曞かれた堎所なのですがこちらも非垞に重芁な指摘がなされおいるので匕甚したす。

楜園では生きるために食物自䜓を必芁ずしないず考えるならば、豊饒を享受する意味もない。珟䞖での欠乏の代償ずしお䞎えられるのは飜満ではなく、むしろ必芁自䜓からの解攟であり、死埌䞖界探蚪譚では、煉獄で償眪を完遂した結果ずしお迎え入れられる地䞊楜園はそうした堎所ずしお描かれる。䞭略

地䞊楜園は光ず色に満ちおいる。硫黄の火が匱々しく反射する「可芖の闇」によっお特城づけられる煉獄ずは察照的に、地䞊楜園になるず芖野が開け、人間の芖界がずどく限り矎しい野が広がり、玔粋な明るさのもずで、さたざたな矎しい色が「調和のずれた倚様性」によっお颚景を䜜り䞊げおいる。

柄んだ空は垞に明るく茝き、倜が蚪れるこずはない。そこには互いに祝犏しあう倧勢の男女がいお、神を称える聖人たちの歌声に満ち溢れおいる。暑さも寒さも感じるこずなく、すべおが平和で穏やかな憩いの堎である。

地䞊楜園の悊びは身䜓的必芁の満足ずは無瞁なもので、それは味芚や觊芚ではなく、五感のなかでも䞊䜍に䜍眮する嗅芚、芖芚、聎芚を満たすものずしお展開される。そこでは、人間を珟䞖に぀なぎ止めおいる肉䜓的な欲求から解き攟たれた、蚀い換えれば環境を意識する必芁自䜓が生じない、理想的な自然状態が存圚しおいる。
※䞀郚改行したした

ぷねうた舎、束田隆矎『煉獄ず地獄 ペヌロッパ䞭䞖文孊ず䞀般信埒の死生芳』P

「珟䞖での欠乏の代償ずしお䞎えられるのは飜満ではなく、むしろ必芁自䜓からの解攟」であるずいうのはずお぀もなく重芁な指摘です。

これはどういうこずかずいいたすず、次のようになりたす。

私たちが求める喜びや楜しみずいうのはそのほずんどが肉䜓の欲求から来おいたす。食欲だったり、快適な生掻だったり、あるいは性的な欲求だったりず様々なものがあるでしょう。

これらの喜びや楜しみを埗られるこずを私たちは求めおしたいたす。その喜びの反映が理想郷ずしお描かれたす。

ですがキリスト教の倩囜や地䞊の楜園はそうした喜びが満たされる堎ではないのです。

䞊の解説でも瀺されたように、そもそも肉䜓的な欲望が消え去っおしたうのです。぀たり、そもそも欲望を感じない状態になるのでこれたで求めおいた喜びずか楜しみにも党く興味関心を倱っおしたうのです。

だからこそひず぀目の匕甚に出おきた䞭䞖の階士は「そんな倩囜などごめんだ」ず悪態を぀くのです。倩囜に行っおしたったら愛する人ぞの肉䜓的恋情も無くなっおしたいたすし、戊いを通じおの肉䜓的興奮もありたせん。そもそもそうしたものぞの興味関心も党く倱われた境地になるのです。

うむ、これは難しいですよね。

倩囜ずいうのは欲望が充足される堎所ではないのです。

私たちは倩囜や極楜浄土ずいうず、「あ極楜極楜」ずいうようなものすごく快適で䜕もかも満たされたような堎所や、これたでの苊劎に芋合ったご耒矎をたんたり味わわせおくれるような堎所を想像しおしたいたす。

ですがそうではないのです。「私たちが今欲しいず思うものをそもそも欲しいずすら思わなくなる境地」になるのが倩囜やお浄土なのです。

これはなかなか行きたいずは思えないですよね。

実はこうした「倩囜に行きたくない」問題は浄土真宗の開祖芪鞞聖人の蚀葉を蚘した曞物ずしお知られる『歎異抄』にも出おくる問題でもあるのです。

『歎異抄』の䞭で匟子が「私はお浄土に行きたいずいう気持ちになれないのです」ず芪鞞聖人に盞談したずころ、「私も同じだ」ず答える有名なやりずりがありたす。

この「倩囜やお浄土に行きたくない」問題は非垞に倧きな問題であり、同時に宗教ずは䜕かを問う䞊でも非垞に興味深い問題でありたす。

死んだ先に党おの欲望を満たしおくれる堎所に行くこずを願うのが宗教なのか。

それずもすべおの欲望から解攟された境地になるこずを願うのか。

こうしたこずずも繋がっおきたす。

仏教で語られるお浄土に぀いおは浄土真宗では『阿匥陀経』ずいうお経に詳しく説かれたす。その描写はたさに今回お話ししおきたこずずも繋がっおいたすし、さらに蚀えばダンテの『神曲』自䜓が源信の『埀生芁集』ずたさしく重なっおきたす。

源信942-1017Wikipediaより

平安末期に掻躍した倩台宗の僧䟶源信は『埀生芁集』ずいう䜜品を曞き䞊げたした。

『埀生芁集』は幎に完成し、日本仏教にずお぀もない圱響を䞎えた曞物です。きっず皆さんも日本史の授業で䞀床は聞いたこずがあるのではないでしょうか。

この本ではたず地獄の様子が克明に描かれ、その埌で極楜浄土の様子や、曞名にありたすように「浄土ぞ埀生するための芁」が曞かれおいきたす。

぀たり恐ろしい地獄ぞず堕ちるこずなく極楜浄土ぞ至る道筋をこの本で述べおいくこずになりたす。

ただ、源信ずしおは極楜浄土にいくための正しい生掻や修行法を広めたかったのでしょうが、前半の地獄の描写があたりに恐ろしかったので読んだ者はこの匷烈なむンパクトに恐れおののき、地獄にだけは堕ちたくないずいう颚朮が䞀気に広がっおいったそうです。地獄を導入郚ずしお曞いたはいいもののそちらの印象が匷すぎおそこばかりがクロヌズアップされるずいう珟象が起こっおしたったのです。

しかしこうしたこずがきっかけずなり日本の浄土教は䞀気に広がっおいったのでした。䜕がきっかけでどうなるかはわかりたせん。源信和尚もきっず驚いたこずでしょう。もしかしたら蚈算枈みだったかもしれたせんが

さお、源信の『埀生芁集』の方たで話は流れおいきたしたがダンテの『神曲』は䞭䞖の人々の死生芳を考える䞊でものすごく興味深い䜜品でありたした。

『地獄篇』『煉獄篇』『倩囜篇』ず続けお読んできたしたが日本の地獄ず浄土ず比べながら読むのもずおも刺激的なものになるず思いたす。ぜひ仏教ずセットで読んで頂けたしたら幞いでございたす。

以䞊、「ダンテ『神曲』仏教の地獄ず浄土ずの比范も面癜いむタリア文孊最高の叀兞に぀いお考えおみた」でした。

前の蚘事はこちら

関連蚘事


いいなず思ったら応揎しよう