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三泊四日で尾道から橋とフェリーを使い芸予諸島を経由して呉まで行ってきた話②【大三島・大崎上島編】

尾道から芸予諸島経由で呉へと向かう旅の二日目だ。
今回は今治の市街地から大三島を経て海路で大崎上島町まで向かっている。
移動距離は短いが、歴史ある神社と国宝だらけの博物館、ジビエ、そして島の歴史と文化を学べる資料館など、見どころは大変多く充実した一日となった。
大体の経路は下図のとおりだ。


1泊目の宿泊先であるルートイン今治

ルートイン今治は道路を挟んで向かい側にイオンスタイル今治馬越店が立地している。
旅先での食料品等の買い出しにも事欠かない。

この道路を奥の方へ直進していくと今治ICがある

ホテルの正面にある道路はしまなみ海道の終点である今治ICへ真っ直ぐ繋がっているため、高速道路のアクセス性が抜群だ。
二日目の出発地点としてこれ以上ない好立地であり、この後今治ICからしまなみ海道で大三島へと向かった。


来島海峡SAにあったオブジェ
石に橋名が刻まれていた。淡路SAを想起する光景だ。
中央の島は島民専用ゲートがある馬島
来島海峡だよ、村長

来島海峡SAから20分程度で目的地の大三島へと到着した。
大三島ICから退出し、大山祇神社へと向かう途中に道の駅があったので立ち寄ってみた。

海沿いに遊歩道が設けられており、海と橋を眺めながら散歩できるようになっている
透明度が高い
左が大三島、右が生口島

多々羅大橋は大三島の北側で生口島との間を結んでおり、この海峡が県境にもなっている。
大三島は愛媛県今治市に属し、生口島は広島県尾道市に属している。

レンタサイクル
おひとり様には縁が無いタンデム自転車

伊予国一宮 大山祇おおやまづみ神社

道の駅多々羅しまなみ公園を出ると、大三島の内陸へと向かった。
次なる目的地は大三島で一番のお目当てだった大山祇神社だ。

参拝者用の駐車場がどこにあるのか分からなかったので、とりあえず神社のすぐ側にある道の駅の駐車場を利用させてもらった。

御島は大三島の古称の一つ
正午過ぎには満車だった

鳥居の手前には参拝者用駐車場が用意されていたが、駐車可能台数は少なめで限りがあった。

斜面を造成してトラクターを入れるのだろうか
総門
古くより「日本総鎮守」を自称しているそうだ

総門をくぐり参道を進んでいくと、左側に能因法師雨乞いの楠と名付けられた楠の古木が見えてきた。
日本最古の楠というが、ご覧のとおり既に朽ちてしまっている。
説明書では枯死したことについて何も触れられていないので、まだ生きているのかと疑ってしまった。

お前はもう死んでいる
十七神社

長屋のような建物が見えてきた。
実はこれも神社なのだが、全くそうは見えない。
伊予国の神々をまとめて祀った社殿らしく、仕切られた区画に一つづつ小さな社が設けられていた。
まるでフードコートのような神社だった

さらに参道を進んでいくと、参道の中央にまたしても巨大な楠が鎮座していた。
こちらは乎知命おちのみこと御手植の楠という名前が付けられている。
乎知命という人は大山積大神の子孫らしい。
大山積大神は皇祖神たる天照大御神の兄神なので、乎知命という人は皇族の親戚なのだろう。

神社によくある古い石灯籠を発見した。
石灯籠には奉納した者の名前や年月が刻まれており、これを読み解くのがちょっとした楽しみだ。

寛永15年とある(西暦1638年)

奉納した者の名前は、

松平美作守みまさかのかみ朝臣あそん◯房

とある。
◯の箇所が読み取れなかったが、これだけ分かれば検索は容易だ。
これで一般的な名前は松平◯房であることが判明した。
四国には松平の称号を名乗る大名が多いが、大山祇神社があるのは今治藩領内だ。
そのためこの人物は今治藩主ではないかと考え調べてみたところ、初代当主の実名が定房だったことが判明した。
官名は美作守を名乗っており寛永15年当時も健在だったことから、この石灯籠に刻まれた名は松平定房に違いない。

ちなみに先の名前は、

松平(苗字)|美作守(官名)|源(氏・本姓)|朝臣(姓)|◯房(実名)

と分解して読み解く。
近世以前の日本における人名を構成する要素は複雑なので、一般的には現代の氏名に近い表記である苗字+実名が用いられる。
そうすると松平定房となるわけだ。

伊藤博文を記念した楠
御祭神である大山積大神は、皇祖神たる天照大御神の兄神
拝殿(重要文化財)
隙間から撮影した本殿
下津社
上津社
左から下津社、本殿、上津社
日本総鎮守だよ、めぐちゃん
小さな社があったが、通路が工事中で行けなかった
月音こなの名前があったら引いてしまったと思う
天然記念物とあるが、折れて枯死している

元寇にあたり奮戦した伊予国の御家人、河野かわの対馬守通有みちありが出陣の際に兜をかけたと言われている楠が横たわっていた。
社殿はないが賽銭箱も置かれ神聖視されているようだったので、こちらでもお参りをしてきた。

鎌倉時代の宝篋印塔だそう
御朱印(書き置き)

国宝館・紫陽殿・海事博物館

大三島は国宝の島とも呼ばれているが、その理由は全国にある重要文化財や国宝にあたる武具甲冑の八割をこの大山祇神社で所有しているからだ。
奉納された武具甲冑は境内にある紫陽殿と国宝館にて展示されており、せっかくここまで足を運んだので見学していくことにした。
ただし、館内はすべて撮影禁止のため写真の類は一切ない。
その代わりに内部を見学した感想を述べよう。

紫陽殿

紫陽殿は三階建てになっており、これとは別に国宝館がある。
国宝の島というだけあって武具を奉納した人物も大物だらけで、覚えているだけでも源頼朝源義経、そして巴御前の名前もあった。
もちろん先述した河野通有の名前や、瀬戸内海を拠点に活動した村上水軍で有名な村上氏の名前もあったような記憶がある。

ちなみに、奉納した人物の名前は官名に続けて名前が記載されていた。
源義経なら「伊予守 源義経」、河野通有なら「対馬守 河野通有かわのみちあり」といった具合だ。
それでは源頼朝はどうか。

将軍 源頼朝

これはカッコいい…。
なんとかの守という国司の官名もいいが、やはり「将軍」の2文字は格が違う。

肝心の刀剣類や武具甲冑だが、率直に言うと素人が見ても凄さの違いが分からない
説明書きから年代の古さを知って感心はするものの、展示物同士の違いや凄さを見た目で判別して実感することは困難だ。
ただし、刀剣類は刃紋や刀身の長短などで違いが分かりやすく、甲冑などと比較すると素人でも楽しみやすいだろう。
印象に残っているものは野太刀で、中には2m近いものもあった。

その他、刀剣類の中には細かな刃こぼれが見受けられるものも散見されたが、これが実戦で使用された痕跡なのか、それとも切れ味を確認するために行われた試し切りの痕跡なのかは分からない。
もっとも奉納するために作られた刀剣類に刃こぼれしたようなものを選ぶとは思えないので、やはりこれは実戦で使用されたものではないだろうか。
そんな事を考えるのも楽しかった。

なお、館内はあまり暖房が効いておらず寒さを感じた
紫陽殿と国宝館との間の連絡通路が半屋外になっており、また両館いずれの扉も開けっ放しであることに起因するものだろう。
車内に置いてきたダウンジャケットを着てくれば良かったと後悔した。

国宝館。左の白い屋根は紫陽殿との連絡路。

手前に巨大な船のスクリューが見えるこの博物館は海事博物館といい、海洋生物などの研究に関する史料が展示されている。
中央には生物学者としても高名であった昭和天皇が使用されていた調査用の小型船舶がそのまま展示されているほか、海洋生物の剥製や鉱石などが展示されていた。

展示内容はなかなか面白いのだが、ここも紫陽殿と同様に空調管理があまり徹底されていないため館内は寒さを感じる場所が多く、とても長居できるような場所ではなかった。
暖房がさほど強く効いているわけでもないのにサーキュレーターがそこら中に設置されており、風が当たると単純に寒いのだ。
なお、こちらも館内は全て撮影禁止だったので写真はない。


イノシシ料理の店 DAISHIN

宝物館の見学を終え、既に時刻は正午を回っていた。
ちょうど昼食の時間帯であり、また午後2時発のフェリーで大崎上島町へ向かうことを考えると早めにどこで昼食を取るのか決めてしまう必要があった。
神社を出て駐車場へ向かいながら昼食について考えていたところ、道路沿いに面白そうなお店を発見した。
私が大好きなジビエ料理の店だ。

全部イノシシ
肉も販売していた

この店で昼食を取ることにして入店しテーブルにつくと、テーブルの上には小さなイノシシの飾りが置かれていた。
この飾りそのものもイノシシの皮で作られており、おみやげとして販売もされていた。

かわいい

注文したのはイノシシハンバーグプレートだ。
イノシシ肉は何度も食べたことがあるがハンバーグとして食べたことはなく、どのような味がするのか気になっていた。
感想としては、串焼きなどで食べるよりもイノシシの味が濃くジビエ特有のクセを強く感じた
イノシシ肉はジビエの中でも比較的クセが弱く食べやすい方だと思っていたが、ハンバーグにするとクセが強くなるのだろうか。
ただし、上からかけられたデミグラスソースがクセの強さを緩和しており、ハンバーグ単体で食べるよりは食べやすいようになっていた。

ジビエだよ、さやかちゃん
手前が神社正面、奥が道の駅

宗方港

昼食を済ませて早速フェリー乗り場へと向かった。
大三島ブルーラインによって大三島の宗方港から大崎上島の木江港へと向かう航路が運航されており、わずか15分で両島を結んでいる。

フェリーの待合室と事務所を兼ねた宗方港務所

券売機は利用できなかったが、後ほど係員が来たら購入できるようになっていた。
係員不在の時間帯は節電のために電源を落としているのかもしれない。

出港時刻は午後2時だが、港へ到着したのは午後1時15分頃だった。
さすがに到着が早すぎた。
宗方港の周囲には住宅くらいしかなく時間を持て余してしまうので、再び島内の散策へ向かった。


宗方港を出て南へ向かってみると、右手に古い小学校のような建物が見えてきた。
出港時刻に間に合わないと困るので、宗方港から離れすぎるわけにはいかない。
この辺りを散策していれば適度な時間潰しになりそうだと思い入ってみることにした。

施設の名前は「大三島ふるさと憩いの家」とあり、敷地内には「宗方小学校跡」と書かれた石碑が置かれていた。
間違いない、ここは昨今見かける廃校を活用した宿泊施設だろう。
しかし、その割にはあまりにも人の気配がない。
そこで敷地内にある「今治市岩田健母と子のミュージアム」の受付をしていた係員の方にお話を伺ったところ、この施設は民間事業者が経営する宿泊施設でメインのシーズンは夏季なので、今日は宿泊客がいないのではないかと教えてくれた。

アルタミラといえば壁画が描かれた洞窟だったような
すぐ側に海があるため、海水浴をした宿泊客のために設置されているのだろう。
宿泊利用者専用の展望風呂。海を見渡せるそう。
今治市岩田健母と子のミュージアム
この小さな小屋で観覧料の徴収をしている

すぐそばの海岸に足を向けてみた。
水も綺麗で眺めもよく、程よい長さの砂浜だ。
海水浴には適しているだろう。


フェリーの出港時刻が近づいてきたので宗方港へと戻る。
先客は一台のみだった。

接舷場所に背を向ける謎

陸地の待機所から移動し、小さな橋を渡った先にある場所で待機するように指示を受けた。
船が接舷するであろう場所に背を向けて駐車させられる理由がわからなかったが、なんとここのカーフェリーは後進で乗船する方式だった。

一般的なカーフェリーは前進して車両甲板へ進入し、下船する際もそのまま前方のタラップから前進して下船するようになっている。
前進の方が簡単なので、乗船も下船もスムーズに済むからだ。
このフェリーも前後いずれにもタラップがあるので前進して乗船すればいいのに、なぜ後進で乗船させられるのかが分からなかった。

Grokに聞いてみたところ、どうやら宗方港は港の構造上の理由で船尾からの接舷の方が容易であるとのこと。
つまり、港湾施設としての構造上の理由で後進により乗船する方式となっていたらしい。
実際、他の港では前進して乗船するようだ。

タラップが後ろにも見える
さらば大三島
デッキ
大崎上島が見えてきた

造船所が見える。
大崎上島は造船業が盛んな島なのだ。

大崎上島だよ、ルリちゃん
木江きのえ

大崎上島おおさきかみじま

広島県道65号大崎上島循環線

木江きのえ港から大崎上島へと上陸し、再び県境を超える。
先ほどまで滞在していた大三島は愛媛県今治市だが、ここは広島県豊田郡大崎上島町だ。
ここからの予定だが、実はこの島で何をやるかは全く決めていなかった。
島でのんびり過ごそうと思っていたので宿泊以外は完全にノープランだ。
多少の目星はつけてあったが、まずは島を一周してみることにした。

木江から山を越えて北西へ抜け、島の北部である東野方面へと向かう。
そこから島を一周する主要地方道大崎上島循環線を使い大崎上島を時計回りに一周していく。

東野町鮴崎めばるざき付近の大崎上島循環線。
道路両横にある壁の白さを見るに、近年整備されたものだろう。

車線幅は二車線弱といったところか。
拡幅まではしていないようだ。

釣り堀のような浅さだが、釣り堀ではない
北向き・鮴崎方面

後ろの大きな島が大三島、その手前にある大小の小島が大横島と小横島というそうだ。
大小の横島はいずれも愛媛県今治市に帰属している無人島で、調べてみるとカヤックで上陸してキャンプに訪れる人もいるらしい。

最初に上陸した木江地区まで戻ってきた。
錆だらけの年季が入った白看板が残っていたので撮影。
明石と白水はいずれも港町で、明石からは大崎下島への航路が、白水からは竹原への航路が就航している。


木江ふれあい郷土資料館

造船所がひしめく地区を抜けて木江の南端まで来た。
もともと目星をつけていた地域の資料館で、ネットの口コミでも評判が良かったことから立ち寄ってみる。

ちなみに大人一名の入館料はわずか200円だ(令和8年3月時点)。
JAF会員だと一割引となる優待が受けられるので、さらに少額の180円で入館可能となっている。
自販機で買える500mlのペットボトル飲料1本分程度の料金と大差ないくらいの金額だ。
田舎の資料館、それも200円程度の入館料だからといって舐めてはいけない。
この資料館は木江や大崎上島、そして北前船などの歴史が学べる非常に有意義な施設であり、個人的には入館料に対する満足度は非常に高いと思う

資料館そのものが船のような意匠になっている

一階展示室では町の歴史が紹介されていた。
中世から現代に至るまで造船業が盛んで、江戸時代までは北前船の来航で大変栄えていたという。
また、半世紀ほど前まで建造されていた木造船舶の模型も展示されていた。
これらの木造船舶は現代では目にすることがなく、あまり保存されるようなものでもないことから、模型とはいえ非常に貴重な資料だろう。

この解説では北前船による貿易がいかに栄え、なぜ衰亡したのかについて書かれていた。
私もこの文章を読むまで勘違いしていたのだが、北前船は海運業による利益で儲けたのではなくボッタクリ商売で儲けていたのだ。

北前船の商人たちの手口はこうだ。
西日本で安く仕入れた商品を蝦夷地で高く売り、逆に蝦夷地で仕入れた昆布等を西日本で高く売るというもの。
何倍もの利益を上乗せしたボッタクリ価格だったらしいが、通信技術があまり発達していない当時は商人以外に遠方の品物の原価など知りようもなく言い値で取引に応じていたのだろう。
しかし、明治以降に通信技術が発達し遠隔地の情報も容易に手に入ると原価も筒抜けになり、ボッタクリ価格も通用しなくなって廃業していったそうだ。

もっとも、当時の船旅は現代よりも過酷で命がけだったことを思えば、強気な価格設定も妥当だったのではないかとも思える。
海難事故で死亡することもそうだが、仮に落命せずとも積荷を喪失しては致命的な大損になる。
超絶ハイリスクハイリターンの商売だったに違いない
ボッタクリの上乗せされた価格は、海難事故に遭うリスクを踏まえた上での手間賃や保険料のようなものだったとも言えるのではないか。

大崎上島の軍艦島と言われる契島の写真があった。
ここは軍艦島のように企業が全域を所有している島で、会社の関係者以外は立ち入ることが出来ない。
ただし、町営フェリーに乗船し桟橋にのみ短時間上陸することは許されるようだ。

木江に現存する木造五階建の住居。せっかくなので現地で見ておけばよかった。

階段には船や海に関する熟語などがいくつも貼ってあるのが面白い。
階段一つとっても工夫や学びがあって、本当に素晴らしい資料館だと思う。

勉強になるね

二階に展示されていた資料の中には江戸時代の書籍も置かれていた。
目を通してみると武鑑のように思えたが、細かい点で武鑑とは相違する点があるため、結局帰宅してから調べることにした。

武鑑というのは江戸時代に刊行された大名等の名簿で、位階や官名、領国や氏、実名や家紋などが記載されていた。
名簿といっても幕府などが発行する職員録のようなものではなく複数の民間事業者が刊行していたものであり、版元は多岐に渡っていた。

これを踏まえて目を通してみると、この書籍はたしかに武鑑に似ているもののだが、明らかに武鑑とは書式が異なっていた。
武鑑の記載内容である大名の苗字、官名、実名のほか、領国や本姓、家紋といった記載はあるのだが、なぜか地下官人の記載もされていたのだ。
地下とは昇殿を許されない下級の公家のことを指すのだが、そもそも武士の名簿である武鑑に公家が記載されることはない
この時点で武鑑ではないって、はっきりわかんだね。

武鑑ではなかったのだが、幕末にはこのように武家と公家が併記された「武鑑のような書籍」が刊行されていたらしく、まさしくこれがそうだったのだろう。

木江港方面

山の上に見えているのは「きのえ温泉 ホテル清風館」だ。
大崎上島にはいくつか宿泊施設があるが、一番大きくて豪華そうなホテルだった。


ベストショット
右側に見えるのがホテル

資料館を出てホテルの近くに来てみると、近くの道路脇に広めのスペースが確保されていた。
石碑などがあるところを見ると、おそらく観光用の駐車スペースなのだろう。

石碑には大きな文字で「忘れない」という五文字が刻まれていた。
右に立てられた説明書によれば、これは大崎上島を救った義民の直兵衛さんという人を顕彰するための石碑だった。
大名の年貢米を運搬していた船頭の直兵衛は故郷の大崎上島で飢饉があり島民から助けを求められ、年貢米の船が難破したことにして積荷の年貢米を横流しした。
しかし、沈めたはずの船が大洲へ漂着して発覚し処刑されたという。

海岸には特徴的な岩が観光名所になっていた

道路沿いに斜面に面した神社を発見
恵美須神社というそうだが、近場に駐車場が見当たらず参拝を断念

神峰山かんのみねさん

中間地点の首切峠

島内を一周する循環線を走っていると、神峰山という大崎上島で最も高い山へと向かう分岐が現れた。
頂上にある展望台まで車で行けるようだったので、せっかくなので足を運んでみることにした。

首切峠にある山小屋
山小屋の中にはお地蔵様がたくさんいらっしゃる
なんつう名前だよ

道路は中間地点の首切峠から狭隘さを増していった。
道路工事のために片側が削られて段差になっており、車1台分ほどの幅しかない舗装路もあった。
タイヤを踏み外しても死んだり大怪我をしたりすることはないが、その段差で車体の破損はまず免れないだろう。
帰りもここを通るのは嫌だなと思いながら進んでいると頂上へ到着した。

第一展望台は駐車場のすぐ目の前にある

ここが大崎上島の最高峰、神峰山の第一展望台だ。
ここだけでも美しい景色なのだが、ここから徒歩で登山道を登っていった先にある第二展望台や第三展望台はさらに美しい景色が見られるらしい。
しかし、一日の終わりで体力も限界を迎えつつあったため、無理せず第一展望台だけで済ませることにした。

第二展望台まで7分、第三展望台までさらに7分…。
一日の終わりに山道を往復30分も歩くのは、さすがに自信がなかった。

主に島の北部が見える
そびえ立つ真っ白な煙突は、中国電力の大崎発電所だ。
大三島方面
眼下には木江の街が見える
大崎上島だよ、めぐちゃん

神峰山を降りてから島の南部まで走り、島を大体一周できたところで宿へチェックインを済ませた。
一泊朝食付きのプランなので夕食は外食にしたのだが、離島ゆえに飲食店そのものが少なく選択肢は限られていた。
とりあえず道路沿いに面したラーメン店が営業してくれていたおかげで、なんとか夕食にありつくことが出来た。

ガツンと塩ラーメン食べたいな!

夕食を済ませて宿へと向かう。
二日目の宿は島内にあるいづみ旅館だ。
島内を一周する幹線道路である大崎上島循環線に面して建っているためアクセス性は抜群で、道路を挟んで向かい側には広い駐車場もある。
徒歩圏内にはローソンが、少し離れた場所にはスーパーマーケット(フレスタ)まであるので、利便性も非常に高く良い立地だと思う。

フレスタ大崎上島店
右側が道路向かいの駐車場

部屋はシンプルな和室で過ごしやすく、特に気に入ったのが奥に見える高座椅子だ。
和室で畳に直に座るのもいいが、テーブルを使って飲み食いするなら少し高さがある座椅子に腰掛けた方が楽なのだ。
自宅の自室も和室なので、こんな高座椅子が欲しいと思ってしまった。

床の間にはテレビと冷蔵庫がある。
通路を挟んで向かいにあるのは旅館の食堂だ

ただし、私が宿泊した部屋には注意すべきポイントが一つだけあった。
実はこの部屋、旅館の出入口がある通路のすぐ脇にある部屋なので、障子を締切にしておかないと丸見えになってしまうのだ
多少開けて外の様子を見るくらいならいいが、ずっと開けっ放しには出来ない。
嫌かと言えばそんなことはなく、むしろこんな面白い部屋はなかなか無いので新鮮で楽しかったのだが、人によっては抵抗がある人もいるかもしれない。

先ほど夕食を食べたばかりだが、酒を飲むのにつまみがないので買ってきてしまった。
早めに宿へ行き、のんびりと酒を嗜む。
特に何をするわけでもなくだらだらと過ごす。
人生には、こういう時間が必要な時もあるのだ。


二日目はこれで終了だ。
三日目は大崎上島からフェリーで大崎下島へと渡り、とびしま海道を使っていくつもの橋を渡り本土へ戻って呉へと向かった。

というわけで、三日目については次の記事で書くとしよう。

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